南進作戦、開始さる
第12話 あの飛行艇を撃て!
「本日をもって、我々第一聯合航空艦隊は聯合艦隊司令部の命令に従って〝烈〟号作戦に参加する。ただいまより聯合艦隊司令長官、高野海軍大将の訓示を伝達する。
〝帝國の興廃はかかりて此の往戦に在り、粉骨砕身各員その任を全うせよ〟」
南進作戦開始の命が下ったのは、スキ焼の翌朝であった。
大艦隊を目撃していた糖子ですら「まさか」と驚いたのであるから、南進作戦の予兆を感じていなかった他の党乗員達などの混乱は凄まじく、通達以後の宿舎は流言飛語の巣窟となっていた。
何しろ上位部隊である航空艦隊に命令が下されたという事は、つまりハシヤマ分遣隊も南進作戦に参加するという事を意味している。全くの他人事ではなく、いつ命令が下されるのか解らないのだ。
くわえて昼食までには各々遺書を書くようにと命ぜられ、糖子も宿舎の机の前でまんじりともせずに紙に向かっていた。
さて遺書を書けと言われても何を書いたら良いのか皆目見当もつかない。
とりあえず「父上さま、母上さま」と書き出して「違うな」と消しゴムで消した。
「お父さん、お母さん」
違う違う。
そもそも普段こんな洒落た呼び方はしていない。いつもは「お父ちゃん、おっかちゃん」呼びで、こんな気張った殊勝な呼び方ではない。
散々悩んだ末にいつも通りの文面で、いつも手紙に書くような内容を書き、末尾に「先立つ不孝をお許しください」と付け足して鉛筆を置いた。
たったそれだけなのに何故かとても清々しい気分である。思い残す事はないという程ではないが、戦死しても悔いはないように思えた。
無論、錯覚だ。
目の前に死があったら混乱するに決まっている。しかし今はその錯覚があった方が有難かった。
それから数日間は誰もが気を張っていたが、しかし待てど暮らせど出撃命令は出ない。
何だか肩透かしを食らったみたいで拍子抜けをしていた時、その事件は起きた。
「おい、ヒ連送が入ったらしいぞ!」
ある日の午後、皆がゴロゴロしている宿舎に飛文が転がり込んできた。
ヒ連送とは機上での通信符号で「敵機発見」を意味している。それはつまり敵が近くに来ているという事と同義であった。
「なんだって!」
慌てて宿舎にいた全員が通信所に駆け込んだが、何しろ既に士官たちが詰めかけているので入る事は出来ない。外でヤキモキするしかなかったが、時おり聞こえてくる通信兵の声から大まかな状況が把握できた。
「逃げる事には成功するも被弾多数」
「負傷者の状態によってはそのままアザンキ島に向かえ」
三番島には仮設の救護所が存在しているが、大規模な治療を行える病院施設などはない。そのため大怪我をした場合は少し先にあるアザンキ島の飛行場に行く必要があった。機上負傷者の状態によってはアザンキに直接迎えというのはソレが理由である。
幸いにして大怪我を負った者はいないようであるが、万が一を考慮して消防車などの準備が行われた。
「帰って来たぞ!」
小一時間後、哨戒に出ていた焔雲が帰ってきた。
下から見ても解るほどに損傷を受けており、右のプロペラの回転がおかしく見える。否、実際に故障しておかしくなっているようだ。
哨戒機はそのまま真っ直ぐ着陸姿勢を取り、皆の心配を余所に至極あっさりと着陸をした。何だか心配したのが莫迦に思えるような自然さである。
「おーいっ! 大丈夫か?」
焔雲が止まってから皆で駆け付けると、搭乗口から機長、続いて他のペアたちが降りてきた。
「飛行艇だ!」
降りてきた搭乗員たちは興奮気味に言う。
「敵の飛行艇が追って来やがった。機銃を大量に載せてやがる! 見ろ! 穴だらけだ!」
余程興奮しているのか搭乗員たちは口々にがなり立てる。おかげで何を言っているのかサッパリ解らなかった。
何とか落ち着かせて話しを統合すると、哨戒飛行中に敵飛行艇を発見、敵地から離れた空域だったので油断をしていた所を襲撃されたらしい。
