第11話
どこかに争いを始めたがる国が出てきて、そのための武力を求めている。すると当然ながらそんな国に恐れをなして周囲の国も武装し始める。
歴史よりもずっと根深い営みであり、オニワカは常にその動向を注視してきた。火種が一つだって見あたらない時期はなく、一見穏やかそうに見える裏で次の争いの準備は進められていた。
それら全てがセイカに迫り得る脅威であり、事実数え切れないだけの危機からオニワカは彼女を守り通してきた。例えその日々に終わりが見えなくとも。
それでも、だというのに彼は、争う人々を恨む気持ちにもなれない。
だって彼らは幸せになりたいだけなのだから。そのために起こした行動がただ戦いだったというだけだから。
仮初めでも彼の心は、人を愛するように、と願われて作り上げられた。だから生きとし生けるものとして当たり前の欲求を振りかざす人々を恨むことなんてできない。
しかし自ら引き起こした争いの落とし前はつけてもらうことになる。
「ムサシっ、何してるの!? 早く逃げよ!!」
セイカの擦り切れた、悲鳴じみた声にオニワカは我に返った。自身が手に掛けた、まだ年若い男女の兵士の亡骸を見下ろして不覚にも自失していたのだ。
「申し訳ありません。少し気が抜けていました」
言いながらオニワカも絨毯を引かれた洋館の廊下を駆け出す。
そこはセイカの父が所有する別荘だった。度重なる奇襲に街中での生活が限界を迎え、元いた地域から僅かに離れた海岸近くのここに移り住んだのだ。
転居の目的がそんなものだったから、その館だって小さな要塞クラスの設備が整えられている。特に屋敷全体を包み込む電磁波の嵐に惑わされない人工知能は稀で、設計段階から外部による干渉に対策を施されたオニワカでなければ高度な機械類は機能しない。特殊部隊並みに訓練された守衛も数多雇われていて、陥落されることなどまずあり得ない。
そう断言できるだけの防備が整えられていた、はずなのだ。
けれどもオニワカは見誤っていた。
外部から通信を遮断されていたそこに、正体不明の人工知能がクラッキングを仕掛けてきたのだ。それだけでも十分にオニワカの想定を逸していたが、そんなものは始まりに過ぎない。特に強固に設計されていた屋敷のセキュリティまでもが突破されて瓦解。電磁防御が解除されると大量の自律式機械が投入されて外の守りは壊滅し、館内にも敵の手が及んだ。
オニワカは相手が仲間に連絡するよりも早くその命を奪い去っていたが、危うい綱渡りだった。この館はもう陥落しているのだから。
セイカの走りに不足を感じたオニワカは彼女を抱え上げた。
「や、やだ! 放してよ!!」
「こんなときに我が儘言わないでくださいっ!」
手足を振り乱して抵抗するセイカに思わずオニワカは怒鳴りつけてしまう。しかし、この程度で引っ込むセイカではなく、不機嫌を隠そうともしないでオニワカを睨めつけてきた。じとりとしたその視線からできる限り目を逸らしつつ、彼は廊下を駆け抜けていく。
ろくでもなくて下らない遣り取りだけど、これがオニワカの精神を支えていた。
隠蔽の用途しかないはずなのにオニワカの心は巧妙に再現され過ぎている。それがあまりにも本性とかけ離れていたから、鬼と化した自身の手が赤く染まる度に彼は自我を脅かされてきた。二つの性質はどこまでも対立し、決して相容れないからだ。
なのに、隣にいる彼女は温か過ぎた。
我が儘で寂しがりやで、時折奇妙に強がるのにそのことに気づけないと機嫌を悪くする。そんな少女の笑顔が、不安定なオニワカの機軸になっていたのだ。
「ねぇ……ムサシ。あんたはわたしの雑用がかりなんだからね?」
なんて憎まれ口の奥に、彼女の本音はある。
「分かっていますよ。俺は万年あなたの下僕ですから。そうですよね?」
訊ね返したらセイカの小さな拳がオニワカの胸を叩いた。
「余裕そうな顔してる。むかつく」
