Tokanasosuke_

「ちくしょう」

 一度も振り返ることなく校門を出て行った相良宗介の背中を見ながら、小野寺孝太郎はどんと拳で机を殴った。

「ちくしょう……なんなんだよ、相良の馬鹿野郎……」

 何度も何度も。その痛みで、突然の別離をごまかすことなどできないのに。

「やめなよ、小野D」

 風間信二が言う。だが、彼とて同じ気持ちだった。

 友達じゃなかったのかよ。

 裏切られた、驚いた、衝撃を受けた……発露は様々だったが、相良宗介の言葉のひとつひとつが嘘ではないと、全員が理解していた。

 その空気を察して、神楽坂恵里はクラスを見渡した。授業を始める、なんていう気分には、彼女も到底なれなかった。現実的にカリキュラムを頭の中で少し組み替える。そこに、

「先生は、知ってたんですか? その……二人のこと」

 工藤詩織が手を挙げて質問をぶつけてきた。担任であれば知っているかと思ったのだろう。しかし、恵里はふるふると首を振って否定した。自分も何かにすがりたいのか、教卓の端を握る手に、力がこもっていた。

「知らなかったし……相良君も、あの話からすると……プロなのよ。私たちに知られてしまうことそのものが、失敗と言えるのでしょうね。だから……」

「だから言わなかったのかよ」

 小野寺はなおも言う。風間がそれに応じた。

「言えなかったんだと思うよ」

「友達なのにか!?」

「友達だからだよ! 危険に巻き込みたくないから。……僕はそう思ってる。だって相手は本物のテロリストなんだよ!?」

「……くそっ……」

 そんなこと、わかってんだよ。

 毒付く一言を言い出せず、彼は唇をかみしめた。


 その日の帰路。

 夕焼け空の下で空き缶を蹴飛ばしながら、川沿いの道を駅に向けて小野寺孝太郎は歩いていた。いつもみんなと通っていた商店街を避けるようにしてーー実際、クラスの連中と今日は顔を合わせたくない気分だったーー歩く。

「くそったれ……」

 自分の憂鬱の理由は、よくわかっていた。頭をがしがしと掻きながら、地面を眺めながら歩く。

 相良宗介。

 同じ男ながら、「カッコいい」と思わされた。大人というか。戦士の背中というか。なんだかよくわからない過去がある転校生だと思っていたし、仲良くなるにつれて、色々なハプニングを超えて、すげえやつだと思わされたし。

 絶対に本人には言わないが、少しだけ憧れていたところがあった。千鳥かなめがさらわれた事実も、常盤恭子が怪我をしていることもショックではあったが、それよりも、頼ってもらえなかったことが悔しかったのだ。

 空き缶をぞんざいに蹴る。こーん、と音がして、白い足元に缶が当たった。

「……あ」

 顔を上げる。そこには、髪をオールバックに固めた白皙の青年が立っていた。

 林水敦信。陣代高校の前生徒会長にして、相良が親しくしていた先輩だ。相良を安全保障なんとかとかいう役職にうまいこと据えて、二人であれこれ活動していたのは、呆れ顔の千鳥かなめがよく話していた。とんでもない秀才で、学校のために予算をどこからか工面したりしてくれた。林水会長といえば、陣代高校では一種、最高権力者とも言えたからーーここで出会うのは意外だった。商店街の道の方が駅に近いというのに。

「小野寺君だね。……気落ちしている理由はわからないでもない」

「なんで俺のこと知ってるんスか」

 尖った口調なのは自覚していたが、夕日に照らされた青年は、オレンジ色に苦笑を写して言った。

「いまの君は聞きたくないかもしれないがね。相良くんが、以前君のことを話していたのだよ。最初、クラスに転入した時に世話になったとね」

「……俺が、っすか」

「君と、風間信二くんのことは、何度か聞いている」

 少しだけ目を細めて、林水は促した。

「どうだろう。このままでは君も冷えてしまう。私は仙川駅まで行くのだが、もうすぐ学校を去る先輩の話を聞いてみる気はないかな」

「……っス」


 ほぼ初対面の二人は、駅に向かう道をゆっくりと歩く。

 林水は、陣高生が部活などで使うこの土手が好きなのだと言った。彼の言葉では、合理的ではないし、いささか感傷的ながらーーということだ。自分がこれから去るからこその感傷と笑ってくれたまえ、などとも言っていた。

