第16話 軍人とは、戦死とは
空戦の日の夜――というよりも半ば日の明けているような時間帯。
寝床で丸くなっていた糖子は寒さで目を覚ました。
熱帯夜などと言うが南方の明け方は底冷えする。そのため普段は毛布が必要なのであるが、昨晩は遅くまで戦死者の葬儀をやり、その後に軽く飲み会が行われたので酔っぱらってそのまま寝てしまったのだ。
周囲を見渡せば糖子と同じように皆死んだように眠っている。唯一、琴音だけが律儀に寝台で毛布に包まって寝ているのが、らしいと言えばらしい。
毛布に入って二度寝を決めようとしていると、ふと何処からかギターの音色が聞こえてきた。
この時間帯にギターを弾いている人物といえば華香しかいないだろう。
気になったので糖子は寝床から這い出て浜辺へと向かった。
華香が浜辺で弾いているという確証はない。だがなんとなく浜辺で弾いているだろうという予感があった。
はたしてその予感は的中した。
前と同じ岩場の上で華香がギターを弾き、それに合わせて小さく歌っている。海外の歌らしく歌詞はさっぱりであったが物悲しい内容だというのは曲調で解った。
「黄里さん」
ボンヤリと聞いていると、気付かれたのか声を掛けられた。
「寝れないんですか?」
「いえ、起きてしまいまして」
私もです、と華香は微笑む。
では失礼しますと糖子は逃げようとしたが、前回と同じように「少しお話しませんか」と呼び止められてしまった。
やはり前回と同じように隣に座るように促され、断る理由も見当たらなかったので糖子も「失礼します」と言ってから腰を下ろす。
「いま弾いていたのは外国の曲ですか?」
「ええ、悲歌です。生前の友人を悼む歌です」
どうやら戦死者への手向けとして歌っていたらしい。
「黄里さんは楽器はやらないんですか?」
華香の質問に糖子は首を横に振る。
「音楽とはとんと縁のない生活を送っていたもので」
生まれは貧乏農家、育ちは軍隊の身だ。軍楽隊でもないから音楽といえば軍歌くらいしか縁がない。
「少尉は?」
「大学の先輩に教えてもらいまして……」
それだけなのに何故か華香の表情はとても嬉しそうだ。なんとなく察したので糖子が「男の人ですか?」とニヤけ気味に言うと華香はポッと頬を赤くした。
「そういう事が良いんです」
「なるほど、隅には置けないですね」
ニヤニヤしながら糖子は言う。もっとも華香くらい美人であれば浮いた話の一つや二つなければおかしいくらいである。
「それよりも昨日の空戦ですけど」
これ以上は分が悪いと思ったのか、華香は強引に話題を変えた。
「怖かったですね」
「少尉も怖かったんですか」
糖子は目を丸くした。
華香が怖気づいていた事に驚いたのではなく、彼女の口から怖いという単語が出て来たのが意外だった。士官は常に兵隊の上に立つ者。だから恐怖や不安の類はあまり口にはしない方が良いというのは指揮官としての基本であるからだ。
「怖いものは怖いですよ」
華香は笑う。
「重要なのは怖気づかない事でも、怖くないと虚勢を張る事でもありません。いざ恐怖が目の前に来た時、どのように行動が出来るかです」
「はぁ」
力説する華香であるが、糖子からするとチンプンカンプンである。とにかく士官というものは大変なんだなとだけは理解した。
「じゃあ死ぬのも?」
以前、華香は戦死を受け入れていると言っていた。だからてっきり死ぬのも怖くないのだと糖子は先走って考えていたが、実際は違うのだろうか。
「そうですね。死ぬのも怖いです」
ですけど、と華香は付け足す。
「国の為であるならば本望です」
「そうですか」
「ええ。でも犬死はやっぱり御免ですけどね」
華香はそう言って微笑んだ。
「……私は戦死も御免です」
言ってから、しまったと糖子は後悔した。
華香相手にこの手の話題はしない方が良いというのは前回学んだ筈だ。しかし後悔した時にはもう遅かった。
「戦って死ぬのは嫌ですか」
怒気の籠った声で華香は言う。
「当然です」
もうこうなったら自棄だと糖子も開き直る。
「何故ですか。国のために死ぬのが嫌なんですか」
