第8話

 その日も、町の整備はノゾミに任せてオニワカは外の魔物の掃討に出ていた。日々、間断なく集まり続ける魔物たちではあったが、オニワカの手応えとしては確実に数が減ってきている。無限に思えた彼らも鬼と化したオニワカの猛攻を受け続けていては軍勢を維持できなくなったのだ。

 しかしそのおかげで今現在は、風の壁から外に出ると地獄絵図としか呼びようのない血みどろの世界が広がっている。幸いなことにその臭気が町に入り込んでくることこそなかったものの、返り血を全身に浴びるオニワカに限っては事情が別である。

 腕や頬についた血は乾いてぬるぬるとした感触は消えたが、不快感は誤魔化せない。好い加減に服から落とし切れなくなりつつある鉄臭さにも辟易しつつ、だからこそ、今日頼まれていた土産を運ぶのに躊躇いは抱かなかった。

 二つに分かれたその一方は肩に担ぎ、もう一方は腕に抱えている。内心で本当にノゾミに見せて良いものだろうかとむしろそのことに逡巡しながらも神殿の扉を肩で押した。

「えっ? あれ!?」

 僅かに開けた隙間からそんな声が聞こえてくる。オニワカはほぼ反射的に荷物を放り投げて弾ける七色の光に飛び込んでいった。そこで、無数に表示された結晶板に目を右往左往させているノゾミの許に着地する。

「どどうかしましたか!?」

 玉座から慌てふためきながら頭上を見上げていたノゾミはようやくオニワカの到着に気がついて視線を下ろした。その表情に安堵するような色が浮かび上がって、それから苦々しく微笑んで見せた。

「すまない、オニワカ。大したことじゃない。手で合図していないのに画面が出てきたから、少し驚いてしまっただけで」

 始めは何のことだか思い当たらないオニワカだったが、そういえば、と思い出す。

 ノゾミが町の様子を確かめるために使う結晶の板は、握った拳を振り上げ、振り下ろす動作に従い出現していた。

「今まで一度も、こんなことなかった」

「何か心当たりはあるんですか?」

 問われてノゾミは俯き、目を細めて「うぅん」と唸る。やがておずおずと決めかねた表情をして曖昧に呟いた。

「口で、出てきてって言ったから……?」

「だけど、それが原因ならもっと早くから気づいていなければおかしいのでは?」

 やや冷ややかなオニワカの口振りにノゾミは唇を尖らせて言い返す。

「わたしだってまだ確かめたわけじゃない!」

 そんな少女の不機嫌に気圧された、とは認めたくないが、オニワカはすごすごと引き下がる。振り回されている感覚をなぜだか懐かしさを思いながらノゾミに賛同した。

「そうですね。では少し検証してみましょう。今度は玉座から立ち上がって命令をしてみたらどうですか?」

 ノゾミの手振りによる指示も、玉座に座った状態でしか聞き届けられない。ならば言葉による指示も同じなのではないかと、そう推測したのだ。

「分かった」

 聞き届けたノゾミは躓かないようにマントの裾を手繰り寄せつつ立ち上がる。

 そしてどこまでだって染み通っていきそうなその声で、命じた。

「閉じて」

 ノゾミの声に合わせて、無数に表示されていた結晶板は直ちに砕け散り欠片さえ残さずに消滅する。そこには当然身振り手振りも加わっておらず、彼女は常の無表情から少しだけ目を見開いてその光景を見上げていた。

「……違う、ようですね」

「そうみたいだな」

 ノゾミはひとまずその変化に興味を失って、肩にかかっているマントを羽織直しまた玉座に腰を下ろす。そこで目を瞑り窄めた唇から細く息を吐き出して気を取り直した。

 再び瞼を開いたとき、彼女の両目に宿った深みのある紅玉がオニワカを見据える。

「この件はあとでもう少し詳しく調べる。それよりもオニワカ、頼んでいたものは持ってきてくれたのか?」

「あっ」

 と漏らしたのは用件を忘れていたからではなく、今し方の騒動ですっかり失念していたからだった。確保はしてきていて、その証拠に扉の前に伸びる赤い絨毯の色をなお垂れ流す液体で塗り重ねるものが二つ転がっている。

