7-4. 上書き保存
「谷口」
「あ、うん。何、どうすんだよ」
「きみの願い、叶えてあげる」
「……え?」
「だからぁ、叶えてあげるんだってば」
目を白黒させる。
「叶えるって、叶えられるもんなのかよ」
「それが、叶っちゃうんだなぁ」
ふふ、と笑いながら告げ、もう一度谷口に願いの確認をする。谷口の願いは、変な性癖を無くしたい。前みたいに普通に過ごしたい。
「うん、それでいい」
「りょうかーい」
「で、俺はどうしてればいいんだよ?」
「え、何も?」
願いを叶えるのは俺。本当は対象が傍にいなくても叶えられるが、今回は単純に、叶った後の経過が気になるから傍で願うことにする。
それにしても、どうやって願おうか。変な性癖といっても曖昧だし、単なる潔癖でもなさそうだ。一番間違いがなさそうなのは、たぶん。
「春と同じ状態の谷口が戻ってきますように」
ポツリ。呟く。そんなに大きな変化はないだろうと思いつつ、谷口を観察する。
案の定、何が起こったのか、何か起こっているのか分からない様子で、……次の瞬間、頭を抱えた。
「……えっ?谷口?」
「いって!」
そのまま頭を振り始める。頭の奥が痛むのか、強く髪を握る。
困惑する。今までいくつもの願いを叶えてきた。けれど、こんな症状が現れたことなど一度もない。
「谷口?谷口っ!あ、カナちゃん」
そうだ、カナちゃんを呼べばいい。痛みの原因が俺の叶えた願いなら、カナちゃんがその願いを封じてくれる。
だけど今、カナちゃんを呼んで大丈夫だろうか。俺の力はカナちゃんの近くでは使えない。かけた願いも叶う前ならば、カナちゃんが近くに来た時点で無効化される。つまり、今ヘタにカナちゃんを呼んだら、谷口には痛みのみが残ってしまうかもしれない。
あぁ、なんだ、そうか。
「谷口、辛い?」
「いっ!……うぁ」
俺がその痛みを引き受けてあげればいいんだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁあああ」
谷口が、頭を振り乱す。ガタ、と椅子からずり落ちるようにして床に転がる。
辛いね、谷口。痛いよね、苦しいよね。今、痛みを消してあげる。
「谷口の痛みが、俺のところに……」
バキっ。
頬に衝撃。頭が痺れるような感覚。つい先月も味わった、ジンジンとした痛み。振り返って、笑顔を浮かべる。なぁんか最近、こういうことばっかり。
「……いったー。ちょっと、何するのカナちゃん」
「あ?いい加減目ぇ覚ませよ」
拳がめり込んだ頬が、痛い。やだな、もう。これ絶対後で腫れるよ。
「失礼しちゃうなぁ。何の話?」
「誤魔化すな。さっき、何しようとした?」
「何ってー?」
「何願おうとしたっつってんだよ」
何、と言われても。答えたらカナちゃんにまた殴られそうだし、痛いの嫌だし、答えず黙って笑顔を向けた。
「ていうか、そんなことより今は……」
思い出して谷口のもとへ寄る。
痛みはもうないらしく、呻いてはいない。ただ、しゃがみこんで頭を抱えていた。
「谷口?大丈夫?」
ひょこりと覗きこんで、問いかけてみる。肩が一度大きく跳ね、視線が合う。
「立てるか?」
カナちゃんが俺の隣に立ち、何気なく谷口に手を差し出す。谷口がその手を掴んで、カナちゃんが引き上げる。
「さんきゅ」
よかった、潔癖はちゃんと消えているようだ。ついでにカナちゃんが来たことで痛みも消えたってことは、あの痛みも俺の願いが原因ってことか。
俺が願ったのは、春と同じ状態の谷口が戻ってきますように。
潔癖が消えるだけであんなに苦しむとも思えないし、第一カナちゃんの登場で痛みが中断されたにも関わらずちゃんと消えている。
「谷口、もう落ち着いた?」
「だいぶ」
手の甲を額に当て、大きくため息を吐く。あまり期待はできないが、一応尋ねてみる。
「今何が起こったのか、分かる?」
「……いや」
「だよねぇ」
当たり前だ。俺たちが分からないことを谷口が分かるはずがない。
