本日爆撃日和也
第19話 決意
「カツレツ……ビフテキ……稲荷ずし……ライスカレー……大福……天丼……カツレツ……あ、さっき言ったか」
昼下がりの宿舎で、糖子は呟きながら紙に適当な事を書きなぐっていた。
本日は晴天、良好な爆撃日和である。
しかし司令部の方から先日攻撃した敵船団が再出現する可能性が高いとして、ハシヤマ分遣隊を含む鹿目航空隊には待機命令が下されていた。哨戒任務は他の水上機部隊が引き受けているらしい。
そのためやる事の無くなった搭乗員たちは各々で暇つぶしをしていた。
各々暇つぶし、とはいうが実際のところはほとんどが寝ている。暑くて起きていてもやる事が無いのだから当然だろう。みんな宿舎は暑いので出て行って、どこか適当な木陰で昼寝をしているようであった。
「なに書いているんですか?」
読書をしていた琴音が本から視線を糖子に移す。
「食べたい物一覧」
言いながら糖子がいま食べたい物を書き連ねていた紙を見せると、琴音は呆れたとばかりに溜息を吐いた。
「たまにはまともに何か勉強をしていると思ったらそれですか」
「良いじゃない。自分だってそんな高向けな本を読んでいるわけじゃないでしょ?」
「この暑い中、頭を使う本は読みたくありませんから」
否定せず、琴音はそのまま本を読み続ける。本は読まれ過ぎており、表紙もそこかしこが皺だらけになっていた。
「出撃や訓練をしている時は休みたいと思っていたのに、いざ暇になると飛ぶのが恋しいね」
「飛行機乗りの性ですかね」
話しつつも琴音は本から目を離さない。糖子などは本を読んでいる時に話し掛けられても、話しはおろか返事もできないので二つの事を一度に出来る琴音は凄いと思う。
もっとも空では糖子も同じ事をしているのであるが、そこら辺の実感を糖子は持っていなかった。
「しかし二十隻撃沈って言うのは本当なのかね」
寝台で寝転がっている飛文が団扇で仰ぎながら言う。
先日の船団攻撃であるが、司令部の発表によると鹿目航空隊全機の攻撃で二十隻の船を沈めたらしい。事実であれば大戦果であるが、しかし戦略などに無知な糖子でもそれが誇張であるという事は流石に解った。
「二十は嘘ですよ」
相変わらず本から目を離さずに琴音は言う。
「そもそも鹿目航空隊は規定数が五十前後ですよ。二十隻撃沈が本当ならば、半数近い機が敵に致命傷を与えたという計算になるじゃないですか」
琴音の言う通りだ。
鹿目航空隊はハシヤマ分遣隊を含めて約七十機の陸攻を保有しているが、そのうちの二十弱は補機であって出撃する際には使用されない。必然的に全力での攻撃は約五十機という事になるが、その数で二十隻を沈めたとなると相当数の命中弾を出した事になる。
だがハシヤマ分遣隊三機で一発の命中弾も出せなかった事を考えると、とてもそんな命中率を叩き出せるとは思えなかった。
確かに爆撃の他にも雷撃を行った機体が出ているが、それだって全部が命中させられるわけではない。外した機体も少なくないだろうし、そもそも撃ち出す前に相当数が撃墜されたと聞いている。とても二十隻も撃沈出来たとは考えられなかった。
「スコールせっきーん」
ガンガンガンッと警金が鳴り響く。
みんなソレッと一斉に手拭いと石鹸を片手に出て行ったが、しかしそれに続く気にはならなかったので糖子は一人兵舎の中でゴロゴロを続行していた。
相変わらずスコールは激しい。
内地のようなシトシトという風情のある音ではなく、延々とザーッというノイズのような雨音なので酷く耳障りだ。
しかしそれも慣れてしまえば何も感じず、ただの
ボンヤリしながら糖子はそのノイズのような音を聞いていた。
「黄里さん」
不意に声を掛けられ、糖子は首だけ声の方向に向ける。
そこに立っていたのは華香であった。上官であるので慌てて飛び起きて直立不動の姿勢をとる。
「ご用でしょうか」
「いえ、少しお話でもしようかと」
言いながら華香は糖子の対面の寝台に腰を下ろす。
普段は差していない軍刀を腰からぶら下げているのに否が応でも目がいってしまった。
視線が軍刀に釘付けになっているのに気付いたのか、華香は「これで何かしようというわけではないです」と微笑む。
華香に座る様に促されたので糖子も自分の寝台に腰を下ろした。
「この前は止めてくれて有難うございます」
ペコリと華香は頭を下げた。
華香の場合を除き、基本的に士官が下士官兵に頭を下げるというのはほとんど在り得ない事なので、こういう時はどういう反応をしたらいいのか困る。
