第34話

 翌日の土曜日。


 満は朝から松木資料館を訪れ、先週保志香に勧められた「ブラックハウス」というホラー小説を読んでいた。今週は色々な事がありすぎたせいか、満は精神的にも肉体的にも気怠さを感じていて本を読む気分ではなかったが、何故だか無性に保志香に会いたかったのだ。わざわざ資料館まで本を読みに来たのは保志香に会うための建前である。


 満が保志香に会いたいと思ったのは、学校で満の周りに渦巻くギスギスした空気やトラブルとは全く関係の無い保志香という少女の爽やかさに、疲弊した心を癒されたいという気持ちがあったからかもしれない。


 もし里中さえいなければ、もっと純粋で明るい気分で保志香に会いに来れたのに、と満は思う。


 室内の壁掛け時計の針が十一時を過ぎた頃、図書館の扉が静かに開き、保志香が顔を覗かせた。今日の保志香は先週とは違い、キャップにポロシャツとショートパンツという活発そうな印象を受ける服装をしていた。


 保志香の顔を見た瞬間、満は待ち人が訪れる喜びというものを実感する。それは暖かな風が前方から背中に向かい体の中をすり抜けていくような不思議な感覚であった。


「久しぶり」

 満を見た保志香は微笑み、軽く手を上げて満に挨拶すると、満の二つ隣の席に肩にかけていたトートバッグを置いた。そしてバッグから何冊かの本を取り出して本棚へと返しに行く。満は背の高い本棚に手を伸ばす保志香の背中をじっと見つめていた。


 すると、保志香が不意に振り返る。満は慌てて視線を本に戻したが遅かった。


「また睨んでたでしょー。私視線には敏感なんだよね」

 そう言って保志香はわざとらしく頬を膨らませる。


「に、睨んでないよ」

「でも見てたでしょ? 私何か変かな?」

 そう言って自分の服装を見回す保志香の仕草が「可愛い」と満は素直に思った。そして満は子供ながらに自分が保志香に惹かれているという事に気付いていた。


 満と保志香が顔を合わせるのはこれで二度目ではあるが、本の趣味が合う事、容姿が好ましい事、そして保志香の放つクラスメイトの女子達には無い明るくもどこかミステリアスな雰囲気。純朴な満が保志香に惹かれる理由はそれだけで十分であった。


 それだけではなく、満にはなんとなく、本当になんとなくではあるが、保志香ならば自分をこの陰鬱としている田舎町から、どこか遠くへ連れ出してくれるような気がしていたのだ。


 それは満が保志香の事をあまり知らぬからこそ、そのように大きな存在に見えてしまうのかもしれない。満もそれが自覚できぬ程子供ではなかったが、それでも保志香と同じ空間にいられる事で幸福感を感じる事ができた。


 このまま里中の事など全て忘れて、保志香と自転車でどこかへ行きたい。そんな風に満は思った。


 そして満はその日も閉館時間まで保志香と本を読み、本の話をして過ごした。


 その途中で満は、保志香の手首にザックリとした深い切り傷の跡がある事に気付いたが、その傷の事について聞く事はできなかった。

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