第3話 ヴィデオ通信

「ああ、そうだ忘れちゃいけない」

 ハインリヒはハッとした顔になってウエストコートのポケットを探るとヴィデオ通信の円盤を取り出した。

「さっきヴィデオ通信が届いていたよ。内容の殆どは王立統計学会からの文献リクエストの話で僕宛てだったけど、君へのメッセージも入ってたから内勤のランプポストに見せてもらうといい」

内勤のランプポストは外部への書籍配達はせず、館内でライブラリアンの補助業務をしている。彼らポストの足元には円盤を入れる口が付いていて、ポストの前にスクリーンを立てて円盤を入れるとガス灯部分からヴィデオを映し出してくれる。

「ふーん、誰から?」

「君の憧れのキャリア人生を歩むお方だよ」

「まあ!ナイチンゲール女史でしょ!見る!見ます!」

 ナイチンゲール女史は私の憧れの女性で、命の恩人でもある。彼女が統計学を極めて戦地からの報告でお偉方をうならせ、女性の生き方を変えるのは何も家事ロボットの開発だけじゃなく、女性自身が変えられるんだってことをはっきりと示してみせた。彼女と彼女を後押ししたヴィクトリア女王陛下よりかっこいい女性がこの国に存在するだろうか。

 だけどそういう先駆者というのは余計な苦労がつきものだ。ナイチンゲール女史はすっかり体調を崩されて塞ぎの虫にとりつかれたようになり、グレートモルヴェンの街へ療養にやってきた。

 グレートモルヴェンはロンドンの急激な人口増加対策として首都機能の一部を移転させた都市の一つだ。天才的なエンジニア、テルフォードの尽力でロンドン・モルヴェン間の交通網はあっという間に整備されたけれど、その頃の医療現場にはまだナイチンゲール女史の衛生管理の理念は普及していなかった。だけど彼女に憬れる当地の看護婦らが職場にナイチンゲール女史を講演に招いたのがきっかけで、中央大病院に完璧な衛生管理体制が敷かれることになり、10歳の私が運ばれてきた頃には、重篤患者の病棟は常に清潔に保たれた看護ロボットのみが出入りする状態にまで発展していた。だから私も、その恩恵にあずかって奇跡的に回復したのだ。

 当時から周りに悲しい話をせがんでばっかりいる奇妙な子供のことを、ナイチンゲール女史はとても気にかけてくださった。彼女が自分の専門の統計学にからめて世界の遠い国々で実際に起きた本当の残酷史を話すと、幼い私の目がギラギラ光りだすものだから、ナイチンゲール女史は笑いをこらえるのが大変だったそうだ。

 私がすっかり良くなってやがて大学への進学を志したときにはとても喜んで、後で聞くところによれば女王陛下に女子の高等教育を後押ししてくださるよう手紙を出すことまでしたらしい。

「ナイチンゲール女史は君が大図書館グレートライブラリーのライブラリアンになったことが大層嬉しいようだよ」

「ふふふ、お誉めに預かって光栄です……っと、私も忘れるところだった。朝、父様から聞いたことなのだけど、父様の兄のラズ叔父さまが近々こちらにいらっしゃるんですって。ハインリヒと会いたがっているらしいの」

「ふむ?何だろうね。また君と化学実験して遊びたいってんなら分かるが…」

「まあ、それも叔父さまはやるでしょうけどねえ、ふふふ。ハインリヒで生体実験しようって訳じゃないから大丈夫よ」

「縁起でもないことを言うでない…」

「生き物で実験するのは少年時代に卒業したんですって」

「やったんかい!」


ハインリヒのしっぽが総毛立った。ごめん、冗談よ……。

 

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