きえる シーズン・オブ・メモリー

エビテン

オン・マイ・オウン TO ワン・マン・フォース

 レナードの機体が差し出した手のひらに腰掛けて、かなめは静かに目を閉じた。絶望だとか、葛藤だとかは不思議と無い。ただ、地上を見ないように、未練を断ち切るかのように、拳を握りしめるだけだった。


 ふわりとレナードのASは輸送機のハッチに降り立った。ECSで姿を隠しながら、輸送機は機体を格納するや高度を上げる。焦げ臭い電子のにおいが一瞬だけかなめの鼻孔を刺激した。狭く暗い機内で、跪くようにしたASからレナードがひらりと降り立ったのが視界に入る。白いAS操縦服に身を包んで、ヘッドセットを近くにいたスーツ姿の少女に手渡していた。ちらりとこちらを見て、透明な笑みを見せる。なにごとかスーツ姿の少女に指示し、彼女がこちらに近寄ってきた。透徹でビジネスライクな笑みを口元だけに浮かべて、彼女は涼やかな声でかなめに告げる。

「こんにちは、ミス・千鳥。私はレナード様の配下の者です。キャビンにご案内します」

「……ありがと」

 自分でも力無いことはよくわかっていたが、ここまで弱っているとは……と、かなめは他人事のように思いながら少女についてキャビンを歩いた。

 トゥアハー・デ・ダナンの中も、灰色が多く硬質な雰囲気をしていたが、ここも同じくそうだった。違うのは規模と……ここが、自分がずっと敵だと思ってきた、アマルガムの手の内ということだけだった。


 かなめは小さな個室に通され、少女と二人になった。クッションなんて贅沢品はなく、硬い備え付けの椅子に腰掛けて、かなめはようやく、握りしめて白くなった拳を解く程度の余裕ができた。

 少女は名乗る気もないだろうし、こちらの話も聞く気はなさそうだ。ただ、 少女が スーツの懐に手を差し入れて、なにかを掴んでいるのは分かった。スタンガンか、拳銃だろう。無表情でもないが笑顔とも取れない、無難な表情を浮かべたまま、彼女はじっとこちらを観察している。そう、観察だ。なにかがあったら、抵抗したら、おそらく自分は即座にこの少女に組み敷かれることだろう。慣れ親しんでしまった暴力の香りが、物静かに見える少女からも伝わってきた。

 暴力の香り。

 そう、あいつがよく、あたしのために立ち上らせていた香り。

 急に、自分が遠い場所に来てしまった気がして、かなめはうつむいた。表情を少女に見せたくなかったのかもしれない。そこで、

「故郷に別れを」

 突然、 涼やかな英語で少女が言い、小さな窓の日除けを上げた。 陽光が差し込み、 突き抜ける青空が広がる。見たい気分では無かったが、暗い小部屋の無機質な中、広がる色彩が否応なく目に入った。窓から吹き付ける強烈な風に髪を煽られながら、彼女は眼下を覗き込む。

 慣れ親しんだ調布はとうに飛び越してしまっていたが、夏にテッサが東京に来たときに激戦地となった有明と、そしてビックサイトが目に入った。 あのときは、ソースケが自分を信じてくれたのか、テッサを優先したのかが分からなくて八つ当たりしてしまったが。けっきょく、あの時の話はあまりしていないが……信じてくれていたのだと今はわかる。

(ううん。わかってたんだ……あたし)

 あの頃から。

(わかってた。わかってたけど……素直になれなかったんだ)

 ソースケはあたしを信じてくれていた。でもそれを確かめたくて、彼の口から聞きたくて、あんな態度を取っていたんだと。あいつがそんな甲斐性あるはずないことくらい、分かっていたはずなのに。

 岬が見えた。

 ちょっとしたいざこざで飛び出して、変なお屋敷に連れていかれて。ソースケが助けに来てくれて、それで。なぜかうきうきして白いビキニまで買って。心の何処かで、似合うって言ってほしくて……。パラシュートで脱出したとき、ソースケの腕の中で見た夕日は、忘れられないくらいキレイだった。どきりとするくらい逞しい腕を緊張で強張らせて、ソースケはあたしを助け出してくれたっけ。

 ……ああ、もう。

 思い出すこと思い出すこと、すべてにあいつがいる。

 たったの一年も一緒に居なかったのに。なんていう、素敵な未練を残してくれたのだろう。あのとき、本当に言ってしまえばよかった。愛してると。彼は受け入れてくれただろうか?


