9.イデア開発ツール

「よし、次はイデアスキルを試してみるか」と史郎は意気込んだ。


 本命のスキルの確認に、史郎は興奮を隠せない。

 全てのプログラマーにとって、開発ツールとは最重要な道具なのだ。

 演奏家にとっての楽器、絵師にとっての画材。それらの関係と同じだ。

 それらの道具をどれだけ使いこなせるかが、腕の見せ所になる。

 ちなみに「イデア」とはIDEA、Integrated Development Environment for Architect、つまり、設計者・アーキテクト向けの統合開発環境という意味だ。

 

「【イデア】の発動には、魔力操作で部屋をイメージする必要があります」とミトカ。

「なるほど、VRでのお絵かきソフトの作業空間をイメージだな」

 史郎はそう考え、自分を囲む4メートル立方ほどの空間をイメージして魔力で形づくり、【イデア】と唱えた。


 その瞬間、史郎の視界に映る世界が薄い色に変わり、ありとあらゆるものにポリゴンのワイヤーフレームのようなものが見える状態になった。


「これはいったい⁉」と史郎は驚く。


「イデアを起動している間、世界の時間は止まります。そして、エンティティオブジェクトの認識が可能になります」


「アプリの実行の一時停止状態だな。世界丸ごとアプリ扱いか?」


「そのようですね。実際に目にすると不思議な感じです」


 ソフトウエア開発において、VRアプリケーションを開発している最中は、開発者はVRの外側に存在していることになる。デバッグ中はVRの世界は停止しているから、この状態は理にかなっているとはいえるのだ。


「現実にこの世界にいる、という意味では、まあこういう風な実装はありなのか?」

 と、少し微妙な顔をする史郎。


「だけど、この状態で攻撃すれば最強じゃね?」

「史郎、この状態では世界に干渉できません。外部に向かって使えるのは一部の鑑定スキルに限定されます」

「なるほど。確かにそうでないとなんでもありになってしまうからな」と史郎は納得した。


「さて、今のスキルレベルで使えるコマンドは、【インスペクション】【トレース】【モデリング】【スクリプト管理】【ライブラリ管理】です」

 ミトカは指折り数えながら、コマンド名をあげた。


「おー、もしかして、これは、あれか?」史郎はにやりと笑う。

「はい、あれですね!」とミトカもうれしそうに笑って答えた。

 夫婦の会話みたいになってしまった二人だが、これらのコマンドは、史郎が開発していたツールの物と全く同じなのだ。


【インスペクション】は、見えている世界のシーングラフの情報を事細かく得ることができるコマンドだ。視点またはポインターを使って対象を選び、エンティティ情報を確認できるのだ。いわゆる【鑑定】や【解析】スキルに近い。


【トレース】は、魔術やスキルの発現ていろく(トレース)して、その詳細を知ることができるコマンドだ。


【モデリング】は、いわゆるコンピューターグラフィックスでいう3Dモデリングで、任意の形状の3Dモデルを作る機能だ。


【スクリプト管理】はトレースと組み合わせて、魔術やスキルを登録・管理できる。ある意味任意のスキルを作り出せるのだ。


【ライブラリ管理】は、【トレース】と【スクリプト管理】と合わせて、スキル作成上での共通のステップやリソースを管理できる。ソフト開発でのクラスライブラリ管理や、アイコンや画像、モデルなどといったリソース管理に相当する。


「史郎、地球でのVRでの実装とは違い、この世界での実装では、思念とイメージによる操作が最大限に使われています。なので、たいていは考えるだけでのツールの操作が可能です」とミトカは説明した。


