第10話

「そんな時化た顔してないで、早くついてきてよ!」

 煌びやかに彩られた衣類の海へと、艶やかに黒く透き通った少女の長髪が軌跡を描き潜り込んでいく。彼女の黒い瞳は光を溜め込んで眩しそうに細められ、当時のオニワカには何よりもその笑顔が輝いて見えた。

「何度も聞きますけどセイカ、あなたはご自分の立場を分かってるんですよね?」

 なんて諫めるオニワカも笑みを抑えられないのだから全く締まらない。

 そこは、その国ではすっかり珍しくなってしまった若い女性向けの洋服点だった。名前をセイカという彼女はアパレルショップだと言っていたがオニワカには違いがいまいち分からない。

「いっつもそればっかり言ってないで少しは楽しめば良いじゃない!」

 外出の許可を中々得られない彼女は、偶に外に出ると今のようにスカートの裾をはためかせてよく駆け回った。その華奢な背中を追いかけてオニワカも並ぶ衣服の中を掻き分けていく。その折りに張られた値札を見てしまい、オニワカは内心苦笑を禁じ得なかった。彼からすれば大差ない品物がもっと、ずっと安く売っている店なんてそこいらにある。

 だというのに、なぜここで買うのか?

 原則として黒いスーツしか着用しないオニワカには中々理解し難い価値判断だった。服装のことなどそこで思考停止しているのだ。

 自分の格好を見下ろしながらそんなことを思っていたら、セイカの溜め息混じりの声が聞こえてきた。

「気になるなら、他の服も買えば良いのに」

 腰に手を当てながら振り返る彼女に、オニワカはただ肩を竦める。彼の素っ気ない態度にセイカは唇を尖らせて不満をぶつけてきた。

「わけ分かんない。わたしが買って上げるって言っても全然聞かないし。素材は悪くないのに、ムサシだって」

 その最後の呼びかけがオニワカを強く引きつける。

 誰のことだ、なんて疑問に思いはしなかった。だって自分の記憶なのだから。そしてムサシはかつてのオニワカの呼び名なのだから。

 由来はいつだかフソウが語ったのと同じ伝説的な武者だった。

 輪郭が浮かび上がってくる過去の自身は、辺りを注意深く見渡す。その背がセイカの脇を通り抜けるのと女の呻きが上がるのがほぼ同時だった。

 店員の格好をしていた女の腕をオニワカは捻り上げていた。その肘から先は半ばほどから機械化されており、義手の部品が外れて顕わになった金属部が紫電を纏っている。

 瞬間的に赤くなっていたオニワカの全身は既に人肌の色に戻っていた。女の顎を打って昏倒させながらセイカに振り返る。

「お怪我はありませんか?」

「ううん。ないよ、ないけど……」

 怯えた彼女の顔は青ざめている。その震える唇が堅く引き結ばれているのを苦々しく思いながらもオニワカは無理に笑顔を形作った。

「申し訳ありません。少し油断していました。けれども、俺がいる限りはセイカに傷一つ付けさせませんからご安心ください」

 言いながらオニワカは念のために冬の夜の海のようなセイカの瞳を覗き込む。その瞳孔の形や光の加減を精査して彼女がセイカ本人であることを確かめた。

 そうして、間違いなく護衛対象であることも確かめる。

 セイカは技術者を父に持つ少女だった。

 彼らがいる東の果ての列島は生まれ故郷を荒廃させても飽きたらずに繰り返される大戦の最前線であり、そのための兵器開発が絶えず続けられている。しかし当時の技術は人の手に収まる限度を突破して開発者の才覚も偏向を極め、その身柄には時に小国の国家予算級にも比する価値が付与された。

 そうした父親から生まれたセイカの立場は極めて危うく、人質としても次代の技術者としても捨て置けば必ず誰からも狙われる。その襲いかかってくるあらゆる思惑からセイカを守り抜くべく開発されたのが、『紅之鬼若』と銘打たれた人型自律式機械なのだった。