 尤も、元々は一つの物体だったのだが。

「えぇと、あちらに転がっているのが頼まれていた物品です」

 オニワカが手で指し示す先にあるものを見ても、ノゾミはほとんど表情を変えなかった。むしろそのことにオニワカの方が戸惑いさえする。

 だって転がされているのは、歪な人型の魔物の、分断された頭と胴体なのだから。

 それなのに彼女はただ一言、注文をつけるだけだった。

「できるだけ傷は少ない方が良いと伝えておいたはずだが……あれは、大丈夫なのか?」

 肌は黒々としていて若干背骨が折れ曲がったそいつの、体格の割に小さな頭部は見事に胴から切り離されている。赤い肉を晒す断面は今も血が垂れ出している最中だった。

「安心してください、ノゾミ。奪った斧で首を切り落としただけです。他の臓器も部位も傷一つつけていません」

 そしてそれが、万に一つもノゾミを危険に晒したくないオニワカにできる最大限の譲歩なのだ。これ以上は死に切っていない可能性も考慮すると彼には対応しかねた。

そんなオニワカの、本人には自覚のない苦渋の表情を目にしてノゾミもそれ以上の要求をする気は失せてしまう。

「そうか。ありがとう。それなら少し、待っていてくれ」

 それだけを言うとノゾミは玉座の後ろから通じる扉に駆け込んでいった。



「ノゾミ。念のために聞いて置きますが、まさか魔物を食べようと言うわけではないのですよね?」

 冗談めかして言うオニワカの眼前には,通りの石畳に投げ出された魔物の死体、それから。

「当たり前だ。食品ならば台所の上で捌く」

 いつも料理に使っている包丁を携えたノゾミの姿があった。

 さすがに今はマントを外していて、道の端に畳んである。身軽になった彼女は気難しそうにして二つの魔物の遺骸を見比べていた。

「台所って……そこがノゾミにとっては重要なんですね……」

 オニワカの反論にノゾミはむむっと顔を上げる。

「なぜだ? 清潔にしておくのは大事だろう。自分の口に入るものだし」

「いや、確かにそうですけどね」

 不毛な会話にしかならないと気づいたオニワカは早々に切り上げて笑顔で頷き出した。

「あぁ、全くその通りだ。ノゾミの言う通りだと思います」

 露骨な彼の態度の変化にノゾミはまだ何か言ってやりたくなるのだが収拾がつきそうにないから押し込める。それよりも興味はやはり、魔物の死体の方にあった。

「こいつらの体を調べれば、魔物のことについて分かることがあるかもしれない」

 しゃがみ込んで膝をつき、ノゾミはやや危なっかしい手つきで包丁を握り直す。オニワカはそれを心の中では戦々恐々として見守りながらも彼女の隣に膝をついた。

「ノゾミは動物の体の仕組みに詳しいんですか?」

 彼女はこくりと頷いて言う。

「この頃になって、そういったことに関しても眠っている間に学べるようになった」

「なるほど。あの装置にはまだそんなことが隠されていたんですね……」

 ノゾミの身辺に起きる変化にはどんなものであれ敏感に反応しているオニワカだが、今回に限っては大した問題に発展するとも考え難い。オニワカと出会うずっと前からノゾミを抱いてきた揺り籠のことを信じて、今は目の前に意識を向けようと思った。

「では解剖するのですよね? どちらから手をつけますか?」

 それぞれ頭と胴体を指さしながら言うと、ノゾミの決断は意外にも早い。

「頭だ。脳の作りが見たい。もし操れるように細工するなら、そこ以外にはあり得ない」

 言いながら首の中ほどで切り落とされた頭部ににじり寄った。体毛のない黒い頭は人と言うより猿に近い骨格をしていて、その割に大きな目が虚ろに空を見上げている。

 ノゾミは頭の位置を調整して、それからどのようにして切るべきかと刃を当てて考え始めた。

「……さすがにどこも硬そうだな」

「ノゾミ。力仕事なら俺がやりますよ。包丁を貸してください」

 本音を言えばノゾミの手つきが見ていられなくなったからなのだが、口にすると角が立つ。言葉に気をつけながらオニワカが提案すると彼女は彼を一瞥し、僅かに逡巡してから浅く頷いた。

「分かった。けれども、慎重に切ってくれ。脳の中に何があるから分からない」

「もちろんですよ」

 強く言い切って包丁を受け取り、オニワカも頭に近寄る。それから片手で押さえつけて、頭頂に刃をかざした。

「行きますよ」

 ノゾミか、はたまた自分自身にそう言い聞かせてゆっくりと刃を押し当てる。そして力を加えながら引き裂き、刃の端を黒い表皮とその奥の頭蓋骨に埋めていった。その途端にじわりと血が滲み出して、それが尽きると今度は骨の滓が刃に付着し出す。

