敵船団を叩け!

第17話 船が七分に海が三分!

 何やら外が騒がしい。

 薄暗い部屋の中で漠然と糖子はそう思った。

 糖子がいる場所は仮設の営倉(軍における牢屋)。分がどちらにあれ、士官と下士官が殴り合ったのでは、後者が悪者扱いされるのが軍隊という組織である。

 結果として華香と殴り合った糖子は重営倉入りが命ぜられ、木で仮組されただけの薄暗い営倉の中に放り込まれてしまった。

 悪環境にブチ込まれた事については我慢できるが、何しろ重営倉で出される食事は米と塩、水だけである。食事が大事な糖子にとって耐えられる物ではない。さりとて悪いのは自分なので何も言えずにただ営倉の中で物思いにふけっていた。

 どういうわけだか外が騒がしい。

 確か今日は哨戒飛行しかない筈なのに、焔雲の勇ましいプロペラの回転音がやけに大きく聞こえてくる。一機だけの物ではない。音量から察するに確実に稼働機全部のプロペラが回っている。

 なんだろう。

 敵でも現れたのだろうか。

 しかし重営倉の糖子であるから、おそらく出撃も許可されないだろう。ここでお留守番という事だ。

 そんな事を考えていると、唐突に営倉の扉が開け放たれ、眩しい南洋の光が一斉に営倉内に無遠慮に入って来た。眩しさで思わず顔を歪める。

「出ろ! 攻撃だ!」

 呼び出した搭乗員はやけに興奮しているようだった。

 ただの攻撃任務であれば糖子は営倉内に置き去り、みんな黙って出撃していっている筈であり、重営倉の糖子まで引っ張り出すとなるとただ事ではない。

 搭乗員が放り込んできた飛行服と救命胴衣に身を包み、彼について指揮所前まで駆けて行くと、既に基地内の搭乗員全員が整列をしていた。

「何かあったの」

 糖子が琴音に訊ねると、琴音は短く「敵船団です」と答える。

「船団?」

 聞き返す間もなく、いつも通り黒板の前に立った飛行長が説明を始める。

「本日未明、レゼン島南方三十カイリに敵輸送船団が出現した」

 レゼン島というのは先日、陸軍部隊が多大な犠牲を払って上陸作戦を敢行、占領した孤島である。現在は飛行場設営をしている最中と聞いていたが、どうやら奪還に来たらしい。

「情報によれば敵船団は目下、レゼン島に向けて北上を続けている。これに対して我が鹿目航空隊に攻撃命令が下った。当然ながら我が隊もこの攻撃に参加する」

「いよいよか」

 我が意を得たりと搭乗員たちが意気込む。

 海軍の飛行機乗りの本懐は敵機の撃墜でも、敵要地の爆撃でもなく、敵艦隊との戦闘にある。そのために日夜爆撃の訓練を行い、時に超低空を飛んで雷撃訓練を行って来たのだ。

 続いて現状の軽い説明がなされる。

 現在、まだ敵艦隊は発見されたばかりで北上中以外具体的な進路は解っていない。高空隊がどのように攻撃をするか、何機出撃するかなども本隊と打ち合わせ中であり、とにかく攻撃命令一下直ぐに飛びたてるようにと命令が下された。

 終わると搭乗員たちは一斉に爆弾の搭載作業に移る。敵艦隊攻撃の本懐である魚雷がないのは残念であったが、贅沢は言っていられない。

 全身汗だくになりながら爆弾を搭載する。いつも使用していた陸上用の通常爆弾ではなく、遅延信管を取り付けた対船舶用の徹甲爆弾だ。

 搭載作業をしている間にも、順次情報は入ってくる。どうやら敵は輸送船だけではなく、重巡洋艦を配する護衛艦隊も追従しているらしい。

 そこで攻撃目標は第一が重巡、第二が大型輸送船と定められた。とにかくデカいのを仕留めろという事だ。

 搭載終了後、司令から極めて短い訓示があった後に全員が仮設の待機所で出撃命令が出るのを待つ。

 既に索敵機が何機も飛ばされており、敵の動向は探られている筈なのであるが命令はいつまで経っても来ない。

 待機所で「最後の晩餐」とばかりに、山と積まれている果物の缶詰やビスケットを頬張りながら待つ。情報だけは入って来るが、一時間ほどしても出撃命令は出なかった。

「まさかオレたちだけ置いてけぼりって事はないよな」

 この間の爆撃で負傷した傷跡を摩りながら飛文が言う。

「あり得るかもしれませんね。どうせ三機ですし」

 他人事のようにビスケットを齧りながら琴音が返答した。どうやら彼女はあまり攻撃に興味がないようだ。彼女らしいといえばらしい反応である。

 実のところ、糖子もあまり攻撃には興味がない……というよりも前向きには考えられなかった。

 敵は相当な敵船団であるという。ならばきっと対空砲火の類も今までとは比べ物にならない程凄まじいものになるだろう。当然ながら死傷をする可能性も高くなる筈だ。

 曲がりなりにも軍人であるから命令を拒否するつもりは毛頭ない。しかし昨晩華香に言ったように、戦死するという事について糖子はまだ受け入れる準備がなかった。どうにも華香のように死を華々しいものと考えられないのだ。