なんて言うのならせめて緩んだ口元を隠せば良いのにと、胸中でのみ呟くオニワカである。
幾らか気の和んだ彼は一気に加速して一階の奥にある部屋の前まで駆け抜けた。
何の変哲もない扉の前に立つと左右の廊下に人気がないことを確認してドアノブに手をかける。
しばらく握っているとそこから指紋に加えて脈拍や肉付きまで照合された。ここから先のネットワークは屋敷全体からも切り離されているために別個の暗証が必要となるのだ。
体のことを探られる居心地の悪さは一瞬で尽き、扉が自ら微かに開いた。オニワカは迷わず生まれた隙間の中にセイカごと体を滑り込ませ、素早く扉を叩きつける。
室内には端から見ればがらくたにしか見えない希少な物品が並べられていた。壁を覆う棚だけでなく床にまで寄せ集められているのは笑うしかない。
それが意味もなく押し込まれていたのならば。
オニワカは部屋の片隅にある、天馬の彫刻を施されたマンホールの蓋を見つけて歩いていく。そこで「こうなったら一生背負って……」だの何だのとのたまうセイカを下ろした。
自分の足で立った彼女はその直後にだけふらついてオニワカにしがみついた。彼の全力疾走に付き合わされて酷く疲弊していたのだ。
その華奢な痩躯を支えながら、オニワカが訊ねる。
「ごめんなさい、セイカ。どうにも気が回らなくて」
そんな彼の気遣いをセイカは若干、いや、相当に苛立たしそうな顔をしてふりほどくとオニワカを睨めつけた。
「それどころじゃないでしょう?」
怖かった、とは間違っても言えない彼女を微笑ましく思いつつ、オニワカは脇に退いた。
反対に進み出たセイカが告げる。
「ここからはわたしの出番」
言いながらマンホールの傍で屈み込んで蓋の両端に手をついた。彼女がじっと見つめると、天馬の図柄の目に赤い光が点滅する。その色がやがて緑になりロックが外れて、セイカは蓋を脇にずらした。
「開いた。ムサシ! 早く中に!!」
「先に入っていてください」
手招きするセイカにオニワカは言いつける。彼の聴覚は廊下を走る複数の足音に気づいていた。そして運の悪いことにそれらはこの部屋の前で止まる。
とはいえ本来なら屋敷が落とされても、切り離されたこの部屋のセキュリティまでは届かない。だからここに侵入できるはずはなかったのだ。
なのに、シリンダーが回って金属の擦れる音がしてくる。
開かれた隙間から向けられる銃口も厭わずに紅の鬼は舞っていた。
手始めに扉をこじ開けたその奥にいる若い男の隊員の頭を打ち砕く。そこから最寄りにいた壮年の男の腕を引っ張って軸にし、壁に叩きつけながら廊下に飛び出た。
その勢いを殺さずに壁を蹴った力を利用して一人、その反動で浮き上がった拳でまた一人と敵を片づけていく。加減しない彼の一撃は腹や頭を抉りながら臓物を破壊していった。
武装した男ら六人中五人を血祭りに上げ、オニワカは最後の一人に取りかかる。けれどもその男は人間らしからぬ素早さで二度後ろに跳び距離を取ってきた。違和感を抱きながらも容赦なく間合いを詰めにかかったら、想定外の異変が起きて足を止める。
膨れ上がったのだ、男の身体が。
全身に密着する黒いアサルトスーツの上からでも筋肉の膨張が見て取れた。よく観察するとその表面には縦横無尽に行き交う血管まで走っていて、変貌した男の目が血走る。
さらに男の右手が転げ落ち収納されていた刃が展開された。その根本から輝きが走って振動を始め、不穏に低い音を鳴らす。
その刃をオニワカの顔面に突き出しながら男は突進してきた。ほとんどの弾丸のような勢いである。
目では捉え切れない。
そう分かっていたから刃の軌道を予測してそこから外れるように背後へと体を傾ける。頬を切りつけていく刃を眺めながら左手を相手の手首に、右手を肘近くに添えて左足を軸に据え、身を翻しつつ右足で相手の身体を浮かせた。
利用した相手の体重と加速度に全身の骨が軋み、オニワカの肌も擦り切れてしまいそうになるけれども、踏み締めて溜め込んだ力を解放する。自らの回転に男を巻き込み掴んだ相手の両腕を振り回して目下の床に叩きつけた。
