第15話 敵戦に追われる

 翌日も、翌々日も爆撃行は続けられた。

 爆撃の目標は大小あったが、本日の爆撃目標は今までで大きな軍港であり、敵戦闘機出現の可能性ありと事前通達があったので搭乗員の誰もが緊張をした面持ちで飛行をしていた。

 糖子も緊張した面持ちで双眼鏡を覗く。

 既に警戒が発令されており、三○八号を含む三機の編隊は敵の制空権内を固まって飛んでいた。

 朝食は済ませているが、初陣の時のように腹いっぱいは食べていないので揺れても気持ち悪さはない。爆撃照準器を設置して、いつでも爆撃が出来るように備える。

 今日は莫迦に風が強い。雲も低いのであんまり高度を取ると照準そのものが出来なくなる可能性もある。

 伝声管でその事を伝えると、編隊は高度を三千メートルにまで落とした。

 しかしこれでもまだ高いくらいである。雲が分厚くて、とても地上を見る事が出来ない。さらに編隊は高度を下げ、高度千メートル未満という超低空で水平飛行に移った。

 対空砲に捕捉され易くなるが、これ以上高度を取ると雲のせいで照準が出来なくなるので仕方がない。

 やがて目標が見えてきた。事前に聞いてはいたが、随分と立派な軍港である。対空火器も旺盛であると身構えたが、どういうわけかいつもよりも小規模だ。時おり思い出したかのように機体が揺れる程度の銃撃である。

 はてな、と思いつつも爆撃照準器を覗きこむ。

 編隊は爆撃針路に入る為に大きく旋回してから軍港上空にまで進んで行く。

 その時であった。

「敵機ッ!」

 誰ともなく悲鳴のような声が上がった。

 見ると高度百メートル辺りから戦闘機が上昇して来ているのが見える。こちらの高度は千メートル未満であるから、このままだとあっという間に接触してしまう。

 指揮官機が退避を命じたが、華香が「爆弾を落として軽くした方が良い」と進言したので命令は撤退されて編隊はそのまま爆撃針路に入った。

 唐突に対空砲まで熾烈に撃ちはじめて来たが、こちらは照準をしながら真っ直ぐ飛ばねばいけないので回避行動をとる事すらできない。やがて各銃座の機銃が火を噴き始めた。

 初めての敵戦闘機による襲撃である。

 くわえて対空砲弾の揺れで気が気でなかったが、何とか気を落ち着かせて糖子は爆撃照準器に縋りつくようにして目標を見据えた。

 第一目標である船舶はなかったので、第二目標である燃料庫を狙う。

「……ヨーソロー……ヨーソロー……ちょいヒダーリ」

 バシバシバシッと周囲で何かを叩くような音が響く。気になって仕方がないが、ここで照準器から目を離せば照準のやり直しだ。凄まじい音を無理やり意識の外に追い出す。

「ヨーソロー……ヨーソロー……」

 爆発音とともに機内が揺れる。予想以上に対空砲の照準は精確だ。このままノロノロとしていたら撃墜されるのは目に見えているが、まだ照準途中なので速度を上げるわけにはいかない。

「ヨーイ……テーッ!」

 カンカンカンッと小気味の良い雷管が炸裂する音が耳に届き、それと同時に機体がフワリと一瞬だけ浮かび上がる。

 今回積んできた爆弾は二十五番(二百五十キロ)爆弾四つ。三機が同じ数を投下したので計三トンの爆弾を軍港に投下した事になる。

 凄まじい爆発音がしたかと思うと、機体の何処かに命中したのか機内が凄まじい勢いで揺れ動いた。

「被弾ですか!」

 伝声管で訊ねると機内に損傷はないという。不思議に思っていると、尾部銃座の方から「爆風のようです」という報告が入って来た。あまりにも低空で投下したものだから爆風に煽られたのだ。

 ホッとしそうになったが残念な事に修羅場はまだ抜けていない。爆弾を落として編隊は退避行動に入っているが、戦闘機隊はまだ食い付いて来ているのだ。

 数はおよそ十機。敵側が圧倒的に優勢である。

 糖子も前部銃座の機銃で前方を過ぎていく戦闘機を撃つが、何しろ向こうの方が素早いし、前部銃座は射角が狭すぎてロクに追っかける事も出来ない。ただヤキモキしながら撃ちまくる。

