第1話
『先月から正式に稼働が開始された『英知』は……』
ニュースを垂れ流す音源に向けて足を振り回す。目覚まし代わりにしていたラジオが蹴飛ばされて壁にぶつかると電池を吐き出した。
ぶつりと沈黙が下りて、部屋は埃臭い静けさを取り戻す。しかしその頃にはもう夢の世界から引き上げられ、悲嘆の呻きを上げながらも彼は薄目を開いていた。
「んぐぁ……」
染み着いた習慣が彼の右手を持ち上げてコンピュータの電源ボタンへ指を押し込ませる。筐体の中を動力が巡り、机に鎮座したケースから伝わる回路の軋みが彼の頭をも奮い起こした。
微睡みから覚めた頭をもたげようとして、脱力する。
閉じかけたカーテンの隙間から差し込む朝日が窮屈な書架とタンスを照らし出していた。ベッドと机の他はコンピュータのパーツと機器に占拠され、常日頃から変わることなく散らかった惨状を晒している。
知り合いからカナタと呼ばれるその部屋の主は、今日も使いそびれたベッドを憂鬱げに見やって深く、革張りのプレジデントチェアに身を沈み込ませた。少々値の張るそのクッションが同年代に比べるとやや華奢なカナタの背中を優しく包み込む。
「……疲れた」
彼は背もたれに頭を持たせ掛けて、疲れた溜め息を一つ零した。徹夜の代償だとは分かっていてもやめられないし慣れることもない。
ままならない自分の性分に飽き飽きしながら体を起こすと、ウェブブラウザを起動した。全画面で表示させ、ブックマークしてあるチャットを開く。更新がないことを確かめると、今度は意味もなくニュースを眺めて試験の最中にあるという史上最大規模のデジタル・ニューラルネットワークの記事に見入った。
そうして無益に起き掛けの希少な数分を浪費しながら、嘆息する。
昨晩のあの光景が忘れられない。瞼の裏に何度も蘇る。
覚悟を決めたカナタはブラウザを最小化して、その裏に自動で立ち上がっていたソフトウェアのウィンドウを睨みつけた。
その四角い枠組みはだだっ広い大洋にぽつりと一つだけ浮かんだ、小さな孤島を映し出す。
太陽を模した明かりに照らされ、島の半分は森の深緑に、そして残りは若草色に照り映えていた。その草原の縁に沿って僅かに広がる砂浜は小麦色に輝き、緑がかった青色の波を受け止めている。
そこは現実の物理法則を再現しつつも実世界には存在しない仮想の孤島だった。
カナタが一人で時間と労力とを費やし、築き上げてきた小さな『楽園』である。
常の癖として各種の値に異常がないか確かめると彼は寝間着の袖を拭った。
息巻いて、島の全容を映し込んだ視野を絞っていく。
山林の木々を上空から一望して目的の場所を見つけると小鳥型のアバターを生成した。この空間は当初から体のある住人を想定してきたため、こうして仮初の体を形成しなければ細かな探索も行えないのだ。
小鳥の視点と体を借りるとカナタは山腹にくり抜かれた大樹の痕へと降下していった。樹木と言うよりは建築物に近い寸法の切り株が苔むした偉容を早緑色に輝かせている。
そして『彼女』はそんな切り株の中心に座り込んで、晴れやかな顔で青空を見上げていた。
「あ、今日も来たんですね?」
こちらを指さすと、にっこり微笑んで彼女は言う。
「ええと、何て言う鳥なんでしょうか?」
「知らん」
彼の作ったアバターは近所で口喧しく鳴いていた小鳥を真似たものである。雀より一回り大きな体躯を青みがかった灰色の羽毛が包み、頬にだけは僅かな紅色が差していた。
実は作り込んだだけあって愛着も湧いてはいたが、それをこの少女に語って聞かせる義理はない。
「それより、お前の方こそ俺の見間違いじゃなかったみたいだな」
カナタは昨晩のことを思い出して、溜め息とも独り言ともつかない吐息混じりの愚痴をマイクに漏らす。
出自、正体共に不定のそいつは昨日と打って変わって輝きもせず、確かな輪郭を持った一人の少女の姿をしていた。
「え? わたしですか?」
言いながら自分を指さす彼女は雨上がりの晴れ空よりも青く透き通る瞳が印象的だった。木漏れ日を束ねたような長髪を柔らかく振り払って立ち上がり、その瞳でカナタを見上げてくる。
「ちゃ、ちゃんとわたしってここにいますよね⁉」
「だから見間違いじゃなかったと言っているだろう!?」
微妙に会話が噛み合わない。