「……相良君のことかな?」

「……はい。ショックで。俺」

「……憎むかね。彼と、彼女を?」

「いや、そんなことはないです! ……どっちかってぇと、なんで相談してくんなかったのかなとか……頼りなかったかなって……」

 林水はこちらを見ずに、ただ前を向いて、言った。

「それでは……信じてみるのはどうだろうか」

「……」

「もちろん君自身が決めると良いがね。私もあの二人には、この一年間で世話になったしーー人となりはある程度理解したつもりだ」

 口元に微笑を浮かべながら、彼は鞄から定期券を取り出した。黒革に銀の糸があしらわれた、妙に大人っぽいアイテムなのが印象的だった。

「もし、彼らが戻ってくるときには、あたたかく迎え入れてやってほしい。君たち2年4組なら、出来るだろう」

 駅についた。彼は「それでは」と言って片手を上げて、小野寺と反対の車線に去っていった。

「先輩!」

 その背に、叫んだ。

「なんか……なんか、ありがとうございました!!」

 スッキリはしないが。腑に落ちない気持ちはあるが。

 だが、自分が相良を、千鳥を憎んでいないことが分かったし、何より、二人の友達でいたいということがよく分かった。

 肩越しに片手を挙げた陣代高校の名君に頭を勢いよく下げて、小野寺孝太郎は北風が頬を打つ中、やおら湧き上がった感情に身を震わせた。


 その夜、腕を頭の下で組んで天井を眺めながら、小野寺孝太郎は思いにふけっていた。片手には携帯。懐かしい写真を見ていたのだ。

 なんでこんなに悔しいのか、わかった気がする。

 携帯に入っている集合写真や、思い出深い文化祭の写真、誇らしげに図書券を見せてきた相良と、苦笑しながらも楽しそうにしている千鳥の写真。

 どれもこれもが、楽しい思い出だった。等身大で、同い年の少年少女。

 だがーー

「置いていかれた気がしたんだよな。俺」

 同い年だろう小野寺からみても、どこか大人の貫禄を漂わせていた相良宗介は、同じクラスにいれば友達だったが、どこかーーどこか、彼にとって憧れの対象だった。顔貌の造形がとか、そういうのではない。

 男として、だ。

 憧れていたんだ、俺は。目標、だったんだ。

 だから、相談されなかったことが悔しかったし、戦力外だと言われているようで悲しかったのだ。

 友達だと……同じ次元にいるものだとばかり思っていたから。

 それが、なんだ。ヒロインを助けに行くヒーローではないか。千鳥も千鳥だ。あれだけけちょんけちょんにしていた相良は、お前を助けに行くために覚悟を決めてるんだぞ。こんな大騒ぎになって、戻れるのかなとか、思ってるんじゃ無いだろうな?

「水臭いじゃねえか、相良……千鳥……」

 呟くその声には、棘はもう無い。

 自分の感情の整理がついたところで、今度は考える。

 あいつらが。

 きっと戦場にいるあいつらが、もしも自分たちのことを思い出して、一瞬でも懐かしいと思ってくれたなら。最後、ひどい言葉を浴びせてしまったが、本心はこれだった。

「帰ってこいよ、二人とも」

 これを、伝えたいと思った。


「……でさ、風間。俺、考えたんだけどよ」

 翌日、小野寺は照れ臭そうに風間信二に計画を打ち明けた。


 ◆


 Tokanasosuke_ ができるまでの小噺です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きえる シーズン・オブ・メモリー エビテン @amakawa0812

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