第13話
夜が終わりを告げ、仄かに光をはらみ始めた空。灰色と藍色が入り交じった、その一点が捩じくれる。歪みは幾重にも波紋を広げ、丸く底知れない影が空に落ちた。
そこから竜の首がごとく形をなした業火が無数に溢れ出て、途端に世界は昼の明るさを取り戻す。それに留まらず上空から降り注ぐ火炎の触手が星を捉えて、その色が大気を蝕んだ。海からは蒸気が立ち上り、島のそこら中で火の手が上がる。
熱波は森に開けた大樹の切り株にも届いて、そこに立つ少女の朝焼け色の髪をなぶった。彼女は乱れ舞う長髪を片手で撫でつけて、呟く。
「……来ましたよ!」
紅と朱と橙の地獄の中で、喉が焼け付きそうな吐息をつきながら、しかしアステルが睨むのは空の一点だった。そこに開いた大穴をさらに広くこじ開けて、貪欲な化身が這い出してくる。その白い輝きが画面を覆い尽くして少女の姿は光の中に掻き消えた。
「アステル!?」
「平気です! この距離ならまだ、何ともありません!」
光度に調整が加わり、白光は薄らいでいった。少女の華奢な痩躯は森の木々とともに黒く影が浮かび上がって、徐々にその輪郭も精細を取り戻す。
極端に明るい光源を基準としたために画面は全体として薄暗かった。また夜に引き戻されたような暗闇の下でアステルはタブレット型端末にどこか不安げな目を向けてくる。
「カナタさん。カナタさん! まだ見えていますか?」
「見えてるよ。どうだ。そこからでも『英知』は操作できそうか?」
カナタが言うとアステルの目元が綻んで、それから一拍置いて慌てながらこう返答してくる。
「は、はい! じゃなくていいえ! ここからではやはり難しいようです。接近するしかありません!」
「少し気を落ち着けろよ。そこまで大声で話さなくても聞こえてるから」
「ご、ごめんなさい……」
つい今し方まで上擦った声で喋っていると思ったら今度は急に萎れ出す。彼女の感情の多彩さにはいつも感心させられる。
「ほら、さっさと終わらせて家に帰るぞ」
「もちろんです!」
応じたアステルの長髪が金色に溶け出しそうなほどの光を発し始める。画面が暗いせいで判別し辛いが、肌からは乳白色の輝きが滲んでいた。
「それでは……参りましょう」
アステルは澄み渡った空色の瞳で敵を睨むと端末を抱き抱えてしまった。画面は押しつけられたブラウスの布地しか映さなくなる。
「アステル。見えない」
「その……ごめんなさい。しばらくはこうさせていてください」
少女の不安そうにすがりついてくる言葉を聞けば、カナタはもう何も言い返せなくなる。彼が黙っているとアステルはいっそう強く端末を押しつけ、カナタには見えない微笑みでこう返した。
「ありがとうございます。やっぱりカナタさんは優しいです」
直後、スピーカーから吹きすさぶ風の唸りが漏れ出て現実の空気を震わせ、彼女が飛び立ったことを知らせた。やがてそこに火の爆ぜる音が加わり、繰り返される轟音の合間にアステルの呻きが漏れ聞こえカナタは耐えかねる
「どうしたんだ!! 大丈夫なのか!?」
「平気……まだ、行けます!!」
ノイズ混じりの叫び声で踏ん切り、アステルはさらなる加速に挑んだ。空気が張り裂けてその振動がカナタの側にまで伝わり、スピーカーが終わることのない風音を音割れしながら吐き出す。弾けては遠ざかっていく爆発音が自らのすぐ足下から響いてくるような錯覚さえ受けた。
「くそっ……!」
何か、できることはないのか? 何も手伝えないのか?
どれだけ強がりを言い放っても、偉ぶってもこれが今のカナタにできる限界だった。隔てた画面の壁の厚さがあまりにも痛感され、届かない手の無力さを実感する。
「無事でいてくれ……」
敢えてアステルには聞こえないようにそう祈りながら。
鳴り止まない空戦の音に耳を塞ぐこともできず、へばりついてくる呪わしい時の流れをじっと堪える――
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