幸いな事に死亡者はいなかったが、機体は穴だらけでしばらくは飛べそうになかった。
「これはマズい事になったなぁ」
飛行長が後頭部を掻く。
何しろこれまで武装飛行艇が襲い掛かってくる事などなかった。それが唐突に攻撃してきたのである。
もしかしたら敵も南進作戦に気が付いたのかもしれない。
そんな事を糖子は考えていたが、ともかく司令部に報告するとだけ言い残して士官たちは去っていってしまった。
しかしそれだけで終わる筈もなく、悪い事態は続く。
なんと近隣のアザンキ飛行場が飛行艇によって空爆されたのだ。
たまたま視察に来ていた参謀と指揮所に集まっていた指揮官たちが死亡、飛行機も三機ほど焼かれるという大参事である。
最近は全く戦闘がなかった油断を突いての奇襲であった。
降りかかる火の子は払わねばならないが、しかし敵飛行艇が何処から飛んで来ているのかというのが全くの謎である。
これでは報復攻撃をする事もできず、今はとにかく警戒を厳にして哨戒を続けて奇襲をさせないようにする他ない。
しかしそれは同時に哨戒機が敵飛行艇と接触する可能性が高いという事を意味していた。
「なんとか撃退できないものかな」
三○八号を見上げながら飛文が言う。
「無理ですよ。何しろ焔雲に付いているのは豆鉄砲が四つに、当たるのか怪しい大口径が一つだけですから」
「そうかなぁ」
言いながら飛文は三○八号の側面スポンソン銃座をしげしげと眺める。
「これを強化したら良い線いくんじゃないかな」
「そんな莫迦な。強化って何をするんですか」
「アレを積む」
指差す先にあるのは穴だらけになった焔雲から取り外された大口径二十粍機銃である。
「あんな物を積んでも役に立つわけないじゃないですか」
呆れ顔で琴音は言う。
「いえ、そう言い切れないかもしれません」
そう言いながら現れたのは華香である。
「言い切れないって……積んでみるんですか?」
不審げに糖子が訊ねると、華香は少し間を置いてから頷いた。
「試す価値はありそうです」
「そうでしょうか……」
全く信用していない顔で琴音は言うが、しかし華香は積む旨の意見具申をしに行ってしまった。
「……貴方が変な事を言うからですよ」
「いや、ボクが間違っていなかったという証明だね」
フンッと飛文は鼻を鳴らす。
「大丈夫だよ、こんな変な案が採用される筈もないし」
ありえないと心の底から信じて糖子は笑う。
結論から言うと。
積まれてしまった。
「えぇえ……」
取って付けた感の拭えない側面銃座の二十粍機銃を見る。明らかに不釣り合いだ。もっとも正式な装着ではないので当然といえば当然である。
「効果ありますかね」
意見を出しておきながら不安気な飛文が言うと、華香は率直に「解りません」と答えた。
「何もないよりはマシでしょう」
ただ、と付け加える。
「重量増加で燃料の消費量も変わると思いますので、そこは注意してください」
そう搭整に注意をしてから、華香が、そして続いて糖子含むペアたちが三○八号に乗り込む。
本日の哨戒は三○八号の担当である。
何処まで役に立つのか解らない二十粍機銃に不安を感じながら、出来ればコイツを使わないで済みますようにと祈った。
そんな糖子の不安など知らぬとばかりに三○八号のエンジンは快調そのもの、元気よくプロペラを轟々と鳴らして離陸する。
あっという間に哨戒高度の二百メートルまで上がって水平飛行に移った。
哨戒飛行というと大海原を見渡すわけであるから高いほど良いと思われがちであるが、実際は飛行高度が高過ぎると水平線がぼやけて海上が見え難くなるので逆効果である。
そのため哨戒や索敵飛行では数百メートル程度で飛ぶのが通常であった。
