第6話 昔話
ハインリヒはエドワードの話を聞きながらもずっと休まず動かしていた手を止めて、そろそろ閉館準備にかかろうと言った。
「エド、君は先にユニコーンに行って待っててくれるかい。あのパブの個室を予約してあるから、君も良ければアニーの大好物に付き合ってくれ」
「ふっはは、また新しい残酷物語を仕入れたのか!本当に好きだなあ、アニー」
エドワードの場合、父様やハインリヒとは違って何でそんなものが好きなのか、という疑問が頭に浮かばないらしい。エドワードは他人が自分と異なっていても、人が好きだと言えば『そうか』と真っ直ぐに受け入れる。そういうところを、私もハインリヒも居心地よく感じて長い付き合いになっているのだ。猫のハインリヒと私が似た者同士で友達になり、その私たちが自分たちの異質さを疑問にも思わずにそのままそっくり受け入れるエドワードとゆるくて長い友情を結んだ。なんとも不思議なものだ。
「オーケー。じゃあ僕は先に失礼して、ユニコーンでさっそく借りた本を読んでるよ」
エドワードは来た時と同じようにまた浮き立つような足取りになって、ふわふわと楽し気に歩き去った。
「あれ、どう思うね? 」
エドワードの姿がみえなくなると同時に、ハインリヒの目の色が影を帯びたように見えた。
「そうとう浮かれてるとしか言えないけど……まあ、いいんじゃない? 今のところ、浮かれてるのはちゃんと自覚してるみたいだもの」
「それは言えてる。素直なのはエドワードのいいところでもあるんだが、どうも心配だな」
「心配ってなにが」
私が聞き返すと、ううむ…とハインリヒは唸るように黙り込んだ。思っている事の原因や結論をきれいに説明できないハインリヒなんて珍しい。ハインリヒは、素直で才能あふれるエドワードをまるで子供を思う親のように見守ってる感がある。ちょっぴり似た者っぽい気質を感じている私に対してより、エドワードに対しての方が過保護な態度を見せがちでちょっと可笑しい。
「中途半端に笑うのを我慢しなくてよろしい」
……バレた。シャーロック・ホームズ自身をも欺くポーカーフェイスで裏の裏までありのままを描き切るパーフェクトな伝記作家への道、そのゴールはまだまだ、はるかかなたにあるらしい。
「僕はたぶん、出会った頃のエドワードを忘れられないでいるんだ」
ほんの少しの沈黙の後、ハインリヒはふっと自分を理解し出したとばかりに話し始めた。
「それってまだ翻訳機で会話をするようになる前ってこと?」
「その通り」
ハインリヒはふうっと深い息を吐いた。
「君も知ってるだろう。僕はその頃、身分上は半分マスコットキャラクターのような扱いでキャリアをスタートさせたからな。いくらこちらが理解していることを示しても、言葉が話せない僕をライブラリアンとしてまともに扱う人間は多くはなかった」
ハインリヒにとって、この期間のことは最上の思い出ではない。まだハインリヒと友達になる前の私でも、多少のことは聞き及んでいた。異例のキャリアをスタートさせた時、この天才猫が日常的にいい思いをしなかったことは確かだ。
「その頃でもエドワードは最初からああだったんでしょう? 」
「その通りだよ、これ読みたいあれ読みたいってリクエストに応えて書籍を提示してやるたびに9歳の子どもが目をキラキラさせて、本に顔を埋めて読んでた」
その顔、5分前に見たエドワードの顔とそっくりそのまま同じだったに違いない。
「エドワードはあんな風に浴びるように知識を得て、それを活かす才能があることを自分で分かっている。だから留学したい。この音楽図書室に通い始めた頃のように、貪り学んで恍惚の感覚に浸るのを強く夢見ている」
私はふと、今日エドワードがやって来る前に心配していたことを思い出した。
「エドワードは反面、その夢を成就できない事態をひどく恐れてもいる。10歳を迎えるまでに音楽図書室で彼の必要なものはあらかた読んでしまってね、彼は夢のような時間をもう過ごせないと思って文字通り震えていたくらいだ」
分かるだろう、という視線をハインリヒはこちらに向けた。
「さっきエドワードは風船みたいにフワフワして陽気だったが、ほんの束の間、あの怖がる小さなエドが見えた気がしてね」
ハインリヒは、まるで親バカみたいだなと苦笑いした。
「ねえ。今は私たちがいるんだもの」
「うむ……」
「エドワードのその夢は、叶っても叶わなくても私たちは同じように友達でしょう? 夢が叶えば喜んで、ダメでもそれまでと同じように一緒に過ごす。友達ってそういうものじゃない? 」
ウム……とまた言いながら鼻をヒクヒクさせ、ハインリヒは自分の考えを整理して納得した様子を見せた。
「そうだな。僕らの役回りはそういうものだ。ではいざ、友のもとへ」
全ての配達業務を終えて戻ってきた
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