第20話 暗雲の出撃

 本隊が潜水艦より「敵艦隊発見」の報告を受けたのは、華香たちが報を聞く一時間も前の事であった。

 即座に索敵機が飛び立ち敵艦隊を発見、輸送船約三十、空母を含む機動艦隊が護衛に付いているという報告の後に通信は途絶えた。おそらく撃墜されたのだろう。

 この報告に司令部は悩んだ。

 輸送船約三十となると便乗している歩兵は優に一万を超える。空母だけではなく戦艦も出現しているという報告であるから、敵はレゼン島奪還に本格的に乗り出したと考えるべきだろう。

 これだけの船舶が一挙に現れたのであるから、先の船舶二十隻撃沈という戦果は誤報であると判明したわけだが、今さら解ったところでどうしようもない。

 とにかくこのままではレゼン島に上陸されてしまうので阻止せねばならないのであるが、しかし情報があまりにも遅すぎた。

 情報が届いた頃には日は暮れかけていたし、本隊のいるタレンザカン飛行場付近の天候は極めて悪化しておりとても飛行機を離着陸させられる状態ではなかったのである。

 レゼン島には陸軍〝勇〟部隊将兵二千五百名しかなく、敵部隊が上陸を開始すれば玉砕は必至であろう。しかし攻撃に向かう事が出来る戦力があまりにも貧弱に過ぎた。

 攻撃か、それとも傍観か。意見の割れる指揮所で華香は「攻撃させてください」と短く司令に意見具申をした。

「我が隊はあくまで三機、確かに貧弱な戦力ですが一隻くらいは撃沈できる筈です」

 あくまでも毅然とした態度で言う華香に、司令は犬のような唸り声を絞り出した。

「敵は三十隻以上だ。一隻くらい沈めたところで何になる? それよりも戦力を温存した方が良いのではないか」

「しかし司令、それでは敵を無傷で上陸させる事になります」

 華香と同様、攻撃に賛成な飛行長が司令の意見に異を唱える。

「確かにたかが一隻かもしれませんが、その一隻には何百という陸兵や兵器が載っています。一隻沈めれば、それだけ陸軍の負担を減らす事が可能です」

 司令、

と華香は詰め寄る。

「重ねて承認をお願いします」

 再び司令は唸り、それから飛行長と華香の背後に視線を向けた。

 二人の背後には既に情報を聞いた搭乗員たちが駆け付けており、司令の決断を今か今かと待ちわびている。

 司令は黙って、その一人一人の顔をなぞるように見る。

 いずれも分遣隊設立当初から所属している搭乗員たちだ。全員が大切な部下であり、全員が家族のような存在であった。

 敵の護衛には空母を含んでいるから、おそらく戦闘機による迎撃がある事が想定される。搭乗員たちが無事に船団に辿り着けるのかどうかすら賭けに等しいのだ。

「そもそも夜間だ。命中弾を出すのも難しいだろう。行ったところで無駄なのでは……」

 司令がそう言った途端、バンッ! と華香が机を叩いた。

「ではこれから死ぬ陸軍の兵隊に〝無駄だから私たちは何もしませんでした〟と言うのですか!」

 あまりの剣幕に司令は思わず後退りした。

「人情としてはそうかもしれない。しかし……」

 再び司令は搭乗員たちの顔を見た。誰もが優柔不断な司令と違い、既に決意を終えた表情をしている。

 ――――なんて、愚かな。

 短い間があり、それから司令は決断を下した。

「……攻撃を許可する」

 出撃をするのは自分ではない。死ぬのも自分ではない。

 ならば決断を委ねるべきは自身ではなく、実際に戦う搭乗員たちだ。

 目の前で華香と飛行長が敬礼をする。もはや迷いはなく、その眼には司令への敬意と感謝の念。

 即座に爆弾の搭載と攻撃への順序立てが始められる。

 潜水艦の情報と索敵機の最後の報告から敵艦隊の位置を割り出し、僅か三機だけでどのように敵を見つけ出すかを指揮官たちは協議し、その間に搭乗員たちは爆弾を愛機に搭載した。

「レゼン島を中心に、半円を描くように飛んで敵を捜索します」

 全ての作業が終わって指揮所に集まった搭乗員たちに華香が説明をする。

「敵の目標はレゼン島であると解っているので、針路は凡そですが推測できます。その線上に飛べば敵を発見する事は不可能ではないでしょう」

「隊を分散させて捜索した方が良いのではないでしょうか」

 誰からか疑問の声が出る。

「捜索だけならばそれで良いでしょうが、今回はそのまま攻撃に移ります。一機ずつでの攻撃では成功率は極めて低いので固まって飛行をします」

 他には? と華香は搭乗員たちを見渡す。

「今回の目標は輸送船を第一とし、第二目標を空母とします。二十五番(二百五十キロ爆弾)なら輸送船を撃沈出来ますし、空母は撃沈せずとも飛行甲板を使用不能にする事は可能な筈です」

 最後に、と華香は加える。

「嚮導機は三○八号、空中指揮は飛行長が執ります。質問は?」

 誰も手は上げない。華香が頷くと、搭乗員全員に水杯が配られる。

 最後に司令が搭乗員たちの前に立って短い訓示を述べた。

「我々は僅か三機しか有していない。だが断じて行えば鬼神も之を避くの故事の通り、決死の覚悟で立ち向かえば事態を好転させる事が出来ると私は信じている。諸君らの奮戦を期待する」

 別盃の号令で全員が盃の水を飲み干してから叩き割る。

 その中で糖子だけは今回も割らずにソッと懐の中に仕舞いこんだ。例えどんな状況であれ、必死の飛行に行くつもりは毛頭ない。必ず帰って来るのだ。

「掛かれ!」の号令で全員一斉に愛機に走って行く。

 先の爆撃時は故障で補機を使ったが、今回は愛機三○八号だ。多数の弾痕を「膏薬」と呼ばれるジュラルミンのパッチで塞いだ姿は痛々しかったが、エンジンその他の機能は完全に修理されて何の問題もなく動いていた。

 糖子はいつも通り三○八号の搭乗口の前で一度立ち止まって「よろしくお願いします」と頭を下げてから乗り込んだ。

 地上整備員によって三○八号のエンジンには既に火が入っており、轟々と勇ましい音を出してプロペラを回している。

「機関席異常なし」

「電信機異常なし」

 各部からそれぞれ報告が入る。糖子も爆撃席に降り、各計器類を点検し、伝声管で「爆撃席異常なし」と報告をしてから偵察席に戻った。

 飛び立つ際には風向、風速を知る必要があるが、今日の出撃は星も出ていない夜なので暗くて吹き流しも見えない。そのため機体上部の非常口から幟のような吹き流しを出して随時報告が成されていた。

 三○八号はゆっくりと滑走路脇を移動し、離陸線へと向かっていく。その光景は偵察席にいる糖子からは見えなかったが、それでも身体に伝わる振動で機体が移動をしているという事だけは解った。

「指揮所より離陸よしの指示出ました」

「了解、これより離陸する」

 機体が速度を出し始めた。

 闇夜なので滑走路の両端にはカンテラが並べられている。軍艦に倣って艦首灯、艦尾灯と呼ばれるソレを頼りに三○八号は滑走路を走って行く。

 今日は一トン近く爆弾を抱いているので機体も重い。操縦している人間も苦心しているな、というのを感じていると機体は徐々に浮かび上がってきた。

 そして浮かんだと思ったら、あっという間に機体は空へと舞い上がっていき、気付けば闇夜の空を泳ぐように飛んでいた。

 一度、島の上空を旋回して僚機を待ち、二番機、三番機が飛び上がったのを確認してから合流して目標へと飛んでいく。

 四周見渡す限りの雲だ。星もなく、月も見えない。ただ闇の中を延々と浮かんでいるだけのようである。

 思えば夜間飛行は経験した事があるが、夜間爆撃は訓練でもほとんどやっていない。はたして成功出来るのかどうか、疑問ではある。

 しかし糖子の不安を余所に三機の焔雲は快調そのもののエンジンを唸らせて闇夜の大空を飛んでいった。

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