 それは冬の日の帰り道での出来事だった。

「登録名は『紅之鬼若』。所有者は春野星花です」

 オニワカは防弾硝子越しに手帳型の証明書を見せながら、息を白くして言う。警備員の男はそれをじっと眺めて、ぽつりと呟いた。

「ははぁ、あの春野博士のねぇ……良いよ、通って」

 言うと、鈍色の表面を剥き出しにした無骨な門扉が軋みながら開く。その奥の通りは夕方でも薄暗くて街灯が明かりを落とし、押し迫る建物の壁と壁とを照らし出していた。

 黒髪と対照的な白いダッフルコートを羽織ったセイカは一人先にその中へと歩き出してしまう。オニワカは背後に振り返って警備員にちらと会釈し、彼女を追った。

 人工知性は国際組織によって厳密に管理されている。理由は単純なもので、その大半が武装すればどんな銃火器でも太刀打ちできない兵器になり得てしまうからだ。

 現代戦は人工知能に頼った戦術の読み合いから始まり、どこにどんな無人機を配置するかで勝敗が確定する。人間の兵士の大隊が自律式機械の小隊に壊滅させられることなど珍しくもなく、軍人など一部の諜報機関や金のない国の部隊に残るのみだった。

 だから一般向けの人工知性には徹底的に殺人を忌避させることが義務づけられ、その確認がとれない限りは人間で言うところの人権さえ与えられない。例外は各国の行政と司法に裁かれ、それらの大半が廃棄処分となっていた。

 オニワカもこの例に漏れず、無害な人工知性として登録されることで初めて社会から存在が許されている。平時の彼に殺人を強要しても決して従わず、それどころか機体の損傷も省みずに人を守るように先天的に倫理観が植え付けられていた。

 それでも性能の高さから行動は制限され、窮屈さは否めない。致し方ないとは言え溜め息を漏らしつつ、オニワカはセイカの隣に並んだ。

「セイカ。何度言っても分かってくれませんけど、あまり俺から離れないでください」

 主人に向けてなのに微かな苛立ちを声に表してしまうのは、気安い二人の関係の表れだった。セイカは掲げた手をひらひらと振って小馬鹿にしたように笑う。

「へーきへーき! だってどんなことがあっても、ムサシが守ってくれるじゃない!」

 妙に自信満々に言う彼女の瞳は爛々と輝いていて、これまでに繰り返された襲撃のことなどまるで気にかけていない。その無鉄砲なまでに明るいセイカの性分にオニワカは振り回されてきたのだが、それに救われている部分があることも否めなかった。

 オニワカの自我はその設計の故に絶えず揺るがされていたから。

 なんて余念は、刹那に掻き消えた。

 彼の姿は隣にいたセイカごと飛び去り、生まれた虚空に闇を切り裂く鋼の礫が殺到する。地面に突き刺さったそれらは人を気絶させるために蓄えていた雷をまき散らして沈黙した。

 オニワカはその一帯に立ち並んだ廃工場の一角に飛び込むと息を静め、耳を澄ます。二人分の息遣いと心音しか聞こえないことを確かめて腕に抱えていたセイカを下ろした。

「また襲撃のようですね。どうにもこの頃は頻度が増している」

どこかでまた大きな戦争が起きようとしているのかもしれない。その情報も収拾したかったが今は目の前の課題に対処しようとして、入るときに割った窓枠に手を掛けた。

「ちょっと片づけてきます。セイカはここで隠れていてください」

「待っ――」

 咄嗟にオニワカを呼び止めようとした彼女は、しかし喉を震わせて口を噤む。

 彼の全身が真紅に発光していたから。

「ごめんなさい、何でもない」

 なんてセイカの言葉も待たずにオニワカは分厚い雲が立ちこめた空の下に躍り出ていた。

 既に射角から敵の位置は特定できている。彼は向かい合った工場の壁を蹴飛ばした。打ち捨てられたとは言え工場の壁面は塗装も剥げておらず、オニワカの蹴りを受け止めて彼を中空に押し返していく。

 屋根の上に飛び出すとオニワカはじっと空の暗黒の一点を睨み、その闇に浮く熱源を見出した。既に単なる跳躍では届かない高さに、一機のヘリが旋回している。民間用の小さなものだったが、それでもこの時代のそれはかつてのジェット機にさえ迫る速度を有していた。通報などしていたらその間に手が出せなくなる。

 だからオニワカは手近にあった煙突の一本を掴み取り、根本からへし折った。それを構えて助走をつけ、両足で工場の屋根を蹴りつける。

 限定解除された彼の脚力は暴力的なまでの衝撃で空気を破裂させ、屋根の一面を大きく歪めた。それによって生まれた反動は強靱な骨格の弾性で増幅され、オニワカを空へと押し上げる。その頂点で携えていた自身の背丈ほどもある煙突を振りかぶり、腰を折って足を振り乱しながら全力で大空に投擲した。