受け身も取れなかった男の背面は湿った音を立てて潰れ、人だったものの証として血が飛び散る。
思いがけず荒れた息を整えながら仰向けに血溜まりに沈む死体を見下ろした。
「……なんだ、今の?」
純粋な身体能力で、オニワカに敵う人間はいない。かと言って目の前の男は身体の一部を機械化されていても、自律式機械ではないようだった。しかしそうだとしたら、オニワカの目が追いつけない動きができてしまう説明がつかないのだ。
「どうにもきな臭いが……まぁ、今は良い」
滾っていた赤の余韻を残しながら、オニワカはセイカの許に急いだ。
トイレの個室よりも一回りほど大きな箱の中。お世辞にも広いとは呼べない空間でオニワカとセイカは肩を触れ合わせていた。
「ムサシ。狭い」
「そうは言われましても……」
彼らがいるのはマンホールの孔から通ずるエレベーターの中だった。白い電灯はかなり頼りなくて今にも薄闇に押し潰されそう、おまけに行き先のボタンは地上と地下の二つのみ。十分近くの間一度動き出したら止まらずに、さしものオニワカも少々堪える。
彼は気を紛らわせようとして、傍らにいる、自身の胸ほどしか背丈のない少女に目をやった。喧嘩を売ったつもりはないのだが、彼女は文句があるのかとばかりに見返してくる。
正直なところ、一緒にいるのがセイカで良かった、というのが偽らざるオニワカの本音である。
彼女の父にここまで連れてこられた際は狭く息苦しい空間に決して小柄ではない男と二人きりで、何を話しかけても最低限の返事しか寄越してくれなかった。息苦しさは今の比ではない。
その点、セイカならば思い通りにならないと途端に我が儘になる欠点はあっても、黙り込んで気まずくなることはなかった。
「セイカは将来、なりたいものは決まっているんですか?」
「何よ、突然……」
やや戸惑ったような素振りは見せたが、セイカは腕を組んで細い顎を上げ、天井を仰ぎながら答える。
「特になりたいってわけじゃないけど……たぶん、科学者になるんでしょうね。パ……お父さんから見たらその才能があるらしいし、そのための勉強もさせられてきたし」
「確かにセイカはよく本を読まされていましたからね……」
昔のことを思い出して呟く。
彼女の背丈がまだ半分しかなかった頃から、オニワカはその傍に仕えていた。
セイカの父は個人が背負えるのかも怪しい期待と仕事を背負っていたし、母親は亡くなって久しい。聞き及んだ話では人質として拉致され、そして殺されたらしかった。そんな母親と入れ替わりにオニワカはセイカの前に現れ、その頃から誰よりも長い時間を彼女と共に過ごしてきている。
だからこそ勘づくところがあった。
「だけど、それだけではありませんよね? あなたが本当に憧れているのは……」
「やめて」
底が覗けない夜の海色の瞳がオニワカを映している。ここで止まることだってできたはずなのに、それでもオニワカは敢えてこう言わずにはいられなかった。
「平気ですよ、家族を作っても。全員、俺が守り抜きますから」
だから怯える必要はないのだと、そう伝えたかった。
そのつもりだったのだが、どうにもセイカの様子がおかしい。淡い色の柔肌に、鮮やかな赤が染み通っていく。
紅潮が耳にまで達するのと同時にべそをかいた涙目がオニワカを睨んだ。
「分かってるわよ! 分かってるわよッ! あんたが、ムサシがどういうつもりで言ったのかくらい……!!」
しかしその態度の意味がオニワカには分からない。
「は、はぁ……それなら、良かった? ですけど……」
今の発言に赤面する要素が見つからない。例によって強がっているだけなのだろうかとも推測するが、ならばもう少し湿っぽい雰囲気になっても良さそうなものである。今のは本当に苛立っていて、なおかつ恥じらっていた。
「やはり、女性の気持ちは解し難い……」