ちらり、とカナちゃんを盗み見る。眉を寄せて考え込んでいる様子から見て、カナちゃんも引っかかることがあるらしい。
じゃあ、俺の力でも使おうか。知りたい。そう願えば済むことだし。まあ、条件があるからなるべくしたくない願い事だけれど。
「あのさ、堺」
「んー?」
ふと谷口に呼びかけられ、思考を止めて先を促す。気まずそうな表情。
「ちょっと、思い出した」
「何を?」
「俺、前にも言われたことがある」
「ん?」
「願い事、叶えてあげよっかって」
ヒュッとカナちゃんの喉が鳴った。
「何を願った?」
「たぶん、潔癖のことだと思う。もっとちゃんとできたらいいのにって」
「いつ?」
「今年の春」
「どうして思い出した?」
「分かんないけど、さっきめちゃくちゃ頭痛くなって、そん時」
そういうことか。カナちゃんと視線を合わせ、一つ頷く。
「おまえはその願いを、相手に伝えたのか?」
「たぶん」
「で、相手もそれを繰り返した」
でもそれは、一字一句同じではなくて、谷口が潔癖で苦しむような結果をもたらす願いだった、はずだ。
ほら、まただ。俺以外に、願いを叶えられる人間がいる。その人が谷口に願いをかけた。おそらく一つ目が潔癖。二つ目が……。
「相手は?」
カナちゃんの低い声。申し訳なさそうに、谷口が瞬きする。
「分からない」
「分からない?思い出したんじゃなかったのかよ」
「思い出せそうだったけど」
「はぁ?訳分かん……」
「カーナちゃん」
遮ると、カナちゃんの苛立った顔がこちらを向いた。それにヘラリと笑ってみせる。
「思い出せなかったのはカナちゃんのせいかもよ?」
「あぁ?」
「たぶんだけどその人、谷口の願いを叶えた後、その事実を消そうと願ったんじゃないかな」
谷口の記憶から。
「で、俺の願いによってその願いが弾かれて、記憶が思い出された」
通常願いが叶うのに痛みは伴わない。でも記憶だと話は別だ。実際に痛みはないのかもしれないけれど、強制的に忘れさせられたことを再び強制的に思い出すその精神的苦痛が、痛みに変わっていたのではないだろうか。
なんて、俺のただの想像に過ぎないけれど。
「おまえは何を願ったんだ?」
「んー?……春と同じ状態の谷口が戻ってきますように?」
「あぁ、だからか」
もし、潔癖が治るように、ならば何も思い出さなかったかもしれない。しかし、俺が願ったのは春の状態の谷口が戻るように。春の状態。つまり、潔癖でもなく、記憶も失っていない谷口、だ。
カナちゃんが頷いて、それからもう一度抗議するように声を上げる。
「で、俺のせいだっつーのかよ」
「うん、だってカナちゃんが来たせいで願いが無効化されちゃったんだから。途中まで思い出しかけていたのに」
カナちゃんの近くでは願いは叶わない。谷口の記憶の修正は、カナちゃんが来た瞬間に、痛みとともに消えてしまった。
「それは、おまえがまた変なことしようとしてたからだろ」
「えー?ヘンって酷いなぁ。俺は痛みを引き受けようとしただけだ……あ」
「へぇ」
口が滑ったのに気が付き、慌てて口を押さえる。パッとカナちゃんを見れば、案の定眉間に皺が寄っていた。
でも今はそれどころじゃない。
「ともかく、これではっきりしたことがあるよね?」
ここには、俺以外に願いを叶える存在がいる。
「ま、おまえの自作自演じゃなきゃ、だけどな」
「ひっどいなカナちゃん。俺のこと信じてねーの?こんな誠実な人間なのに」
「胸に手を当てて今までの行動を思い出してみろ」
「え、めっちゃいい人にしか見えない」
「現実から目を逸らすな」
舌を出してみせれば、大きなため息を吐かれた。もう一度、谷口に向き合う。
「何か思い出したら、また話せ」
「あ、もう一つ、あるんだ」
「もう一つ?」
眉を寄せる。
「願いを聞かれたっていうよりは、共感させられたって感じだけど」
「共感?」
「うん。俺が潔癖になって悩んでて、そんな時、自分だけ悩んでるのやじゃない?って聞かれて」
他の人たちは何も困ってないのに、谷口だけ理不尽に苦しんで。ねぇ、他の人も同じように苦しんでもいいと思わない?
