第11話 トンデモないスキ焼
轟々と勇ましい音を立て、今日も三○八号は大空を飛んでいた。
訓練の日々は終わりを告げたが、本来の任務である哨戒は当然ながら続いている。以前と同じように同じ空域をただグルグル飛ぶだけなのであるが、しかし前と違う点が幾つかあった。
その一つが哨戒空域の拡大である。
それも敵の占領下にある地域の付近まで飛ぶ範囲は広がっており、下手すれば占領地から戦闘機が飛んでくる可能性もあるので搭乗員たちも気が気でない。
朝一で出発し、哨戒空域を数時間と敵地の近くをたっぷり一時間飛んで帰り際に弁当を食べる。そんな事がここ数日の日課になっていた。
今日も敵制空権付近を飛び、じっくりと空と海と遠くの方に見える島々を見回し、異常無しと判断されてからの昼食である。
敵地上空を飛ぶのは疲れるが、しかし危険度が違うから弁当も今までより豪華だ。
飯さえ食べれば疲労も吹っ飛ぶ糖子には何より有難かったし、そもそも体力を消衰する猛訓練に比べれば少し危険な飛行など屁でもない。
「はい、飯」
いつも通り二つ並んだ操縦席の下を潜って昼食が運ばれてくる。
機首の爆撃席は操縦席の下を潜ってくる必要があり、つまり糖子のいる爆撃席周辺は機内で孤立しているのだが、当の本人からしてみればプライベート空間があるようで不服はなかった。
「待ってました!」
今日の昼食は肉と野菜の混ぜご飯の缶詰と魔法瓶に入った味噌汁である。
この缶詰に限らずご飯物の缶詰は基本的に量が多いのだが、糖子にとっては足りないくらいで、モグモグと楽しんで食べている間にあっという間に食べ終わってしまう。
「美味しそうに食べるね」
そう言って飛文はボケッと糖子の食事姿を眺めている。
「どうしたの、珍しい」
食べ終わってから気付いたが、いつも昼食を届けてくれるのは搭整なのに今日に限っては飛文である。基本的に機体前部にある電信席から動かない飛文が偵察席にやって来るのは至極珍しい。
何か用か聞いてみたが、飛文は「別に?」と首を傾げてみせた。
「嘘吐け」
出不精な飛文が仕事である電信機を他の人間に任せて、用もないのにわざわざ爆撃席まで来る筈がない。
これは何かあるな、と糖子は他に聞こえないように伝声管を切り替えた。
「何かあるの?」
顔を近付けて耳打ちする。
「いや、最近はギンバイしないなぁと思って。夜食も手抜きうどんばかりで寂しいし」
要するに焚きつけに来たようだ。
少し拍子抜けしたが、確かに日頃の訓練の疲れで最近はギンバイをしていない。
もっとも糖子にとって目的はギンバイをする事ではなく、空腹を満たす事なので獲物が無い日はギンバイをしないのは当然の事であった。
「なにか食べたい物でもあるの?」
糖子が訊ねると飛文はニヤリと悪童の笑みを浮かべた。我が意を得たりという顔である。
「スキ焼き」
それを聞いて糖子は眉間に皺を寄せた。
糖子がギンバイしてきた物を使って料理をしよう、というのはいつも通りの話しであるが、しかし流石にスキ焼きとなるとそれなりの材料と調味料を必要とする。
特に一番の問題はメインとなる肉であり、流石の糖子でも烹炊所や倉庫にある以外の物を入手してくるのは難しかった。
「肉はなんとかするよ」
自信満々に飛文は言う。
「だから他の材料をどうにかしてほしい」
肉に当てがあるのであれば、糖子としてもスキ焼きを食べたいので協力は惜しまない。
とりあえず必要となりそうな材料の場所は把握しているので、即座に脳内でギンバイの手筈を考え、なんとか出来そうだという算段を立てた。
「うん、出来そう」
「流石。頼りになる」
そう言って飛文が手を差し出したので、糖子も笑顔でその手を強く握った。
……ちなみにこの会話は伝声管の切り替えミスで全て華香に筒抜けであったのだが、それはまた別の話しである。
※
「お前にやる物はない。帰れ」
飛行場に戻り、材料調達のために烹炊所に向かった糖子に投げ掛けられた言葉がソレである。
「いけず」
「いけず、じゃない」
顔も向けずに主計兵は川で食缶を洗い続ける。