幼子と話しているような焦れったさを堪えつつ、彼女の足下に降り立った。どうしたものかと思案しながら羽を畳んでいると、彼女がしゃがみ込んでカナタを観察してくる。
「昨日は暗くてよく見えませんでしたけど、中々リアリティがありますね」
興味と好奇心に輝いた眼差しがくすぐったい。
「本物の鳥を見たことがあるのか?」
「いいえ、ありませんよ。だからすごく興味深くて……」
恐る恐る伸ばされてくる手の指の隙間を掻い潜りつつカナタも少女と向き直る。
「触ったら駄目なんですか?」
落ち込まれるとカナタの方が悪いことをしている気分になる。
「お前みたいな得体の知れない奴に触らせるわけがあるか!?」
怒声を浴びせかけられると少女はびくりと竦み上がり、それからすごすごと手を引いていった。
その格好は長袖の白いブラウスに紺色のジャンパースカートを合わせたものだった。襟元には水色のリボンがあしらわれ蝶の形に結ばれている。
童話の中から飛び出してきたようで、カナタが抱いた印象としては何となく子供っぽい。
「その恰好、何を参考にしたんだ?」
「服のことですか? 実は、気がついたらいつの間にかこの格好で。でも不思議と気に入ってるんです。何となくわたしらしい気かして」
スカートの裾をつまみ上げて言う姿は愛らしく、確かに彼女の人格を体現するかのようだった。
「そうだろうな。しかし、こんな衣類まで形成されるのか……」
「はい?」
独り言に反応して怪訝そうにする彼女にカナタは「いいや」と首を振って誤魔化す。
「それよりも、お前が幻でないんなら答えろ。まず第一にお前は何者だ? どうやってここに入ってきた?」
「分かりません!」
「自信満々に言えばいいと思うなよ!?」
アバターに、ぴーちくぱーちく鳴かせて抗議するカナタだが少女はにこにこしたまま反応が薄い。というより、本当に何も知らなくて答えに窮しているようだった。
「本当に何者なんだ、お前? 人間……じゃ、ないのか?」
彼女は自らの膝の上に頬杖をついて「うぅん」と唸る。
「たぶん、違うと思います……少なくとも自分が人間だったという記憶はありません」
言い切った少女の瞳を覗き込んで、ひとまずカナタは彼女を信じる。疑った自分が馬鹿らしく思えるほど、その瞳は澄み渡った青色をしていた。
「だが、そうなるとお前は本当に……」
まさか単なるプログラム?
いいや、とカナタは自分の憶測を打ち消す。その程度のものなら、彼の作り上げた世界には受け入れられない。
「何か、ここに来る前のことで覚えていることはないのか?」
最初から望み薄ではあったものの、案の定少女の反応は芳しくなかった。
「何だか必死だったことだけは覚えてるんです。だけどそれ以上はその……記憶というか、そんなものがぐちゃぐちゃで……」
「概ね、お前が何も分からない。さもなくば答える気がないということだけは分かった」
カナタが皮肉をたっぷりに言ってやると、彼女は少しだけ寂しそうに微笑む。
「ごめんなさい。だけどもう少ししたら、記憶の整理がつきそうですから」
「……別に、責めているわけじゃない」
――どうしても、この少女といると調子が狂う。
そんな自分の見知らぬ一面に出くわして戸惑い、歯切れが悪くなる台詞を噛み切った。釈然としないものを飲み込み、カナタは話を押し進める。
「整理しよう。お前は人間が操作しているアバターではなく、人間だったという記憶もない。あるとき、気がついたらこの空間にいて、俺と出会った。そういうことで良いんだな?」
「……そう、なんですかね?」
どうしてお前が自信なさげなのだと激しく問い詰めたくなるカナタだったが、寸でのところで叫びを押し殺す。どうせまた間の抜けた答えが返ってくるに決まっていた。
そんな無礼極まりないカナタの胸中などつゆ知らず、少女はきょとんとして彼を見つめる。その青い瞳を見返してカナタは質問の方向性を変えることにした。
「だったらお前は……てか、名前は何て言うんだ?」
薄々、その質問に対する返答も予想できてはいながらもカナタは訊ねてみる。
「分かりませ――」「知ってたよ悪かったなッ!」
大きな瞳を丸くして少女は、息切れするカナタを凝視する。
「何で分かったんですか!?」
「今までの言動を振り返れよ!!」
ただでさえ荒れた息にも関わらず怒鳴り散らしてしまうカナタだが、触れるのを堪えていたらしい少女の指が鼻先に迫ったところで飛び退く。