結局自身が男性型だから、というところに結論を落とし込むムサシことオニワカの背中を小さな手が叩いた。
「違うわバカぁ!!」
そんなやり取りが続く内に、籠が揺れて扉が開いた。
たどり着いたそこは自動車なら二台入るだけの広さが確保された地下室で、エレベーターの扉が開くと到着を感知して自動で明かりが灯される。照らし出された室内の中心にはコンテナほどの鋼鉄の箱が据え置かれ、幾つものケーブルに繋がれていた。
箱の正面にはエレベーターにあるのと同じような扉が設けられていて、その脇には装置を制御するためのコンソールが備え付けられている。
「……これが、パパの隠していた装置?」
「そうですけど、だから勝手に一人で先走らないでくださいって!」
例によってオニワカよりも先に歩き出してしまうセイカに追いつきながら彼は答えた。
「えぁと、重力を加えて空間をねじ曲げ、遠く離れた別々の地点を繋げる装置なのだそうです」
そう説明しながら部屋全体を見回し、不備がないか目視で確かめる。
セイカの父は希代の研究者の一人であり、そうした人々は秘密裏に組織を作り情報を共有していた。様々な勢力から自分たちの安全を確保するには一人の技術や情報網は頼りなさ過ぎたからだ。
そして今目の前にある装置もそうした人々同士が秘密裏に情報を交換して作り上げた技術の粋なのである。開発された経緯からその用途は極めて単純で故に確固としていた。
すなわち。
「これを使えば、同じ装置のある限りどこにでも行けてしまえるのだそうです」
たった一つの部屋に収まっているこれは、現在世間で流布している常識から大きくかけ離れた代物なのだ。勉学を積んできたセイカなら尚更に、目の当たりにしてもこんなものの存在は信じられないはずだった。
「ねぇムサシ。それでわたしはどうしたらいいの?」
平常とは打って変わってしおらしいセイカに内心苦笑しつつもオニワカは指示を飛ばす。
「しばらくここで待っていてください。起動してもしばらくは各種演算に時間がかかるらしいです」
「私たちが立ち去った後はこの装置、どうするの?」
「この館ごと自爆する仕組みになっています。追跡を振り切る必要がありますし、世間に公表できる事実でもない」
自分で話していても酷い仕様だとは思うが、これは技術者や科学者たちにとっての命綱なのだ。まだ広めてしまうわけには行かない。
言うとセイカが切実な目で見上げてきた。
「ムサシも来るんだよね?」
「もちろんですよ。セイカと俺が通ったのを確認した時点でこの装置は自爆に入ります。当然じゃないですか、俺はあなたの護衛なんだから」
「そっか。……なら良かった」
なんて言って相好を崩すセイカを目にしてしまい、オニワカは密かな罪悪感を飲み下す。実のところセイカの通過こそが最低条件であり、オニワカが居残っていても装置が損壊すればこの館は火と爆風で溢れ返る。しかし彼女を不安に落とし込むのも躊躇われて、とても自分からは言い出せなかった。
「さて、早くこんなところは立ち去ってしまいましょう」
コンソールのディスプレイは装置の窪みに埋め込まれていてその手前にキーボードが設置されている。けれども基本的な操作方法自体はコンピューターと変わりなかった。
電源を入れると画面に仄白い光が灯り、オニワカの顔を照らし出す。表示されたウィンドウに行き先を意味する暗号を打ち込むと画面上部のカメラから赤い光が照射された。光はオニワカの顔をなぞってその輪郭や皺、瞳孔の形を確かめていく。
認証が終わると実行の許可を要請する『Yes』か『No』かの問いかけが表示された。当然ながら了承すると、命令を承認した旨が彼の顔を照らし出す。
オニワカがそれに反応を示すより早く画面から光が失われ、停止する寸前にコンソールは最初で最後の指示を送り込んだ。これで以降は如何なる外部からの干渉が受けてもも、装置は止まらない。
