4-4. 願い
『久美ちゃんの恨みが千春ちゃんを離れて、俺を殺そうとしますように』
願った瞬間、体にズシリと何かがのしかかった。
首のところから、ひやりとしたものが入ってくる。冷たい。背筋が震える。そのまま背骨を下り、腰まで降りてくる感覚。急に眠気が襲う。ぼうっとして、頭に靄がかかって。ふわふわする。
横目で車道を伺えば、ぺたりとしゃがみこんだ千春ちゃん。何が起こったのか分からない様子で辺りを見渡している。
靄が頭だけでなく体全体を覆う。体が冷たくて、熱くて、感覚が消えていく。力が入らない。目が霞む。体が傾く。足が勝手に動く。眠い。熱い。寒い。冷たい。何が何だか分からない。
足が、階段を上る。ガ、と一瞬つま先が階段の段差に引っかかる。
痛い、痛い、痛い。
痛い?
「……ったー!」
ぷは、と大きく息を吸い込んだ。危ない、結構やばかったかもしれない。
肩が大きく上下する。足先からじんじんという確かな痛み。それを確かめるように指先を動かし、いまだしつこく纏わりつく靄に眉を顰める。頭がはっきりしたはいいけれど、ピンチなことには変わりないらしい。体の中を靄が巡り、ともすればまた意識を持っていかれそうになる。
「いっ!」
手すりの尖ったガラス破片を握り、痛みで意識を保つ。つー、と伝う液体の感触。ありゃ、思ったよりざっくりいったかな、これ。
そんなことよりも、俺は今どこにいるんだろう。確か、階段を上った気がする。そして今目の前に手すりがある。つまり、歩道橋?もしかして俺、落とされる感じ?
「……ねむ」
だめだ。また眠くなってきた。頭がぼーっとして何も考えたくない。
再び勝手に歩き出そうとする足をぼんやりと見つめつつ、もっと強く手を握る。目の前を流れる赤。切れた感覚、伝う感覚、痛みが、ない。……あぁ、眠い。
見上げた先に、赤い風船。そこの左上に肌色のボールが浮かんで。
バキッ!
「いっ……」
頬に強い衝撃。思わず倒れこむ。頭を手すりに打ち付ける前に、肌色の何かに襟首を掴まれて支えられる。頬がじんじんと熱をもって、溜まって、それがだんだん痛みに変わる。すぅっと体が冷え、感覚が戻る。頭が醒める。
襟で首が締まりかはっと咳き込めば、手を離されてそのまま地面に転がった。まだ少しクラクラする頭を上げて確認すると、目の前には見慣れた赤い頭。あぁ、これは。
「ひっどい、カナちゃん」
「あ?おまえが寝ぼけてんのがいけないんだろうが」
「でももうちょっと優しくして欲しかったかなぁ」
いくら痛みで意識戻すって言っても、荒療治すぎるでしょ。というか、結構本気で殴ってたよね、今。
痛む頬を押さえ、立ち上がる。カナちゃんは支えてなんかくれないみたいで、仕方ないから手すりを掴んでふらつく体を支える。相当深く切ったらしく、ガラスを握った手が痛くて仕方がない。怪我は慣れてるとはいえ、痛いのは好きじゃないんだけど。とにかく、被害が手だけで済んでよかった。さすがカナちゃん。
「ナイスタイミング!」
「おまえはもっと危機感持て」
「んん?何のこと?」
「おまえ、今回俺が間に合わなかったらどうなってたか分かってるだろうな」
「死んじゃってた?」
あは、と笑うと、諦めたようにため息を吐かれた。無理もない。こういう状況は、今回が初めてじゃないし。
だけど、ねぇ。
「大丈夫だよ。俺はまだ死ねないから」
俺はまだ、願えるから。簡単には死ねない。
「……言ってろ」
「はーい」
そうこうしているうちに、ようやく意識がはっきりしたらしい千春ちゃんが俺たちの方に歩いてきた。しゃがみこんでいる俺の腫れた頬と赤く濡れた手を見て、きゃ、と声を上げる。
「ごめーん。ヤなもの見せちゃったね。もう平気だと思うし、帰っていいよ?」
「え、でも」
怪我人を放っておけないのだろう、躊躇う千春ちゃんを見て、カナちゃんがハンカチを差し出した。
「ほっとけないなら、手当てしてやれ」
「え、別に大丈夫だよ?こういうの苦手っぽいし、無理しないで」
「いえ、やらせてください!」
「カナちゃんにやってもらうし」
「俺はあいつと話してくる」
顎で、いまだにこちらを遠巻きにして見ているだけの久美ちゃんを示す。確かに、久美ちゃんとはちゃんと話さないといけないだろう。
だけど、それにしても、だよ?