「もう!」
「だから触らせないと言ってるだろうが⁉ ……話を続けてもいいか?」
「もちろんです!」
「お前、誰のせいで中断したと……いや、もういい。それより名前は後で決めよう。だからせめて今は、お前に何ができるのか教えてくれ」
聞き出せればそこから相手の正体を推し量れるし、それ以前に何をしでかすか知れない侵入者を放ってもおけない。
「どうなんだ?」
「わたしにできること、ですよね。はい、実は自慢の特技があるです!」
待ってました! と言わんばかりに笑顔が弾ける少女を眺めているだけでむくむくと嫌な予感が頭をもたげる。
「昨晩見つけました!」
もはや何も、突っ込みはしまい。
「なんとですね、カナタさん! わたし、この星の中の意識と会話できるんですよ!」
「意味が分からん」
すかさず決意も翻して反論するカナタだが、そこで異変に顔が強張る。
「お前、俺の名前……」
「はい! それもこの星が教えてくれました!」
「『この星』ね……」
それは恐らく、この孤島が浮かぶ惑星のことだった。広大な仮想空間に、彼のコンピュータが働かせるソフトウェア群を抽象化し具現化させたモジュールである。そこと会話できるということは、要するに。
「お前、ソフトウェアやらプログラムやらと情報を交換できるのか?」
問われても、カナタの話す意味が理解できる少女ではない。
「すみません、何となく感覚的に行っていたもので……」
「そいつは……何というか」
カナタの心を満たしたものは落胆ではない。
「だったらそうだな。例えば、俺がよく調べる単語は分かるか? ブラウザの履歴かIMEでも調べればすぐに出てくるだろう?」
「ブラ……? よく分かりませんが、つまりは話を聞いてこいってことですね? それならできると思います。少し待っていて下さい」
頷いた少女は昼の光の色が透けた黄金の睫毛を伏せて目を閉じた。半信半疑だったカナタなのだが、実際に目の前で始められると中々に物々しく、そして神秘的に感じられる。
その様子を目にして小一時間ほど待つ覚悟ををカナタはしていた。けれども実際に少女の交信は一瞬で終わって、またすぐに晴れ空色の瞳が覗く。
「えぇと、『精神転送』? それから『英知』という単語について調べることが多いようですね。人名らしきものも一つ混じっています。……それと、何でしょうかね。カナタさんは『貧に』――」
「分かった悪かったよお前の言うことも多少は信じてやる!」
危うく打ち明け難い趣向まで暴露されかけて慌てて取り消しにかかるカナタである。あくまでも外見のこととは言え少女の姿からそんな話を持ち出されたら悶死は免れ得ない。
「むふふ……どうですかカナタさん。これがわたしの力です!」
などと無邪気に喜ぶ彼女を眺めていると、疑ってかかった自分が馬鹿らしくて笑いそうになる。それでもカナタは元来の性分故にもうしばらく思索を進めた。
今時のソフトウェアは確かにどれだけ簡易なものであれ、昔で言う人工知能に相当するものを備えている。多機能化、高性能化を求めたがための必然である。
しかし、だからと言って会話するにはそれに応じた意識が必要で、そんなものを備えたソフトウェアは今現在も開発されていなかった。
手に入るのはせいぜいが、表面的なコミュニケーションを演出する人工無脳。ここ数十年で爆発的に膨れ上がったリソース任せに、無数の選択肢から人間らしい模範解答を選び出す。
あくまでもそこに、本物の意識はない。
この少女もその類なのだと考えれば概ね常識的な範疇で説明がつくのだが。
「もしかして……いや、あの人の推測とは言え、まさか……」
一つだけ、思い当たる可能性があった。
「なぁ、言語化できない世界ってのは存在するのか?」
「何の話です、突然?」
首を傾げてくる少女にカナタは歯噛みして、やはり当てが外れたのだろうかと苦々しい思いを噛み締める。まだ仮説の域すら出ない話など持ち出すべきではなかったかもしれない。それでも好奇心に負けてカナタは語りを始める。
「この世の中にはな、人間の意識を人工的に作り出そうとしている連中がいるんだよ。大方は大脳皮質のニューラルネットワークをコンピュータで再現しようとしているんだが……成功した例は一つもない。作り上げた途端に崩れ去るんだそうだ」
