第14話-魔王様の仰せのままに-
七色の光を弾いて、白く長い睫毛が揺れた。それに彩られた瞼の奥から眠たげな赤い瞳が覗く。
「――っ。ここは……?」
背もたれに乗せていた頭を持ち上げ、ノゾミは自分がいる空間を眺めた。
一点を除けば、変わったところなど何もない。目覚めたときから静かなままだった神殿の中、その天井から虹の色の明かりが降り注ぐ玉座の上である。
そこにしどけなく腰掛けていたノゾミは腰を上げて座り直し、まだ寝ぼけた眼を擦った。そうしている内に微睡みから覚めて、調べていたこととその結論が脳裏に蘇る。
玉座の前の床から磨き抜かれた灰色の石の台座がせり出ていた。その上にノゾミの手にも収まる小さな白い物体が安置されている。
人の脳にある内分泌器官を模したその内部には本来の役割通り製造されホルモンの他にも高度に精細な構造を持つ小さな物体が残留していた。ノゾミはオニワカが来訪者を出迎えている間に神殿のデータベースを漁り、その物体に関する情報を探していたのだ。
結果として見つけ出せたのはかつてのこの神殿の主が遺した調査内容だった。
そこに記されていた事実を思い出した途端にノゾミは玉座を蹴り飛ばし立ち上がっている。こんなところで独り寝込んでいるわけにはいかなかったから。
「オニワカ……」
彼はノゾミを昏倒させてここに匿い、自らは『神』の軍勢と戦いに出向いてしまった。彼女の話など何も聞かずに、取り乱したまま一人で突っ走って。
進もうとしていた彼女の足取りは、胸中に渦巻いた焦りと悲しみに苛まれて鈍る。
全て自分を思ってしてくれたことなのだと分かってはいた。けれどだからこそ、何一つ相談してくれない彼の態度が物寂しく感じてしまう。
自分だってもう守られているだけの存在じゃないのに。
独りよがりなオニワカの振る舞いを思い出していたら、徐々にこれまでとは違ったものが芽生え始める。
「オニワカの……、オニワカのっ、大バカ!!」
叫んでしまえばそれが偽れない本心になった。
何をしたいのか、されたくないのかはっきりと自覚して彼女は再び歩き出す。これまでよりも力強く頑なに、扉へと向かいながら一言命じた。
「開けて」
その彼女の澄んだ声がどこかで受理され、重たく頑丈な純白の門扉が外へと広げられていった。色のない光が入り込もうとしてきて虹色の輝きに押し留められる。そうして目の前に明かされる町の景観は血肉に赤く汚されていた。火炎と稲妻に蹂躙されたあとが生々しく焦げていて漂う硝煙は清純だった町の空気を黒く濁している。
白い甲冑から肉と血管の腫れ上がった死体がそこら中に散乱していた。動いているものは唯一人、その惨状を作り上げた少年のみだ。
彼は通りの真ん中で矢が三本突き刺さった背中をこちらに向けて独り佇んでいた。
その左半身は礼服が黒く焦げて肌にはりつき、右の上半身は着ていたものが布切れになるまで切り刻まれている。その腕は肩から先が徐々に削れていき肘にもたどり着けないまま上腕骨が剥き出しになっていた。朽ちた先端にまで乾いた模擬血液がこびりついている。
その痛ましい姿を声も掛けることもできずに見つめていたノゾミの視線に彼が気づいた。ゆっくりとこちらに振り返ってくる。
「ノゾミ……?」
その顔に彼女は思わず肩を震わせて竦み上がりそうになった。
「……っ……オニワカ……!」
彼の左目が瞼ごと融解して焦げ付き、遠目からだと穴が空いているように見えたからだ。
「何してるんですか? 早く、逃げて――」
そう言って表情を歪めながら地を蹴り飛ばす。ノゾミと彼との間にあった距離を瞬く間に詰め、黒煙を掻き分けて彼はノゾミの前に現れた。
目と鼻の先から彼女の首へと手を伸ばしてくる彼を見据えて、ノゾミはマントをはためかせながら命じる。
「――止まって」
オニワカに向けて――ではない。彼にこの命令は通じないから。
その身に侵入した『神』に対して、ノゾミは命じたのだ。
「……あ!」