「そもそも国の為に死ぬという前提が間違えています。国のためというのであれば、何も死なないでも良い筈です」
あなた方は、と糖子は付け足す。
「なにかあると直ぐに死ぬと連呼しますが、死んで何か価値があるんですか」
莫迦な! と華香が立ち上がった。
「軍人が死を恐れていたら戦争など出来ません。貴女の言葉は戦死者を愚弄しています!」
「愚弄は、していません」
一瞬、糖子にも迷いがあった。
死に価値はないという言は、なるほど、確かに戦死者の死にも価値はなかったという理論に繋がりかねない。無論、糖子はそういった意味で言ったわけではなく、単に死ぬ死ぬ言うのが嫌だというだけの話しである。
しかし華香はそれで満足はしなかったようだ。
「確かに死は恐ろしいです。死そのものに価値はないかもしれません。しかし無為に生き恥を晒すくらいならば、国の為に桜のように美しく散るべきだとは思わないんですか」
「思いません」
糖子は断言した。
「例え醜態を晒しても生きるべきだと思います」
それに、と糖子は続ける。
「国のためと言うのであれば尚更です。特に私たちは搭乗員です。飛行機や魚雷は直ぐに作れます。でも搭乗員は一昼一夜には作れません。出来るだけ長く生き、何度も出撃して敵を倒す事が結果的に国の為になるのではないでしょうか」
糖子が一気に捲し立てると、華香は「黙れ!」と遂に大きな怒声を上げた。
「貴女の言う事は詭弁です。死ぬ覚悟がなくて、なんで全力を出す事が出来るんですか!」
「生き抜く覚悟でも全力は出せます」
糖子も立ち上がって華香の顔を睨みつけた。
「貴女は極貧の中で軍に入り、自分の居場所を見つけた筈です。なぜそれに報いようとしないのですか!」
「名誉の戦死で報いられるとは思わないからです」
話しは平行線だった。
華香はいかに国の為に散るかを説くのに対し、糖子はひたすら「散る必要はない」と否定をする。
国の為の「死」を肯定するか、否定をするか。
ただそれだけの、しかし致命的なまでに異なる二人の意志のぶつかり合いであった。
「巖渓少尉、私は貴女の事を尊敬しています」
ですけど、と糖子はさらに続ける。
「貴女は少し生き急ぎ過ぎています」
「黙れ!」
怒声と共にパァンッという殴打音が浜辺に響いた。
流石に下士官兵にグーで殴られた時よりは痛くなかったが、それでも頬にビンタをされれば涙も出る。
糖子の目から涙がポロポロ零れるのを見て華香は我に還ったのか、慌てて「ご、ごめんなさい」と謝った。
「頭に血が昇って……もう少し落ち着いて」
華香がそこまで言った時、浜辺に再び殴打音が響いた。
今度は糖子のビンタである。それも士官である華香とは違って力仕事で鍛えられた下士官の糖子のソレだ。痛みは比べ物にならないだろう。
無論、糖子が上官である華香を殴れば無事では済まないのは解っていたが、しかし理性よりも先に怒りの方が先に立っていた。
「この分からず屋!」
この時の糖子は本気で頭に来ていた。
何が気に障ったのかは解らない。ただ華香が死ぬと連呼している事が無性に腹を立てていた。
糖子に殴られると思っていなかったのか、華香はしばらく呆然とした顔をしていたが状況を理解すると顔を怒気で真っ赤にして糖子に掴みかかる。
普段であれば相撲で鍛えた肉体でヒョイッとあしらうところなのだが、気付けば反対に糖子の方が投げられていた。岩場から砂浜に向けてドスンッと糖子の身体が落着し、周囲に砂が舞い上がった。
そういえば華香は別科で柔道をやっていたという噂が誰かから聞いたような気がする。
「
華香が怒鳴る。いつもの優しげな表情からは想像もできないほど、顔は怒りで歪んでいた。
掛かって来いとばかりに華香は構え、望むところだと糖子が掴みかかる。
そこからの事は詳しく覚えていない。
ただ掴み、投げられ、あるいは投げ、殴ったり体当たりしたいとぶつかり合った。
二人のぶつかり合いが終わったのは、警備隊の兵士が浜辺に朝の哨戒に来て、砂と血塗れになった二人を見付けてからである。
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