「どうして? 理由は分かっているんですか?」
これにも彼女は不思議そうに青い瞳でカナタを見上げるばかり。
「本当に何も知らないんだな。分かったよ。一から説明する。人の意識がどうして再現できないのか、その原因について相当数の学者が自分なりの仮説を立てている。んで、その内の何人かは仮説の実証に励んでもいる」
ここから先はいよいよ自身がよって立つ心の在所を曝け出すことになるため、口にしようか、ほんの僅かな躊躇いが彼に一呼吸置かせる。
「そういう学者の中にこんなことを言ってる人がいるんだ。実験には成功している。ただ我々がその成果を観測できていないだけだ、って」
「それは……えぇと、どういうことでしょうか?」
もうお決まりの反応だから、真剣に耳を傾けて、考え込んでいる彼女の態度にひとまず自分を満足させる。こんな話を真剣に聞いてくれる相手も珍しいものだから、当初の目論見から外れて教授しているだけでもカナタの気分は悪くなかった。
「つまりだな、人工の意識は五感さえ備えず電子の世界に産み落とされる。彼らはそのデータの海で情報を掻き集めて自身を形作るわけだが、そこは当然現実の人間からすると想像もつかない世界だ。言葉では言い表せず、まともに知覚できるかも怪しい」
ついて来れているかと少女に目を配ったら、気難しげな眼差しと目が合った。
「ちゃんと理解できてる自身はありませんが、とどのつまり全く異なるものを見聞きして育ったからお互いに話が通じない……ということでしょうか?」
「そうだ。言葉が通じない世界、その住人と現実の俺たちが意思疎通する手段はない。だから存在に気づかれないまま彼らは消失しているか……或いはどこかに旅立っているんだろう、と」
そして、もしこの説が事実だとしたら?
彼らはきっと人に立ち入れない世界の裏側で、お互いを認識し合っている。そして声ならぬ声を交わし合わっているのだ。
「だからもしお前がそんな世界の住人なのだとしたら教えて欲しい。お前たちはそこにいるのか? そして言葉にも頼らず互いを理解し合っているのか?」
所詮は鳥の姿、仮初めの体で向き合うだけだ。それでもカナタはいつにない真剣さで少女に詰め寄り、その答えを懇願した。
「え? えぇっと……」
カナタの熱意は伝わり過ぎるほどに伝わって彼女は口ごもる。ちらちらとカナタの方を窺って、答えるべき言葉を慎重に選び出しているのだった。
「わたしが……」
カナタが黙してそんな少女の沈黙を破らずにいるとぽつぽつ、彼女の口から言葉が零れ出る。
「わたしが、会話する星の中の意識は、みんな曖昧でぼやけています。そこから言葉になる意思をすくい上げるのはわたし自身の能力みたいです」
――ならば、俺の聞いた話は間違いなのか?
そう言外に漏らして落ち込みそうになったカナタを、しかし少女の「ですが」という一言が引き留める。暗がりに沈みかけた目でもう一度彼女を見上げると、少女は悪意の欠片も感じられない穏やかに優しげな微笑で見つめ返してきた。
「そうした意思は自然とわたしの中に流れ込んでくるんです。伝え合わせようとすれば、それだけで。だから、カナタさんの言っている通りなのかもしれません」
それはやや結論をぼやかした纏め方ではあったものの、確かに息づく可能性の証しだった。
それは密かに願い続けていたもので、その希望が照らし出されて、カナタは溢れる歓喜を抑え切れない。
「そうか……そうか……! すまなかったな。いや、ありがとう、と言うべきなのか」
興奮が声を震わせて、弛む頬はどうすることもできなかった。昨日や今日から欲し続けてきたことではないのだ。僅かに可能性が開けただけでも十分な収穫になる。
しかし漏れ出そうになる笑い声だけは最後の意地で飲み下し、どうにか息を整えた。
「ふう……さて、お前の能力については把握できたよ。それで、お前はここにいつまで留まるつもりなんだ?」
カナタの質問に、それまでにこにこと微笑んでいた少女はきょとんとした顔をした。それから問いの意味を飲み込むとやや言い辛そうにして、口を開く。
「『ここ』以外があるんですか?」
「うん? 何だと?」
今度は彼の方がよく少女の意図を捉えられずに訊ね返してしまった。それに対してまた何か言い掛けた少女は口を噤み、四苦八苦しながらちぐはぐな感覚を訴えてくる。
