12:バッドエンドを吹き飛ばせ!

「ののっちさあ、本当に良かったの? 嘘とは言え、拓馬に親友の彼氏役なんて頼んじゃって」

 自分の席に座り、鞄の中身を移していると、幸太くんが寄って来た。


「うん。拓馬に任せておけば大丈夫でしょ? 放課後井田先輩を屋上に呼び出して、由香ちゃんはおれの彼女なんだからつきまとうなって拓馬がはっきり言ってくれて、万事解決。一件落着。でしょ?」

 それのどこに問題が? と、私は首を傾げた。


「……甘い。ののっち甘いわ。購買で売ってるダブルクリームアンパンよりも甘いわ」

 額を押さえ、首を振る幸太くん。


「相手は一度に七通ものラブレターを送り、止めてと言っても中村さんに付きまとうストーカーだよ? ののっちはストーカーの執念を甘く見過ぎ。拓馬を連れて行って、彼氏ができましたって言ったところで、はいそうですか、なんて言うと思う? 中村さんを勝手に自分の中で神聖化して、女神なんて言っちゃうヤバい人だよ? 下手したら拓馬が彼氏と知った途端に『よくも俺の女神を汚したな!』なんて逆上する恐れまであるぜ」

「まさか。そんなこと……」

 恐ろしい光景を思い浮かべてしまい、私は激しく狼狽えた。


「うん。これはあくまで最悪を想定しての話。オレもこっそりついていく予定だから、そこまで気にしなくていいよ。もし井田先輩が暴れても、二人がかりなら押さえられるはずだし。ただ可能性としてはゼロじゃないってことで、一応言っといただけ」

 幸太くんはシリアスな空気を払うように、手を振った。


「井田先輩がそこまでの馬鹿じゃなかったとしてもだ。拓馬が中村さんの彼氏だと確認するまでは諦めないと思うんだよな。オレの予想では、しばらくストーカー行為を止めない。必然的に拓馬は彼氏役を続行せざるを得ない。そしてそのうち――二人の間に愛が芽生えたりしちゃったりして?」

 幸太くんは悪戯っぽく笑って、両手の人差し指と親指でハートを作ってみせた。


「………………えっ?」

 思いも寄らない言葉に、思考が停止する。


「ほら、なーんかいい雰囲気じゃない?」

 振り返れば、拓馬と由香ちゃんはさきほどの場所で話し合っている。

 作戦会議は終わったのか、拓馬は楽しそうな笑顔で。

 そして由香ちゃんは口元に軽く握った手をやり、恥ずかしそうに頬を染め、はにかんだ笑みを浮かべている。

 奥手な由香ちゃんが男子と笑っているなんて珍しい。


「………………」

 由香ちゃんは小柄で、可愛くて、引っ込み思案で、見る者の庇護欲を掻き立てる。

 同性の私でも『守ってあげたい』と思わせる由香ちゃん。

 それが異性ならなおさら、由香ちゃんの魅力に惹かれてもおかしくないのでは……?


 汗が一滴、頬を滑り落ち、すーっと体温が下がっていく。


 …………あれ?

 私、ひょっとして選択肢を間違えた?


 親友のピンチと知って、とっさに拓馬に頼ってしまったけれど、本当は幸太くんに頼むべきだった?


 よりによって拓馬に彼氏役を頼むなんて、致命的なミスを犯したのでは?


 これがもしゲームならバッドエンド直行じゃない?


 選択肢を選んだ瞬間、画面が急に暗転して『それからⅩ年の月日が流れた』とかって表示されるわけよ。

『あ、これバッドエンドだわ』ってすぐわかるの。


 エンディングでは二人の結婚式スチルを背景に『新郎の拓馬さんは新婦の由香さんをストーカーから助け、それがきっかけで二人の仲は急速に~』とかなんとか司会のお姉さんが笑顔で語るの。


 ウェディング姿の二人は壇上で幸せそうに微笑み合い、二人の指にはお揃いの指輪、独身の私は新婦友人席で二人を祝福したい気持ちとあの日の後悔がない交ぜになった複雑な表情で拍手を送り……


「……二人とも私の友人だからご祝儀は六万が妥当かな……そう、新婚旅行はイタリアなの。ロマンチックなのね……ああ、『リモンチェッロ』は拓馬の口に合うんじゃないかな、是非飲んでみてね、行ってらっしゃい……」

「…………っち。なあ、聞こえてる? ののっち、しっかりして!」


「おいこら馬鹿。幸太が心配してるだろうが、いい加減アホな妄想は止めて戻ってこいっ!!」

 壊れた自動人形のように、頭をかくかく揺らしながら低い声で笑っていると、右のこめかみに衝撃が走った。


 その衝撃で我に返る。


 たちまち妄想が消え、見慣れた教室が視界に映し出された。


 いつの間にか、右肩に大福がいる。

 さきほどの衝撃は、彼が体当たりしたことで生まれたものらしい。


「本当にお前は手間のかかる。拓馬が乃亜以外の女子に心を動かされることはないと何度も言っているだろうが。拓馬が自分の意思で自由に恋できるようになるのは、乃亜が拓馬を運命の相手に選ばなかったときだけ。どれだけいい雰囲気になろうと、拓馬が由香と付き合うことになるなんてありえないんだよ」