いきなりギンバイはせず、まずは率直に「何かをくれ」と当たってみるのが糖子流であり、彼女なりの主計科に配慮したやり方のつもりだ。もっとも主計兵たちの間では「犯罪予告」と呼ばれていた。
「突き落として良い?」
「犯罪予告の次は脅迫か」
そう言いながらも主計兵は洗う手を止めない。糖子がそういう事をやらないという事を解っているからだ。
「……まぁ、主計科から渡す事はできないが、良い食い物が生えている所を教えてやろう」
「え! 本当に?」
「この小川を下って行くと大きく開けた場所に出るんだが、そこにゼンマイが群生しているらしい」
「初めて聞いた。有難う!」
礼を言い、糖子は早速小川を下って行く。
ジャングルの中は何が出るか解らず危険なので一応、護身用の拳銃は所持している。
出発五分くらいで公開をし始めた。
何しろ日が陰って来てからの出発である。足元は不明瞭になって来るし、頭上では鳥やら猿やらが喚いていてジャングルの中は不気味極まりない。
前に飛文が目撃した巨大な蛇が子供を丸呑みした話などを思い出し、身震いをしながら、しかし今さら戻る事も出来ないので薄暗いジャングルの中を進む。念の為に懐中電灯を持って来たのは幸いだった。
虫なのか、鳥なのかよく解らない声がジャングル内に響いている。
頭上ではまるで糖子の事を追っているかのように小型の猿が木々を渡っており、時おり立ち止まって糖子の事を見ているのが何となく解った。
思わず拳銃で撃ってしまおうかと思ったが、他の猿に報復されても怖いので万が一以外に発砲しないようにと安全装置をキチンと掛けておく。
「誰か連れてくれば良かった」
昼間のジャングルであればよく山菜を採りに入るが、夕方以降は初めてなのだ。少しジャングルを舐め過ぎていたかもしれない。
周囲を見渡しながら歩いていると、不意に視界がガクンと下がったかと思うと釣られるようにして身体も落ちてしまった。
「ぎゃあっ!」
短い悲鳴を上げる。
危うく拳銃を撃ちそうになったが幸いにして安全装置を掛けていたので大丈夫だった。
「イテテ……」
どうやら窪みに落ちたらしい。
道の真ん中にいきなりあったせいで気付かなかった。
どうしてこんな不自然な穴が? と思って見渡してみると、どうやら爆弾か何かで空いた物であるようだ。そういえば糖子たちが三番島に上陸する遥か前、陸戦隊が島を占領する際に島に向けて艦砲射撃が行われたという話しを聞いた覚えがある。おそらくその時に空いた穴なのだろう。
穴を見渡してみると何故だか不自然に白い。なんだろうとよくよく見てみると、不気味に白い茸だ。それが穴一杯に群生しているのである。
「これが爆弾ダケかな?」
以前、古参の兵曹から酒の席で聞いた事がある。
爆弾の炸裂で大きく開いた穴には白い茸が密生し、食べるととても美味なのだという。
爆弾で空いた穴に生えるので「爆弾ダケ」と呼ばれる事は糖子も話しだけでは知っていたが、実物を見るのはこれが初めてであった。
「よし、持って行こう」
これは良い具材が手に入った、と取れるだけ取って被っていた略帽に詰め込む。
本当に食べられるのかは定かでないが、それは宿舎に戻って試してみる事にする。
先ほどまでの不気味さは何処へやら、上機嫌で小川を下って行くと今度は大きな葉の付いた大木を見付けた。
パンノキである。
パンの実という果実を付ける木で、焼いて食べるとサツマイモのような味がして美味しい。糖子の大好物の一つなのだが宿舎近くの物はあらかた採り尽くしてしまっていたので、これは有難い発見である。
流石に暗い時に木登りは危ないので摂るのは止めるが、今度採りに来ようと決意した。
他にも野草が生えていたので摂っていく。
ジャングルに生えている植物は食用に適さない物が多く、毒を持っている物も多いのだが、糖子は陸軍の兵士から譲り受けた「現地自活ノ栞」という本を熟読しており、概ね食用に適しているか否かを知っていたのでその点は抜かりなかった。
なかなか具材も集まって来た、と喜んでいると唐突にジャングルが切れ、沈みかけの日光が目に入って来た。眩しくて思わず目を瞑る。