 だから、良かった。


 これでもう、あいつは苦しまない。自分が、 敵の手に堕ちるのだから、ソースケだって安全になる。陣代高校ももう、大丈夫。あたしがいなくなれば、アマルガムはもう、ソースケにも、陣代高校にも用がないのだから。

 そう。

 それだけだ。

 海に出ると、少女が窓を閉めて、静かにハンカチを差し出した。涙が出ていることにも気付かなかったほど、かなめは疲弊していたらしい。ハンカチを断り、「自分のがあるから」と、ポケットに手を差し入れたとき、冷ややかな鉱石に気がついた。

 あいつがくれたラピスラズリ。

 部屋を出るときに咄嗟につかんで、そのままポケットに入れていた。お守りになるかな、と思いながら。もしかしたら、心の何処かで、この運命を予感していたのかも知れない。なんのことかと少女が怪訝そうな表情を示す。爆発物の可能性もあると踏んだのか、取り上げようと腕を伸ばしてきたが、かなめは小さく首を横に振った。

「だいじょうぶ……ただの石だから」

 だから、あたしとこの石を引き離さないでほしいーーとは言わなかったが、少女は害がないものと判断したようで、頷いた。

 小さな青を見つめて、かなめは 小さく嗚咽を漏らした。ぎゅっと、ラピスラズリを両手で包み込むや、もう戻れないところに来た実感が急に湧き上がってきた。

 いきたくない。

 あいつがいないところに。

 ソースケ。キョーコ。……二人とも、生き延びることができたのだろうか? レナードに負わされた怪我で、ソースケは苦しんでいるはずだ。キョーコ。レイスの応急処置だけで助かるのか。いや、助かっていてほしい……。

 いきたくない。

 みんながいないところに。

 あたしが、いなくなるだけなんだ。それだけでうまく行くし、愛しい人達も場所も、きっと、辛い思いはしないはずだ。

 理性と感情がぶつかり合い、かなめは何度も嗚咽を漏らし、ハンカチが用を為さなくなるまで涙を流した。途中から、この運命を選んだ自分への怒りも込み上げてきたし、悔しさが自分を支配する瞬間もあった。自分で選んだくせに、なにを泣いているのかと、自分への怒りで疲れ果てたところで、少女が紅茶をいれて持ってきた。

「別れが辛いのは、良いことです」

 そう言いながら、かなめに紅茶を差し出す。泣き疲れて喉も枯れていたところに、適温の紅茶が沁みた。香り高いダージリンが、あたたかさと一緒に口の中に広がり、彼女を眠りに誘った。


 そこは、夢の中だった。寄せては消える思念の波が、彼女の意識に触れた。

 時制がない空間に、何人もの少年少女の思念が絡み合っているようだった。

 太陽のような暖かい思念が、かなめに話しかけてくる。

 とっくに覚悟を決めたのに、泣いてるの?

 彼を……傷付けてしまった。あたしを守る為に。みんなを危険な目に合わせるかもしれない。

 あなたはすこし、休んで。あたしが頑張る。

 うん。すこしだけ。ありがとう。

 あたしが消えたら、次はあなた。もしかしたら、彼女かもしれないけれど。

 彼を、愛してしまった?

 そうね。きっと……そうなんだと思うけれど。


 暖かい思念は突然かき消えて、彼女の思念もまた揺蕩う。


オン・マイ・オウン to ワン・マン・フォース 完


***


お読みいただきありがとうございます。人生初めてレベルの二次創作をしました。

文庫で語られていない隙間を埋めていく感じです。

よろしければ感想でも残していっていただけますと、次につながるかもしれません!

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