 オニワカの体重と推力を乗せた煙突はその先端をじわじわと熱で溶かしながら夜を散り散りに裂き、飛翔する。ヘリとの距離を瞬く間に詰めてその尾をへし折るとその先の闇に消えていった。

 ヘリは姿勢の維持が利かなくなって緩く回転しながら傾き、急速に失墜し始める。

 徐々に大きくなるその機影の落下地点を予測し終えたオニワカは屋根から屋根へと飛び移って夜の空を駆けた。やがてヘリが目前に迫ると移動してきた速度を利用して再びの跳躍、緩い弧を描いてヘリに張りつく。そのままの勢いで扉を蹴破り、機内に滑り込んだ。

 突然飛び込んできた小さな人影に傾いたヘリの中を転げ回っていた男たちが喚き立て、或いは目玉をぐるりと巡らす。彼らはそれぞれ防弾ベストとアサルトスーツを身につけ、ナイフや小銃で武装しているけれどもこの場では粉微塵ほども役に立たないことぐらい当人らにだって分かっているはずだった。生身の人間が機械とやり合って勝てる時代など一世紀も前には終わっている。

 それでもこうして彼らが派遣されてきたのは、これまで技術者たちとその血族の襲撃に挑んだ人工知能が尽く返り討ちに合っていたからだった。オニワカもその詳細を知らされてはいないものの、技術者たちは絶大な影響力を行使して人工知性に働く特異的な防衛措置を用意している。

 ここいにいる生身の人間たちは、そんなオニワカですら真相の分からない障壁を迂回するためにここまで駆り出されてきたのだ。そして今は原始的な武装をお守り代わりにして、人など雑草も同然に薙ぎ払う鬼の前に放り出されている。

 初めから無数に使い潰されるための捨て駒でしかなかった。

 向けられる恐怖に沈んだ視線を一身に受けて気にも掛けず、真紅の人の形は浅黒い男の、ヘルメットを被った頭を小突く。その拳に内蔵された装置は男の脳に合わせた振動数の音波を伝えて、一気に脳の振幅を高めた。柔らかい頭蓋の中身はほどなく限界に達して弾ける。押し出された目玉が眼孔からだらりと垂れ下がった。

 それがオニワカに搭載された武装の一つだ。

 時間さえかければ鋼鉄の装甲だって破壊してしまえる。刃物を伝わせれば人の臓器を一度に破壊することも可能な代物だった。

 礼服を血で濡らしながら、オニワカは一人だけを残してその他全員に同様の攻撃を行う。生き残りが立ち上がるよりも早く処理された人数分の鮮血が飛び散って窓ガラスを汚した。

 最後に目の前の事態を飲み込みきれない生き残りの後頭部を殴りつけて意識を奪い、襟首を掴み上げる。入ってきた扉の向かいに大きな風穴を空けると機外に飛び出た。機体を蹴りつけ、距離を取り荒れ地の一角に着地する。

 噴煙を上げるヘリは離れた工場の屋根の縁に衝突して火花を撒き散らし、その壁伝いに建物の影へと転がり落ちていった。機体の各部がへし折れる音もそれから膨れ上がる熱量までが空気越しに伝わってくる。

 その直後、炎が光のない空を焼き尽くして辺りを黄色く染め上げた。

 派手に爆発を起こしてしまい、音も光もあからさまに事件の発生を知らしめていたが、いちいち気には留めない。もはや珍しい事態ではなくなっていたし、その地域の行政を牛耳っているのは科学者だった。襲撃者が殺されていても不問に処される。自衛のための設備も資金も自前で確保できるのだから、そうすることが暗黙の了解となっていた。

 そもそもオニワカだってそんな情勢のために生み出された機体で、無害な建前の裏に殺人を厭わない本性を隠している。愛想が良く優しい平時とは対照的な、感情を停止させて殺傷も含む対処にリソースを費やす冷酷極まりない一面を。

 その姿になるとオニワカは機能の制限が解除され、基本性能の底上げに留まらず各種の兵装も解放された。そして限界まで稼働する機体を冷却するために全身の血管が浮かび上がる。

 かくして真紅に染まった姿こそ『紅之鬼若』が秘めたる本質なのだった。

その性分に従ってオニワカは淡々と唯一連れ出した男の装備を改め始める。依頼人に繋がる手がかりをあらかた漁り終えたのなら、今度は本人の口を割らせなければならない。

 そのためには不可欠となる拷問を嘆くことさえ、今の彼には叶わなかった。

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