11:誰より頼れるのは

 期末テストが終わり、夏休みまであと一週間を切った。

 テストの結果は上々で、両親に褒められ、臨時のお小遣いまでゲットできた。

 全ては有栖先輩たちのおかげだ。


 入学時から常に学年トップの有栖先輩はテストの一週間前に『もうすぐテストだけど勉強会開いて欲しい人いる?』とLIMEで呼びかけてきた。

 その呼びかけに対して一年の皆が応じた結果、先輩のマンションでは放課後連日勉強会が開かれることになった。


 しかも豪華なお菓子や夕食つき。

 高級マンションの15階から見る夜景は綺麗だった。

 勉強が終わった後のゲーム大会も――ちなみにゲーム機器を持ってきたのは幸太くん――とても楽しかった。


 モブとはいえ、私、この世界に転生できて良かった。

 だって日記帳の一ページじゃ書き切れないくらい、毎日が充実してるもの。


 七月の青空の下、私は涼しげな夏服の生徒たちに混じって上機嫌で校門を通り、昇降口へと向かっていた。


 上機嫌の理由はもう一つある。

 なんと昨日、拓馬が自力で冷奴ひややっこを作ることに成功したのだ。


 冷奴といえば豆腐を切って醤油、あるいはポン酢をかけるだけの超お手軽メニューだけど、とにかく拓馬の『触れた食材が腐る』という世にも奇妙な特異能力が発現しなくなりさえすればいい。