「これからどこへ行くの?」
オニワカが振り返ると、足を丸めて座っていたセイカはこちらを見上げてきた。
「この装置は遠い辺境の山に建てられたシェルターに通じているのだそうです。しばらくはそこで情勢を伺うことになります」
「そっか」
と呟いたセイカは立ち上がって両腕を頭上に掲げ、大きく伸びをする。どことなく猫を連想させるその仕草を終えると欠伸を一つ吐き出してオニワカに近づいてきた。
「その間はどうするの?」
「食料がありませんからね。セイカには、しばらくコールドスリープしていただこうかと」
そのための設備が避難先にあるのだとセイカの父から聞かされていた。
装置の中にいれば機械の側が栄養状態を管理してくれるため、食料の心配は要らない。オニワカのような護衛役の存在も想定されていて、人を模した自律式機械ならば問題なく共用できる。
「しばらくすればセイカのお父様、いえパパも――」
「わたしはパパのことパパなんて読んでないっ!」
「おっと失礼しました」
激昂するセイカに睨まれて大人しく引き下がり、オニワカは肩を竦めた。それから装置の扉に目を向ける。
「さて、もうそろそろでしょうかね」
いよいよ移動が迫ってきたためか、セイカがさらにもう一歩オニワカに寄り添ってきた。
「怖い……かも」
「平気ですよ。異変があれば、俺がどうにかしますし」
オニワカがセイカの肩を抱きながら言うと、彼女の指の先でつついてくる。
「どこから出てくるのよ、その自信は」
「俺だからです」
自惚れていたではなく本当にそう思っているからこそ、オニワカは気負わずに宣言できた。いつもと変わらぬ彼の様子にセイカは思わず頬を綻ばせ、気の抜けた笑みのまま「何それ」と肩を揺らす。
「念のため、俺に捕まって置いてください」
「分かった」
隣から腰に手を回してくるセイカの痩躯をオニワカはしっかりと抱える。万が一、誤作動が起きたら彼女を引き連れて退避しなければならない。
「早く開いてくれると良いんですけど……」
暢気に呟きながら装置の分厚そうな扉を眺めていた。
そちらしか見ていなかったから、オニワカは気づくのが遅れる。
「ねぇムサシ。あれって大丈夫なの?」
肩を叩かれてセイカの指さす方向に目をくれて。
そして目にする。
「コンソールが、起動している……?」
つい今し方機能を喪失したはずのそれが画面に光を灯している。外部からのあらゆる命令は聞き届けられないはずなのだが、確かに画面に光がより集まってこう表示していた。
「ムサシ。これ、『Error』って」
「確かにそう表示されていますね」
幾多にも重なったウィンドウはどれにも、失敗を表す英単語が並べられている。オニワカは腕の中のセイカと顔を見合わせ、けれども互いに首を横に振るしかなかった。彼も彼女も、この装置の細かな説明はほとんど受けられず終いなのだ。
「仕方ない、こうなったらわたしが……」
言いながら彼女は懐から彼女の手にも握れるほどの棒状の端末を取り出した。何かと思ってオニワカも目をやると、それは小型のマイクロフォンである。
「セイカ、それが一体……?」
「良いからムサシは黙って見てて」
そう指示されると彼は逆らえない。オニワカが見守る中セイカはマイクに息を吹きかけようして、しかし地下室を揺さぶらんばかりの大音声に遮られた。
「ひっ……爆発!? だけど、どうして」
鼓膜を突き破る破裂音の残響が火薬の残り香と共に広がっていく。抱えたセイカごとオニワカが振り返ると、扉の塞いでいた空間を朦々と包む白煙の奥に二対の煌めきが見て取れた。
そこから音よりも速く風を貫いて接近してきた鉛玉四つをオニワカは顔の前で受け止める。焼き焦げ、擦り切れた手の平からそれらを放り投げるとじっと煙が晴れていくのを待った。
相手も攻撃が読まれているのを実感したために、それ以上の銃撃は加えてこない。
やがて薄らぐ煙に二つの影が浮かび上がった。最初は曖昧な靄のようだったそれらは人の形を取り、さらに粉塵が消えると正体を表す。