カナちゃんからハンカチを受け取った千春ちゃんを、無理しなくていいのに、と口を尖らせて見下ろす。ほら、そんなに顔を青くしちゃって。
「なんかごめんね?」
「……いえ、私の方こそすみません」
「何が?」
予想外に謝罪され、聞き返す。
「私、さっき気付いたら車道の真ん中にいました」
「そうだね」
「今までもあの子と帰っていて、途中で意識なくなることあって。今回みたいなこと、きっと初めてじゃないんです」
「うん」
「堺先輩は知ってたんですよね、そのこと。だから忠告してくれた」
「まあね」
「すみませんでした。巻き込んでしまって、こんな怪我まで」
ああ、やっぱりいい子だ。大丈夫だよーと頭を撫でようと手を伸ばしかけて、とても撫でられる手じゃないことに気が付き苦笑いを浮かべる。その手を掴まれて、ハンカチでちょんちょんと突かれた。微妙に痛くて、詰まったような息が漏れる。
「ごめんなさい、痛いですよね」
「んーん、ありがと」
笑いかければ、ほっとした顔になった。
「それに、巻き込まれたわけじゃないからね」
たまに千春ちゃんと同じように謝罪してくる人がいる。その意味が、俺にはよく分からない。
「確かに頼まれはしたよ?でも、それを受けたのは俺だし。断れるのに受けた以上、そこから先は自分の責任でしょ」
引き受けた時点で、依頼している側の責任はおしまい。そういうものじゃないだろうか。
「だから、俺が怪我したのだって自分のせい」
「堺先輩って、特殊な考え方しますね」
「そうかなぁ」
千春ちゃんがハンカチで綺麗に止血してくれた手を、ゆっくりグーバーしてみる。痛みも少なくスムーズに動かすことができて、器用だなあと感心する。
それから、カナちゃんと合流しようと立ち上がる。ついでだから千春ちゃんもおいで、と声をかけた。
「……で、やっぱりおまえの友達とやらは死んでんだろ?」
二人に近づくにつれ、聞こえてくる会話。かなり直球な言葉に、苦笑い。
「そうですけど」
「だよな。それでなんで、さっきの女を恨む?」
我ながらかなりいいタイミングで合流したようだ。これが分かれば解決したようなものだもんね。よかったよかった。
「……わかんないっ」
「は?」
「分かんないんです。よく分かんないけど、千春のせいなんです」
自分でも戸惑うように言う。分かんない。分かんない。なんで私は、千春を恨んでるの?理由はないけど、分からないけど、でもきっとあれは千春のせいで。
繰り返す。ただ、ひたすらに。
「落ち着け」
カナちゃんの言葉で、ピタリとそれが止まる。
嘘は人を、他人をだますだけじゃない。自分だって騙せてしまう。知らないうちに。
「おまえの言う友達がなんで死んだのか、聞いてもいいか?」
落ち着いた久美ちゃんに、カナちゃんが問いかける。久美ちゃんが答えようと口を開いたけど、ごめん、遮らせてもらう。
「はいストップ―」
「……堺先輩?」
口を挟んだ俺を驚いたように見るから、ヘラリと笑う。
「ごめんね。でも、そこから先は俺たちには関係ないことだよ」
カナちゃんもカナちゃんだよ、必要ないことにまで頭を突っ込もうとして。こちらを睨みつける視線に肩を竦め、ため息を吐く。だから、そんな眉間に皺寄せてたら取れなくなっちゃうってば。もう一度大きく息をついて、キョトンとしている女の子二人に向き合う。
「えーっとね、大丈夫だよ。千春ちゃんの死にたがりもなくなったし、久美ちゃんの理不尽な恨みも消してあげる」
出血大サービス。本当はどちらもやるつもりなんてなかったけれど、千春ちゃんいい子だし、もし恨みの方を放っておいたら自分の身が危険だし。
「だから、安心して帰っていーよ?」
にっこり笑う。後方で、カナちゃんが頭を掻く。
「わーったよ。……というわけだ。帰れ」
戸惑いながらも去っていく二人を見送り、カナちゃんが俺を睨みつける。うーん、やっぱり怖い顔。
「何か言いたそうだね」
「……何を願った?」
「んー?久美ちゃんの恨みが千春ちゃんを離れて、俺を殺そうとしますようにーって」
「ああ、それで」
「うん。あとは、恨みが消えるように願えばいいだけ」
「それは」
「カナちゃんがいなくなってからやっとく。そうしないと、また久美ちゃんが恨みを感じたときに、俺が殺されちゃうからね。それは困るし」
だいぶ力づくだけど、これ以外方法が思いつかなかったのだから仕方がない。俺はカナちゃんじゃないから、考えるのには向かない。俺にあるのは、必要な記憶力とデータ収集能力、社交力、それから。
「それ、やたらに使うなよ」
「カナちゃんといるときは使えないから安心して」
それから、条件付きの、この能力だけだ。
「そういえば、カナちゃん本屋にいなかった?」
「……いたが」
「驚くほど場違いで、面白かったよ」
思い出してぷっと噴き出す。だって、頭赤い人が本屋にいるとか。似合わなすぎでしょ。
「いんだよ、読みたい本があったんだから」
「ありゃ、カナちゃん意外に読書家なんだね。ただの時間潰しかと思ったのに」
「目的なきゃ入んねぇよ、本屋なんて」
「自分が浮くの、分かってんだ?」
「黙れ」
でも、そうだ。俺にも目的があるから。だから、それまでは邪魔されるわけにいかない。そう願ってしまえばいい話ではあるけれど。
まあ、つまり平たく言えば。
俺の願いは、必ず叶う。
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