 神さまが乃亜のためにかけた呪いとも思える、あの厄介極まりない能力さえ消え去ってしまえば、後は努力次第でどうにでもなる。

 これから拓馬の料理の腕は飛躍的に上がっていくことだろう。


「ふふふー♪」

 これはもはや歴史的快挙だ。革命だ。

 苦節一ヶ月、私はついに拓馬の新しい未来を切り拓いた。


 脳内で流している歌に合わせて左手に持った鞄を振りながら昇降口に入ると、靴箱の前で立ち尽くしている由香ちゃんを見つけた。


 なんだか様子が変だ。

 怯えたような、不安そうな目で自分の靴箱を見ている。

 由香ちゃんは最近元気がない。

 会話していても、沈黙した拍子にふと重いため息をついたり、物憂げな表情を見せる。

 悩み事があるなら聞くよと言ったけれど、大丈夫とやんわり断られてしまったし。


 もどかしい。

 何かあるなら力になりたいのに。

 由香ちゃんとは、そういう友達になりたいのに。


「おはよう、由香ちゃん」

 早足で歩み寄る。


「あ、悠理ちゃん……おはよう」

 由香ちゃんは弱々しく笑った。

 あまり眠れていないのか、目の下にうっすらと隈がある。


「どうしたの? 靴、履き替えないの?」

「うん……」

 由香ちゃんはためらいを見せてから、靴箱の蓋に手をかけた。

 蓋が開いた途端、三通もの封筒がバラバラとすのこに落ち、一通は風に乗って由香ちゃんのローファーの上に落ちた。


 差出人は同一人物らしく、どれも同じファンシーな熊の封筒で、裏側には赤いハートのシールが貼られてある。

 古典的なハートのシールからして、差出人が何のために手紙を書いたのかは瞭然。


 しかも由香ちゃんの靴箱の中の上履きには、まだいくつか封筒が乗っていた。

 数えてみると、落ちた封筒と全部合わせて七通。

 ここまでいくと狂気を感じる。


「…………」

 由香ちゃんは足元に散らばる封筒を見て真っ青になり、ふらっ……とその小柄な身体を傾けた。


「由香ちゃん!」

 慌てて由香ちゃんの身体を抱き留める。

 由香ちゃんは私に縋りつくようにしてその場に座り込んだ。


 周囲にいた生徒たちが「何」「どうした」と私たちを見ている。

 見ているだけで、積極的に関わろうとしてこないのは幸運だった。


「も、もう無理……もうダメ……こうなったら転校するしか……」

 私の腕の中で、由香ちゃんは頭を抱えて震えている。


「どうしたの、ののっち、中村さん」

 幸太くんの声が聞こえて、私は由香ちゃんを抱いたまま顔を上げた。

 登校中に偶然出会ったらしく、幸太くんと拓馬が歩いてくる。


「え、なにこれラブレター? 全部同じ封筒に見えるんだけど。どういうこと?」

「詳しい話は後だろ。中村さん、立てる? 保健室連れて行こうか?」

 拓馬が屈んで言う。


「大丈夫……」

 由香ちゃんは苦痛に耐えるようにきつく目を閉じた後、封筒を集めて立ち上がり、また弱々しく笑った。青い顔で。


「心配かけてごめんね。大したことじゃないの」

「そんなわけないでしょう。どう見ても」

 私が腕を掴むと、由香ちゃんは諦めたように項垂れた。

「ねえ由香ちゃん、どうしたの。何があったの。教えて」





「きっかけは一週間前なの」

 朝のホームルーム前の教室で、由香ちゃんは事情を話し始めた。


 聞いているメンバーは私と拓馬と幸太くん。

 教室の一角から、吉住さんの眼差しをひしひし感じる。

 私は拓馬に加えて、拓馬に匹敵するイケメンで人気者の幸太くんまで名前呼びにしているので、さぞ不愉快に違いない。


 それでも彼女の一派が何もしてこないのは拓馬ががつんと言ってくれたから。

 推測にしか過ぎないけれど、私はそう思っている。


「電車通学の私は朝、ごった返す駅のホームで生徒手帳を拾った。ちょうどその人のポケットから落ちるのが見えたんだ。走って追いかけたのはいいんだけど、問題はその後でね。息を切らして届けた私が女神に見えたとかで……告白されてもきっぱり断ったのに、何度言ってもしつこくて……いまじゃストーカーみたいになっちゃって……もうどうしたらいいのか……」

 由香ちゃんは泣きそうだ。


「勘違い野郎につきまとわれて迷惑してるってわけか。中村さん可愛いし、おとなしいからなー。多少強引にでも押せば落ちると思われてんだろうな」

「落ちたくない……」

 幸太くんの台詞を受けて、由香ちゃんが顔を覆う。


「名前とクラスはわかるの?」

 拓馬が冷静に聞く。


「うん。二年一組の、井田っていう先輩」

「一組か。三組なら知り合いの先輩がいたんだけどな」

 拓馬は悔しそうに言って後頭部を掻いた。


「……拓馬が由香ちゃんの彼氏のフリをするっていうのはどうかな? 井田先輩が諦められないのは、由香ちゃんがフリーだからっていう理由が大きいと思うし」

「おれ?」

 拓馬が面食らった顔で自分を指さす。


「うん。あなた」

 大きく頷く。


「え、でも、迷惑じゃ……」

 私はおろおろしている由香ちゃんの背中をぽんと叩いた。

 由香ちゃんが口を閉ざす。


「お願い。由香ちゃんは私の大事な友達なの。安心して任せられるのは拓馬しかいないの」

 縋るように見つめながら、私はもう一度由香ちゃんの背中を叩いた。

 すると、由香ちゃんはきゅっと唇を結んで、

「迷惑かけてごめんね、黒瀬くん。でも本当に困ってるの。どうかお願いしますっ……!!」

 身体の前で手を傘ね、腰を折って深く頭を下げた。


 幸太くんが拓馬を見る。その口元には面白がるような笑み。

 拓馬は仏頂面で頬を掻き、お馴染みの台詞を言った。


「……別に。いいけど」

 それなりに付き合いの長い私には、この台詞が拓馬の照れ隠しであることを知っている。


「ありがとうっ……!!」

 由香ちゃんは喜びに頬を上気させ、花のような笑みを浮かべた。

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