とりあえず「はぁ」と曖昧に答えて糖子も頭を下げた。
「ところでコレは……」
華香の腰に下がっている軍刀を指差す。
基本的に軍刀は任官した時に私費で購入する物であり、華香の年齢を考えると新品同様の筈である。しかし彼女のソレは鞘や柄などが使い古されており、まるで年季の入った代物であるかのようだ。以前、彼女が異動してくる際にも見ており、その時はまるで気にしていなかったが改めて考えると妙である。
「これは恩師に頂いた物です」
言いながら華香は軍刀を手に取ると、僅かに刀身を抜き出す。ギラリと刀身は鈍く光った。思わず糖子は後退りする。
「へぇ……海軍の人だったんですか?」
「はい。攻撃機乗りで……空母に乗り組んでいました」
華香は刀身を鞘に納める。
「攻撃機の本分は艦隊撃滅にあり。攻撃機乗りは敵艦隊と相打ちて死ぬ事こそ本分というのが口癖の人でした」
攻撃機乗りの鑑のような人である。
「だから私も教えに従って、敵艦隊と闘って死のうと思っていました。それが正しい飛行機乗りの……攻撃機乗りの本分だと」
軍刀を懐かしむように華香は撫でる。
「でも私は失敗しました。爆撃も、死ぬ事も」
言いながら華香は何かを見上げる。天井には埃だらけになった裸電球しかぶら下がっていない筈だが、しかし華香の視線はもっと上を見ているようだった。
「だからお腹切ろうとしたんですか」
糖子の言葉に華香は困ったように微笑んだ。
「責任を取るのは必要ですから」
でも、と華香は続ける。
「なんだかそれは違うような気がしてきました。確かに責任をとる事は大事だけれど、切腹をしないでも責任はとれるのではないかと」
「そもそも切腹は責任放棄です」
糖子の言葉に華香は「え?」と目を丸くした。
「責任を取る、という事は自分のやった事の後始末をする事です。切腹は責任を取るように見えますが、その実は後始末を人にやらせているだけです。本当に責任をとりたいと思うのであれば生きて責務を全うすべきです」
言ってから、糖子ははにかんだ顔で華香を見た。
「なんて……私の言葉じゃないですよ。練習生時代の教官が言っていた事です」
練習生時代を思い出す。あまり人間として褒められた教官ではなかったが、それでも色んな事を教えてくれた。
「最近の人間は腹を切れば全て収まると思っている。でもそれだからいつまで経っても前に進まないんだって言っていました」
「なかなか辛辣な人ですね」
「そうですかね?」
むしろ事実を突いていると思うが。
「黄里さん本人はどう思っているんですか?」
私ですか? と糖子は自身を指差す。
「うーん。深く考えた事はないです。でも一回の攻撃で死ぬというのは勿体ない事だと思います」
「勿体ない?」
「前にも言いましたけれど魚雷は一年掛からずに出来ます。でも搭乗員は作るのに二十年は掛かります。単純に値段……教育費も魚雷を大きく超えますし。それを一回で使い切るのはどうなんでしょうか」
私は、と糖子は続ける。
「どんな惨めでも生き残って、何回も攻撃に出るべきだと思います。それが結局国のためになるんじゃないでしょうか」
糖子の言葉に華香は何か考えているようだった。前は聞く耳持たずという様子であったが、今回は何か思い当たる節でもあるのか華香は真剣な顔をしている。
「まぁ、二十歳にもなってない人間が偉そうな事ですが……」
「いえ、その年下に諭されているのは私ですから」
何か思い至ったのか、華香は先ほどよりも明るい顔で背伸びをした。
「ありがとうございます」
「え、何がです?」
「いろいろですよ」
そう言って、華香は微笑む。
「黄里さんの言う通りです。私たち攻撃機乗りはただ一回で死なないで、何度も出撃を繰り返すべきだと思います。例え、それが傍から見れば惨めでも」
そう華香が頷いた時、不意に宿舎の外から「巖渓少尉はいますか!」という切迫した声が聞こえてきた。
「どうしました」
宿舎の窓を開けて華香が顔を出すと、通信兵が雨衣も着ずにびしょ濡れで立っている。
「本隊より連絡! 南南西五十海里地点にて潜水艦が敵艦隊を発見しました!」
「解りました。直ぐに行きます」
言ってから華香は糖子の顔を見る。
「敵艦隊です。たぶん出撃になります」
そこまで言ってから、華香は真っ直ぐに糖子の顔を見据えた。
「行きましょう」
そう言って差し出した右手を、糖子は強く握って立ち上がった。
「はい。行きましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます