09:大福の複雑な胸中

「レモンスカッシュとクッキーのお礼に、今度は僕がお茶会に招待するね」

 二時間ほど続いたお茶会の締めくくりは白石先輩の笑顔だった。

 帰り際にLIMEのグループ『有栖のお茶会』に招待してもらった後、私と拓馬は本屋とスーパーへ寄って料理本と日記帳と食材を買った。


「夕食出来たら連絡するね」

「ああ。じゃあ」

 夕方の五時半過ぎ。

 アパートの203号室の玄関先で、それまで持ってもらっていた荷物を受け取り、私は拓馬と別れた。


「ただいまー」

 鍵を開けて扉を開くと、

「お帰りー」

 淡いピンク色の玄関マットの上にいた大福が出迎えてくれた。


 後ろの二本足で立ち、つぶらな瞳で見上げてくる大福は今日も変わらず可愛い。

 大福の住居はリビングの隅に置いたプラスチックの衣装ケースの中だけど、彼はどんな場所にでも自由にワープすることができるので、気が向いたときはこんなふうに出迎えてくれる。


 気が向かないときはプラスチックの衣装ケースの中で寝そべって、私が砕いたポテチをのんびり齧っていたりする。


 もちろん普通のハムスターにポテチをあげてはいけない。

 私も最初は「オイラはハムスターの形を取ってるだけだから人間の食べ物を食べても平気だ」と言われても半信半疑で「いやでも見た目まるっきりハムスターなのにポテチはダメでしょ。おとなしくペレットや野菜食べてなさい」と断っていたんだけど。


 大福を飼うことにした翌日、深夜に奇妙な音で目を覚まし、足音を忍ばせてそうっと台所に行ったら大福が買い置きしていたポテチの袋を開け、ほお袋を一杯にしているという衝撃的な現場を見てしまったのだからしょうがない。


 だってこのハムスター、戸棚の中にワープできるんだもん。防ぎようがないじゃない?


 実際にポテチだろうとチョコレートだろうとアスパラガスだろうと食べても平気な顔をしているので、私の中で大福は「ハムスターの形をした何か」だと思っている。


 繰り返しますが絶対に普通のハムスターにこんなものあげちゃだめです!

 最悪死んでしまいますから!


「今日は随分と荷物が多いな。一週間分の食料でも買い込んできたのか」

 鼻をひくひくさせて匂いをかぎながら、大福。


「ふふふ。聞いて驚きなさい、なんと今日から私、拓馬に手料理を振る舞うことになったのです! 今日のメニューはハンバーグだよ! 色々考えたんだけど、やっぱり食べ盛りの男子高校生っていえば肉かなって。肉と言えば焼肉かなとも思ったけど、さすがにそれはね。経済的な面から諦めざるを得なかったわ」

 私は靴を脱いで、そのまま廊下を歩いた。

 大福も短い足を動かして後をついてくる。


「そうか。ついにお前の手料理を食べるようになったんだな。レモンの蜂蜜漬けを拓馬が食べたときから、いずれこうなるとは思っていた」

「……邪魔するの?」

 荷物をまとめて冷蔵庫の前に下ろし、私は大福の前に跪いた。

 キッチンマットの感触がひんやりと冷たい。


「いや。拓馬の悲惨な食生活を考えれば、身近にまともな料理を作り、提供する人物が現れたのはむしろ喜ばしいことだ。乃亜が現れるまで拓馬はベストコンディションでいてくれなくては困る。悠理がその手伝いをしてくれるというのなら、応援こそすれ、邪魔なんてとんでもないよ」