もっとも、今回警戒をする相手は飛行艇である。もっと高度をとって警戒しても良いようなものだが、任務はあくまで「敵艦船に関しての哨戒」なので飛行は普段通りの高度だった。
今日も日差しが厳しい。
いつもの爆撃席ではなく、機体前部の偵察席で黒眼鏡を掛けながら糖子は周囲を見渡す。
もし敵飛行艇を発見した場合、取って付けた側面二十粍機銃を担当するのは糖子であるとあらかじめ決められていた。射撃訓練で優秀だったからというのが理由であり、これなら手を抜いておけば良かったと後悔するも後の祭りである。
高度千メートル未満を三○八号は決められたコースで飛行する。
いつもなら眠くなるような気温と天気であったが、今日は緊張しているせいか全く眠たくならない。
それでも腹が減るのは、我ながら豪胆なのか食い意地が張っているのか解らなくなる。
もっとも敵とぶつかるとはっきり決まったわけでもなし。ずっと気を張り続けるのも莫迦らしいのかもしれないと思いながら昼飯を待つ。
今日は赤飯と牛肉の煮物の缶詰、それと食後のジュースであると予め知っていたので待ち遠しい。この牛肉の煮物が缶詰でありながら非常に美味なのだ。
思わず唾を飲み込みながら双眼鏡を覗いていると、海上に黒点を見出してピタリと動かしていた手を止めた。
慌てて首元の送話器を掴む。
「二時方向に飛行物あり」
しばらくの間の後にブーッとブザーが鳴り響いた。
「総員配置に就け」である。
糖子も持ち場である機体後部の側面銃座に行き、二十粍機銃に弾倉を装着した。これが尋常ではないほど重い。何しろ十六キロあるのだ。戦闘中に弾切れを起こしたら即座に換えられる自信は微塵もない。
補助の搭整と一緒に何とかつけ終え、槓桿を引いて弾薬を装填、数発試射を行う。
快調そのものなのが腹立たしい。
念のために持って来た鉄帽を被る。飛行帽の上に被った姿は格好悪いどころか滑稽だが、無いよりは安全な筈だ。
そうこうしている間に敵も三○八号に気付いたのか接近してきた。こちらも接近し、飛行艇の死角である機体下部に潜り込もうと高度を下げる。
当然ながら飛行艇も自身の弱点を把握しているので下に入らせまいと高度を下げ始めた。お互いにやる気満々だ。
飛行艇よりも焔雲の方が速度を出せるので、必然的に三○八号の方が飛行艇よりも前方に出る。向こうとしては前方銃座があるので我が意を得たりといった感じであろうが、どっこい三○八号には新たに積んだ二十粍機銃だけでなく尾部にも同じ物が積んである。
三○八号の二十粍機銃二丁対飛行艇の十三粍機銃二丁。
威力的には二十粍機銃の方が優勢であるが、何しろ連射性と再装填に時間が掛かる。対して十三粍機銃はベルト式なので再装填の必要はなく、そのうえ連射性も向こうの方がはるかに高い。
飛行中故に命中率の低くなる空の戦いでは連射性は重要な要素の一つだ。戦闘機同士の巴戦などではなく、純粋な「撃ち合い」であるから尚更である。
海面スレスレになり、お互いに高度が下げられなくなった頃に銃撃戦は開始された。やや三○八号が前出しての並行、同速度であり、艦隊風に言うならば「同航戦」である。
照準を付けて糖子も引金を引く。
ドンドンドンッという力強い銃声が響き渡り、腹を力強く叩くかのような振動が伝わってくる。
一応は固定されているのであるが、何しろ応急で付けた物なので腕の中で暴れ回ってまともに照準をしていられるような物ではない。とにかく飛行艇に向けるだけで精いっぱいで何処を撃っているのかは糖子本人も解らないような有様である。解るのは弾が飛んでいっている事だけで、その先はさっぱりであった。
飛行艇側も必死になって撃ち返してくる。
何しろ向こうの機銃の方が連射性があるので凄まじい弾幕だ。そのうえ翼を狙っているのか、それとも糖子を狙っているのか、やたらと糖子の方に向かって弾が飛んでくるので気が気でない。
ビシビシッとたまに聞こえてくる音は何処か外殻にでも命中しているのだろうか。
