2-3. 指切りげんまん

***


 それからしばらく真田くんを観察してみたが、感じることはいつも同じで。しょうもない嫌がらせというよりは、可愛らしい悪戯という印象。本人が肝心なこと隠すなら放置してもいいかなとも思ったけれど、何とかしたいとカナちゃんが言うから真田くんと接触することにした。

「ってわけで、一緒に帰ろ」

「……いや、全然どういうわけか分かんないんだけど」

 ただし今日は部室外で。ほら、もしかしたら嫌がらせの瞬間を見れちゃうかもしれないでしょ。なんて、後ろをついてくるカナちゃんの案だけども。

「じゃあカナちゃん、あと頑張って」

「結局丸投げかよ」

 バトンタッチ、と振り返れば、カナちゃんが文句を言いつつも素直に真田くんの隣に近づく。そのまま隣を歩くけれど、真田くんの鞄が何度かカナちゃんの腕にぶつかり、少し呻いていた。

「あれからも続いているのか?」

「あ、うん。たいしたことはないんだけど」

 その言葉に、カナちゃんが考える素振りを見せる。それを横目に地面を睨んでいたら、綺麗な石を発見した。なんとなくそれを拾って、手の中でクルクルと回す。

「今視線は?」

「感じるよ」

「視線だけか?」

「……どういう意味?」

「いや、聞いてみただけだ」

 カナちゃんの視線が注がれる、真田くんの鞄。よく考えれば、二人で歩くとき普通は人のいる方に鞄をかけたりしない。

 カナちゃんが息を吐く。一瞬視線が交わって、俺はカナちゃんにしっかり頷いてみせた。

「真田。おまえの話を考えてみた。これからその仮説を話す。だがその前に、試したいことがある。ちゃんと責任はとるから試してみてもいいか?」

「え、何……」

「はーい、カナちゃん」

 返事をして、さっき拾った石を大きく振りかぶる。真田くんが動揺しているうちに、容赦なく彼に向って投げつけた。

「うわっ、あぶ……な……」

 真田くんの慌てた声。そのすぐ後の光景に、思わず声を漏らしてしまう。

「消えたな」

「消えたね」

 まっすぐに真田くんに向かっていたはずの石は、真田くんにぶつかる直前に跡形もなく消えていた。

「ちょ、え?なに、危ないだろ。当たったらどうすんだよ」

「当たんなかったし結果オーライでしょ。それにもし本当に当たりかけてても、カナちゃんが防いでくれてたよ」

 我に返って騒ぎ出した真田くんを宥めつつ、彼の手に視線が吸い寄せられる。不自然に後ろに引かれ、ゆらゆらと揺れる腕。

「それより、これもおまえに起こる不幸の一つか?」

「あ、うん、そうだな。ドッジボールのときも、こんな風に消えてたかも」

「つまり、おまえに直接的な危害はないわけだ」

 肯定するか否定するか誤魔化すか。迷うような間。

「……この場合は、そうだね」

「真田」

「何?」

 カナちゃんが、真田くんの手を凝視する。俺だって不思議に思ってはいるけれど、そこに何も見えない。カナちゃんはそこに、いったい何が見えるのだろう。

「もう一度聞く。おまえ本当になんとかしたいって思っているのか?」

「思ってるよ」

「なら正直に答えろ。心当たりはないのか」

「……ない」

「じゃあ、無理だ。俺じゃおまえの不幸は止められない」

「え」

 否定する真田くんに、カナちゃんがはっきりと伝える。戸惑ったような、真田くんの声。だけど真田くん、いい加減腹決めなくちゃ。

「本当にやめたいと言うなら、『その子』を助けたいって思うなら、庇ったりするな」

「なんのこ……」

「いるだろ、そこに。女の子が」

 ずっとずっと、おまえの手を握って。おまえに何か危害が加えられないよう守っているだろ。

 真田くんの手が、ピクリと動く。ダランと垂れたままの手は、つなぐ相手の身長がそれほど高くないことを示していて。後ろに隠れるように引かれた手が前に出てきて、まるで誰かが顔を出したみたいだ。

「おまえがそいつを庇っているのは分かる。助けたいと思っていることも分かる」

 相談を持ち掛けて、だけど心当たりがあるくせに言わない。起こった不幸は子供だましな可愛いもので、子供の親切心の空回りの結果としか思えない。傘だって、赤ペンだって、泥団子だって、子供からしたら嬉しい贈り物だ。でも。

「助けたいのなら、庇うのをやめろ」

 今度はちゃんと答えろ。

「誰かと特別なことをしたか?」

 カナちゃんへの返事はしばらくなく、沈黙に焦れて口を挟む。

「あのさあ、真田くんがその子を庇い続ければ続けるだけ、その子はそこに縛り付けられないといけないんだよ」

 きみはきっと、それを望まないはずだ。だから。

「ね、真田くん。何か特別なことした?」

「……り」

 ポツリと。真田くんの口が動く。

「指切り」

 ゆっくりと繰り返す。あぁそう、指切り。また、厄介なことを。零れそうになるため息を堪え、言葉を続ける。

「もう一回、初めから事情を話せる?」

 渋々頷いて、口を開く。

 話によれば、始まりは去年の秋のことだったという。

「傘のことがあるすぐ前だったかな。道端で女の子を見つけたんだ。しゃがみこんで泣いていた」

 どこにでもいる、普通の女の子。

「迷子だと思って声をかけた。どうしたの?って。声をかけたらこっちを見た。やっぱり、普通の女の子だった」

 迷子?お父さんとお母さんは?

 尋ねたけれど答えてはくれなくて、ただ何となく放っておけずしばらく側にいてあげた。そうしたら急に顔を上げて、みんなみんなもういないの、そう言ったらしい。

「その子、ずっと泣いてたんだ。なんでみんないなくなっちゃうのって言って。だから、それなら俺が一緒にいてあげようかって言った」

 知らなかったから。その子が実在しない存在だなんて。本当に。

「約束?ってその子が聞くから、約束だよって答えた」

 それで。

「指切りをした」

 思いを馳せるような、遠い視線。揺れる腕。

『俺が一緒にいてあげようか』

『ほんとに?』

『うん、お父さんとお母さんが見つかるまで』

『やったあ!じゃあお兄ちゃん、指切りしよ?』

『いいよ』

 ゆーびきーりげんまん。

『お兄ちゃん、私にも何かできることない?』

『え?なんで?』

『おれいだよ、おれい。いつもみんなそう言うの。おれいはちゃんとしなさいって』

 うーそつーいたら。

『じゃあ、お父さんとお母さんが見つかっても、俺のこと覚えていて。もし見かけたら声をかけて』

『声をかけてもいいの?』

『そりゃ、いいよ。だから、そうだな、きみに見守っててもらうことになるのかな』

『見守ってていいの?』

『いいって。……お兄ちゃんと約束してくれる?』

『うん、約束する!』

 はーりせーんぼーんのーます。

『じゃあ、約束な』

 ゆーび切った!

 頭の中で真田くんと女の子の声が綺麗に重なって、絡まっていた小指がそっと離された。意識を目の前の真田くんに戻す。

「指切りして、すぐにその子は消えた。そこで初めて、その子が実在しないんだって気付いたんだ」

 女の子が消えたあと、しばらくぼうっとしていた。なんてものと約束してしまったんだろう。まずいことをしたんじゃないか。そうは思ったけれど、後悔は微塵もなかったという。

「あの子が悪さをするとは思えなかったし、もし実在しないって知ってたとしても、俺はきっと声をかけたと思う」

「それでおまえ自身が不幸になったとしても、か?」

「うん。だって俺が声をかけなかったら、あの子は今でもずっと迷っていたかもしれない」

 そう言って真田くんが息を吐く。同時に俺も、大きく息を吐きだした。

 彼の言い分も分かるから一概に責めることはできないけれど。だけどやはりイライラする。助けてよかったと言いながら、不幸を止めて欲しいと言う。助けたいと言う。今彼女がどんな状況にいるのか本能的に分かっているくせに、意識的に目を逸らして。人間特有の、傲慢さ。

「じゃあ真田。おまえはなんで俺たちに相談した?おまえは今の状況に満足してんだろ?」

 女の子と約束をした。両親が見つかるまで一緒にいてあげると。その代わり、両親が見つかった後も見守って欲しいと。

 今はまだ、約束の途中だ。

「なあ、真田」

 カナちゃんが呼びかける。

「おまえ今、その女の子が見えるか?」

 カナちゃんには、俺たちには見えない何かが見える。コミュニケーションが取れる。本人は否定するけれど、そうに決まっている。そのカナちゃんが視線について尋ねたとき、真田くんはどちらも肯定した。視線を感じる。そう答えた。

 だけどカナちゃんが今それを尋ねたからには、違和感があったはずだ。少なくともどちらかでは、カナちゃんには見えなかったはずなんだ。つまり、それは。

「……見えない。俺には、あの時しか見えなかった。初めて話しかけたあの時しか」

 真田くんは今、女の子を見ることができない。

 だけど、と真田くんが言葉を紡ぐ。自分の脇に視線を向ける。

「分かるんだ。ここにいる。ここに、確かにいる」

 ダランと垂れた腕。何かに引かれるように、不自然に揺れる。ここに、ここに。確かにここに、彼女はいるんだ。

 カナちゃんが顔を顰める。

「おまえは、そいつがどうしてそこにいるのか分かってんのか?」

「どうしてって」

「おまえ約束したっつったな。両親が見つかるまで一緒にいると。それが叶ったならおまえを見守ると」

「あぁ、うん」

「だけどおまえだって気付いたっつってただろ。そいつは、ここにいちゃいけない存在だ」

 きっと女の子は、両親を見つけた。それで知ってしまった。自分はもう生きていない。お父さんとお母さんのところに行かなくちゃいけない。

 でもそうしたら、約束は?

両親は見つかった。二人のところに行きたい。約束したのに、見守れなくなってしまう。

「そいつは、親んとこ行きてぇんだよ。だけどおまえとの約束がそれを邪魔している」

 せめてそのことを伝えたい。伝えたい。伝えたい。伝わらない。伝えられない。

 自分の姿はもう、誰にも見えない。自分が生きていないと自覚した瞬間から、自分の姿は消えてしまったから。だけど気付いてほしい。伝えたい。

 どうしたらいい?

「そいつは、おまえに気付いて欲しくてそこにいんだよ。気付いて欲しくていろいろやったんだよ」

 ごめんね。約束守れなくてごめんね。だけど、一緒にいてあげるって言ってくれたの、嬉しかったんだよ。女の子の声が聞こえた気がした。

「向き合ってやれよ。気付いてんだろ、そいつの気持ち。おまえの不幸の理由だって。だったら、助けてやれよ」

 腕が、また動く。それに反応して、真田くんが唇を噛んだ。

「……どうしたらいい?」

「知らねーよ。おまえが引き留めたんだ。おまえが解放してやれ」

「でも俺にはもう見えない」

「見えないだけだろ」

 カナちゃんが肩を竦める。

「まったく干渉できないわけじゃない」

 現に今、真田くんは嫌がらせを受けている。視線だって感じられる。その手を握っている存在に気付ける。

「そいつだって、おまえの声くらい聞こえるだろ」

 真田くんがちらりと手に視線を送る。

 ここに、ここに。確かにいると。そう言ったのは真田くん自身だ。

「分かった、やってみる」

 カナちゃんがふー、と息を吐きだした。これで俺たちのお仕事もおしまいかな。

「カナちゃん、帰ろうか」

「あぁ」

 真田くんに声もかけず、背を向ける。一度振り返った真田くんは地面にしゃがみ込み、何か小さなものを抱きしめているように見えた。

「カーナちゃん」

「んだよ」

「優しいね、相変わらず」

「なんのことだ」

「とぼけないの」

 クスクス笑えば、カナちゃんの眉間に皺が寄る。怖い顔。

「結構苛立ってたのに助けてあげてるし、自分で解決させてあげてるし」

 やっぱり、カナちゃんは優しい。

「そんなんじゃねぇよ」

 返ってくる否定の言葉。だけどどんな方法であれ、カナちゃんは助けようとする。相手が誰でも。きっと。

「場合が場合だったから、仕方なくだ」

「場合?」

「指切り。昔は実際に自分の小指を相手に切り渡すことだってあった。その行為の名残だ」

 たかが約束のために、自分の体の一部を犠牲にする。そんな行為だ。それだけの怨念がこもっていてもおかしくない。

「しかも相手が子供だからな。無邪気な分、余計何があるか分からない」

「そうかもね。ま、子供に限らないだろうけど」

「何が言いたい」

「べっつにー?ただ、約束なんて気安く結ぶもんじゃないって話」

 約束なんて絶対に守れるわけでもないし、守れる確証がなければそれはただの裏切りに成り代わる。その裏切りの痛みを知らない人間が、簡単に結んでいいものじゃない。

「……おまえ」

 キュッと唇を噛めば、カナちゃんから意味ありげな視線。向き合って、笑顔を浮かべる。

「なあに」

「いや、なんでもねー」

「そ?それより、これからちゃんと依頼来るかな」

「そう願っとけ」

「願っていーの?」

 にやりとして伺えば、無言で無視される。

「ねぇ、カナちゃーん」

 ズドーンと背中に追突しようとしたら、簡単に避けられた。

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