第13話 軍人として

 とある日の夜。

 消灯後に糖子はふと目を覚ました。

 寝台から周囲を見渡せば、みんな寝息や鼾を掻いて眠っている。当然だ。何しろ既に日を跨いでいるのだから。

 何気なく宿舎から出る。

 飛行艇との戦いから数日が経過しているが、今もって出撃命令は下されていない。通信兵によれば他の航空隊は連日のように爆撃に出て行っているらしいが、やはりハシヤマ分遣隊は島流し部隊だからという事なのだろうか。

 良い事だ、と糖子は思う。

 戦争なんてしない方が良いと思っている身からすれば、軍人としては不真面目かもしれないが出撃が無いのは至極有難い。いっそこのまま戦争が終わるまで戦いなんてなければいいのにとさえ思う。

 だが物事がそう上手く進まないという事くらいは糖子も知っていた。

 明日か、明後日、それとももっと先になるか。いずれにせよハシヤマ分遣隊が戦場に放り込まれる事はそう遠い日の話しではないのだろう。

 空を見上げる。

 今日は満月。小莫迦にされているのかと思う程に月光が眩しく、南国の空特有の満天の星空だ。

 何気なく散歩をしていると、ふとギターの音色が聞こえてきた。

 音楽の事はとんと解らない糖子であるから何の曲かなど微塵も解らないが、とにかく綺麗な音色である。

 下士官兵にギターを持っている人間などいないから、おそらくは士官の誰かが弾いているのだろう。

 なんとなく音色が気になり、音源の方へと足を向けて見る。

 音を辿って滑走路を横切ると、設営隊がカンテラの灯りを頼りに作業をしているのが目に入った。飛行場を拡張しろと命令が来たという噂は聞いていたが、どうやら本当の筝らしい。

 作業する設営隊を余所に音色の方に歩いていくと浜辺に出た。

 小さな波音を合いの手にするようにしてギターは演奏されている。いったい誰だろうか、などと考えながら歩いていく。散歩の良い友である。

「……巖渓少尉?」

 岩場に腰を掛け、ギターを弾いていたのは意外な人物であった。

 唐突に呼ばれたので華香は驚いたように目を丸くして顔を上げたが、声の主が糖子であると解ると柔和に微笑んだ。

「起きていたんですか」

「ちょっと目を覚ましてしまいまして」

「そうですか」

 困った、というように華香は微笑む。

「ギターを弾かれるんですか?」

 糖子が訊ねると華香は頷く。

「見ての通り」

 言いながら華香はギターを見せる。

 お世辞にも立派とは言えないような粗末なギターだ。というよりもギターと呼ぶのが失礼に思えてしまう板と弦を張っただけのような代物である。

「整備長がくれたんです」

「はぁ。あの人は器用ですからね」

 なるほど、と糖子は納得する。

「お邪魔しました。続きをどうぞ」

 弾いている人間が誰か解った事で満足したので、糖子は宿舎に戻って二度寝を決めようと踵を返したが「待ってください」と華香に呼び止められた。

「なんでしょうか」

「折角だからお話ししましょうか」

「はぁ」

 本音を言ってしまうと音色の主も解ったので満足したのであるが、そもそも糖子自身が来たのであるし、相手は士官なので断わるような事は出来ない。華香がギターを置いたので、その横に「失礼します」と腰を下ろした。