成人男性ほどの体格は艶消しされた黒い装甲に包まれて大口径の自動拳銃を構えていた。オニワカのように武装を隠す必要さえない、本来ならば戦場に立つべき機体である。
「うわっ、と、止まれ!」
なんて上擦った声でセイカが叫んでも、彼らが止まるはずがない。二機は歪んだ扉を踏み倒して進み、エレベーターの縦穴から部屋に入ってきた。その後ろに何人かの、こちらは人間が例の如く武装してロープを伝い降下してくる。
その到着を待ってすぐさま二機は散開し、左右からオニワカたちを挟み撃ちしにかかってきた。そして正面では三人一組の小隊が抜かりなく小銃を構え、オニワカを牽制しにかかる。
絶体絶命。
そう呼んでも差し支えないこの状況で、しかし彼に抱えられたままだったセイカが耳打ちしてきた。
「――――」
ごく短い指示にオニワカは戸惑ってセイカの顔を見下ろす。だが、少しだけ悲しそうに目を伏せながらも彼女は本気の目をしていて、彼は逆らえなかった。
「分かりました。御武運をお祈りします」
それだけを告げてオニワカはセイカを下ろし、一人銃を構えた人間の舞台に突撃する。その主人を見捨てたかのような選択に当然一瞬困惑が広がり、それはオニワカが突破するのに十分過ぎる間隙だった。
瞬く間にその場で待機していた全員を物言わぬ死体へと変え、すぐさま背後に振り返る。ともかく今はセイカが心配だった。この隙に接近していた二機がセイカを捕らえているはずなのだから。
しかしそれは杞憂に終わる。
「止まれ」
彼女が先ほども取り出していたマイクにそう声を吹き込む。
戦いはそれで終わった。否、戦闘にさえならなかった。
セイカに接近していた二機がそれで停止してしまう。銃弾と爆風の中でも戦い抜ける屈強な人造人間が、セイカの一言に従ってしまう。
「どういう……ことですか?」
訊ねてしまったのは不信からではない。ただ今までオニワカにも知らされていなかった事情で、言葉のどこかに険が篭もっていることは否めなかった。
だから言い辛そうにしながら、それでも疑念を抑えることはできない。
「今のは一体……」
間違いなく、セイカの言葉によって彼女に襲いかかろうとうしていた機体は停止した。そこでようやく固まっていた頭が回り出してもう少し具体的な質問が口からこぼれる。
「そのマイクに秘密があるんですか?」
そう問いを口にしたらセイカははにかむように苦々しさを噛み潰してどうにか笑った。
「違う。これはただの入力機。さっきの奴らは音が聞こえないように作られていたみたいだから、これを使って伝えただけ」
何のことだと疑問が湧いて、しかしすぐにセイカの行動を思い出す。彼女は二機の姿が明らかになった時点で既に一度「止まれ」と命令していた。慌てていただけに思えたあの行動が、最初の『入力』なのだとしたら?
いいや、それ以前に疑問に思うべき箇所がある。
「セイカは機械を言葉で自由に操れるんですか?」
我知らず問いつめる口調になるのを抑えることもできずに、オニワカは詰め寄ろうとして足を止める。背後のエレベーターの縦穴から次々と増援の足音が甲高く鳴り出したからだ。
「く……っ、セイカ! どこか物陰に隠れていてください!!」
止むを得ずオニワカが全身を赤色に発光させ、縦穴に集結する部隊の中に飛び込んでいく。
「少しで良い、保たせて!」
切羽詰まった声で言うセイカに中空で振り返ると真っ直ぐな海の底から見上げてくる濡れた瞳が何かを訴えかけていた。
互いに頷きあって心を交わすと彼女はマイクにまた何か命令を吹き込む。その途端にコンソールのディスプレイから『Error』のメッセージが一掃されて座標と重力の演算が再開された。未だにその行為がどんな理屈で成り立っているのかは理解できず終いだったが都合が良ければ何でも良い。
