7. 上書きする話

7-1. 金髪チャラ男と強面転入生

 チャイムが鳴る。授業が終わる。携帯が震える。ため息。

「何、どしたの谷口。ため息なんて吐いちゃって」

 ひょっこり、まだ見慣れないはずなのに違和感のない金髪が覗き込んでくる。今まで黒髪メガネ、なんて真面目キャラだったくせに、最近になって急にメガネを外して金髪にしてきた変な奴。チャラチャラしていて、捉えどころがない。

「なあに、悩みごとでもあんの」

 手が伸びてきて心配そうに腕を掴まれる。思わず振り払いそうになって、慌ててその衝動を飲み込む。

「なんでもねーよ」

 笑ってそう言って、何気なく腕から手を外した。掴まれていた腕に熱が残って、気持ち悪い。じんわりと熱が広がって、ぐるぐると回って、吐き気がグッとこみ上げる。嚥下して抑え込んで、浮かべた笑顔。

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。

「大丈夫?」

「え?……あ、ああ、大丈夫だっつーの」

「本当に?」

「本当だって。しつこいな」

 再び伸びてくる手を拒んで、軽く聞こえるように返す。

 大丈夫。本当に何ともないから。だから、そんな軽々しく触んなよ、気持ち悪い。

 携帯が震えて、二度目の着信。仕方なく携帯を掴んで立ち上がった。

「谷口どっこ行くのー」

「中庭」

「午後の授業出る?」

「分かんね」

 金髪を振り切るようにして席から離れれば、諦めたように転入生のところに行ったようだった。

「カナちゃーん、ジュース奢って」

「なんでだよ。つか、教室で話しかけんな鬱陶しい」

「え、だって椎名ちゃんが……」

 今年の春に転校してきた、どうにも近寄りがたい転入生。あんな怖い顔の転入生に話しかけるのは金髪くらいだ。まったく臆した様子もなく転入生にじゃれつく金髪にむしろ感心しながら、中庭に向かう。校舎を出て広々とした中庭を見渡せば、すぐにいつものメンバーが目に入った。声をかける間もなく、向こうも気付いたように手を振られる。

「あ、谷口おっそーい!こっちこっち」

「遅かったな」

「あ、うん、悪い」

 ニコニコして手を振ってくる彼らに、そっと近づく。

「見ろよ。今日真田の弁当手作りなんだって!」

「へえ、すげーな」

 言いつつ、少し距離を取って座る。

「あれ?谷口今日弁当は?」

「あー、前の休みに食った」

 嘘だ。屋外なんかで食えるかっつーの。できれば中庭に出ることだって無視しようと思っていたから、弁当はいまだに鞄の中だ。

「じゃあこれから腹減るな。俺の食うか?」

「いいよ真田、平気だって」

「あー、ぶっちゃけ、味見してみて欲しいというか」

「真田の卵焼き、すげぇ美味いんだよ!」

 心の中で舌打ち。いや、真田が悪いわけじゃないのは分かっているけれど。

「実は腹の調子あんま良くなくてさ。だから、大丈夫」

「そうなの?じゃあ仕方ないか」

「カズは騒ぎすぎだろ」

 ビシ、とカズを指させば、小柄な体を仰け反らせて笑い飛ばされた。

 大丈夫。前と同じ空気だ。おかしいところなんてどこにもない。ほっと息を吐く。

「そういや、夏休みどうする?」

「また旅行行きたーい!」

 このグループが嫌いなわけじゃない。中学から仲のいい四人組だ。むしろ居心地がいいし、安心感もある。

 だけど、この春からだ。

「わり、俺今年パス」

「えーなんで」

 ピョンピョンと飛び跳ねて抗議されて、用意していた返答を口にする。

「父方の実家に帰らないといけなくてさ」

「夏休み中ずっと?」

「おう」

 この春からだ。酷く自分の周りが汚く見える。自分に触れるものすべてが気持ち悪くて仕方がない。潔癖症。これに近いのかもしれないが、理由も思いつかなければそんな性格でもない。

 ただ、苦しい。気の許せるはずのこいつらでさえ、触れられるのを躊躇ってしまう。飯の交換なんて、もっての外。どうしてだろう。今までは、春までは、何ともなかったのに。唇を噛む。

「もしかして親から何か言われてる?」

「え、違うけど」

「じゃ、なんでそんな顔してんの!行きたいなら行こうよ」

 騒がしく抗議してくるカズにどう答えようか考えていると、中庭の入り口でやけに間延びした声が聞こえ、そちらに意識を奪われた。

「えー、カナちゃんが悪いんじゃーん」

 金髪だ。すごい形相で睨みつけている転入生にへらへらした笑顔を向けながら、急ぎ足て逃げる。

 何やってんだ、あいつら。本人は気付いていないようだが、かなりの人目を引いている。

「おま、ふざけんな。飲まねぇくせに欲しがんなよ。しかも零すし。まじ意味分かんねぇ。どうすんだよコレ」

「カナちゃんがすぐに手を離さないからでしょ」

「つーか、なんでそれで俺が片づけんだよ」

「カナちゃんやっさしー!」

 よく見れば、転入生は雑巾を握っているらしい。

 あんな汚いものをよく平気で掴めるな、なんて本気で思って、そう思った自分にうんざりする。本当にこれから、どう生活すればいいわけ?