 敵戦闘機は北中支軍の主力戦闘機であるロ式戦闘機で「ビア樽」とあだ名される丸っこい機体が特徴的だ。旧式機で帝國軍の戦闘機にはやられっぱなしなのであるが、装備している十三粍機銃は脅威的な威力を持っており、装甲の薄い焔雲にとっては大敵である。

 くわえて「ビア樽」は装甲が厚い。仮に機銃の弾が当たっても効果がない場合が多々あり、そのため二十粍機銃が当ててくれる事を期待しなければならないのだが、敵もそれを解っているらしく全く尾部銃座の方には来なかった。

「黄里さん、上部銃座に!」

 不意に伝声管越しに命令をされたので、大慌てて操縦席を潜って機体前部に出る。見てみれば上部銃座に就いていた飛文が血を出しながら呻いており、それを琴音が手当てしていた。

 どうやら敵の銃撃にやられたらしい。

 大慌てて上部銃座に就き、一度槓桿を慣らす。

 発砲開始。

 しかし早過ぎてとてもではないが照準なんてしている暇なく、とにかく飛んでいる方向に撃つ程度の事しか出来ない。以前戦った飛行艇とは全く異なっており、撃ち合いというよりも一方的に撃たれているという感じである。

 敵戦闘機は尾部銃座を避け、側面か下から突き上げる様にして銃撃してくる。時おり上部に出て翻るのだが、その瞬間程度しか狙う余裕はない。

 あっという間に弾が切れ、弾の無くなった弾倉を投げ捨てる様に取り外して新しい物に取り換える。

 一瞬の動作が煩わしい。とにかく早く撃たなければならないと気ばかりが焦る。

 三機編隊の焔雲は全火器を使用して応戦していたが、戦闘機に弾が当たっている気配はまるでなく、一方的にやられているだけであった。これだけ撃たれているのに撃墜された機体がないのが不思議なくらいである。

 撃ち続けていると一機の戦闘機が上空高く舞い上がった。そのまま急降下で襲い掛かってくるつもりらしいが、糖子の機銃の照準と直線状になるので好機である。

 だが今は弾切れで即座に撃てない。大慌てて弾倉を取り外す。

 戦闘機は太陽の中で翻り、急降下の姿勢に入った。

 予備弾倉が既に手近な所にはなく、大慌てで機関席に掛けてある弾倉を取りに行く。

 降下を始めた戦闘機は機銃を乱射しながら接近してくる。まだ遠いので弾は逸れるばかりで当たる気配はない。向こうも素人なのだろうか。

 弾倉を装着、槓桿を引く。

 距離はもう十二分に近い。曳光弾が機体の周囲を飛び、何発かが近くに命中したのかガンガンガンッと音が響く。

 恐ろしい事極まりないが、しかし照準は完璧に敵戦闘機を捉えた。

 引金を引く。途端に小気味の良い銃声と振動が手の中を伝わり、七粍の機銃弾が敵戦闘機に向かって飛んでいった。

 交差する十三粍と七粍の銃弾。

 バリバリッと音がして上部機銃を覆っていた風防が炸裂したが、それと同時に敵戦闘機が急に妙な飛行に移ったかと思うと、そのまま失速してクルクルと回転しながら落ちて行った。

 どうやら搭乗員に当たったらしい。

 これでようやく一機撃墜。

 しかし状況はよくない。何しろ敵はまだ九機も残っている上に、こちらは穴だらけで負傷者も出ている。

 どう考えても楽観視はできない。

 そのうえ三○八号には最悪の事態が起きていたのである。

「右エンジンが燃えています!」

 悲痛な声の報告で糖子もエンジンが赤々と燃えているのに気が付いた。

 敵弾が命中したらしい。元より「ライター」と揶揄される焔雲だ。敵の焼夷弾でも当たった日には直ぐに炎上してしまう。

 一瞬、火だるまになった飛行艇が脳裏を過ぎる。

 まさか三○八号もああなってしまうのではないか。

 しかし消す為の手立てはない。一応、焔雲には消火装置が付いてはいるが、極めて性能が悪くてあまり役に立たないのだ。そのうえ糖子は射手なので手出しする事は出来ない。

 そんな火の吐いた三○八号に敵戦闘機は情け容赦なく襲い掛かる。

 糖子も機銃で応戦するが、先ほどのような好機でも訪れない限り飛び回る戦闘機に銃弾など早々当たらない。まるで手ごたえがなく、空を撃っているような錯覚さえ覚える。

 そのうち遂に燃えていたエンジンのプロペラが止まってしまった。

 途端に速度が落ちて行き、三○八号は編隊から離れていく。

 濃密な弾幕で敵を近寄らせないようにするのが爆撃機の空戦のやり方である。ここで編隊から落伍し、弾幕が薄まれば敵の良い的になってしまう。

 さりとて編隊には追い付けず、逆に向こうに速度を落としてもらえば今度は編隊丸ごと危機に晒される。

 苦渋の選択として華香が「先行せよ」と伝えたので、編隊は三○八号を置いて飛んでいってしまった。

 さてこうなると三○八号対敵戦闘機隊という構図になる。

 何機か落ちたのか、あるいは編隊に付いて行ったのかは定かでないが、先ほどよりも数は幾分か少ない。さりとて楽観視出来るような状況では微塵もなかった。

 何度目かの弾切れ、何度目かの再装填。

 連射を続けている事によって銃身が過熱されたせいか、銃弾はそろそろ真っ直ぐではなく明後日の方に飛んでいくようになってきた。弾倉の数そのものも無くなりつつある。

 しかし敵の銃撃も少なくなってきた。向こうも弾が切れてきたのだろう。

 三○八号は既に穴だらけで、何処からか風が入ってきてビューッという音が機内に響いている。これだけ穴が空いているのに落ちていないのが不思議だ。

 撃ち続けていると、不意に機体が急降下を始めた。

 すわ墜落かと覚悟をしたが、どうやら墜落しているのではなく、意図的な急降下であるらしい。燃え盛るエンジンの火を急降下の勢いで消そうという魂胆のようだ。

 いきなり急降下を始めたので敵も三○八号を撃墜したのだと勘違いしたのか、何機かは離れて行った。

 そもそもロ式戦闘機は燃料搭載量が少ない。激しい空戦で燃料が切れてきたというのも離れて行った原因の要因だろう。彼らとしては「撃墜確実」よりも「撃墜不確実」でも良いからさっさと戻りたかったようである。

 しかし二、三機がまだ食い付いて来ている。彼らは三○八号が空中でバラバラになるまで諦めるつもりはないらしい。

 逃げる三○八号は急降下で凄まじく速度を上げていく。

 見れば翼がバタバタと気味悪く揺れており、銃撃で取れ掛かっていた部品も徐々に吹き流されていっている。機内にも不気味な振動が襲い掛かり、このまま速度を上げ続ければ空中分解をするのは目に見えていた。

 機内全てが火で包まれるのが先か。

 空中分解で機体がバラバラに砕けるのが先か。

 あるいは火が消えるのが先か。

 いずれにせよ分の悪い賭けだ。

 しかし華香は諦めずに降下を続けている。

 国の為に殉ずると言ってはいたが、やはり彼女も無為に死ぬのは嫌なのか。それは糖子も同じだ。こんな所で四散するのは真っ平御免である。

「機長、左前方に雲です!」

 誰かは解らないが、希望の混じった報告。

 間髪置かずに機は左前方に機首を向けると、そのまま超低空を飛んでいる雲の中に突っ込んだ。途端に周囲が真っ白な世界に変わり、青い空も敵戦闘機も何も見えなくなる。

 見えるのは赤々と燃え盛る翼の炎だけだ。

 ふと、その火が後ろの方に流されていったかと思うと、やがて小さくなって見えなくなった。

 火が消えたのだ。

「やった!」

 思わず糖子はグッと拳を強く握る。

 生きて還る事に光明が見え始めた。

 このまま急降下をし続けると機体が空中分解するし、下手をすれば海面に突っ込みかねないので三○八号は水平飛行に移る。このまま雲の中で戦闘機をやり過ごそうという気らしい。

 機はしばらく白い世界を進んで行く。

「代わる」

 そう言って来たのは、先ほどまで呻いていた飛文である。腕に巻いてある包帯が痛々しい。

「いいよ、休んでなよ。怪我してるんだし」

「掠り傷だ」

 何度も断ったが飛文も譲らない。仕方がなく、糖子は上部機銃を飛文に譲って自分はいつも通り偵察席に戻った。どちらにしろ上部機銃にはもう弾が無きに等しいし、流石に逃げ切れただろう。