少し日光に慣れてきたので薄っすらと目を開けてみると、どうやら主計兵が言っていた「開けた場所」に出たらしい。今までのジャングルが嘘のように視界が開けている。まるで原っぱにいるかのようだ。
毎日のように上空から見下ろしているが、この島にこんな場所があるとは露ほども知らなかった。なんだか秘密の場所のようでワクワクする。
さて、この広い草原の何処にゼンマイが生えているのかと探そうとして――糖子は思わず唖然とした。
確かにゼンマイはある。それも群生していて採り放題だ。
だがデカい。
ありえない程にデカい。
具体的に言うと糖子の背丈を大きく超えている。ただでさえ気持ち悪い形をしているゼンマイが二メートル近くあるのだ。圧巻というよりも気色が悪かった。まるで妙な化物を見ている気持ちがする。
主計科が知っていながら全く手を付けていないのも納得だ。こんな不気味な物を食べる気にはなれないだろう。
しかし不気味な見た目で美味しい物は幾らでもある。糖子は一本を無理やり抜き取って背負うと、今までの収穫物を持ちながら元の道を戻った。
宿舎に入ると、まず「なんだそれ」という驚愕の声。こんなに莫迦デカいゼンマイを背負って来たのだから当然だろう。
みんな興味本位で集まってきてワイワイ言った後、糖子の顔を見る。
「食べるの?」
「当たり前でしょ」
それから糖子は爆弾ダケを見付けた事を良い、一つを焼いてみてから「毒味をするから見ていてほしい」と皆に頼みこんだ。
「もし顔色が少しでも悪化したら軍医の所に連れて行って」
ヒョイッと口の中に入れる。
……一時間経過。
幸いにして毒はなかったようで、糖子の容態に異変は全く起きなかった。しかも美味しい。これは良い食材を見付けたものだ。
この毒味の間に他の野草は琴音によって下準備されており、飛文も何処から手に入れたのか解らない肉を持って来たので早速調理された。
スキ焼をやるというので他の搭乗員たちも酒を持ち込み、一通り集まった所でブリキ製の洗面器を鍋代わりにしたスキ焼きが机に置かれた。醤油と砂糖、酒で味付けされた汁で糖子が摂ってきた材料を煮込み、さらに貴重な肉が美味そうに湯気を出している。
まさか南国、場末の基地でスキ焼きが食べられるなど思ってもいなかったので、みんな箸を手に突撃するようにして鍋から具材を取っていく。互いに譲らない箸の戦争のような有様であるが、こんな時でも糖子は食材を取るのが上手く手早く好きなだけ具を器に移していった。
調味料が限られているので味付けは大雑把だが、それがまたギンバイ料理の美味いところであり、苦戦をしながら盗って来た甲斐があったという物である。
怪しげな肉も淡白で美味しく、夢中で食べている間にあっという間に鍋代わりの洗面器の中には汁が少し残っているだけになっていた。
「ところでこれなはんの肉だったんだ」
誰ともなくそんな声が聞こえてくる。
夢中で食べていたが豚でも牛でもない味であった。さりとて鳥とも少し違う。そもそもこれだけの量をどうやって集めて来たのか不思議である。
皆の視線が飛文に集まると、飛文は悪童の顔をして「知りたい?」を勿体ぶって言った。
「これはね、ゴミ棄て場でスカッパーを漁っていたトカゲの肉だよ」
うへぇ、と誰ともなく奇妙な声を出す。
「お前とんでもない物食わせやがったな」
「美味かったんだから良いじゃない」
ニヤニヤしながら飛文は言う。
悪戯をしたような顔をしているが、元より飛文も美味いと知っていたから皆に食べさせたのだ。それを解っていたから糖子もトンデモない物だったと思いつつも怒る気にはなれなかったし、そもそも美味しかったので怒る気もなかった。
さて、お腹も膨れると眠くなってくる。
糖子は固い寝台の上にゴロリと横になって天井を見上げた。
「寝ようかなぁ」
大きく欠伸をする。
この翌日、重大な発表がなされる事など、今の糖子が知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます