02:とあるモブの空回り
恥ずかしながら、前世の私は男女交際経験ゼロのまま二十七歳の生涯を閉じた。
そんな私に大人向けの乙女ゲームは生々しく感じられ、その結果、私はファンタジーものや学園ものを好んでプレイしていた。
『カラフルラバーズ』もその一つで、私もこんな高校生活送りたかったなーなんて思いながら微笑ましく拓馬と乃亜の恋を見守っていた。
しかし、だ。
「まさかモブとして転生することになるとはねえ……」
夜七時。
私は紺色のエプロンを締め、キッチンで人参を短冊切りにしていた。
夕食の献立のメインディッシュは野菜炒めだ。
今日は引っ越しの後片付けで疲れたので、比較的簡単なもので済ませるつもりだった。
「乙女ゲームの世界っていっても、視界の左上に日時が表示されたり、好感度ゲージが表示されたりすることはないんだなあ」
ぼやきながら、刻み終えた人参をボールに入れ、種を取ったピーマンを細切りにしていく。
料理は好きだし、得意なほうだと思う。
家庭環境のおかげだ。
野々原家の食事は当番制で、私も妹も中学に上がった頃から当番に組み込まれた。
といっても、私の担当は土曜日、妹は日曜日の週に一度だけ。
平日はお母さんが作ってくれていた。学校で食べるお弁当も。
お母さんは偉大だ。
炊事に洗濯に掃除等、家のメンテナンスをほとんど一人でしてくれてたもんね。
もちろん外で一生懸命働いてくれているお父さんにだって感謝しなきゃいけない。
私が立派に育ったのも、お父さんが外で働き、お母さんがきちんと家を守ってくれたおかげです。
お父さん、お母さん、本当にありがとう。
うちの学校はアルバイト禁止で、家計の手助けができないのは心苦しいけれど、決して散財せず、学生らしく勉学に励むことを誓います!
私は高ぶる感情のままに、凄まじい速さで次々と野菜を切った。
全ての具材を切り終えて、フライパンにサラダ油を入れ、豚肉を炒めていく。
色が変わったところで豚肉を皿に移し、空いたフライパンに野菜を投入。
人参、玉ねぎ、ピーマン、キャベツ、もやし。
それから肉を戻して調味料を入れ、馴染ませて野菜炒めの完成。
菜箸で野菜を摘み、味見してみる。
うん、美味しい。
野菜はシャキシャキだし、味もよくしみ込んでる。
100点つけてもいいんじゃないかな。
これなら人様に出したって恥ずかしくな……
「………………はっ!?」
その瞬間、天啓のように閃き、私はよろめいた。
手からバラバラと菜箸が落ちて床に転がる。
いくら『カラフルラバーズ』が好きだったとはいえ、何で転生しちゃったんだろ? と不思議に思っていたけれど、その理由がわかった気がする。
必要とされているのは、この料理スキルじゃないか!?
だって拓馬、料理できないもの!
いや、『料理できない』なんて生温い。
彼には『食材を毒に変える』呪いがかかっている。そうとしか思えない。
ゲーム中、新婚カップルよろしく、拓馬が乃亜と一緒に料理するイベントがあるけれど、拓馬が担当したみそ汁の鍋は緑に変色した謎の液体をまき散らしながら大爆発を起こした。
なんで豆腐とわかめと麩と味噌しか入れてないのに汁が緑色に変化するんだよって、突っ込みどころ満載すぎてプレイしながら思わず笑ってしまったけれど、拓馬は料理下手というキャラ設定なんだから仕方ない、そう思っていた。
でも現実では『仕方ない』じゃ済まされない。
噴き上げた煙に髑髏マークが浮かぶような、あんな得体のしれない謎の液体Xを飲んだら、きっと拓馬は死んでしまう。
命を守るためにも、絶対に、拓馬に料理を作らせるわけにはいかない。
「……わかった。私が何故モブとして転生したのか……」
私は愕然としながら額を押さえた。
私が転生したのは、栄養たっぷりの手料理を振る舞ってくれる乃亜が登場するまでの繋ぎ――つまりは乃亜の代役を任されたからだ。
人間の身体は食べ物で出来ているから、ちゃんと栄養バランスの取れた食事をしなきゃいけない。
心身共に疲れ切って料理をする気力もなく、コンビニ弁当やら栄養ドリンクやらゼリーやらサプリメントなんかで日々ごまかし続けた結果、前世の私の体調は常に最低で、肌荒れも酷かった。
拓馬が一年に渡って偏食をすれば、きっと悲惨な状態になる。
それを阻止するために、私がいるんだ!