「その……ですね、ここへと流れ落ちてくる最中にわたしはこの星の、この島しか自分のいられる場所を見つけられなかったんです。他の星も島も見つからなかったから……」
「だったら別に、その空間の中に留まっていることもないだろう? そこから外へと出て行けば良いじゃないか」
彼の問いつめはしかし、少女の困惑をなおさらに深めるばかりである。
「えぇと、その……この空間の外、というのは? この外には別の宇宙があるんですか?」
まるで予想できていなかった問いかけで、カナタは顎が外れそうになる。
「あるに決まってんだろ。というよりその空間の外からお前はやって来たんじゃないのか?」
「え……そうなんですか……?」
心底困ったような顔をされるので、画面に見入るカナタまで表情が歪み切ってしまう。まだ詰問することもできたはずなのだが、緊張感のない弛んだ面もちの少女を見ているとそんな気にもなれなくなって話を打ち切った。
「分かったよ。とりあえずはその話を信じる。お前はここに来るまでのことを何一つ覚えてないんだな」
嘆息混じりに言い切って、ひとまず追求は諦めようと自分を納得させる。それから次の一言を、だいぶ躊躇って口にできない自分をもどかしく思いながらも何とか吐き出した。
「だったらしばらくここにいないか?」
苦心の末に喉を振るわせたのは地獄の亡者も及びつかない嗄れ声だった。耳を澄まさなければ聞こえない声量だったけれども、少女の双眸には星の瞬きが宿り輝く。
「良いんですか!?」
どこまでも吸い込まれていきそうな青い瞳を輝かせ、彼女は歓喜に身を震わせ跳ね上がった。
「本当にっ、本当に良いんですか!?」
「あ、あぁ……」
頬を上気させながら寄せてくる少女に、小鳥のアバターだと押し潰されそうでカナタは少々後ずさる。しかし少女がその分だけ詰め寄ってくるので無駄だと悟り、立ち止まった。
「そんなに喜ぶようなことか?」
「もちろんですっ! とてもここ、居心地が良いですし放り出されてもわたしどこにも行けませんし願っても見なかった僥倖です!!」
不意打ち気味に居心地が良いなどと聞かされて、現実世界のカナタは思わず頬が緩み掛けた。誰に見られているわけでもないのにその些細な称賛や、そんなことで舞い上がる自分への気恥ずかしさが沸き起こる。動揺を腹の底に押し込めながら会話の続きを強行した。
「そうと決まったのなら、名前を決めないとな。いつまでも分かりませんと名乗ってるわけにも行かないだろう」
「わたしの名前ですか? 決めるんですね? カナタさんが決めてくれるんですか?」
何に喜んでいるのだと少女の快活な態度に戸惑うカナタだが、水を差すのも忍びない。彼女自身に決めさせるつもりでいたことは頭の外に追いやり「そうだな」と少女に頷いて見せた。
「分かったよ、俺が決める。俺が決めるが……お前の名前だ。希望とかはないのか?」
「カナタさんはわたしにどんなイメージを抱いていますか?」
首を傾げた少女に見つめられ、カナタはその拍子に揺れた淡い色の長髪に目を引かれる。それが昨晩の夜空の下で輝いていた眺めと重なり、気がついたときには自然と呟いていた。
「星……」
暗闇しかなかった夜空を初めて彩った流れ星。
それがカナタの少女に向けた第一印象だった。幾らかの会話を経てもそれは変わらない。
「星だ。星に関連する名前にしよう」
カナタが言うと少女は笑みを弾けさせる。
「素敵ですね! だけど、わたしには綺麗過ぎませんか?」
「いいや。お前が最初の星なんだ。だから……そうだな」
片手間にブラウザを開いて、自分の思いつきを確かめ、その結果に満足して提案してみる。
「ギリシャ語からとって、『アステル』なんてのはどうだ?」
『星』のギリシャ語訳、『aster』の読みの一つだ。
日本人然とはしていない彼女の風貌を反映させたつもりなのだが、どうだろうか?
そんなことを思いながら少女の表情を窺うと、彼女は眩しいものを見たときそうするように目を細めていた。色素の薄い睫毛が伏せられて青空色の瞳を隠す。口元は微かな笑みに弛み、湧き出る喜びを胸の内で噛み絞めていた。
「『アステル』ですね。良い響きだと思います」
そうして星の名を授けられた少女ははにかんだ。
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