第16話 ハインリヒとラズ叔父の邂逅

 家で一休みしているうちに午後の時間は一瞬のことのように過ぎていき、もう夕方といっていい時間になった。それでも、初夏の日は無限のように長く、外はまだ昼間のように明るい。さて、それでもそろそろ出かける準備をしなければ。

「おじさま、そろそろ出かけましょう。ハインリヒも、きっともうすぐ仕事を終えてユニコーンに向かうでしょうから」

 そう私が声をかけたときラズ叔父さまは自室になった寝室にいて、四柱式ベッドの柱に彫りこまれたぶどうの蔓をじっと集中して眺めていた。きっとまた、重なり合った葉も含めて全部で何枚あるか数えていたんだろう。叔父さまは気が付くと何かの数を数える癖がある。小さな頃、叔父さまがそうやって黙々と数を数えていることに気が付いたとき、私も同じ癖がついちゃって名前を呼ばれても気が付かないもんだから、母には特に叱られたっけ……。

「叔父さま!その柱の葉の数は昔も今も142枚よ!」

 今度は少し大きめの声でそう言うと、叔父さまは目を丸くして私の方を見た。

「ちょっと待て、この四本の柱のブドウの葉はそれぞれ枚数が違うぞ。アニー、お前は全部数えてどれが何枚まで記憶してたのか。あっはっは!」

「当然です。10歳からずっと、ここが私の家なんですから……。叔父さま、もうオートキャブが来る時間よ。ハインリヒとユニコーンで食事をするだけですから、そのままの恰好でいらっしゃって平気です」

 お前は私の期待通りに育ったなあ、と愉快気につぶやきながら叔父さまも階段を下り、サラがコートとオペラハットを持たせてくれた。そして予約しておいたオートキャブを表通りに面した正面玄関側へ回してもらい、私とラズ叔父さまはユニコーンに向かうことにした。


「いらっしゃいませ。エラズマス・ダーウィン様、おひさしゅうございます。」

 ドリスはラズ叔父さまの姿を見ると、軽くお辞儀をしてあいさつした。この印象の強いお客が以前にも私や父と共に一度だけ訪れたことがあるのを、彼女は名前も含めてしっかり記憶していた。

「やれやれ、やたらと目端が利くのはうちの姪っ子ばかりでないらしい。相変わらず優秀なバーメイドだ」

 おじさまがそう言うと、常に完璧であることを当然と考えているドリスでも、まんざらでもなさそうににっこりほほ笑んだ。ううむ、ラズ叔父さまの愛嬌のよさはメイドロボットの心もとろけさせるのかしら……。そんなことをつい考えていると、ドリスがこちらに視線を送っているのに気が付いた。

「ドリス、落ち着いたらベルを鳴らすから、あなたが注文を取りに来てくれるかしら?ラズ叔父さまも久しぶりにこちらへ来て、優秀なあなたが給仕してくれたら嬉しいでしょうし」

 私が分かっている、というふうに小さくうなづいてみせながらそう言うと、ドリスも了解したとばかりににっこりほほ笑んでお辞儀をした。『分かっています、お互いに話すことがあるのですね』……そういうサインだ。給仕ロボットに空気が読めないなんて言説は、もはや化石化した都市伝説かもしれない。彼女ら、そして彼らは信じられない速度で個人個人のクセから発せられるメッセージを学んでいく。何にしても、ドリスが意志表明をしてきたからには何か有力な情報か提案があるに違いない。私は確かな期待を抱きつつ、ラズ叔父さまに続いて予約していた個室へ入った。


 個室にはハインリヒが一足早く到着していて、私たちの姿を見ると椅子の上で姿勢を正して会釈した。

「ご無沙汰しております、ダーウィンどの。以前お会いした際はまだ翻訳機の開発途上してしたから、言葉を交わしたことはありませんでしたが……」

 そう言って、ハインリヒはすこし口角を上げたように見えた。

「ふっふ、思った通り君も面白い男のようだ。しかしよく覚えていたものだ。確かに『会った』ことはあるが、私はそのときプロジェクトの主任だったチャールズやロジェ氏の元を訪れて開発の様子を見にやってきた大勢の科学者たちの中の一人に過ぎなかったはずだが」

 ラズ叔父さまは初めて言葉を交わし、あらためて知り合うこととなったハインリヒを一瞬で気に入ったようだった。

「ええ。ですが、アニーのお父上とロジェ氏をのぞけば、あの場で開発の1つ1つのステップに僕がどう思っているかを知ろうとして、僕自身の表情と仕草を観察していたのはあなただけでしたからね」

「つまり、私は図らずも君をマスコットキャラクターの猫ではなく対等な存在として見ていたということかな?」

「そのようですね。まあ、この場合猫を人間と対等に見ていたのか、人間を猫ていどに見ていたのか、疑問の余地はありますが」


 ぶはふっ。


 ラズ叔父さまの斜め後ろで起きた奇妙な吹き出し音に、叔父さまもハインリヒも驚いて顔を向けた。いや、それは私だった。


「アニー……」

ラズ叔父さまとハインリヒの声は驚くほど波長が近く、同時に出た声はもはや音声多重状態。

「申訳ありません、でも、だって、あまりにもその通りだから……あーええと、ちょっとドリスに所に行ってきます!」

 後ろから刺すハインリヒの視線に耐えながら、私はそそくさとドリスのところに向かうしかない。ドアを閉めると、ラズ叔父さまの大爆笑が重厚なオーク材のドアを貫いた。

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