「……私って、やっぱりどうやっても乃亜が現れるまでの繋ぎにしかなれないの? 拓馬の彼女にはなれない?」

「最初から言ってるだろう。モブはヒロインには勝てない。それが運命だと」

「納得できない」

 私は『神』と額に書かれた大福を真摯に見つめて言った。


「そうか。ならせいぜい足掻いてみればいい。悠理が何をしようと、オイラは不干渉を貫くと約束しよう。乃亜が現れるまで、好きに過ごせばいい」

「……大福は私の味方になってくれないんだよね」

 突き放すような言い方が悲しくて、つい愚痴のように零してしまった。


「不可能だ。言っただろう、オイラは神の使い、運命の守り手だと。オイラが守るべきはモブじゃなく、ヒロインと拓馬の未来だ。それが神の意思だ。逆らうなんてとんでもない」

「……そっか。そうだよね。変なこと言ってごめん」

 私は立ち上がり、買って来た牛乳やら豆腐やらを冷蔵庫に入れ始めた。


「やっぱりオイラ、出て行こうか」

「え」

 思わぬ声に振り返ると、大福が二本足で立っていた。


「お前にとってオイラは敵でしかない。オイラがいると不愉快だろう」

「そんなことないよ!」

 私は慌てて冷蔵庫を閉め、再び跪いた。


「勘違いしないで、そりゃ、味方になってもらえないのは残念だけど、それとこれとは話が違うでしょ! 私、大福がいてくれて嬉しいんだよ。家に帰ってきたらお帰りって言ってくれるじゃない。それがどれだけ得難いことか、私は知ってる」


 前世の私は独りだった。帰って来ても部屋は暗く、「ただいま」と言っても「お帰り」と言ってくれる人はいなかった。


 生まれ変わって、新しい家族ができて、家の中は賑やかになったけれど、だからこそ、高校に入って一人暮らしをするようになって、また誰もいない部屋に帰ることになって、寂しさが募った。


 その寂しさを消し飛ばしてくれたのが大福だ。

 このハムスターは人語を喋り、学校へ行く私を「行ってらっしゃい」と送り出し、帰ってきたら一緒にテレビ見たり、ときには私の作った料理を摘まみ食いして「塩分が濃すぎる」と突っ込みを入れてくれた。


 私の目にしか映らず、私にしか触れず、写真にも鏡にも映らない、神さまの使いを名乗る不思議なハムスター。


 大福と出会って、私はアパートに帰ることが楽しみになった。


「私は大福と会えて良かったと思ってるよ。大福が乃亜の味方で、将来決定的に敵に回るっていうならそれでもいい。一年後、乃亜が現れるまでの間だけでもいいからここにいてよ。夜中に回し車で走る音が聞こえなくなったら嫌だよ。大福がいなくなったら寂しいよ。お願いだからいなくなるなんて言わないで」

 懇願すると、大福はキッチンマットの上でしばらく動かず、やがて、ぽつりと言った。


「……変な奴だなあ、悠理って。オイラは敵だって言ってんのにさ」

 大福は前足で鼻を掻いた。


「敵っていうほど大げさなものじゃないでしょ。拓馬との恋においては乃亜ライバルの味方なのかもしれないけど、それだけじゃない」

 大福は無言で、私に背中を向けた。


「大福?」

「……オイラが神さまから与えられた使命は乃亜ヒロインの恋を見守ること。乃亜が運命の相手として拓馬を選んだ場合、妨げとなる存在は排除する。たとえそれがお前であろうと、誰であろうとだ」

「うん。知ってる」

「……でも……」

 酷く言いづらそうに、大福は小さな声で言って、ますます背中を丸めた。


「でも?」

「……使命を抜きにして、本音を言うことを許されるなら。乃亜が拓馬じゃなくて、他の相手を選べばいいと思ってる。そしたらお前が拓馬と恋をしても自由だし」

 私は目を見開いて、大福の背中を見つめた。

 大福はぼそぼそと、聞き取りづらい声で喋り続ける。


「……こんなこと神さまに言ったら怒られるだろうけど。オイラだって好きでお前の邪魔をしたいわけじゃ――」

「大福愛してるっ!!」

「ぐえっ」

 私は大福を顔の高さまで持ち上げ、潰れた蛙のような悲鳴を上げる大福に構わず、全力で頬ずりした。

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