 難しい事を考えていると、どうしても食べている物の味が解らなくなる。とりあえず口だけは動かして頬張っているが、いま何を食べているのかすら解らなかった。

「出撃搭乗員集合!」

 遂に来たか、と待機していた搭乗員全員が指揮所の前に集まる。

 指揮所前の大きな黒板には飛行経路などが詳細に書かれており、全員が集まるのと同時に最後の説明が始められた。

「飛行中の指揮は、この芦原あしばら大尉が執る!」

 普段は地上で指揮を執っている飛行長も今回は参加するらしい。指揮官機に便乗するという事であった。

 三○八号は前回の空戦の修理が未だ終わっていないので、糖子たちは補用の機体に乗り込む。慣れた機体でないのは不満だが、火急の際なので文句は言っていられない。

 いつも通り機体は一機ずつ滑走路を走って飛んでいき、糖子たちの機体もそれに続いて飛び立った。

 いつも通りの出発であるが今回は敵船団への攻撃なので飛び立つ時も、みんな緊張の面持ちである。誰も彼も黙っての飛行であり、時おり入る敵船団の情報を報告する飛文の声だけが唯一機内で聞こえる声であった。

「機長、どうもエンジンの調子が悪いです」

 伝声管で搭整が不安そうに報告をする。

 糖子のいる爆撃席からでは見難いが、確かに機内に聞こえてくるエンジンの音が何処となく不安定だ。しかし飛行する分には問題ないとして続行された。

 ボンヤリと爆撃席に座りながら考え込む。

 初めての爆撃の時は武者震いのような、恐怖心からのような妙な震えがしていたが、今日はそんな震えすらない。戦闘機に襲われても無傷で還ってきたから今度も大丈夫という根拠のない楽観があるのかもしれないし、あるいは単に諦観してしまっているのかもしれない。

 待機所から持って来ていたビスケットを一つ口の中に放り込む。

 やはり味がしない。

 飯を美味しく食べられないという事は何よりも嫌だ。しかし死んでしまったらそんな食事をする事すら出来なくなってしまう。

 グルグルと色んな事が頭を過ぎる。

 華香は「国の為に死ぬ」と言っていた。ならば彼女は今回の攻撃で万が一死んでしまっても満足なのだろうか。

 営倉から出てより、ほぼ彼女とは口を利いていない。もしかしたら未だ怒っているのかもしれない。しかしそんな状態で上手く爆撃が出来るのだろうか。

 時おり聞こえる飛文の声がまるで他人事のように聞こえる。

 そんな虚空な時間がいつまでも続くかのように感じられた。そして出来ればそのまま終わらないで欲しかった。

 だが現実は非情である。

 ふと眼下に幾つも対空砲が炸裂している様子を確認した。

 慌てて双眼鏡を覗く。目標の敵船団である。どうやら既に他の隊が突入を行っているらしい。海面は炎や船の航跡で汚れている。

 即座に指揮官機が基地に輸送船団発見の電報を打つ。

「なにが輸送船団よ……」

 思わず声が漏れた。

 見てみれば海上を航行しているのは輸送船や小規模な艦隊どころではない。どう見てもそれ以上の大船団と大艦隊が海を蹂躙している。

 当然ながら対空砲など今まで経験したどの基地の物よりも凄まじい。まだ分遣隊は突入すらしていないが、先に突入している部隊に対する砲火でその凄まじさはよく解った。

「海の色が……」

 思わず糖子は呟く。

 海面は船団の艦首波と航跡で白く濁っており、敵艦隊の周りだけ海の色がまるで違って見えた。

「船が七分に、海が三分ってところですかね……」

 華香の呟きが耳に届く。

 そこに至って、ようやく恐怖が全身に這い上がって来た。

 こんな地獄のような光景の中に今から飛び込んでいくのだ。どう足掻いたって生きて還れる筈がない。

 そして現実はいつも非情だ。

 糖子の恐怖や覚悟などお構いなしに、指揮官機より「トツレ」電が入る。突撃隊形作れの合図である。

 嚮導機は糖子たちなので編隊の先頭を飛ぶ。

 爆撃する為に高度も徐々に落としていく。何しろ相手は今までのような動かない目標ではない。自分の意志で移動し、回避行動まで行う船なのだ。あまり高い所から落としても避けられてしまう。