 構わず押し込んでいき、包丁が脳に達しても手を止めることはなかった。ノゾミからの制止の声もないためにオニワカも手早く切り刻んでいき――

「ん?」

 微かに弾力ある固さの骨や容易く刃を受け入れる脳とは明らかに違う硬質な感触が刃を叩いた。それが柄を握る手に伝わってきて、オニワカは包丁を止める。

「何かあったのか?」

 真剣な顔で尋ねてくるノゾミに頷き、オニワカは異質な感触を避けてその周りと骨だけを断ち切った。支えるものが左右から包み込むオニワカの指だけとなり、彼が手を離せば頭蓋は二つに別れる。今すぐにでも取りかかれば良いのだが確認を取りたくてノゾミを見た。

「頭を開きますがよろしいですね?」

「分かった。そうしてくれ」

 それだけを告げるとノゾミはオニワカの手元を見つめて、じっと黒い頭皮に滲む血の赤を注意深く観察し始める。

 ならば遠慮することはなかった。

 オニワカは切り口には親指を差し入れ、ゆっくりと裂け目を広げていく。まだ繋がっていた脳梁はノゾミが手伝って切り離し、その中身を大気に晒した。

「……できましたね」

「これは……?」

 脳の中心にあった白い物体を見て、ノゾミは袖が血で汚れるのにも構わず手を伸ばす。

 掴み上げたそれは表面が赤と透明な体液に濡れていて、作り物めいた光沢を纏っていた。形は脳の下垂体そのものだが、材質が明らかに生体の組織ではない。

 つるりとしたその表面を一通り観察してから、ノゾミはそれをオニワカに手渡した。

「わたしの知らない物質だ。調べれば分かるだろうが、知識にはない。オニワカはどうだ?」

 どうだ? と言われたってオニワカも学者ではない。気まずく思う気持ちを飲み込んで受け取ったところ、その小さな物体は金属に近い重さで彼の手に沈み込んだ。

「俺だって知らないと思いますけど……」

 それを矯めつ眇めつしてやはり見覚えがないことを確かめ、オニワカは提案する。

「ノゾミ。これも分解してみてはいかがですが?」

 問われても彼女はしばしオニワカの手の中の物体を眺めていたが、このままだと彼の提案が一番手早いことに気づく。

「そうだな。それの分解も頼んで良いか?」

「お安いご用です」

 例え頼まれなくとも、包丁の刃が通るかも分からないものをノゾミに切らせるつもりはなかった。ちょっとした力の加減で手元が狂えば、彼女が怪我してしまいかねない。その点、自分ならすぐに怪我を治るからとオニワカは安心して自身の体を酷使してしまえる。

「えぇと、刃毀れすると破片が散って危ないですから、念のため離れていてください」

「分かった、けれどもオニワカも気をつけて」

 そう言ってノゾミが真剣に心配そうな顔をするので、余計なことを言っただろうかとオニワカは戸惑う。しかし言わないわけにもいかないことだったし、気を取り直して笑顔を取り繕った。

「俺なら平気ですよ。ノゾミは危ないから離れていて欲しいだけです」

 ノゾミ『は』の下りが気に入らなかった彼女の眉が吊り上がる。そんな不機嫌を隠すようにして顔を背けてしまったノゾミに苦笑してオニワカは作業に戻った。両足の間に白い下垂体を置いて包丁を構える。

 何だかんだと言ってもノゾミが指示に従って離れるのを待ち、オニワカは包丁を白磁のごとき表面に当ててみた。少し力を加えたくらいだと傷つきもせずにのっぺりとした曲面が昼の光を照り返している。

「やっぱり少々手間取りそうですね」

 なんて呟きを漏らしながらもオニワカは包丁の柄を握り直し、力の向きを整えて斜めに押し込み始めた。耳障りな金切り音が甲高さを増し、鼓膜にじわじわと痛みを染み込ませる。

 その耳の痛さに隣でノゾミが飛び上がった。

「……あの、すみません」

 他に言い方が思いつかずに、オニワカはそう謝罪しながらノゾミの方を向く。ぎゅっと閉じられていた瞼が開かれて、こちらを覗いてくるノゾミと目が合った。今にも泣き出しそうな顔をしていたノゾミは慌てて耳を押さえていた手を放す。

「平気だっ! 平気だから、構わず続けてくれ!」

 躍起になって首を振るノゾミの口調は懇願するようでさえある。見え透いた強がりで、そんなに自分は信用ならないだろうかと不安に思う反面、ノゾミの真意にも薄々気づいていたから苦々しく思う他ない。

