8-4. 少女と黒猫

***


 学校に戻って部室に入る。

「それ、寄越せ」

「それって、この猫のこと?」

 カナちゃんが振り返って、椎名ちゃんに話しかけた。それ、と猫を指さすカナちゃんに、椎名ちゃんが眉を寄せる。

「いいけど、ちゃんと優しく抱えてあげてね?さっきみたいに掴むんだったら渡さなーい」

 う、と言葉に詰まってこちらを振り返ってくるけれど、無視する。そんな、いつでも助けてあげると思ったら大間違いだ。さっきのにゃんこ宙ぶらりは、さすがの俺でもどうかと思った。

「……どう持てばいいんだ」

「ほら、ここに腕を通して前足掴んで」

 猫はいい記憶がないんだとか文句を言いつつも渋々持ち方を習うカナちゃんに思わず笑いがこみ上げ、慌てて携帯を探す。写メ撮りたい、写メ。

 ガサコソ探している間に猫の抱き方講習は終わったらしく、カナちゃんの腕の中に黒にゃんこが収まった。はっきり言って、似合わない。でもギャップなんちゃらで椎名ちゃんとかツボなのかな、と思って横目でチラリと伺えば、必死で笑いを堪えていて、なんだかほっとした。サイズ感おかしいし。椎名ちゃんに抱えられていた時よりもにゃんこが数倍小さく見える。

「で、そのにゃんこどーするの」

 笑いを堪えながら聞けば、眉を寄せて、ん、と顎で示される。

「カナちゃーん。俺はカナちゃんじゃないの、何も見えないし聞こえない」

「さっき言った女、そこにいんだよ」

 女?依頼してきた女の子のことだろうか。相変わらず言葉が少ないカナちゃんに肩を竦め、何も見えない空間に目をやってみる。

「女の子は何て?」

「さぁな。ただ、笑っているのは分かる」

「ふーん?」

 なんだかはっきりしない。結局その女の子は猫を見つけてどうしたいんだろう。見つけるまででよかったのかな。

「説明しにくい。……おい、俺の目に何が見えるか知りたいか」

「そりゃ、まぁ」

 頷く。

 それにしても何で急にそんなことを。首を傾けると、カナちゃんが口を開いた。

「なら、願え」

「は?」

「俺と同じものが見えるように、願え」

 えー。説明しにくいからって、いくらなんでもそれはないでしょ。俺をカナちゃんと同じ状態に巻き込もうなんて、ラクしすぎ。頬を膨らます。

「やぁだよ」

「あ?」

「そんなことに願い無駄遣いしたくないもん」

「別に回数に上限無いだろ」

「条件はあるしぃ」

 だから迂闊に願いは使えない。叶えてはいけない。それができないからカナちゃんは、いろいろなことを見落としてしまう。

「俺がいるからってことか?なら一回いなくなってやるよ。その間に願え」

「んー。そういうことじゃないんだけど」

「面倒くせぇ」

 ちっ。舌打ちが返ってきた。

「じゃあ、おまえが俺の手触れてるときだけ、で勘弁してやる」

「え、なに、カナちゃんまさかそんな趣味……」

「ふざけんな今すぐ失せろ」

 うわぁ、怖い。

「もー、分かったよー。カナちゃんの見えているモノが、俺と体の一部が接触しているときだけ俺にも伝わりますように。それでいい?」

 仕方なしに提案すれば、渋々というように頷かれる。

「んじゃ、ちょっくら行ってくるねー」

 部室を出て少し離れた空き教室に入る。一つ願うだけだ。早く終わらせて部室に戻ろう。

 カナちゃんの見ているモノが、俺と体の一部が接触しているときだけ俺にも伝わりますように。願って、一つため息。

 こんな、力。椎名ちゃんに笑って話した昔話。そんなもののせいで、カナちゃんは生まれたときから苦しんできた。こんな力のために、俺はここにいる。きっと、その意味を椎名ちゃんは理解することができない。この力のことを知ってどうするかは、椎名ちゃんが決めること。

 そう思ってきたけれど。椎名ちゃんはここにいていいのかな。

「そんなの、俺のためじゃない、もんね」

 息が漏れる。嘲笑。戻ろう。カナちゃんが待っている。

「お待たせ」

 部室のドアを開け、ひょい、と顔を覗かせる。さっきと同じ位置にいるカナちゃんの肩に手を置く。そして、

「うわぁお……!」

 見えた。

 カナちゃんが言った通り、見たことのない制服を着た女の子がキュッとスカートの裾を握っている。同時に何か聞こえる気もするが、女の子の方に気をとられる。

「ええっと」

 これは、話しかけた方がいいのだろうか。躊躇いがちに口を開いた瞬間、カナちゃんに遮られた。

「無駄だ」

「ん、何が?」

「おまえの声は届かねぇ」

「えー、なん……あ、そっか」

 俺が願ったのは、見えているものが伝わるように。それなら、見えるだけ、かもしれない。納得して頷く。が、カナちゃんからの更なる否定。

「ちげぇよ。おまえだけじゃない。俺の声も届かねぇ」

 あれ。カナちゃんは存在しないモノ、してはならないモノが見えるし聞こえる。そうじゃないのか。

「見えるし、聞こえる。それはあちらさんが隠れなければ、の話だ」

「隠れる?」

「あぁ。もし相手の方が俺から隠れようとすれば、俺だって何も見えねぇし聞こえなくなる。なぁ、おまえ、俺に何願わせたか、覚えてるか?」

「……なんだっけ」

「死んだ人にまた会いたい。俺はそう願ったんだよ」

 はぁー。カナちゃんの口から長く息が吐きだされる。

 会いたい。そう願って、だけどカナちゃんは必ず見えるわけじゃない。聞こえるわけじゃない。カナちゃんの声は、届かない。

「俺の力にとって、会いたいと話したいはイコールじゃないんだと。だから俺からは、コミュニケーションを取れない」

 だからカナちゃんは、約束をしてしまった女の子を説得することはできない。恨みを晴らすこともできない。人の過去を見せられることはあっても見ることはできない。見えるだけ、聞こえるだけ。こちらから行動を起こしても意味なんて何もない。

「……そういうこと」

「やっと理解したのかよ」

「だってカナちゃん、言葉足りないんだもん」

 俺がさんざんカナちゃんを煽るとき、否定する理由がようやく分かった。でも、あんな中途半端な説明で理解できるわけがない。

 肩を竦めてカナちゃんから手を離し、もう一度視線を黒猫に戻す。

「そしたら、今回はどうするの」

 カナちゃんが行動を起こしても伝わらないのなら、カナちゃんが今黒猫を女の子に見せたところで意味なんてない。

 そう思って尋ねてみる。

「大丈夫だ」

「……ふぅん?」

 確信を持った声になんだかほっとして、カナちゃんの視線が黒猫に向いているのは気にしないことにした。

 それから少ししてカナちゃんが一人芝居をはじめ、遠くからそれを眺める。と、今まで黙っていた椎名ちゃんに声をかけられた。

「堺くん」

「んー?静かだったね、椎名ちゃん」

「なんか、割り込んじゃいけない気がして」

「あはは、賢明かも」

 笑って椎名ちゃんの横に並ぶ。顔を覗き込むと、僅かに眉が寄せられた。

「あれ、何やってるの?」

「言ったでしょー?カナちゃんには、俺たちには見えないものが見える、聞こえないものが聞こえるんだって」

「だけどさっき、自分から行動しても意味ないって」

「相手に許可されたんじゃないかなぁ。分かんないけど」

 本当に、カナちゃんはいろんな意味で俺の予想を裏切るんだから。できれば思い通りになって欲しいけれど。

「とにかく、カナちゃんが大丈夫って言うなら大丈夫なんだよ」

 そう思える程度には、一緒にいた時間は長い。

「……そうかもね」

「んふふ」

「堺くんなんで笑うの」

「なんかちょっと意外だなって」

 笑いながら椎名ちゃんの目を覗き込む。

 なんだろう、この子は。素直なのか単純なのか、本当に何も感じないのか考えなしなのか。

「さっきまで、俺たちの力に戸惑ってたんじゃないの?」

「あ、うん。まだ戸惑ってるけど。怖いとも思うし。でもね、一緒にいてみたいっていう気持ちの方が、単純に大きいんだ」

「へぇー」

 ただ、良い人ぶっているわけではないんだろう。たぶんカナちゃんに会いに来たいだけ。

「だから、これからもここに遊びに来ると思う。三村くんと堺く……」

「ご自由にぃ」

 遮って答える。

 別に俺はどっちでもいいんだ。女の子が部室にいれば華やかになるのは本当だし、椎名ちゃんノリがいいから気に入っているし。本人が来たいのなら、遠ざけたりはしない。自分のことを知りながら遠ざからないでくれる人がいるって、カナちゃんにとっても良いことだろう。

 だから、さぁ。

「来たかったら来ていいよ?カナちゃんに会いに」

 笑う。対象が俺にならないのならば、拒む理由は何もない。

「あ、終わったみたい」

 椎名ちゃんの声に、カナちゃんに視線を向ける。ちょうど立ち上がるところだったらしく、ガタ、と音を鳴らして椅子を下げた。音に驚いて黒猫が飛び起きる。

「おつかれカナちゃん。どうなったの」

「ちゃんと黒猫と再会して満足したみたいだな。礼言って消えた」

「あ、そ?」

 うーん、俺的にはどうやって解決したのかを聞きたかったんだけど、まあいいか。

「で、その黒にゃんこはどうするの?」

「知らん。ほっとけば行きたい場所に行くだろ」

「なんて雑な」

 まあカナちゃんらしいけれど。なんて思っていたら、次の日。

「なんでそいつがいんだ」

「俺たちが来たらすでに部室の前で座ってたから、迎え入れてあげただけだよ?」

「……んだよこのデジャヴ」

 にゃあん。椎名ちゃんの膝の上で、黒にゃんこが大きく欠伸をした。

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少年の願いは叶わない 風見鶏 @Kazam_Dor

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