7-3. 戻りたい日常
***
「カーナちゃん」
「あ?」
部室でまったりしていると、ドアの向こうでチラチラと動く気配。椎名ちゃんとやっていたオセロを中断して、カナちゃんを振り返る。
「来たみたいだね、谷口」
それにしても、来ていいと言ってから実際に来るまでに一週間かかるとは。真田くんの時もそうだったが、そんなに悩むものだろうか。悩みを相談したいのに相談するか否かで悩むって、矛盾しているような気がしてならない。
「あいつ、何してんだ?」
「さぁー?」
しかもこの期に及んで迷っているらしく、いまだに部室の前を行ったり来たりしている。かといって俺たちの方から出向くわけにもいかないしどうしたものかと思っていると、突然椎名ちゃんが立ち上がった。
「どしたの椎名ちゃん」
「依頼あるなら、私がここにいたらマズいでしょ?てことで、私は退散するね」
オセロの最後の石を盤の上にポン、と投げ、盤の上を真っ白に裏返してドアに向かう。しかも、ドアの前に人がいるにも拘らず、そのままスパーンとドアを開けた。案の定、ゴッという鈍い音と呻き声が上がった。
「あ、ごめん。なかなか入ってこないからいなくなったのかと思って」
「いや、いいんだけど」
「で、用あるのないの?」
「……ある」
「じゃあ早く入って。ほら、早くしないとドア閉めちゃうよ。そしたら自分で開けないといけないんだから」
そう言って手を離す。煮え切らない谷口に、強硬手段に出たらしい。閉じ始めたドアに、慌てて谷口が体を滑り込ませた。若干体を挟んだらしく手を擦っているところ、にっこり笑って話しかける。
「いらっしゃーい」
突っ立ったままもどうかと思うから椅子を勧めて、カナちゃんが最近常備し始めた缶コーヒーを机に置く。
「来るの遅いよ谷口。待ちくたびれちゃった」
「あー、えっとさ」
言葉を濁すから、視線で促す。
「本当なわけ?その、真田の嫌がらせを解決したとか」
そういうことか、と納得する。どうやら真田くんは本当に谷口に部室を紹介してくれたみたいだ。やっぱり真田くん、いい人だ。
「あーうん、まあ、そうかな。でもあれを実際に解決したのは真田くん自身だよ。俺たちはきっかけを作っただけだし。ね、カナちゃん」
「きっかけを、作れる?」
「それは依頼を聞いてからじゃないと何とも」
まあ、だいたい予想は付いているんだけれど。
「依頼は……」
「あーちょっと待ってねぇ。カナちゃーん、お仕事」
「いいだろ、おまえがそのまま聞けよ」
「ダメ―。探偵役はカナちゃんなんだってば」
「頑なだな」
「だってそっちの方が面白いからね」
文句を言いながらも、カナちゃんが谷口の前の席に座る。若干谷口の顔が強張った気がするけど、無視する。カナちゃんの顔が怖いのは、今に始まったことじゃないからね。
「じゃあ、聞くか」
「あ、うん」
実際に改まって話すとなると躊躇いがあるのか、またしばしの沈黙。気持ちは分かるけれど、このままだと進まなくなりそうだから割り込ませてもらう。
「潔癖のこと、かなぁ」
「……なんで、それ」
ビクッと反応した谷口。なんでって、あんな反応見ていたらさすがに分かる。
「ってことは正解ってことだな?」
「そうだけど」
「一応、いつからなのかとか聞かせろ」
「今年の春から」
「その前まで、特に前兆はなかったのか?性格的に几帳面だった、とか」
「ないな。自分で言うのも変だけど俺結構大雑把だし。特別綺麗好きってわけでもなかった」
「自覚した時のこと、詳しく覚えてるか?」
「……思い出してみる」
カナちゃんの視線がぐるりと回って、俺とぶつかったところで小さく肩を竦める。その様子だと、オカルト関係ではないようだ。だとすると、不登校のトシユキくんと同じく無意識が原因だろうか。やはり無意識は怖い。こんなに簡単に、人を縛ってしまう。
なんとなく、手のやり場がなくて掴んでいたシャーペンの芯をカチカチと出してみる。
「で、どうだ?思い出せるか?」
視線を戻し、カナちゃんが聞く。頼りなさげに首が揺れる。
「……はっきりとは。でも、誰かに何かを言われた気がする」
「何かって?」
「覚えてない」
ゆらゆら。首を振って、眉を寄せる。きっと思い出そうとしてくれているのだろう。こんな時こそカナちゃんの出番だと思うんだけれど。