空中でオニワカは目を見開き、ノゾミへと覆い被さるような格好になりながら抱きすくめられる。しかしながら小柄なノゾミにオニワカを受け止め切れるはずもなく、痩躯は背後に傾いで床に叩きつけられそうになった。しかし彼女の体が衝撃に見回れる寸前にオニワカがノゾミの脇の下から頭へと左腕を回す。さらに彼女の体を跨いで突き出した両膝から着地し、ノゾミの肩越しに床へと頭突きして衝撃を殺した。
痛みと痺れがオニワカの体を通っていく。その幾分かがノゾミにも伝わって彼の背中を抱く彼女の腕に力が篭もった。小さなノゾミにしては強い、オニワカでも少しきつく感じる抱擁だった。
やがてオニワカから顔を上げ、ノゾミを抱き抱えたまま体を起こす。神殿の床に這っていた白い長髪が埃をつけたまま持ち上がったから、中腰になりながらそれを払った。
ノゾミはオニワカから僅かに体を離し、それでも決して彼を解放しようとはしないまま見上げてくる。その赤い瞳に魅入られながらもオニワカは質問しないではいられなかった。
「今のは? ノゾミは今、何をしたのですか?」
無心で戦いに明け暮れていた。そのことだけは覚えている。
けれども途中から意識に何者かが入り込んできて、ワクチンプログラムを作り出す暇もなく乗っ取られた。何とか抑え込もうとはしたがノゾミを目にした瞬間に衝動が弾ける。気がついたときには体が勝手に動いて、彼女の首を捻切ろうと飛びかかっていた。
抗うことさえ叶わなかったのだ。
それをノゾミはたったの一言でねじ伏せてしまった。さも圧倒的な上位者であるように。
オニワカが戸惑っているとノゾミの幾分が和らいだ眼差しが宥めるように彼を見つめ、オニワカが落ち着くのを待つと薄い唇が開かれる。
「よく聞け、オニワカ。わたしたちが抗っている『神』とは目に見えない微細な機械の群れなんだ。一粒だと何の能力もない塵でしかないが、集まれば巨大なネットワークを形成して、一個の人工知能として機能する」
いつの間にかここまで知識をため込んでいただろうと、オニワカが見上げたノゾミの面差しは陽光に照らし出されていた。その輪郭は柔らかさを残していたけれどもどこか大人びていて鋭い。
その迷いない眼光が遙かに遠い空を射抜いた。
「彼らはこの世界を満たしている。この町は機械が蓄えたエネルギーを解放させる磁場とそいつらを寄せつけない暴風に包まれていた。けれども他はどんな僻地にも行き渡って人の生活に介入しているはずだ」
教えられても規格外過ぎてオニワカにはあまり想像ができない。気の遠くなる思いをしていたら、ノゾミが突然抱きつくようにオニワカの腰へと両腕を回してきた。
「少し痛むぞ」
「え、あの、ノゾミ? いきなり何を……」
その質問の答えを聞く前に背中から熱が噴き上がって激痛が走り、脂汗が滲む。続けて二度、脳の回路を激痛に焼かれてオニワカは溜まらず呻き声を漏らした。
やがてノゾミが体を離し、背中を床に横たえる。油断し切っていた彼は忽ち怒りを爆発させて怒鳴りつけようとしたのだが、彼女の手に握られたものを見つけて口を噤んだ。
「すまなかったな。けれどもこれだけは先に取り除いておきたかった」
そう言ってノゾミが放り投げてしまったのはオニワカの背に突き立てられていた三本の矢だった。その先端の血でぬらりと濡れた鏃は白い。
「魔物の脳にもあったあの白い物質。あれは機能停止した『神』の塊だ。体に埋め込めば生体電気を蓄えて新しい『神』を作り出す。そいつらはそうやって体に入り込んで、魔物や人を操ったり、さもなくばその体を強化したりしていた」
「なるほど。それで俺の体も……」
戦いが始まった間もなくオニワカの体は『神』に侵入されて酷い倦怠感に苛まれた。そして刺さった鏃からさらに大量の流入を許し、操られるに至ったのだった。
しかし、それでもまだ納得できていないことがあった。というより一切の説明がなされていない。
一体、どうやってノゾミはオニワカの体内にある『神』を停止させたのか?