「昼間に挨拶した拓馬は見惚れるほど美しかった……私の使命は拓馬がより美しく、より格好良くなるように手伝うことなんだ!」
ぐっと拳を握る。
私が拓馬の隣の部屋に住むことになったのも偶然じゃなく、神さまの思し召しに違いない。
「そうか、そういうことだったんだ。ええ、やってやろうじゃない。私、見事にモブとしての使命を果たしてみせるわ!」
拓馬は前世の私を救ってくれた恩人だ。
いまこそ、その恩を返す時!
私は目に使命の炎を燃やし、菜箸を拾ってシンクの洗いかごに入れた。
手を洗ってから、頭上の棚からタッパーを取り上げ、作り立ての野菜炒めを詰め込んだ。
さて、どうやって拓馬に野菜炒めを食べてもらうか。
ここはやっぱり、お約束の『作りすぎちゃった』戦法で行こう。
陽が落ちてすっかり暗くなり、アパートの明かりの灯った夜。
野菜炒めをビニール袋に入れ、いそいそと202号室へ向かった私は、インターホンを鳴らした。
「夜分に失礼いたします。隣の203号室の野々原です」
「……はい」
ためらうような間があってから、扉が開く。
警戒しているらしく、チェーンロックはかかったままの状態だ。
扉の隙間から覗く拓馬の姿は昼間と変わず、シャツにジーパンだった。
目には戸惑いがある。何しに来たんだコイツって感じだ。
この反応は予想の範疇。私は落ち着いて言った。
「昼間は大変失礼致しました。あなたによく似た拓馬という名前の知り合いがいたので、ついとっさに呼んでしまいました。どうぞ無礼をお許しください」
深々と頭を下げる。
謝罪を示すときのお辞儀の角度は90度と、前世の職場で叩き込まれました。
「……はあ。そうなんですか」
拓馬はやや怪訝そうだ。
「改めまして、初めまして。春から藤美野学園に通う野々原悠理と申します。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「黒瀬です。おれも、春から藤美野に通います」
同じ高校に通う新入生と知って親近感を覚えたらしく、拓馬がチェーンロックを外し、扉を大きく開けてくれた。
拓馬の部屋の中はどうなってるんだろう、見たい、と思うけれど、そこはぐっと我慢し、視点を拓馬の顔に固定する。
「そうだったんですか、じゃあ同じ高校生なんですね。よろしくお願いします。そうそう」
私はここぞとばかりに笑顔でビニール袋を差し出した。
「これ、野菜炒めなんですが、作りすぎてしまって。食べてもらえたら助かるんですけど」
「いえ、遠慮します。すみませんが、用事があるのでこれで」
拓馬は無表情で言い切って、ドアノブを掴んだ。
私の目の前で、音を立てて扉が閉まる。
それはまるで、拓馬の心の象徴のようだった。
「………………」
私は笑顔のまま固まった。
まだ冷たい春の風が吹いて、間抜けな道化と化した私の髪を強く揺らす。
ふと我に返った私は無言で自分の部屋に戻り、扉を締めた。
鍵をかけて、廊下を突っ切る。
リビングのテーブルにビニール袋を置き、ラグマットを敷いた床にすとんと座る。
それからテーブルに肘をついて、組んだ両手の上に顎を乗せた。
――冷静になって考えてみれば、だ。
よく知らない隣人の手作りの飲食物を差し出されて、ありがとうございますと爽やかな笑顔で受け取るわけがない。
私だったらそんなもの食べたくない。
はっきり言って迷惑にしかならない。
ええ、思い込みで暴走して、その迷惑行為をやった馬鹿が私です。
「ああああああ……」
羞恥に耐えられなくなり、私は腕を倒してテーブルに突っ伏した。
「せっかく拓馬がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、警戒を解いてくれたのに……うまくすれば笑ってくれそうだったのに……!」
泣きながら握り拳でテーブルを叩く。
順番を間違えた。
差し入れはもっと仲良くなってからするべきだった。
初っ端の対応から失敗したのに、さらに失敗を重ね、ますます警戒されてしまった。
心の距離は縮まるどころか開く一方。
どうやって挽回するんだ馬鹿と、私はひたすら自分を罵った。
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