 それを聞いた史郎は、試しに【インスペクション】を使ってみることにする。すると、史郎の視界に、赤いレーザー光線のようなポインターが表示された。


「おー、視点ポインターか? いや、必ずしも視点先でもなさそうだから、視線と思考の組み合わせか?」


 ポインターを移動し、地面に目を向けて、ポインターが当たった状態で【詳細】と史郎が念じると、ポップアップウィンドウのようなものが現れて、詳しい内容が表示された。



 名称:聖域の召喚神殿

 備考:大理石の大岩。魔力による強化

 【物理】【成分】



「こりゃ便利だな。これって、イデアスキルを介さずに鑑定として使えないのか?」

「はい、使えます。魔力操作のレベルが上がったので、もう使えますね。あとで試してみてください」

 やったね! と、史郎は喜んだ。


 【物理】はその物のサイズや質量、温度、座標などの物理計測値、【成分】は文字どおり材質の成分物質の詳細がわかる。


 いろいろとあちこち目に付くものを鑑定してみる史郎。といっても、この神殿の上にはあまり物はないのだが。


 次はトレースかと【トレース】と唱える史郎。すると、前方に1メートル立方程の光るワイヤーフレームの立方体が表示される。

 その枠内で物質化スキルによって水を生成する魔術を使うことにより、その魔術のトレースができるのだ。


 史郎が魔術を発動すると、ワイヤーフレームの左側に連結されたブロックみたいなものが作られた。

 各ブロックは魔術のステップを表し、魔術発現までに行われた処理がわかるようになっている。


「うん、思った通りの動作だね」と満足げな史郎であった。


 このブロック――3Dフローチャートとも呼べるブロック――は、名前を付けて保存し、いつでも呼び出せる。つまり、魔術の手順を新たなスキルとして登録できるのである。

 その管理が【スクリプト管理】になる。そして、再利用可能なスクリプトや、あらかじめ用意されたスクリプト、APIアクセスのためのスクリプトなどが【ライブラリ管理】から参照できる。


「うん、ライブラリには結構登録されているな」史郎は一覧を見ながら少し驚いた。


「下級魔術精霊で使える魔術が登録されています」とミトカ。


 なるほど、あとでじっくり検証しようと史郎は考えた。




 最後は【モデリング】だなと考え、「モデリング」と史郎はコマンドを詠唱した。

 すると、史郎の目の前にグリッドと座標軸が表示された。


「ツール類の選択画面がないな?」


「史郎、モデリングツールも思念イメージ操作が前提です。すべて考えるだけで操作できます」


 史郎は、とりあえず適当に形をイメージし、変形・拡大縮小などいろいろと操作して、コップをモデリングすることにした。


「思考を操作系として使えるのは本当に素晴らしいな」と史郎は感心した。


 史郎が設計したVRでは、基本タッチコントローラーでの操作が前提だった。初期のVRシステムよりはボタン数は多かったが、それでも思考での操作にはとうていかなわない。


 マウスとキーボードでせいぜい10点制御、直接タッチでも同じくらい。タッチコントローラーだと6点+8軸、両手で12点16軸、体の動きでさらに数軸制御できる程度だからだ。このモデリングツールの場合だと、思念イメージ操作で同時100点操作くらい、しかもかなりスムーズにできそうなのだ。


「史郎、さらにUIモジュールとしても思念が使えます。具体的には、史郎の設計上の3D視覚表示、2Dスクリーン表示、音声。それに加えて、〈記憶出力〉、これは思い出すような感じでの情報出力ですね、そして、〈想像出力〉、これは思い浮かべるような感じでの情報出力が使えます」とミトカがより詳しく説明した。


「モデラーの3D視覚表示と、思念による想像イメージの相互変換も可能か?」

「はい、可能です」

「ということは、精神活動の「想像」は、ローカルなシーングラフで実装されているという理論があっているということだな」と史郎は考察した。

「はい、そのとおりです」

 こうして、実際に開発ツールを使ってみて、さらにフィルディアの世界システムのアーキテクチャーと設計・実装が現実になっているのを感じて、なんだか興奮を感じ始めた史郎は、

「これは、すごいぞ!!」と思わず叫び、ガッツポーズをした。


 ここにきて、ようやく自分が設計した世界を現実として目の当たりにしたことと、思念インターフェースの凄さを実感してきて、なんだかなんでもできるような高揚感が襲ってくることに興奮を隠せないのだ。


「史郎、興奮する気持ちはわかりますが、とりあえず今日のこの後と夜を過ごす方法を確保しないと、夜が悲しいことになりますよ」といさめるミトカ。


「……まあ、確かに」

 あぁ、とりあえず落ち着こう、と史郎は深呼吸した。


「とりあえず、コップのモデルは一応セーブしておこう」と言いながら、史郎は落ち着いた後は淡々と作業を進めた。


 そして、本命である、モデルしたコップを表示したまま【物質化】を実行する。材質は二酸化ケイ素で固体、表面はガラス相転移。なので、意志力は140で高めで制御し、【物質化】と詠唱。モデルが光るとともに、半透明のすべすべした石のコップができ上がった。


「おー、コップだ!」

 さらに、物質化でコップの上で水を生成し、コップに入った水を飲んでみた。

「うん、普通においしいな」


 とりあえず、これで水の心配はないな、と安心する史郎であった。

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