08:お茶会にて、手料理の約束を

 体育祭が終わった翌日。土曜日の午後二時過ぎ。

 私は高級マンションの15階にある一室で、四人のイケメンたちに持参した――といっても、実際にここまで運んでくれたのは拓馬だ――クッキーとレモンスカッシュを振る舞っていた。


「うん、美味しい。甘すぎず苦すぎず、ベストな味だね」


 この部屋の主人である白石先輩は上品に微笑み、その右隣では赤嶺先輩が美味しいのか不味いのか判断しづらい無表情でレモンスカッシュを飲み、左隣では緑地くんが市松模様のアイスボックスクッキーを頬張っている。


 私は拓馬と一緒に、白石先輩たちの対面のソファに座っていた。

 上質なレザーのソファは快適な座り心地だけれど、一体いくらするんだろうという庶民根性が頭をもたげ、なんだか落ち着かない。


 部屋は広く、掃除が行き届いていて、花瓶には鮮やかな青いデルフィニウムまで飾ってある。

 まるでモデルルームのようだ。


「白石先輩のお口に合ったなら何よりです」

「オレにはちょっと苦いかなあ」

 食べ終えて粉のついた指先を舐め、緑地くんが零す。


「アイスボックスクッキーはこんなものだよ。でも幸太には甘みが足りないか。野々原さん、せっかく作ってくれたものに手を加えて悪いんだけど、グラニュー糖を足してもいいかな?」

「もちろんどうぞ」

 愛想笑いを浮かべながら、レモンスカッシュのストローに口をつける。

 吸い上げても、緊張しすぎて味がしない。

 しゅわしゅわとした炭酸が喉を通り抜けていくだけ。


 なんでこんなことになったかといえば、原因は拓馬である。


 レモンの蜂蜜漬けはひと瓶丸々残っていて、炭酸水で割ってレモンスカッシュにしても五人分以上作れると知った拓馬が「それなら幸太や知り合いの先輩たちにも振る舞ってよ」と頼んできたのだ。場所は白石先輩が提供してくれるから、と言って。


 まさかこんな形で『有栖のお茶会』に参加することになるとは。

 もう完全に諦めてたのに。


 ヒロインが『有栖のお茶会』に参加するためにはいくつかのイベントをこなし、白石先輩の好感度を上げておく必要がある……はずなんだけれど、私は白石先輩と事前に何の交流もないまま、ここにいることを許された。


 フラグ管理も何もあったものじゃない。全くの成り行き。

 だからこそ、これがゲームなんかじゃなく、私の行動次第でどうとでもなる現実だということを思い知らされた。


 赤嶺先輩が立ち上がり、しばらくして蓋付きの陶器を手に戻って来た。

 所要時間からして、わざわざグラニュー糖を陶器に入れてきたようだ。


 赤嶺先輩は白石先輩の世話係。いうなれば従者である。


 白石先輩は世界的にも有名な白石グループの御曹司で、赤嶺家は代々白石家に仕えているらしい。このマンションにも二人はルームシェアという形で暮らしていて、家事は全て赤嶺先輩が担当している。


 とはいえ、白石先輩が家事できないというわけではない。

 やればできるけれどやらないだけ、だそうだ。


「んじゃ遠慮なく」

 緑地くんが陶器の蓋を開け、クッキーにグラニュー糖をかけ始めた。


「かけすぎだろうそれは。糖尿病になるぞ」

「心配性だなあ陸先輩は。こんくらい大丈夫だよ」

 赤嶺先輩の苦言を流し、緑地くんがグラニュー糖を盛ったクッキーをまとめて二枚摘まみ、口に運ぶ。


「うん、うまい。やっぱりお菓子は甘くなきゃな!」

 その表情は幸せそうだ。

 そういえば緑地くんは大の甘党だった。

 彼はアイスボックスクッキーよりもクリームたっぷりのケーキのほうが喜んだことだろう。


「お子様だよな、幸太は。これくらいの甘さがちょうどいいのに」

 拓馬がクッキーを一枚摘まむ。


「あー、そっか。拓馬は甘すぎるの苦手だもんな。知っててアイスボックスクッキーにしたの?」

「え?」

 そうなの? と、拓馬が目で問いかけてくる。


「ええと、それはその」

 知っていた。でもそれはゲーム内で得た知識だなんて言えず、私は頭をフル回転させて言い訳を探した。


「昼休憩のとき、たまに購買のパンと一緒にコーヒー飲んでるじゃない? でも、ブラックや微糖のときはあれど、ココアやカフェオレは飲んでるとこ見たことなかったから、甘いのは苦手なのかなって。手料理が苦手になったきっかけはバレンタインデーにもらったチョコに髪の毛が入ってたことだって言ってたし、甘い物全般ダメなのかなって」

 ナイスだ私! と自画自賛しながら述べると、緑地くんは目を見張り、白石先輩は「ふうん」と微笑み、赤嶺先輩はやっぱり無表情。


 拓馬はなんとも形容しがたい顔をしている。


「……? どうかしました?」

 皆が何を思っているのかわからず、私は戸惑った。


「いやー、感心したわ。拓馬のことよく見てるんだなー、なるほどねー。拓馬にも春が来たかー。思えばクラス対抗リレーでも野々原ちゃんが落とした順位を拓馬が全力で戻してたもんなー。あれはそういうわけかー」

 腕組みして、緑地くんが何度も頷いている。


「……野々原ちゃんって」

「あ、ダメ?」

 子犬みたいに可愛らしく首を傾げられ、私はたちまちその魅力に屈した。


「ううん、どうぞ」

「やった、じゃーこれから野々原ちゃんね。本当は親しみを込めて悠理ちゃんって呼びたいけど、それだと拓馬に怒られそうだし?」

 緑地くんが口に手を当て、ニヤニヤしながら拓馬を見る。


「なんで呼び方一つでおれが怒るんだよ。呼びたきゃ好きに呼べば? こいつがいいって言うならな」

 拓馬はガラスコップを持ち上げ、中の氷がぶつかる涼しげな音を立てながら、ストローを咥えた。


「こいつだって。もう完全にカレカノ――」

「幸太」

 白石先輩がにこやかに笑い、ずびしっ! と緑地くんの脇腹に手刀を入れた。

 緑地くんが息を詰まらせ、打たれた箇所を押さえて身体を丸める。


 け、結構良い音がしたぞ?