「なんて答えたんだ?」
「……頷いた」
「相手がなんて願ったか覚えてるか?」
「いやそこまでは」
首を振る。
だけど谷口は、理不尽に、と言っていた。そこを願ったのだとすれば、もしかしたら久美ちゃんの恨みはその願いの結果かもしれない。久美ちゃん自身なぜ千春ちゃんを恨むのか分からなかったらしいし、その恨みが生まれたのも委員会で千春ちゃんと再会したこの春から。ただの予想だけど。
「そうか」
カナちゃんがそう言う。ちらりと見た視界でカナちゃんと目が合って、言いたいことが分かる。そうだ、もう一つ引っかかるところがあるはずだ。
「おまえ、その潔癖誰かに話していたのか」
「え、なんで?」
「その、願いを叶えたやつ、どうしておまえだけ潔癖で苦しまなきゃいけないんだって、そう言ったんだろ?」
ハッとしたように息を飲む。ということは、谷口自身にその自覚はないわけだ。
それにしても、願いを叶えるもう一人は何を考えているんだろう。自分の願いによって谷口を苦しめておいて、その谷口の苦しみを他人の恨みに変えて助けたつもりでいる。贖罪か、これで案外意図的っていう可能性もあるけれど。どっちにしろ偽善者臭がして嫌な感じだ。
「おまえ、さっき一緒にいたあの三人以外に仲良いやついんのか?」
「いや、一番仲良いのはあの三人」
確かに谷口の状態を知っているという点からいえば、あの三人が一番怪しい気がする。付き合いも長いし。
「なんか、ごめん。俺が思い出せたらよかったんだけど」
「あ、いーのいーの。それはカナちゃんのせいだから」
「あぁ?」
ふざけて笑えば、カナちゃんにどつかれた。ちょうどさっき殴られて打った場所に当たって、思わずグウと唸ってしまった。
「ま、とにかく谷口のせいじゃないからさぁ。何か思い出したらまた教えてね」
へにゃりと笑って送り出す。躊躇いなくドアノブを掴める当たり、自分が潔癖だったことすら忘れかかっているんじゃないかな。
ドアが閉じて、ふっと息を吐く。後頭部に、カナちゃんの物言いたげな視線。
「なあにカナちゃん」
振り返る。
「……余裕だな」
「何が?」
「おまえ以外にも願いを叶えるやつがいる。その割りに、ずいぶん余裕なんだな」
クスリ。笑ってしまう。慌てたり、焦ったり。俺はそんな柄じゃないでしょう?カナちゃんだって分かっているくせに。
「カナちゃん、俺のこと疑ってるんじゃなかったの?」
「おまえがそんな態度だから疑いたくなんだよ」
「あはは、ごめんごめん。……俺はねぇ、それが俺に影響を及ぼさないなら別にどうでもいいんだ」
「嘘つけ」
ヘラリと笑って嘘を吐くが、簡単に否定されてしまった。
ひどいな、本当に。そしてついでに怖いな、本当に。いくら監視役って言っても、ここまで見張ってくれなくていいんだけど。
でもカナちゃんが知りたいと言うのならば。
「あのね、カナちゃん」
もし他に、俺と同じような存在がいたとして、だけど俺はその人に対抗することができる。
「だって、俺の力の方が強いみたいだから」
相反する願いが谷口にかかったとき、俺の願いの方が優先された。内容が何であれ俺の力の方が強いなら、自分に不利な状況を覆せばいい。
そう、つまり。
願いは、上書きができるんだ。
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