撃っていると唐突に二十粍機銃が沈黙した。弾切れを起こしたらしくウンともスンとも言わない。
手早く弾倉を換えようとしたが前述したとおり二十粍機銃の弾倉は十六キロ。とても女の細腕で迅速に換えられるような代物ではない。
搭整と二人掛かりで思い切り踏ん張って持ち上げ、全筋肉を駆使して何とか機銃に装着、槓桿を引いて再装填する。普段であれば疲れ切ってへばっているところであるが、今は戦闘中だからか不思議と疲れを感じない。
再び照準を付けて射撃を再開する。
例によって弾は何処を飛んでいっているのか皆目見当もつかない。激しい銃火のせいで機内も硝煙で煙たくなるが、直ぐに流れ込んできた風によって外に追い出されていった。
そろそろ衝撃で身体が痛くなってきた頃、不意に誰かに押されたかのように銃座から突き飛ばされた。
額が痛いので触ってみると、ベットリと手が赤く染まっている。どうやら被弾したらしい。
だが他に痛みはなく、身体も十二分に動いたので再び二十粍機銃を構えて撃ち始めた。
距離がだいぶ近い。撃ってきている飛行艇の銃手の顔がはっきりと解るほどの近距離である。
敵飛行艇の銃手も、やはり糖子と同じような少女兵であった。
しかしその顔に恐怖や怯んだ様子はなく、闘争心を剥き出しにして三○八号に向けて機銃を乱射している。
もうどれだけの時間が経過しただろうか。何回目の再装填だろうか。
時間の感覚もなく、ただ無我夢中で撃ち続ける。
戦いはいつまでも続くかのように思えたが、実際には十分にも満たず、そして何の前触れもなく唐突に終わった。
糖子の撃った弾か、それとも尾部銃座からの弾か。どちらかは釈然としないが、ともかく命中したらしく飛行艇のエンジンが火を噴き始めたのだ。
こうなると飛行艇の方は戦闘などと言っていられない。速度を落として離脱し始めたが、しかし既に手遅れだったようで火はエンジンどころかあっという間に機体全体を包み込んだ。
最期に敵飛行艇の銃手の驚愕した顔が見えたがそれも刹那の時間。火に包まれた飛行艇はそのまま海面に突っ込むと派手に爆発四散し、あとには破片が浮かぶばかりであった。
「やった!」
隣で補助をしていた搭整が歓喜の声を上げ、琴音が「やりましたね」と喜びながらやって来る。そして糖子の姿を見て、驚いたように目を見開いた。
「大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと額切った」
そう言って額の手当てをしようと鉄帽を脱いで、琴音が驚愕した理由を思い知った。
鉄帽は驚くべき事に半分が吹き飛んでいた。恐ろしい十三粍機銃の威力である。下手をすれば糖子の頭も持って行かれていただろう。思わず「神様」と糖子は呟いた。
「傷の方は大した事ないようです」
額の傷を見てくれた琴音はそう言いながら包帯を巻いてくれ、手当てが終わってから糖子は機体前部に出た。
「やりましたね」
嬉しそうに華香が操縦席越しに糖子に笑顔を向けた。どうやら敵に火を噴かせた弾は糖子の銃座から放たれた物だったらしい。当人そんな事は全く自覚していなかったので、ただ放心状態で頷いた。
戦闘で流石に疲れたのか、華香も琴音に操縦を交代する。
その姿を見て、ようやく戦闘が終わったのだという事実を実感した。
勝ったのである。
「乾杯しましょう」
搭整がジュースを持って来てくれたので、栓を抜いて皆で乾杯をする。
程よい甘さのジュースが戦闘で乾ききった咽喉を癒してくれ、勝利の美酒というべきなのか、いつも以上に際立って美味しかったが、しかし脳裏に浮かんだ光景――火に襲われ、驚愕の表情を浮かべた敵銃手の顔がいつまで経っても頭から消えなかった。
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