 大福は怒ったように言い、前足を上下に振った。


「バッドエンドとか、イタリアがどうとか言ってたけど、マジでどうしたの? リモンチェッロって何?」

 幸太くんは白いハムスターに気づかずに尋ねてきた。


「リモンチェッロはレモンの皮を使ったリキュールで……いや、興味を持っちゃダメ」

 未成年に何を言ってるんだ、と反省しながら額を押さえてかぶりを振る。


「私が言ったことは忘れて。ちょっとおかしくなってただけなの」

「全然ちょっとじゃない。完全に狂ってただろうが」

 私は大福を軽く叩いて黙らせた。

 傍目には肩の埃を払ったように見えたことだろう。


「本当に大丈夫なの?」

「うん。大丈夫だから気にしないで。でもそうか、そうだよね……」

 もう一度、髪を揺らして振り返る。

 拓馬が面白いことでも言ったのか、二人して大笑いしている。


 由香ちゃんが男子とお腹を抱えて笑うなんて、記憶にない。


「本当にカップルになる可能性だってあるんだよね。……まあ、私には関係ないことなんだけど。それならそれで、うん。由香ちゃんは凄く良い子だもん、拓馬が惹かれるのもわかるよ。もしそうなったら美男美女カップル誕生ってことで、親友としては祝福しないとね、あはは……」

 後頭部を掻いて笑う。すると。


「…………ぶはっ」

 とうとう我慢できなくなった、といわんばかりに、幸太くんが噴き出した。

 床に蹲り、私の机の縁を右手で掴んで肩を震わせる。


「幸太くん? どうしたの?」

「どうしたのって、いや、もうほんと、わかりやすすぎて。腹痛え」

 幸太くんは笑いながら私の机を叩いた。


「わかりやすいって、何が?」

「ふふ、いや、こっちの話。意地悪してごめん」

 どうにか笑いを堪えて立ち上がり、幸太くんは目の端に浮かぶ涙を指で拭い、

「予鈴鳴るし、また後でな」

 ひらひらと手を振って、自分の席に戻って行った。


「……? ねえ、なんで幸太くんは笑ったんだと思う?」

「わかるけど言わない」

 大福はそう言って、姿を消した。


「??」

 一人残された私には、何がなんだかさっぱりわからない。


 ◆   ◆


「あー、可笑し」

 ののっちにはちょっとしたストレスが発散できるほど笑わせてもらった。


 本当にののっちはわかりやすい。

 なんで拓馬は気づかないかねえ?

 あれほどわかりやすい女子はそうそういねーのに。


 とはいえ、笑ってばかりもいられない。

 事態はそれなりに深刻だ。


 幼稚園からの親友が逆上したストーカー野郎に殴られるなんて展開は、ちょっと遠慮したい。


 自分の席に戻ったオレは、前の席の男子が絡んで来るのを適当にいなしつつ、ポケットからスマホを取り出した。

 素早くロックを解除し、LIMEの画面を開く。


 ののっちは良い子だ。

 有栖先輩が開いてくれた勉強会で、オレが数学が特に苦手だと知り、参考書を買ってプレゼントしてくれた。

 ちょうど期末テストの四日前がオレの誕生日だったのだ。


 この本私も使ってるんだけどわかりやすいよ、と丁寧に包装された本を差し出しながら、ののっちは笑った。


 もちろんストーカーの直接の被害者である中村さんのことは心配だけど、ののっちの精神状態も心配だ。

 二人が付き合うかもしれない、という可能性をほのめかしただけであの反応。

 もし本当にカップル成立、なんてことになれば倒れてしまいかねない。


 彼女のためにも、さっさと片付けよう。


『おはようございます。ちょっと相談に乗って欲しいことがあるんですけど。クラスメイトの女子が二年の先輩にストーカーされてて困ってるんです』


 オレは有栖先輩にメッセージを送った。


 実家の権力、豊富な人脈、卓越した頭脳、必殺の毒舌。

 さらにもれなく武道の達人(陸先輩)付き。

 敵に回せばこれほど恐ろしい人はいないが、味方にすればこれほど頼もしい人はいない。


 ちょうどスマホを見ていたらしく、すぐに既読がついた。


『詳しい話を聞かせて』


 よし、勝った。

 スマホの画面を眺めて、オレは会心の笑みを浮かべた。


 有栖先輩が協力してくれるなら、もう怖いものなんかない。

 井田先輩、ストーカーとしてのあんたは今日が命日だぜ?

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