「すげーね、あいつら」

「あぁ、な」

 四人で顔を見合わせて笑って、カズが話題を戻す。

「で、谷口は都合が付きそうだったらすぐ連絡な!」

「おー。ダメな場合は遠慮せずに行けよ」

「まあそうするけどさ。最近谷口何かあったのか?」

 不意に真田に聞かれ、言葉が詰まる。何かって、何もない、はず。

「いや?なんでだよ」

「あ、真田もそう思った?俺も!なんか谷口最近変だよ」

「はあ?カズまでなんだよ」

「だって谷口、最近俺たちと遊んでくれないし」

「それは用事のせいだって」

「ほんとに?」

 手が伸びてきて、思わずビクリと体が強張る。

 やめろ。触るな。その手で、触るな。ぞわり。鳥肌が立つ。反射的にその手を振り払おうとして、ハッとする。

「え、谷ぐ……」

 驚いたようなカズの顔。やばい。

 ベチャ。

 肩に感じる濡れた感覚。一拍遅れて、背中ががっしりとした何かにぶつかった。

「……悪い」

 肩が濡れている。視界に入る、薄汚れた布切れ。気持ち、悪い。サァ、と血の気が引いて、逆に頭には血が上っていく。

「ふざけんな」

 気が付いたら、相手に掴みかかっていた。

 気持ち悪い。なんでこんなものを、こんな汚いものを、ぶつけられないといけないんだ。目の前が真っ赤で、相手が誰なのかも分からない。

「ふざけんな、なんのつもりだよ」

「落ち着けよ、谷口」

「触るな!」

 宥めようとした手を振り払って、目の前の人物に拳を振り上げる。勢いよく振り下ろしたはずのそれは、何の抵抗もなく相手の掌に収まった。

 じわり。手の熱が拳に伝わる。

「……離せ」

 突き放すようにして、離れる。反動で、自分が地面に転がった。

「大丈夫?谷口」

 さっきまで話していた三人が、心配そうに覗き込んでくる。でも誰一人、触れようとはしない。

 これだよ。これが嫌だったんだ。三人が嫌いなわけじゃない。手を差し伸べられるのが嫌なわけでもない。ただ、その手を掴むのに抵抗がある。それだけだ。唇を噛む。

「谷口、三村が俺にぶつかりそうだったのを庇ってくれたのは感謝するけど、そんなに怒らなくていいよ」

 カズの控えめな言葉。スッと息を飲む。ああ、そうか。ぶつかりそうになったカズを庇って代わりに自分がぶつかり、ぶつかったことに対して怒っているのだと。そう取られたのか。

 頭に上った熱が、下りていく。目の前が色を取り戻し、ようやく相手の顔に意識が向いた。

「……三村」

 転入生だ。今度は逆の意味で、血の気が引く。

「あ、悪かった」

 慌てて謝る。振り払われた手をしばらく眺めていた三村の目と、視線がぶつかった。数秒の沈黙。後、ぽつりと言われる。

「別に。お前が悪いんじゃねぇだろ」

「え?」

 聞き返すがすでに本人はいなくて、代わりに明るい声が割り込んできた。

「あーあー。カナちゃんたらカッコいいことしちゃって」

「堺」

 真っ先に真田が反応し、金髪がニコリと笑う。

「お久しぶり、真田くん。あと、さっきぶりだね谷口」

 それから困ったように眉を寄せる。

「ごめんね?カナちゃんがメイワクかけたみたいで」

「……いや」

 本当のところ、転入生が来ていなかったら完全にカズの手を拒んでいた。結果的に助けられていながら、さっきあんなに責めて。落ち着いてみれば、かなり失礼だった気がする。

「そうかもな」

 自己嫌悪に陥っていればどうやら表情に出ていたらしく、唐突に金髪が言う。

「カナちゃんああ見えて結構勘いいし、気ぃ遣うところあるから」

「は?」

「案外わざとかもよって話」

 さて、カナちゃん追いかけなきゃ。そう言って背を向けかけ、あ、と振り返る。

「真田くーん、もし必要だったら谷口に俺らの部室紹介してあげてね」

 それだけ言って去っていく背中を、黙って見つめる。

 近寄りがたい転入生に、それに臆せず絡む金髪。あの二人は、本当に捉えどころがない。

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