「カナちゃーん、こないだみたいに過去見れたりしないのー?」
「あ?無理だろ」
即答された。
「何度も言わせんな。俺にはそんな力ねぇんだよ」
「なんで。こないだやってたじゃない」
納得できない、と騒げばため息を吐かれる。
「あれは、見せられただけだ」
その違い、俺にはよく分からない。これ以上言うのはしつこいから自重するけれども。
「それにしても、潔癖ってどの程度なの。触られるのとかダメなんだよね?」
確認のように聞けば、気まずそうに頷かれた。実際つらいだろうし、無理もない。
「相手が誰でも?ほら、よく一緒にいるあの三人とか」
「ダメだな」
「あ、そういえばあの三人、真田くんと何くんと何くん?」
ふと思いついて尋ねてみる。
「カズと、……えっと本名は」
「あ、一人はカズくんって言うんだ?本名はいいや。で、カズくんてどっち?」
本名を聞いても覚えられないし意味もなさそうだから、割愛する。
「ちっちゃくてうるさい方」
「ほうほう。なるほど。もう一人は?」
あ、シャーペンの芯が折れた。少しがっかりしながら、ぽい、と芯を放り投げる。
「もう一人は……」
「おい、ゴミはゴミ箱に捨てろ。何度も言わせんな」
「ちょっとーカナちゃん。今谷口が答えかけてたでしょ?口挟まないでよ、ほら、谷口黙っちゃったじゃない」
「あ?おまえのせいだろうが。いつもここら辺店広げやがって」
「見かけによらず綺麗好きだよね」
「おまえも見習え」
「えー、片付けって苦手なんだもん」
くるりと机の周りを見回してみる。まあ、確かに綺麗とは言えない。
俺愛用のヘッドホン。イヤホン。俺の課題の入ったファイル。持参した毛布と、俺が置きっぱなしにした筆記用具。
「……そういえば、この部屋は大丈夫なんだな」
綺麗好きには耐えられないほどの散らかりようにも関わらず、谷口は部室に入るのを拒まなかったし、現に今も落ち着いている。だけど彼は確かに触れられることを嫌がる。
「おまえのそれ、触られるとか、じゃなくて、触られるのが、無理なんじゃねぇの」
カナちゃんの言葉に、谷口がピクリと反応する。
いろいろ考えてみると、谷口の症状は不自然なことばかりだ。谷口は人に触れられるのが無理。散らかっているのは平気。つまり、自分に触れるものに嫌悪感を感じる。その症状が出たのは今年の春。当初のことはぼんやりとしか覚えていない。なんだか、無意識によるものっていうよりは、何かに無理やりそうされているような不自然さがある。
「カナちゃん、何か……」
「何もねぇよ」
やはり俺には分からないものが原因なんじゃないかと思ってカナちゃんに声をかけると、速攻で否定された。
「谷口。おまえは、どうしたい?」
カナちゃんの言葉。どうにも腑に落ちないし何も分からないけれど、カナちゃんがそう言うのならば、何とかするつもりなのだろう。
谷口が顔を上げる。
「無くしたい」
こんな変な性癖、無くしたい。前みたいに普通に過ごしたい。
「原因を知りたい、じゃなくていいんだな?」
「うん、いい」
ふむふむと頷きつつ、内心ホッとした。原因が知りたい、じゃなくてよかった。
「分かった。……おい」
カナちゃんが俺の方を向くから、肩を竦めてみせる。
「えー、もうやんの?」
「早い方がいいだろ」
「そうかもしれないけどぉ」
あまり気が進まなくて、躊躇ってしまう。原因が分からなくとも、相手が望んだ以上、俺はそれを叶えることができる。だって、俺の願いは必ず叶うから。しかしそれは無理やりな解決なわけで。
「分かってるよ。ちゃんとやるから安心してよカナちゃん」
何か言いたそうなカナちゃんを黙らせるように、にっこりと笑いかける。
「ってことで、カナちゃんどっか行ってて?」
「あぁ。……前みたいなことはすんなよ」
「んん?何のこと?」
「おま、無茶すんなってことだよ」
あからさまに顔を顰めるカナちゃんに、クスクスと笑ってしまう。
まったく。カナちゃんは心配性なんだから。
「あはは。大丈夫、心配しないでよ」
いくらカナちゃんが俺に負い目があるからって、そこまで心配してくれなくても。笑って誤魔化せば、カナちゃんが肩を竦めて部室から出ていく。
それから、訳の分からない顔をしている谷口に向き直った。
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