第18話 猫の手を借りたい
「解体…というのは、この状況から察するに君を対象とするということかな、ドリス?」
ラズ叔父さまは右手をゆっくりとドリスの方へ傾け、やや遠慮がちに質問を口にした。自分で言いながら、にわかには信じがたいといった様子だ。まあ、それは無理もない話ではあるけれど。
「その通りでございます、ダーウィンさま。正確には部分解体とでもいえば良いでしょうか。メインの記憶回路に手を付ける必要は、恐らくないはずです。」
ドリスがそうきっぱりとした口調で言うと、叔父さまとハインリヒの顔色がぱっと変わった。恐らく、と付け加えつつもその断定するようなドリスの言い方には、ほぼ絶対に近いニュアンスがにじんでいたからだ。そしてドリスは作られた時のデザインにより、不確かな推測を口にすることはできないはずだ。
「なるほど。君がそう言うなら、確かにそうなのだろう。しかし、なぜ君の部分解体を行う必要があると思うのだね?」
ラズ叔父さまは素早く最初の動揺から立ち直ったらしい。すぐさま本題に入ってそう訊ねた。その声にはすでに、話の核心をつこうとする意志があった。ドリスもそれを受けて、ラズ叔父さまの方に真っ直ぐ向いて答えた。
「アニーさまからお話を聞いていらっしゃるかもしれませんが、わたくしは最新のメンテナンスを受けてからまだ二ヶ月も経っておりません。ですが、その間に一度明らかな不具合が起りました」
「僕がここで軽いめまいを起こした、あの時だな」
ハインリヒが鼻をひくひくと動かせてすかさず口を挟んだ。
「その通りでございます。ロンドンからやってきた編集者のハイホーさまがアニーさまたちのいるこの個室へお入りになられた後、最後に流れてきたかすかな音楽にわたくしの体が反応したのです。その結果、ほんの一瞬ではありますが通常通りに機能できなくなりました」
その言葉に、ラズ叔父さまは眉をひそめた。
「それはゆゆしき事態だ。ドリス、君のような素晴らしいシステムと学習能力を兼ね備えた存在にそのような障害が起きるなどあってはならん」
一瞬で伝わる針がさすような怒り。叔父さまの表情にも抑えた声にも、話しながら忙しなく動く指先にも、全てに怒りがあらわれていた。こんな風なラズ叔父さまを今までに見たことがあっただろうか。私は、自分の足が思わず後ろに引き下がりそうになるのを感じた。
「よーお」
この緊迫の間に、ノックもせずに間の抜けた声をさらす人間。ああ……。その声の主は今さらながら体をこわばらせ、おずおずと次の言葉を続けた。
「あれっ、ハインリヒとアニーだけかと思って…ええっとー」
そう言って私の方へ眼を泳がせた、そう、それはもちろんエドワードだった。
「エド…君というやつは、本当に、実にここぞというタイミングを心得ている男だよ……」
ハインリヒはこれみよがしなため息をついたものの、思わずしっぽの先くるくると揺れてしまっている。完全に面白がっているのだ。ふと叔父さまの方を見やると、こちらはもう肩が小刻みに震えている。
「あーっはっは!君がエドワード・エルガーだな?アニーから聞いた通りの青年のようだな!まあ、そう固くなる必要はない。我が姪アニーの友は私の友だ。さあ、こちらに座り給え。難しい話はひとまず終わりにして、サイダーを皆に持って来てもらえるかな、ドリス?」
目の前の大柄な紳士が誰だか分かったエドワードはすっかり慌てた。
「あ、あのう、大事なお話の途中をお邪魔したようですから、僕はここで失礼を…」
エドワードがそう言いかけると、おじさまは片手をすっとあげてエドワードを引き留めた。
「なあに、猫の手を借りたいって話をしていただけなのだよ」
「猫…の手…?」
「いやほら、アニーがいつぞやハインリヒ君に訳してもらったというアジアの昔話に出てきたのではなかったかな? 忙しいときは『猫の手も借りたい』とかなんとか」
ラズ叔父さまはすっかり陽気な笑顔を取り戻し、洋梨の発泡酒の入ったグラスをエドワードに渡しながらそう言った。
まあ、確かに。ラズ叔父さまのおっしゃる通り、これは『猫の手を借りる』話では、ある。
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