「無邪気さは君の長所だけど、余計な一言によって二人の仲がこじれて破局、なんてことになれば恨まれるよ? 発言はよく考えてしようね?」

 にこにこしながら白石先輩が言う。


「すみませんでした……オレの発言は気にしないでください……」

 息を荒らげて震えながら、緑地くん。


「う、うん……」

 冷や汗が頬を流れる。

 白石先輩は極力怒らせないようにしよう。


 拓馬ルート以外はプレイしてないけど、白石先輩の本当の一人称は「俺」で、猫かぶりの二重人格だって、実は私、知ってるんです。


「でも僕も驚いたな。拓馬が他人の、それも女子の手料理を受け入れるようになるとはね。酷いときは吐いたりしてたでしょう。これでも心配してたんだよ?」

 視界の端で悶絶している緑地くんのことは目に映っていないのか、微笑みを顔に張り付けたまま白石先輩がレモンスカッシュを手に取り、飲む。


 彼の所作は一つ一つが綺麗だ。

 どの場面を切り取っても絵になり、育ちの良さがわかる。


「心配かけてすみません。でも大丈夫です。悠理のことは信用してますから」

 信用してる――その一言が、私の胸を熱くした。


「あ、あのさ、拓馬」

 ちょうどいい機会だ、言ってしまえ。

 ここで言えば、きっと拓馬に好意的な白石先輩たちは後押ししてくれるはず。


「何?」

「良かったらその……これから私が料理を作ったりするのはダメ、かな?」

「え」

 拓馬は目を丸くした。


「それは名案だね」

 白石先輩がにっこりして、胸の前で手を合わせた。


「名案って」

 拓馬が不満げな顔を向けたけれど、白石先輩は笑顔を崩さなかった。


「名案だよ。拓馬は手に触れた食材を一瞬で劣化、あるいは腐敗させる非常に稀有な才能の持ち主だ。食べられないゴミしか作れない自覚があるから料理しないんでしょう? でも、この先ずっとコンビニ弁当やスーパーの総菜でごまかし続けるのにも限界がある。栄養も偏るし、身体に良くない。拓馬だっていい加減似たようなローテーションの繰り返しで飽きてきたんじゃないの? そろそろ実家の手料理が恋しくならない?」


 拓馬は答えない。

 白石先輩は黙っている拓馬から、私へと視線を移した。


「というわけで、拓馬のことよろしくね、野々原さん。あ、ちゃんと費用は拓馬に請求してね。何事もギブアンドテイクだ。一方的に与えてばかりの関係は絶対に破綻する。長く拓馬の世話を焼きたいと思うならなおさら、お金のことはうやむやにしないこと」

「はい。食費をどうするかはこれから二人で決めていきます」

「うん」

「……おい。決定事項なのかよ」

 拓馬が眉をひそめて、私を軽く睨む。


「そのつもりだけど。やっぱり嫌? あ、もしかして、お菓子は良くても、本格的な手料理となると身体が受け付けない……かな?」

 拓馬のために、良かれと思っての提案だったけれど、独りよがりだったかもしれない。

 不安になって、私は膝の上で手を揉んだ。


「そういうわけじゃねえ……いや、試してみないことにはわからねえけど。多分大丈夫だと思う。けどさ。おれの分まで作るのは面倒だろ」

「そんなことないよ。そりゃここにいる全員分となると大変だけど、二人分なら余裕だよ。私が使ってるフライパンや鍋とかも大きめだし。二人分作ったほうが水道費や光熱費的にもお得だと思うし、料理の手間は大して変わらないよ」

「……本当にそうか?」

 拓馬が最終確認のように、真顔で尋ねてきた。


「うん。拓馬が良いなら、私は拓馬のために料理を作りたい」


「…………!!」

 緑地くんが何やら大いに感動した様子で口を両手で覆っている。

 赤嶺先輩は鉄壁の無だけれど、白石先輩は笑顔だ。


「……。別に。いいけど」

 拓馬は目を逸らし、ぶっきらぼうに言った。


「拓馬」

 これまで黙っていた赤嶺先輩が低い声で名前を呼んだ。

 目に殺気が籠っている。

 さすがの拓馬も怖いらしく、ぎくりと身を震わせた。


「そーだ拓馬、せっかくののちゃんがお前のために料理してやるって言ってんのにその言い方はねーぞ!」

 さらっと呼び方を変えた緑地くんがブーイングを出し、白石先輩は微笑んでいる。ただしその微笑みには奇妙な迫力があった。


「……わかったよ」

 三人からの圧力に屈したらしく、拓馬が改めて私に向き直る。


「……よ」

 拓馬は一瞬視線を泳がせ、わずかに頬を赤くして、頭を下げた。


「よろしく。お願い、します……」


 いかにも照れくさそうな、尻すぼみになっていく声を受けて、

「――っ!!」

 心臓がきゅーっと引き絞られ、高級絨毯が敷かれた床に身を投げ出して転がり回りたくなった。


 ぎゃああああ可愛い何だこの人可愛いやばい惚れるというか既に惚れている!!

 

「こ、こちらこそ、よろしくお願い致します。美味しい料理が作れるよう、誠心誠意努力いたす所存です」

 ぎくしゃくとした動きで頭を下げると、ギャラリーから拍手が起こった。

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