たった一言、『止まって』と命じるだけで停止するなど、聞いたことも――
「もしかして」
一度だけ、オニワカは似通った場面に出くわしていた。あのときのことを思い出して、彼は訊ねる。
「ノゾミは機械を言葉で自由に操れるんですか?」
この質問をするのは、これが二度目のことだった。かつてその対象になった少女と同じく長い髪を持ちながらもその色は白無垢のノゾミが頷く。
「そうだ。わたしの祖父は自分たちの作り上げた知性の悪用に備えてその血を継ぐものに、言葉による管理者権限を与えた。わたしはこの時代の誰よりも濃くその血を受け継いでいて、だからどんな人工知能も屈伏させられる権限がある」
ノゾミは忌々しげに、或いは酷くもの悲しげにそう呟いた。その長い睫毛が憂鬱そうに伏せられて、彼女は吐露する。
「『神』というのは人工物……わたしたちの力が通じてしまう相手なんだ。けれど彼らはかつて起きた大戦で激減した人類を保護しようとしていたから、その思惑を狂わせてしまえるわたしたちは危険分子だった」
故に、『魔王』。
人類の救世主たる『神』に唯一仇なせる存在。
「だからわたしの両親は敢えてわたしに言葉を教えなかった。この町が滅ぼされかけたときも、言語を覚えてしまっている自分たちだけがこの町を離れていった」
そして瞬く間に『神』の操る魔物たちの餌食となった。
その結果独り町に取り残された少女を『神』は次代の『魔王』に仕立て上げたが、もはや攻撃の標的とはしなかった。
そこにオニワカが現れるまでは。
「じゃ、じゃあ俺があなたに言葉を教えたから……っ!」
再び『神』に目をつけられた。
思い至ったその事実に喉がつっかえながらもオニワカは目を逸らせない。だっていつかイブキは話していたから。
『お前のせいで、『魔王』が力を取り戻しつつある』と。
正しくその通りの事実がこうしてノゾミに危機を招いた。そして、そこから今まで連なる戦いをも引き起こしてしまったのだ。
「っ、くそ! 俺のせいなのかよ……!!」
ノゾミの前であることも忘れて毒づく。それでも自身の呪わしさは全く削れずにただやり切れなさばかりが増した。
自分が全ての引き金を引かなければ、誰も死なずに済んだ。外で無数に積み上げられた死体もイブキもフソウも、皆みんなが彼のせいで死んだ。
のしかかってくる咎の重たさに押し潰されそうだった。今までは誰を殺しても何人傷つけても、何とか自分に言い訳をして堪えてきたのだ。そうするしかないのだと言い聞かせてきたのだ。
けれど、これはもう駄目だ。
一人を殺しても償い切れないのに、彼は自分が殺した人数さえ把握できていない。
「……うそ……だ……っ……」
絞り出した声は色褪せて、力無く嗄れていく。
腰が落ちて片側しかない腕をつき、オニワカは崩れ落ちた。胸元まで垂れてきた彼の頭をノゾミは躊躇いがちに掻き抱く。それからさめざめと泣く少年に冷たく言い放った。
「自惚れるな。皆、自分の判断でオニワカに剣を向けて、それから朽ちていったんだ。誰にだって、もちろんオニワカにも自分で自分を自由にできる心があったはずだ」
そうノゾミが口にした単語の一つに、オニワカの顔が跳ね上げられる。
「心ですって!? バカなこと言わないでください!! 俺にそんなものが宿っていたら、今頃こんなことには――」
吐き出そうとしていた続きは、目まぐるしく反転した視界に遮られた。腹の上に柔らかい重みを感じて、胸の上につく二つの小さな手を感じて、何よりも頭上から世界を覆う白い繻子に注意を奪われてオニワカは押し黙る。血の色さえ隠せないノゾミの双眸がじっと彼を見下ろしていて、垂れた長髪が他に目をやることを許さなかった。
「なら、わたしを守ろうとしたのはどうしてだ?」
真剣な目つきで見つめられ、けれどもオニワカはその答えを知っている。
「あなたがセイカの……本来の俺の護衛対象だった女性の娘だからですよ」
神殿に来てから始めの頃、オニワカは映像としてノゾミの母親を見た。それから思い出した記憶の中でも再び、セイカのことを目にした。
そして何より、ノゾミ自身のセイカの面影を重ねて見ていた。
「あなたは母親と瓜二つなんですよ。だから俺も誤認して、ここまで守ってきた。俺があなたを守ってきたのは、俺に組み込まれた命令のせいなんです!」
出逢った瞬間に湧き上がった使命感もそのせいだった。単なる機械として、与えられた命令に従ったに過ぎない。
「所詮、俺は機械仕掛けの! 心のない人形でしかないんですよッ!!」
きつく、誰かに言い聞かせるかのように、そうであってくれと懇願するようにオニワカは言い捨てる。ノゾミはその様を無表情にほんの一握りの驚きと、それから苛立ちを混ぜた。
ずっと言わないようにしようと心がけてきている。指摘すればオニワカは立ち上がれなくなる気がして、黙っているしかなかったから。
それでも、もうノゾミは訊ねないではいられない。
「だからオニワカは……苦しそうにする度に、これはわたしを守るためなんだって自分に言い聞かせてきたのか?」
静かな声音で何かを否定するわけでもなく、身構えていたオニワカは拍子抜けしながらも頷いた。
「そう……ですけど」
それがどうしたのだと、訊きたくてオニワカは顔を上げる。ノゾミは胸の内で毒虫がのたうち回っているように苦しげな面もちをしていて、オニワカが案じようとしたらきつく睨まれた。
「オニワカのバカ! バカじゃないのか!?」
両頬が可憐な手に包まれて、そのまま向き合わされた先のノゾミとオニワカは瞳の中を覗き合う。
「本当に命令をされただけの機械が、そんなふうに何度も自分を誤魔化さなきゃ動けないと思ってるのか!? そんなふうに苦しみ抜かなきゃ動けないのに、それでも自分が人間じゃないって、本当にそう思ってるのか!?」
呆気にとられるオニワカに、目一杯の感情が溢れた瞳が追い縋ってくる。
「聞いて、オニワカ。オニワカにはわたしの命令する言葉が通じない。人を殺せてしまうオニワカにだからこそ、誰にも染まらない、それでも良いのかと判断する心が与えられた!」
「そんなものが……」
果たしてあるものかと反論しかけて、でもオニワカは思い出してしまう。結局、オニワカはフソウを殺さなかった。というよりも、殺せなかった。
そう選択できる力がオニワカには備わっているから。
「お前の本質は命令に従うだけじゃない。自分で選んで、その心に従っていく力だ。だからそれを殺さないでくれ! もしオニワカがそれに耐えきれないのならわたしが一緒に背負うから……っ……!!」
泣き出しそうな顔でそう言われてしまって、オニワカはもう何も言い返せなくなる。苦しくなんかないと、そう強がれば良かったのに、それすらも言えないままノゾミの薄い胸に額を預けてしまう。
ローブの生地から人の温かさが滲んできて、離れられなくなった。規則正しい鼓動が伝わってきて、初めてノゾミを生ける一人の少女なのだと思い知らされる。
震える彼女の腕に包まれて、オニワカはより深く彼女の胸に顔を押し当てられた。微かに甘い香りと布生地に五感を塞がれて、ここならばノゾミの他には誰にも伝わらない。
そう思った途端に瞼から力が抜けた。熱をはらんだそこにこみ上げるものを抑え切れなくて溢れさせる。一度決壊すればもう止まらなかった。知らぬ内に口が開いて、震えた嗚咽が繰り返し喉を鳴らす。その度に肩を上下させて、オニワカは何度もため込んできたものを流した。湿ったノゾミのローブの胸元から温もりが染みた。
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