 高度を下げた事によって敵はハシヤマ分遣隊の存在に気付いたらしい。猛烈な対空砲火を撃ち上げ、回避行動の為にジグザク航行を始めた。

 機体内部が大きく揺れ動く。今まで経験したような対空砲の威力とは比べ物にならない程の数と精度である。時おりカンカンと外殻を叩くような音がするのは砲弾の破片だろうか。

 攻撃目標を定めようにも、機体は大きく揺れ動くし、座学であれだけ勉強したのに上空からではどれが何だかサッパリ見当が付かない。

 とにかくデカい物を検討付け、糖子は爆撃照準器を覗きこんだ。

 動的目標を攻撃する際、単機での水平爆撃ではまず当たらないと考えた方が良い。何しろ高度三千メートルで投下した場合、着弾までに約十秒掛かる。操艦が巧みであれば容易に回避されてしまう。

 だから動的目標を狙う場合、必ず編隊を組んでの爆撃となる。嚮導機である糖子が照準、爆撃の指示を出し、編隊の全機が一斉に爆弾を投下、敵目標周囲に網を被せるような形にするわけだ。

 そのため指示を出す糖子の責任は重大であり、またそれに従う華香の操縦技術も極めて重要であった。

 爆撃照準器と投下管制器を調整し、とにかく目標は一番デカい奴と定める。その旨を指揮官機に伝えると「応」という答えが返ってきた。

 さぁ、腕の見せ所である。

 糖子は調整を完全に終えた爆撃照準器を覗きこむ。

 照準器内部の物以外を全て意識の外に放り出す。時おり近くで砲弾が炸裂して機体を揺らしたが、もはや恐怖すら感じない。ただ「邪魔だ」と煩わしくは思う。

「ヨーソロー……ヨーソロー……チョイ右」

 いつも通りの平静さで指示を出す。しかし肝心の華香が興奮しているのか、どうしても修正が大きい。

 落ち着けと言いたい気持ちを抑えながら照準をする。

「チョイひだーり……ヨーソロー……」

 なかなか照準は付いてくれない。くわえて糖子も回避行動をとって動く目標に照準を付けるのはコレが初めてだ。どうしても修正が多くなってしまう。

 不意にバンッと凄まじい音がしたのと同時に機体の中に火薬の臭いが充満した。どうやら何処かに被弾したらしい。

 しかしそれすらも意識の外に放り出し、糖子は照準を続ける。

 全身が寒い。どうやら風防の一部が割れたようだ。凄まじい寒風が入り込んでくる。

「ヨーイっ!」

 糖子は声を張り上げる。

 照準はついた。あとはこの針路のまま飛んでくれれば、爆弾は糖子の目論んだ通りの場所に落ちてくれるだろう。

 だが「テーッ!」と投下の合図を出したのと同時に不意に機体が大きく傾いた。慌てて投下を止めようとしたが既に遅く、雷管が炸裂する音と一緒に爆弾はポロポロと落ちていく。

 嚮導機が爆弾を落としたのであるから、当然ながら続く二機も爆弾を投下する。結果として編隊の爆弾は全く意図していないタイミングで全て落とされてしまった。

 これで当たってくれれば救いようもあったが、爆弾は目標の周囲に水柱を立たせただけで一発も命中しなかった。地上では至近弾でも爆風で効果があるが、海上では直撃させなければ効果は一ミリもない。結果として爆弾を浪費しただけに終わった。

 命中弾なし、の報告が来ると編隊は敵船団の上空を旋回して離脱を始める。攻撃手段を失った以上、長居は禁物である。

 幸いにして編隊に損害はなく、ハシヤマ分遣隊は全機無事で帰途に着く。しかし通信内容からも落胆をしている様子がありありと感じ取れた。

 戦場を離脱後、糖子は腹を立てながら機体前部に上がる。

 爆撃の際の機体の傾き、あれは爆風に揺られたなどの類ではない。明らかに華香の操縦ミスに起因するものである。

 あのまま飛んでいれば命中したとまでは言わないが、それでも糖子の思い通りに爆弾を投下できなかったのだから文句の一つだって言いたい。

 機体前部に上がると、意外な事に操縦をしているのは琴音であった。

 ふと主操縦席を見ると、華香が小さく丸まっている。琴音の顔を見ると、琴音は眉間に皺を寄せながら首を横に振った。

 察するに華香は操縦ミスを自覚しているのだろう。時おり嗚咽が耳に届いてきた。

「針路右五度、ヨーソロー」

 文句を言う気もなくなった糖子は、指示を出しながら窓の外を見る。

 凱旋とは言い難い、苦渋の帰還であった。

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