 偵察席は風防の何処かが割れたのか風が吹き込んでいて寒かった。雲の中にいるので雨も入り込んでくる。

 先ほどの激しい空戦で爆撃照準器が壊れていないかが心配だったが、見てみると幸いにして無傷であったのでホッと安堵の溜息を吐く。

 しばらく白い世界を飛んだ後、流石に逃げ切れたと判断したのか三○八号は雲を出た。途端に眩しい太陽光が襲い掛かってくる。

 瞬間、糖子は転がっていた伝声管を掴んだ。

「右に回避!」

 雲から出る瞬間、薄っすらと飛行機の陰が見えたので糖子は叫んでいた。

 途端に機はグゥーッと右に旋回し、済んでの事で雲下いた飛行機を回避する。

 ロ式戦闘機だ。雲の下で執拗に三○八号が降りて来るのを待っていたらしい。それほどまでに三○八号を撃墜したいのか。あるいは功名心に駆られたのか。

 幸いにして残っていたのはこの一機だけだったのか、他の戦闘機の姿は見当たらない。

 だが片肺でボロボロの三○八号にはたった一機でも脅威になり得る。

 敵も三○八号の唐突な出現に驚いたようであるが、目標だと解るや否や、大きく旋回をして回り込んできた。

 敵戦闘機に単機で追われた場合、高度を下げるのが鉄則であるが片肺で超低空を飛ぶのは難しい。必然的に現在の高度での戦闘になる。

 敵はどうやら焔雲には前方機銃がないのだと勘違いしているらしく、堂々と正面から挑んできた。すれ違い様に撃ち、後方で旋回をしてからまた前に出てすれ違うように撃つという戦法を取るつもりらしい。

 どっこい、先ほどまではいなかったが今は糖子が前方機銃を持っている。偵察窓の上にクッションを引き、その上に腹ばいになって照準を付けた。

 敵が突っ込んで来ると同時に引金を引く。

 いきなり銃弾が飛んできたので敵も驚いたらしく、一瞬だけグラリと傾いた。そのせいで銃の照準が外れたらしく、弾は三○八号には当たらずに明後日の方向に飛んでいく。

 反面、糖子の機銃は真っ直ぐに敵を捉えた。吸い込まれるように銃弾は敵に向かって飛んでいく。

 だが当たらなかったのか、あるいは当たっても効果がなかったのか、敵はそのまま真っ直ぐ飛んでくるとスレスレで左に回避して後方に抜けて行った。

 そして背後で旋回して、低空を飛んで三○八号を追い抜き、再び前から襲い掛かる……つもりだったようだが、旋回をする距離があまりにも近すぎた。

 何度も述べるが尾部には強力な二十粍機銃が装備されている。その事を忘れたのか、侮っていたのかは解らないが、迂闊にも敵はその目の前で旋回をしてしまったのだ。

 当然ながらそれを逃すほど尾部銃座のペアも間抜けではない。旋回中で隙だらけだった敵は易々と二十粍の機銃弾を受け入れた。

 如何に重装甲のロ式戦闘機でも「大砲」と呼ばれる二十粍の銃弾を浴びて耐えられる筈がない。数か所に当たった銃弾によって機体はバラバラに砕け散り、そのまま四つの火の玉となって海面に落ちて行く。落下傘は見えなかった。

 これで本当に修羅場を終えた、と糖子は思い切り大きなため息を吐いた。他のペアも同様に疲れきった様子でその場に座り込む。

 機体は穴だらけ、機内は空薬莢だらけという凄まじい状況である。それでも負傷者は幸いにして飛文が軽傷……というには些か出血量が多いが、しかしそれ以上の事はなく皆五体満足の無事であった。

 激しい空戦での飛行の後だったが、直ぐに糖子が天測で機位を割り出したので三○八号は編隊に遅れながらも問題なく三番島へと帰還して滑走路に滑り込んだ。

 幸いにして落伍したのは三○八号だけであり、敵の攻撃を吸引したので他の機も無事で還れたらしい。機上戦死が二名ほど出たのが心苦しかったが、それでもあの空戦で全機撃墜されなかったのは奇跡的であった。

「気を付け!」

 ボロボロになった三○八号の前で華香が号令を掛ける。

「三○八号に敬礼!」

 一斉に全員敬礼する。

「ありがとうございました!」

 これだけボロボロになったのに、基地まで乗せて来てくれた愛機に皆感謝する。

 命中弾は百を超え、エンジンは完全に破損、プロペラは鋸のようになった上でひん曲がっており、風防や窓ガラスは所によっては粉々に砕け散っている。

 よくもまぁ、こんな状態で帰って来る事が出来た。

「ありがとう」

 みんなが宿舎に戻った後、一人残った糖子は改めて礼を言って三○八号を撫でた。

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