第18話 腹と軍刀

 その日の夜はお通夜のようになった。

 損失はなく、死傷者も出なかったにも関わらず、である。

 やはり初めての船団攻撃なのに一発の命中弾も出せなかったのは痛恨の極みであったようだ。

 これについては照準をした糖子に全責任があると言っても大袈裟ではないが、しかし批判の対象は糖子ではなく華香へと向かっていた。

 嚮導機の指揮を執っていたのは華香であるというのも勿論あるだろうが、後続機によれば爆弾投下直前に嚮導機が旋回をしたらしい。唐突に機体が傾いたように感じたのは、そのせいであったようだ。

 理由は定かではなく、単純に操縦ミスだろうと糖子は思ったが、しかし他の搭乗員たちはそうは考えなかったらしい。特に目撃した後続機の操縦員は「間近で砲弾が炸裂したから怖気づいた」ように見えたらしく、終始批判を繰り返していた。

 初の船団攻撃でのミス。それだけでもツラいのに、さらに周囲からの批判の声。

 よほど精神的なダメージが大きかったのか、帰還してから華香はずっと自室に籠っているらしい。

 糖子からしてみれば落胆し過ぎているように思える。

 確かに自分のミスで投下に失敗してしまったのが悔しいのは解るし、無念であっただろうというのも理解は出来る。

 しかし生きて還って来られたのだから良いではないか。何しろ全員が無傷で還って来る事が出来たのだ。

 そう思ってしまうのは糖子と華香の思想があまりにもかけ離れているからなのかもしれない。

 瞼が酷く重いので、まだ消灯の時間ではないが眠る事にした。どうにも疲れてしまった。それに起きていても考え事をしてしまうばかりで、余計に疲れてしまう。

 無駄な思考を意識の外に追い出し、糖子は眠りについた。


   ……


 夜中に唐突に目を覚ました。

 周囲を見渡せば、糖子と同じように皆眠っている。流石に疲れたのか、みんな寝息も立てないような熟睡だ。

 今日はギターの音色も聞こえない。華香も疲れているだろうから当然だろう。

 何だか胸騒ぎがして、糖子は宿舎から出た。

 どうもザワザワという妙な雑念が入る。その正体がなんだか解らないが、知らない間に足は士官用宿舎の方に向かっていた。

 当然ながら用がなければ下士官兵が士官用宿舎に入る事は出来ない。そのため来たのは良いものの、糖子は宿舎の前で立ち止まって、ただ見上げていた。

「どうした」

 不意に声を掛けられたので振り向くと、宿舎のデッキに椅子を並べて寝転んでいる士官が見えた。顔見知りの指揮所附の女性少尉である。

「いえ、特には……少尉はなんでこんな所に?」

 熱帯とはいえ夜は肌寒いし、下手をすれば蚊に刺される可能性も高い。いちおう毛布と蚊取り線香は出してあるが、そんな事をするならば自室で寝た方が良いに決まっている。

「いや、巖渓に一人にさせてくれって追い出されてね……」

 椅子だと腰が痛い、と文句を言いながら少尉は身体を起こす。

 そういえば彼女は華香とは相室であった。

「それは災難でしたね」

「全くよ……」

「なにか様子とかおかしくありませんでした?」

 糖子が訊くと少尉は「んー?」と言いながら首を鳴らす。

「そういえば従兵に二種を出させてたね」

 二種というのは二種軍装の事であり、夏用の軍服である。白い詰襟のいわゆる一般の人が想像する「海軍軍人の軍服」といえば解り易いかもしれない。

 三番島――否、南方にいる軍人は士官、下士官関係なく「略衣」と呼ばれる緑色で開襟の軍服か半袖短パンの防暑服を着ているので縁の薄い軍服ではある。

 嫌な予感がした。

「すいません、少し様子を見て来ても良いですか?」

「良いよ。ついでにもう戻って良いか聞いて来て」

 頭を下げてから糖子は士官用宿舎に入る。下士官兵用の宿舎と変わらない簡素な造りの建物であるが、士官たちは一人あるいは二人部屋なので沢山扉があるのが印象的であった。

 華香の部屋は一番奥なのは知っているので早足で廊下を進んで行く。いつもは誰かが起きているのであるが、今日はみんな眠っているのかどの部屋も静かであった。

「巖渓少尉」

 目的の部屋に付いたので扉をノックする。

 しばらく無音であったが、間を置いてもう一度ノックするとガチャガチャと何やら慌ただしい音がして扉が開いた。

「なんですか」

 出てきた華香は襦袢シャツに二種の軍袴ズボンという出で立ちをしていた。

「いえ、特には……吾野少尉がそろそろ戻って良いかと聞いていました」

 嫌な予感がしたので様子を見に来たとは言えないので、適当に繕った事を言うと華香は少し考えた後に「そうですか」と小さな声で頷いた。

「もう戻ってきて良いと、伝えておいてください」

「解りました」

 そう言ってから、糖子は改めて華香の顔を見た。

「お腹なんて切らないでくださいね」

 糖子の言葉に華香は驚いたように目を丸くする。それから一瞬、視線を泳がせてから微笑んだ。

「そんな事をしませんよ」

 そうとはっきり解るほどに解り易い、取って付けたような作り笑いであった。

「……巖渓少尉の責任ではないですから。失礼します」

 頭を下げて、部屋の中を流し見てから糖子は踵を返す。

 一瞬しか見えなかったが。

 部屋には確かに綺麗に畳まれた軍衣と、刀身に白いマフラーの巻かれた軍刀が置かれていた。

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