第13話

 過去を思い出して、自分の存在を確かめようとした。積み重ねてきた経験が心を作っているのだと信じたかった。だから記憶の中を覗いて、けれども現実は非情に願望を打ち砕いてくる。

 心だと思っていたのは『鬼』が人の世に馴染むための仮面でしかなかった。

 ノゾミを守ろうという決意もフソウを死なせまいとする抵抗も機械として植えつけられた使命に従っていただけ。

 本物の人間らしさなんてどこにもない。

 だけど今はそれで良かったのだと思えた。

 吹き荒れる風の障壁を抜けながら、そんなことを考えている。

 開けた視界に広がるのは、転がる魔物の死骸を飛び交う蠅が囲む、腐臭の立ち込めた荒野。血を吸い込んだ大地はそれでも干からびて、ひび割れている。

 数知れぬの死屍の陰からちらほらと身動ぎする人影が覗き、オニワカとの戦いに備えていた。

あからさまに過ぎる殺意まで向けられ、オニワカはどう動いたものかと思い悩む。しかし彼が立ち尽くしている内に腐り掛けの黒い巨体の物陰から一人の青年が這い出てきた。

「あなたは……」

 少々頼りない風体で、腰には二本の短剣をぶら下げている。見覚えがあったから記憶を探ればすぐに思い当たった。

「俺が平原で助けた方、ですよね?」

 付け加えるのなら、村でオニワカを助けようとした青年でもある。

「あんなことになってしまったけど、村では助けていただきありがとうございました」

 しかし話しかけても俯いたままで、青年は返事も寄越そうとしない。聞く耳は持たない、という意味なのだろうかと想像して、その後味の悪さに辟易した。

 村ではオニワカに警告してくれた相手だから、もしかしたら今度も。

 そんな期待が知らず知らずの内にあって、願わくは争わずに済ませたいと思っていたのだ。けれどもここは戦場で、相手は敵陣を背にオニワカと対峙している。

 あくまでも敵なのだという前提の下で改めて語りかけた。

「その……あなたも、『魔王』を討伐しに来た、ということでよろしいのですか?」

 これにもやはり返事はなく、前髪に隠されて表情を窺うこともできない。どうしたものかと迷いながらも、話を続けていくしかないのがオニワカの立場だった。

「聞いてください。あなたの首もとに植え付けられているそれは、魔物の頭の中にも植え付けられているものなのです。あなた方は、それを与えた存在に利用されて――」

 反応は意外なところからあった。それも迫り来る矢の数々として。

 オニワカは腰を低く屈めて、片足を軸に重心を下げて頭上に黒々と浮かぶ殺意の塊を睨み付ける。

「邪魔、しないでください!!」

 第一波を回転しながらの裏拳で、第二波はそのままの勢いの回し蹴りで打ち落とした。その体勢から跳び上がって軸足を移し替え、後ろ回し蹴りで残りも弾き飛ばす。

 攻勢が一端収まると今度は怒号が響いてきた。

「バカにしてんじゃねぇぞ! 『魔王』の手先の言葉になんか惑わされるかよ!!」

 彼らの言わんとしていることは理解できたが、それでもオニワカは黙り込むわけにはいかない。

「はっきり言わせてもらいましょう! あなた方は『神』の道具にされようとしている。魔物と呼ばれる生物兵器と同じように!!」

 直後に天から注いだ無数の氷の剣はオニワカの機動性を以てしても回避し難いものだった。まだ殺しを始めたくない彼は人々を巻き込まないように、頭上を追尾してくる無数の刃から逃げ回る。ありったけの演算能力を費やして立ち回ったものの、それでも掠った刃に衣服ごと皮膚を切り裂かれた。

 攻撃が止むと思わず膝をつき荒い息をついた彼は、周囲を見回して唖然とする。

 オニワカが助けた青年も含む計四人が彼を取り囲んでいた。その全員が一様に虚ろな表情でオニワカを見据え、その隙を狙ってきている。その目に人間らしさが感じられず、不気味に思って相手を警戒し、五感を研ぎ澄ましたオニワカは外野の動きに気づいた。

 彼が包囲されているのを良いことに、潜伏していた連合軍が一斉にオニワカを迂回して進攻し始めたのだ。

当然ながら向かう先は、神殿のある石の町。

 フソウの言っていた通りだった。

 相手はオニワカとの正面対決など望んではいないのだ。

「……くそっ」

 ぼそりと呟いて、全身を赤熱させながら彼は思い知る。

 最初から迷う余地などなかった。

戦うと決めた時点で相手を殺しにいくしかないのだ、と。

 そうして決意が定まると同時に彼は砂煙をまき散らし、立ち去った後に風のうねりを残してその場から駆け出す。空気の壁さえも突き破って突進し、その威力を上乗せした拳を手近にいた年輩の男の頭に叩き込んだ。速度に任せた打撃は頭から衝撃を伝えて男の上半身を消し飛ばし、彼の前に文字通りの血路を開かせる。男の体を薙ぎ払いながら前に進み、すぐさま町に向かおうとした。

 しかし彼の歩みはそこで止められる。

 突破したと思った先に、例のオニワカが助けた青年が立ちはだかっていたのだ。それどころか、その先にもさらに等間隔に人員が並べられていた。

 そこでオニワカはようやくこれが彼を絡め捕るために作り出された包囲網なのだと知る。

 ならば力づくで打ち破るのみだ。

殺人のための音を蓄えた拳を構え、オニワカは青年に肉薄する。

相手はやはり無表情なまま腕を掲げて胴体を守ろうとするが、関係ない。オニワカの拳に備わった装置が発する振動は体を伝わせても内臓まで十分に致命的な損傷を与えられる。

「ッはァああああ」

腕さえへし折らんばかりの勢いで放たれた拳は衝撃が轟音を生み出しながら迫り。

――吸収された。

 忽然として青年の腕に現れた白い盾に。

「――!?」

 青年は砲弾級の威力をいなしきれずに吹っ飛ばされた。転がっていた魔物の巨体に背中を打ち付けて止まる。しかし、打撃の勢いが過ぎ去ると何食わぬ顔をして立ち上がった。

 『鬼』と化したオニワカに感情などありはしないが、それでも予想外のことが起きれば判断を迷いはする。

 なぜ動ける?

触れただけでも内臓は確実に破壊できるだけの振動を発していたはずなのに。

 それが通っていない。

 原因など考えるまでもなく、青年の腕に張りついているのっぺりとした外観の白い盾より他にはなかった。オニワカの拳を受け止めたそこに音が吸収されたことは確実である。

 そして、その盾の材質は連合軍の首や魔物の脳に植え付けられていたあの白い物質と同じものに見えた。その作り手が、オニワカの武装を無力化できてしまう構造にしたのだ。

 辺りを見回せば、オニワカを囲う全員の腕に光の粒が天から降り注ぎ、白い盾が形作られているところだった。直接オニワカを包囲する四人はそれだけでなく、全身を覆う甲冑さえ纏っていく。

 彼は苦々しくその光景を見つめながら放った姿勢のままでいた拳を引いた。そしてそのまま視界が白けて倒れ込みそうになる。

 慌ててかき集めた力で踏み留まるが、血の抜けていくような感覚は消えなかった。全身を紅に染めて冷却しなければならないほど廃熱を発しているはずなのに、寒気がオニワカを包んでいく。

 これとよく似た感覚を、セイカと共に装置で逃げようとしたときにも味わった。

 なぜ? 誰が、どうやって?

 分かり切っていたからオニワカは空をきつく睨みつける。けれども白い雲の立ちこめた茫漠たる天空は白々しく日差しを浴びせかけてくるだけだ。

「なんなんだ、神様って……」

 目に見えない。けれども存在している。恐らくはこの世界が滅ぶ前、文明がまだ高い基準を保っていた頃から。

 つまり皮肉なことにオニワカにとっての『神』は、同じ時代を生きた唯一の同胞というわけである。そしてそんな彼だからこそ、姿の見えないそいつに費やされた技術の底知れなさまでが理解できてしまう。

「ノゾミ……」

 紅に塗り潰された心の片隅で、最後に気に掛かるのはあの少女のことだった。

 本来の護衛対象のセイカですらない彼女。それでも守ろうとしてしまう理由には薄々気づいていたが、そのためだけにここまで必死になれる自分は理解し難い。

 ただ彼にそうさせる全てを捨てる気にはなれなくてオニワカは息をついた。内側から体を溶かされる悪寒に抗いながら眼前の敵を見据える。

「――待っていてくださいね」

 真紅の『鬼』は体が保つ臨界まで性能を引き出し、その身を炎熱で焦がしながら死闘に挑みかかっていく。

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