第14話 敵の水上基地を爆砕せよ!

「搭乗員は全員指揮所前に集合せよ。繰り返す、搭乗員は全員指揮所前に集合せよ」

 早朝、宿舎に配置されているスピーカーががなり声を撒き散らした。

 今までであればブツブツ文句を言いながらノッソリと寝台から出ていくのが常であったが、何しろ南進作戦開始の報があった後である。

 みんな寝台から飛び起きると、服を着るのも惜しいとばかりに宿舎から飛び出した。外には既に滑走路に行くトラックが待っており、全員が飛び乗ると出発する。

 滑走路脇の指揮所に行くと既に士官たちが乱雑に並んでおり、いつの間に出されたのか黒板の前で何やら話し込んでいる。

 到着した順で並び、点呼をとって全員居る事が解ると飛行長が全員の前に立った。

「遂に我々にも出撃命令が下った」

 短く前置きをして、飛行長は説明をする。

 それは、今まで糖子たちの体験した事がない敵地爆撃に関する「戦闘前打ち合わせ」であった。

「昨日、我が軍の偵察機が敵水上基地を発見した。おそらく先日来近海をウロついていた飛行艇の発進基地であると思われる」

 言いながら飛行長は黒板に地図を貼り出す。

「小規模な基地であるが手近な所に敵の要地があるのは気味が良い事ではない。よって司令部は我々に対して〝全力を持ってコレを撃滅せよ〟との命令を下した」

 周囲がざわつく。

 全力と言ってもハシヤマ分遣隊の稼働機は三機しかない。たったこれだけの数で敵の基地に爆撃に行けというのだろうか。些か無謀ではないか。

「護衛はあるのですか?」

「ない。分析によると敵基地には邀撃する機体は保有していないそうだ」

 しかし飛行艇は確かに襲ってきた。

 本当に大丈夫なのだろうか。糖子たちの不安を余所に打ち合わせは続けられ、結局昼前には出撃する事が決められた。

 そうと決まると忙しい。

 流し込む勢いで朝食を食べ、整備兵たちと一緒になって愛機の整備を行う。

 初の爆撃で不備があっては困るので糖子も爆撃照準器を確認、自分の持ち場の整備が終わると他の持ち場の手伝いに行った。

 中でも爆弾搭載が大変である。

 何しろ今まで訓練ばかりだったので実際に使う為の爆弾は爆弾庫の奥にしまわれてしまっていた。そのため演習爆弾を一度全て倉庫から取り出し、それから奥の爆弾を取り出す必要があったのである。

 三機しかいない小さな三番島に爆弾運搬車などという便利な代物はない。爆弾の入った木箱をつるはしで叩き壊し、ゴロゴロと転がして愛機まで持って行った。

 六番(六十キロ)爆弾を六発に二五番(二百五十キロ)爆弾を二発、さらに陸軍より貰った七十キロ爆弾二発。愛機の腹の下まで持って行って爆弾架に装着を行う。

 その間に燃料班が燃料搭載を行うが、これも燃料車が一台しかないので後は手作業である。みんな朝から汗だくで作業し、結局終わったのは出撃直前の正午前であった。

 最後の出撃前打ち合わせを行う為に出撃搭乗員は全員指揮所前に集まる。

 既に全員が戦衣装である飛行服を着用しており、糖子も飛行帽の下に家から送ってもらった千本針の頭巾を被っていた。

 改めて今日の攻撃目標、飛行高度、目的地の天候、爆撃後の集合地点などを打ち合わせ、最後に盃が配られて水が注がれる。

「別盃!」

 全員で盃の水を飲み干す。

 そして飲み終えるのと同時に地面に叩きつけて粉々に砕いた。

「二度は飲まない」という決死の覚悟の儀式である。

 しかし糖子は人知れず割らずに物入れポケットの中に仕舞い込んだ。元より死ぬ気などないから、そんな儀式をするのは不吉に感じられたからである。

「掛かれ!」

 号令一下、全員が愛機に向かって走り始める。

 地上整備員たちによって既にエンジンが起動させられており、轟々と潔い音を出してプロペラが回転していた。糖子も三○八号まで走って行き、昇降口の前で一度止まって、いつも通り頭を下げる。

 それから乗り込んで真っ直ぐに持ち場である偵察席にまで歩いていった。

「お弁当積んだ?」

 弁当積み込み担当である搭整に訊ねると、搭整は一瞬だけキョトンとした顔をした後に苦笑を浮かべてみせた。

「積みましたよ」

 それで機内で聞いていた全員が笑い声を上げる。

「相変らずお前は飯の事しか考えてないな」

 飛文が笑って言うので、糖子は「失礼な」と反論をしてから偵察席に航法道具を広げた。

 全員で持ち場の最終点検を行う。

 異常なし。

 ゆっくりと三○八号は地上を移動していき、滑走路の端へと入った。

「離陸準備よし、離陸する」

 華香の短い言葉と同時に三○八号は滑走路を疾走。そのまま飛び上がる。何しろいつもと違う荷重状態だ。操縦をしていなくても機体が重いという事が実感できた。

 飛行した三○八号は基地の上空で一周、後続の機体が飛んでくるのを確認してから先に飛んでいた指揮官機と一緒に編隊を組んで上昇をする。

 上昇を続ける編隊は高度三千メートルで水平飛行に移った。

 今日は晴天であり、眼下には雲一つない。絶好の爆撃日和である。

 本日の爆撃高度は六千メートルと定められていたので、少し飛んだらまた上昇をしなければならない。高度六千となると酸素マスクが必要なので飲食は当然ながら出来ず、そのため少し早いが昼食を摂ろうという事になった。

 いつものように機長である華香と偵察員の糖子から食べる事に決まっているので喜んで弁当箱の蓋を開ける。

 思わず「わぁ」と喜びの声が出た。

 今日の弁当は何と寿司である。刺身ならば地上で何度も食べているが、寿司なんぞは軍に入ってから一度も食べた試しがない。初陣という事で主計科が腕を振るってくれたのだろう。

「いただきます」と共に早速突撃。

 色とりどりの寿司に手を伸ばす。いずれも近海で獲れる、よく刺身で食べるような魚であるがシャリの上に乗せて握ったとなると味わいは全く違う。

 作った人間は修行を積んだ職人ではなく、単なる主計科の兵隊なのであるが、空の上ではそんな事は些末事である。

 魔法瓶の中身が緑茶ではなく紅茶なのが残念であるが、そんな事はお構いなしに食べていると、あっという間に弁当箱の寿司は消えてなくなってしまった。

 もっと食べたいなぁーなどと思い、ダメ元で食欲がないと言っている琴音に要らない弁当を貰えないかと訊ねると「駄目にするよりはいいです」と承諾を得た。

 さっそく二つ目の弁当箱を開けて食べる。

 二つ目というと「慣れ」のせいで味が劣るように感じる事もあるが、今日に限ってはそんな事は全くない。むしろ人の分まで食べているという優越感のせいで一つ目よりも美味であった。

 しかし二つ目を平らげてもまだ満足はしない。

 これから死ぬかもしれないのに何を食い意地を、と笑われるかもしれないが、空腹のまま死んでは死んでも死にきれぬ。空腹で散華するのは真っ平御免と他にも弁当を要らない人はいないかと訊ねると飛文と射撃員も食欲がないというで、やはり貰って平らげてしまった。

 流石に四人分の弁当を食べれば満腹である。

 満足して食休みでもと思っていると、全員食事を摂り終えたから高度を上げるとのお達しが下った。今日はいつもの哨戒飛行ではないのである。しまった、と思っている間に機はどんどん上昇していき、予定高度の六千メートルに達すると水平飛行に移った。

 この高度になると寒い上に酸素マスクが必要になる。

 寒さは電熱服と呼ばれる特殊被服を飛行服の下に着るだけで耐えられるので問題はないが、酸素マスクを付けるとなると酷く息苦しくなってしまい少なくとも糖子は苦手であった。

 しかも満腹時なので息苦しいのは尚更歓迎できない。しかし付けなければ酸素欠乏で失神する可能性も高いので仕方がなく爆撃席に降りてから着用をした。

「むむむ……」

 やはり食べ過ぎたのか胃がムカムカする。そのうえ息苦しいので何だか吐き気まで催してきた。

 気を紛らわそうと双眼鏡を覗く。

 しかし見えるのは海また海だけで他には全く見えず、気を紛らわせるようなものは何一つ見えない。

「警戒」

 命令で全員が銃座に就いて試射を行う。これからは全ての空と海が敵地である。糖子も前部機銃に弾倉を装填、海面に向けて試射を行った。異常なし。

 胃のもたれと吐き気と格闘をしていると、ややあって前方に小さな島が見えてきた。

 爆撃目標のある小島である。この島の何処かに敵の水上基地が存在しているらしい。

 既に目標への進入針路などは定められているので、編隊は所定通りの動きで目標に向かっていく。

 双眼鏡を覗いてみるも、まだ青々とした木々が見えるだけで基地のような物は何一つ見えない。

 とにかく準備をしようと照準器を覗いて調整を行う。

 いつもより高度が高いのでやや難儀したが、直ぐに満足のいく調整が出来た。後は投下するのみである。

 再び双眼鏡を覗きこむ。

 途端、バーンッ! という凄まじい音がして糖子はひっくり返った。以前、積乱雲に突入した時に聞いた雷と同じような凄まじいまでの炸裂音である。

 何かと思っていると編隊の周囲に黒い花火のような物が幾つも咲いているのが見えた。

 敵の対空砲である。

 地表を見てみれば、なるほど、チカチカッと何かが点滅しているのが見えた。どうやらあれが砲火であるらしい。感心していると再び凄まじい炸裂音がして、糖子はまたひっくり返ってしまった。

 とにかく対空砲を撃って来ているという事は敵地上空を飛んでいるという事であり、つまりは目標に近いという事だ。

 慌てて照準器に縋りついて覗き込む。眼下の青々とした大地が点滅しているが、見る限り水上基地と呼ばれるほど開けた場所からではない。

 双眼鏡で周囲を見渡すと島の海沿いに不自然に開けている場所があるのが見えた。

 即座に報告をすると、どうやらドンピシャであったらしく編隊はそちらの方に機首を向けて飛び始める。

 本日の爆撃嚮導機は三○八号であり、その爆撃手は糖子だ。

 水平爆撃というのは先頭を飛ぶ機体――これを爆撃嚮導機と呼ぶ――が爆撃照準を行って投下のタイミングを示し、全機がこれに従って爆弾を落とすという方法をとる。従って爆弾が命中するか否かは爆撃嚮導機に乗る爆撃手に掛かっており、糖子の責任は極めて重大であった。

 だがいま現在、当事者たる糖子はそれどころではない状態にある。

 何しろただでさえ吐き気がしている所に、砲撃による突き上げるような凄まじい揺れだ。ちょっと気を許すと「ウッ」と胃の内容物が逆流しそうになってしまう。

 もう我慢できない。早く爆弾を落とさせてくれ、と思っていると願っていた通り、機はようやく水上基地の上空にまで達してきた。

 見ればこちらに気付いたらしい水上基地の飛行艇が飛び立つ準備をしている。

 爆撃照準器を覗いて照準を付ける。

「……ヨーソロー、ヨーソロー」

 やもすれば吐きそうになるが懸命にこらえる。

 ギンバイを耐え、苛烈な訓練の日々を続けてきたのは偏にこの日の為なのだ。ここで明後日の方向に爆弾を落とせばソレら全てが無駄になってしまう。

「ちょいミギー……ヨーソロー……」

 流石は華香といったところで、この対空砲火の中でも正確に修正をしてくれる。おかげで大きな修正はほとんどしないで済んだ。

 相変わらず対空砲火は厳しいが、しかし不思議な事に全く当たる気配はない。もしかしたら近く感じるだけで全然違う高度で炸裂しているのだろうか。

「ヨーソロー……」

 吐き気、此処に極まる。

 もう修正指示を出すのも億劫な状態だ。

 しかし不思議と目は照準器から離れる事はなく、口から出るのも反吐ではなく照準の指示である。

「ヨーイッ」

 照準が定まった。号令を出す。

「テーッ!」

 雷管が作動し、機体の腹に抱えてあった爆弾が次々と投下されていく。

 何しろ通算一トンの爆弾が落ちていくのであるから、機体は一気に軽くなって一瞬だけ浮き上がったかのような感覚を受けた。否、実際に浮き上がったのだろう。

 編隊は一度旋回し、目標上空で爆弾の命中の是非を確認する。

 高度をやや下げたからか、対空砲の炸裂も全く見当違いな所であり、敵の邀撃機も全く飛んで来ないので悠々と命中の是非を確認する事が出来た。

「概ね命中! 敵飛行艇三機大破、基地全域が大炎上!」

 尾部銃座から報告が入る。

 編隊がもう一度旋回したので糖子も確認してみると、なるほど、報告どおり水上基地の飛行艇は粉々に吹き飛んでおり、基地そのものも真っ赤に燃え上っていた。焼夷弾をたらふく落としたというのもあるが、それ以上に弾薬庫か何かに直撃したらしい。周囲のジャングルにも火は燃え移って眼下は真っ赤な火の海と化していた。

 対空砲も撃つどころではないのか、全くと言って良いほど撃って来ない。

「やった! 火の海だ!」

 機内全員で歓喜の声を上げて喜ぶ。

 しかし糖子はそれどころではなかった。

 既に吐き気が限界で、そのままぶっ倒れてしまいそうだったからである。

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