縦穴から整然と溢れ出してきた黒ずくめの戦闘員たちが並び終える前に床をひしゃげさせながら踏み込んだ。爆音を鳴って足の裏から膝に衝撃が伝わり、力のままにそれを蹴ると爆発的な加速度が生まれる。その勢いのままに腰を屈めた姿勢から突貫、脇に抱えるようにして構えた拳で戦闘にいた一人の顎をすくい上げた。はね飛ばされた床に頭を叩きつけられて不格好に首がへし折れる。その死体が落ちてくる前に殴りつけた反動を使いその隣にいた男のこめかみを被っていたヘルメットごと打ち砕き、返す刀で震った裏拳を脇腹をに叩きつけた。振動を伝わせて共鳴により心臓を破砕させる。
次々と敵を屠っていくオニワカの背後で分厚いの鉄鋼の扉が開かれる音を聞いた。振り返ると機動した装置の扉の奥に見通せない闇が広がっていて、その手前でセイカが手招きしている。
「ムサシ! できたから早く来て!!」
「言われるまでもありません! 今いる敵を――」
ずしりと、明らかに体を内側から溶かされていくような脱力感が彼を襲った。酷い吐き気がこみ上げて眩暈がし、這い上がってきた悪寒に膝をつきそうになる。
目の前の敵を片づけたら自分も追いつく、とそう伝えかけていたオニワカは判断を切り替えた。
「セイカ! あなただけでも先に逃げていてください!! 少し時間が掛かりそうなんです!!」
数多の敵を散らす傍らで訴えかけるオニワカと見つめ合ったセイカの表情に悲哀が広がる。
「待って! ムサシ大丈夫なの!?」
「っ……ははは……」
不調を瞬時に見抜かれてなぜか笑みがこぼれた。喜んではいけない事態のはずなのに、不思議とこみ上げてくるのは温かな安らぎだ。
だからこそ、オニワカはそれを守り抜かなければならない。
纏うスーツが焦げ付くまでオニワカは自身を発熱させた。それに応じて跳ね上がった性能の限りに駆け巡って衝撃波さえ伴う拳を瞬く間に撃ち込んでいく。
しかしそれでも耐えることのない増援が送り込まれ、このまま時間稼ぎを続けられたら戦闘用の自律式機械の部隊が送り込まれることは必至だった。
そうなれば勝ち目がなくなる自覚もあったオニワカは一瞬の隙をつき思い切って離脱する。長い跳躍の末セイカの許に降り立つと彼女の笑顔が綻んだ。
「ムサシ、早く一緒に!」
残念ながら二人が装置の向こうの闇を駆け抜けていたら、その間にまた装置の制御を奪い取られかねない。先刻からどういった理屈なのか、通信が遮断されているはずの館の設備が次々と乗っ取られているのだから。
「ごめんなさい、セイカ」
細い彼女の腰を抱え上げるとオニワカは装置に向けて踏み込み加速をつけた。そんな彼の顔を見上げたセイカは朧気に表情を移ろわせて、不意に涙ぐむ。
「やだ! さっきからムサシおかしい! どうするつもりなの!?」
答える余裕も、それに相応しい言葉もなかった。どんな顔を向けたら良いのかも分からなくて、しかし嘘もつけずにただ一言こう告げる。
「またいつか」
逢いに行きます、とは言い切れずにしがみつくセイカを引きはがした。必死にすがりついてくる瞳からは目を逸らし開かれた装置の扉の向こうに彼女を放り出す。
「待って、離れたくないっ! 離れたく――」
伸ばされたセイカの手は虚空を掴んだ。黒髪が翻り、暗闇に沈んでいく彼女の眼差しが大きく揺らいで溢れた光の滴が飛び散る。
「さよなら、セイカ」
その姿が見えなくなるのと同時に装置のコンソールのディスプレイを殴りつけた。その奥にある数々の電線を引きちぎると警報が鳴り響いて耳をつんざき、緊急停止した装置の扉が閉まる。
直後、館の壁と装置のそれぞれに亀裂が走り、閃光が辺りを包み込んだ。溢れかえった炎が部屋中を焼き尽くして地上にも漏れ出し、爆風が全てを吹き飛ばす。
その中でただ一つ形を保っていた人型が煙を上げながら空へと投げ出された。近くの海面で高らかに水しぶきが一つ昇っていく。
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