 彼女はオニワカに迷惑をかけまいとしている、その負担を減らそうとしている。ただそれだけなのだった。

「そうかもしれません。でも、これからはもっとうるさくなりますから、耳は塞いで置いてください」

 それだけを指示すると、ノゾミの方はもう見ようともしない。それと悟られたら必ず強がられるのが目に見えていたから。

 気配と物音から準備ができたことを察して、オニワカは再び作業に取りかかる。

 逡巡する間を挟んだが、手早く終わらせる方が負担も少なかろうと考えて加減はせずに力を加えていった。繰り返し何度も刃を引き抜き、けれども募っていくのは成果ではない。

 ただの徒労感だった。

 おかしい、感じた頃には磨耗し切った包丁の刃が鉄の粉を纏って鈍色にくすんでいる。

 額の汗を拭い一端刃を隣に置くと、変わらぬ光沢を保った白い表面にほんの一筋の傷が走っていた。それだけがオニワカに残せた結果である。

「……ははは。さすがに参りましたね、これは」

 最悪力任せに切り口を削り取るくらいのつもりでいた。それが表面に溝とも呼べない傷跡を抉ったのみ、となればさすがに脱力もする

「申し訳ありません、ノゾミ。どうにも力任せに分解するのは難しいようだ」

「そうか」

 端からオニワカの作業を見守っていたノゾミは、彼の成果にそれ以上の注文をつけるようなことはしなかった。ひとときだけの優しい微笑でオニワカを称え、そしてまた味気なく色を失った表情で立ち上がる。

「オニワカにできないのならここにいても仕方ない。わたしについてきてくれ」

 言いながら伸びをして子猫が首の絞められたような声を漏らし、眠気を吐き出した。気分が晴れると魔物の死骸は放ったまま神殿の方へと歩き出してしまう。

 オニワカもノゾミを追って立ち上がったものの気掛かりで、捨て置かれた魔物の胴と、それから二つに割れた魔物の頭に振り返った。

 脳に混じっていたあの白い物体の正体はまだ掴めていないけれど、自然物だとは思い難かった。やはりノゾミが話していた通りに魔物は明確な意図を持つ何者かの道具なのだ。

けれども、その何者かが魔物を使い潰してまでノゾミを狙う理由がどこにある?

目を逸らしてはならない問いに思えたけれども、この場で答えは見つかりそうになかった。疑問を忘れないようにと胸の内に抱えたまま、オニワカはその場を後にする。

 ノゾミは神殿の扉に手を翳すところだった。常と同様に波紋が広がっていく様を眺めながら彼女に訊ねる。

「神殿には、これを切断できる設備が備わっているのですか?」

 ノゾミは前を向いたまま振り返らない。

「切断できるかは分からないけれど、他にも手の打ちようはある。ここなら、切断せずに中身を覗ける設備だって……」

 まだ扉が開き切らぬ内にノゾミはその奥へと体を滑り込ませいった。オニワカも彼女に続いて中に入る。

「あれ?」

 玉座に腰掛けて結晶を表示させたノゾミの第一声がそれだった。赤い目を細めて画面に見入るが、彼女の表情に映り込んだ困惑は深まっていく。

「誰か、来ている。町の近くに誰かいる」

「人間が、ですか?」

 そんなはずはないと思いながらも、オニワカはノゾミに訊ねずにはいられなかった。この町の付近には、数多の魔物が集って町への侵攻を企てている。人間を見境なく襲う彼らがいる限り町から出て行くこともそこに近づくこともできなくなっていた。

 だから町の外には人間などいるはずもないのだが。

「人間だ。この町に入ってこようとしている」

 血よりも赤く燃え立つノゾミの瞳は真っ直ぐに事実を見据え、それをオニワカに伝えてくる。

 口の中に広がりつつある思いを彼は持て余していた。ノゾミが、『魔王』と呼ばれる存在が人間からどのように見られているのか、オニワカはよく知っている。

 けれども、それはノゾミだって一緒だった。

「もしかしてこの人間は、わたしを――」

「きっとそんなことないですよ! きっと!!」

 虚しい言い分だとは自覚していても、そう口にする他なかった。

 だって、もしノゾミを狙う人間だとしたら、オニワカはそいつを――

 迷っても埒の明かないことだ。立ち止まれば、オニワカの一番大切な人が失われてしまう。

「ノゾミは、ここで待っていてください」

「でもっ!!」

「何があっても、絶対に俺が開けるまでは扉を開かないでください!!」

 荒ぶる語気を整えもせずに言い切った。強く、抗議しようとして激情を燃やす少女の瞳に彼は言葉を重ねて訴える。

「もし戦いが起きたとき、あなたを守りながらだと戦い抜けないかもしれないんです。だからどうか、俺のためを思うなら今はここに残っていてください」

 それだけを言い残してオニワカは神殿の扉に向かった。背中に突き刺さる恨めしげな視線を意識から切り離して。

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