第8話 文学パブ『ユニコーン』2

 パブと言えば普通はお酒を飲むところだけど、ゆっくりと文学談義にひたれるように作られたユニコーンにはいくつも個室があり、食事も提供している。

「私はマドラスカレーにするわ。あと温泉水。ハインリヒはトード・イン・ザ・ホール穴の中のヒキガエルでしょう? 」

すっかり通い慣れたパブで、私はメニューも開かずに決めた。

「ここのマドラスカレー、めちゃくちゃ辛いじゃないか。よく食えるなあ」

考えるだけでも口から火が出る、とエドワードは火吹きの大道芸人みたいな真似をしてみせる。お子ちゃまめ、ここのマドラスカレーは極上のインド産スパイスを使ってるんだからね。私は涼しい顔をして無言でベルのひもに手を伸ばした。


「ご注文はお決まりですか?」

ベルを鳴らしてすぐ、ドリスがやって来た。

「ステーキ&エールパイとトード・イン・ザ・ホール、マドラスカレーを頼むよ。それから僕とエドワードにサイダーを1パイント、アニーには温泉水を持って来てくれるかい」

ハインリヒがちゃっちゃと注文すると、ドリスはメニューを記憶して退室した。


 食事を終えると、ハインリヒが約束通り中国版『灰かぶり』を即興翻訳してくれた。ああ、陰険な継母に過酷な労働を強いられる可哀そうな少女、ささやかな幸せを共有できる友達すらも無残に奪われるし、その報いとして継母や妹は無残な死を遂げる…。エドワードはお話を聞きながらうへ~とか、ぐええ~とか奇声で相槌をうっていた。

 私は今回もあの手この手で追い詰められ落ちていく登場人物たちの絶望を想像して、今日もちゃっかりしっかり生きている実感を噛みしめ、大満足した。

 

 その時だった。ハインリヒが満足気にヒゲをヒクヒクさせて中国語の物語を書類鞄にしまっていると、ドリスが控えめにノックをして顔を見せた。

「やあドリス、今日も食事も飲み物もとても結構だったよ」

ハインリヒがバーメイドをねぎらった。

「ありがとうございます。気に入っていただけてようございました」

そう言って、ドリスは一瞬間をおいた。彼女の発言に『続き』があるサインだ。

「どうしたの?ドリス」

私は促した。

ドリスはおずおずと床に向いていた目線をあげ、ゆっくり話し出した。

「あのう…それがハインリヒさまにお客がいらっしゃってるんです。お約束があるわけではないとおっしゃるので、お断りしようとしたのです。けれど『とにかく聞いてみてくれ』と……」

 ユニコーンに来ると、この手の『ハインリヒへの依頼客』はあまり珍しくない。まあ、さすがに毎度食事を邪魔されるんじゃかなわないけど、こちらもわざわざ個室をとっている。だから、ドリスはいつも食事が終わってひと段落するくらいまでは話を通さないでいてくれるのだ。

 ハインリヒは仕方ないね、とつぶやいてこちらへ通すようにジェスチャーした。


「はじめまして、ハインリヒ・ハイホーと申します。この秋から創刊予定の『月間文学批評』から参りました」

名刺を差し出しながら、その小柄な紳士は興奮気味に顔を赤らめて名乗った。

「ハイ…ホー…」

エドワードが間の抜けた声で名前を口にした。こら、変な名前には違いないけど、そうあからさまに顔に出しちゃダメでしょうが…。私は眉間にしわを寄せ、テーブルの下でエドワードのスネを蹴った。

「いてっ」

「はい?」

エドワードの奇声にハイホー氏が声を上げた。

「何でもないんですの。エドワードったら、ちょっと魚の小骨がささったみたいで」

「誰がさか…や、小骨って意外と痛いんですよね! 」

私とハインリヒの双方向から刺す視線を、さすがのエドワードもキャッチしたようだった。

「それで、僕と同じハインリヒと言う名前の、創刊予定の雑誌の記者さんが私にどのような御用でしょう」

気を取り直して猫の方のハインリヒがたずねた。

「創刊号の特集で音楽と文学をテーマに特集を組みたいと考えております。そこで、すでに文学批評で知られているハインリヒさんのインタビューを取り上げたいのです。文学にちなんだ音楽をこちらで用意しておりますので、よろしければ今日音楽をいくつか聞いて頂いて、後日に行うインタビューに使うものを選んでいただければ幸いです」

 やっぱり興奮気味のハイホー氏はまだ顔を赤くしたままでまくし立て、トランプのカードを並べるみたいにすごい勢いで音楽円盤をずらりと目の前に並べてみせたのだった。

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