三番島ここは綺麗ですね」

 海を見ながら華香は言う。

 糖子に言わせれば暑くて不便でどうしようもない島なのであるが、とりあえず「はぁ」と曖昧に返答をしておく。少なくとも華香には綺麗な場所であるらしい。

「黄里さんは何故軍隊に?」

「はぁ。実家が水呑み百姓でして、ロクにご飯も食べられなかったからであります」

 自分でもあんまりな理由だと思うが、嘘偽りのない事実だ。

 興味を持ったようなので少しばかり身の上話をすると「……苦労したんですね」と華香が悲愴な顔をした。

「皆こんなようなものですよ」

 琴音なぞは知らぬ間に親に身売りされた身であるし、飛文も糖子と同じような寒村出身である。

 行け行けどんどん、戦争に勝ち進んでいる大天照帝國であるが、その実態はまだまだ貧しい小国なのだ。

「少尉は?」

 このまま話しを続けると暗くなりそうなので話しを逸らすと、華香はキッと眉を強張らせて糖子の顔を見た。

「祖国の為です」

 そう言うと華香は熱弁を奮う。

「いま大陸では北中支のごとき悪辣な国家が勢力を拡げ、その手を帝國の友好国にまで伸ばそうとしています。その手を払い、周辺諸国……いえ、東邦平和の為に戦うのは帝國の人間としての義務ではないでしょうか」

 瞬時に糖子は察した。

 華香は糖子の苦手な「使命感に溢れる」タイプの人間である。

「私は大学で勉強をしていましたが、今こそ国難の時です。こんな時にノウノウと勉強をしているわけには……」

「勿体ない」

 言ってから「しまった」と後悔した。つい本音が出てしまった。

「勿体ない? どういう事ですか」

「えー……その、興奮しないでください」

「いいえ、します。どういう意味ですか」

 うーん、と糖子は答えに窮した。

 意味もなにも、言葉のとおりである。大学などエリートが行く場所であり、糖子のような寒村生まれの貧乏人には全く縁のない天の上にあるような所だ。そんな場所に行けるだけの生まれと資産があるのに、わざわざ軍隊に来るなど糖子には理解が出来なかった。

「私は生まれが貧相で大学など縁はありません。だから折角大学に行けるのに、わざわざ軍隊に来るのは勿体ないな、と思っただけです」

 とりあえず本音をそのまま口にすると、華香も思うところがあったのか深呼吸をしてから腰を下ろした。

「……まぁ、軍に入った理由はともかく、国の為に尽くすという志は同じですし」

 如何にも不満だという様子であるが、華香の中ではそれで納得したらしい。

 実際のところ、糖子には国の為に尽くすなどと言われもサッパリなのであるが、彼女がそれで満足したのであれば藪蛇を突つく理由はなかった。

「ともかく私たち陸攻乗りは一心同体です。黄里さんも私と同じ機体に乗り、同じ志を持つ者なのですから、ともに国の為に戦って、死ぬ時は潔く散りましょう」

「はぁ」

 曖昧に頷いてから、糖子は少し考える。

「……巖渓少尉は、死ぬのを受け入れているんですか?」

 糖子の質問に華香は目を丸くした。

「当然です。それが軍人の使命ですから」

「……そうですか」

 私は御免です、とは口に出せなかった。

 そんな糖子の心中を見透かしたのか、華香はジッと糖子の顔を見る。

「黄里さんは違うんですか」

「私は……解りません」

 適当に話しを濁す。

 糖子も軍人だから戦死するという可能性は当然考えている。だがそれと受け入れているのでは話しが違うのだ。

 しかし糖子自身もその違いが解らなかったし、それを説明するほど深い理由があるようにも思えなかった。

「そうですか」

 形に出来ない糖子の心中を、やはり見透かしたように華香は糖子の顔をジッと見据える。

「まぁ、良いでしょう」

 しばらく見た後に華香は溜息交じりに呟いた。

「勿論、死ねと強制しようとは思いません」

 ですが、と華香は続ける。

「戦う以上、死は受け入れてください。我々は軍人なのですから」

 そう言って、華香は糖子の肩を叩いてから立ち上がった。

「未定ですが、明日爆撃を行うように命令が下りました」

 さらっと華香は重大な事を言ったので、思わず糖子は吃驚したが彼女は気にした様子も見せずに続ける。

「私たち陸攻乗りは一心同体。頑張りましょうね」

 そう言って華香は笑顔を見せる。

 糖子は、それに曖昧な表情で頷くしか出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る