訓練訓練、猛訓練
第9話 図上の爆撃訓練
轟々と音を立てながら、三○八号はタレンザカン基地に到着した。
電線は切れ、翼はボロボロという満身創痍の姿である。それでもプロペラは何事もなかったかのように元気に回り、飛行自体は快調そのものだ。
タレンザカンの飛行場が見えて来ると、同時に近隣の軍港も見えてくる。
軍港には武装した艦隊だけではなく、何処からこれだけ集めてきたのだという程の量の軍民問わずの船が停泊していた。
三○八号はその船団の上空を通過、そのまま滑走路に向かう。油圧が下がっているせいで足が出ないというアクシデントはあったが、それも何とか克服して三○八号は無事にタレンザカンの飛行場に着陸した。
積乱雲に突入した事を報告すると飛行場附の大尉は「ははぁ」と感心したような、呆れたような声を出す。
「無茶をするなぁ」
「命令ですので」
半ば抗議の念を込めながら糖子が言うと、大尉は「命令?」と首を傾げた。
「どこの誰だ、そんなトンチンカンな命令を出したのは」
「参謀でありますが」
ゲッソリとやつれている参謀を糖子が見ると、大尉と一緒に来ていた基地司令が「なに!」という怒声を上げる。思わず怒られるのかと糖子たちは縮み上がったが、意外な事に怒りの矛先は糖子たちではなく参謀であった。
「貴様、積乱雲を突破しろなどと無茶を言ったのか!」
いきなり司令に怒鳴られたので、参謀は困惑した様子で「はぁ」と曖昧な返事をする。まさか自分が怒られるとは思っていなかったというような顔だ。
「機上では階級がどうあれ機長が決定権を握るという当たり前な事すら知らんのか!」
見ていて哀れになるほどに参謀は縮こまってしまっている。それを見ていた琴音が「ざまあみろ」とでも言いたげな笑みを浮かべ、その顔を見た飛文が「怖っ」と短く感想を言う。
「あー……というわけだ」
目の前で参謀が怒鳴られ、大尉もどうしたら良いのか解らないというような表情で後頭部を掻く。
とにかく他の航空隊がこれから来るので燃料搭載が終わったら飛んで欲しいとの事であり、糖子たちもそのつもりだったので二つ返事で了解した。そもそもこんな火山灰だらけの飛行場に長く滞在したくはない。
燃料搭載と応急的な修理を終えると、三○八号は直ぐに飛行場を飛び立った。
応急修理なので不安もあったが、途中の飛行に問題は何一つなく、周囲が暗くなる前には三番島へと帰還する事が出来た。
新任分隊士である華香を見ると、その美人ぶりにみんな歓声を上げ、新任分隊士着任祝いの宴会はもっぱら彼女の話題で持ちきりであった。
ちなみに新任分隊士の着任祝いと言いながら肝心の華香は不在である。要するに着任祝いにかこつけて飲みたいだけなのだ。
みんな飲んで歌って騒いで、眠ったのは明け方近くになってからであった。
いつもならこれで問題ないのであるが、しかし翌日、さっそく華香が意見具申を行ったのか早朝より訓練を始めるという通達がなされた。
元より哨戒飛行が無い日は訓練であるが、それも朝食休みをしてから行うという極めてノンビリしたものである。
だが今日は朝食を食べるのも惜しむかのような速さで訓練の日程が組まれていた。
くわえて新しい搭乗割りである。華香が加わったからか、今までのペアではなくて新しい搭乗割りへと変更されていた。
幸いにして糖子、琴音、飛文は今まで通りの三○八号乗組みであったが、操縦は琴音に変わって華香が機長と兼業で担当する。唐突な配置換えには動揺を隠せなかった。
何しろペアというのは一心同体。機体が墜ちれば全員一緒に死ぬわけであるから、その結託は話すまでもない。それを簡単に解散させてしまうのだから何を考えているのかと訴えたくもなる。
もっとも糖子は仲の良い琴音と飛文は一緒であったので文句もない。流石に琴音は自分が副操縦員に降格させられた事に不服であったようだが、命令だからか、あるいは説得されたのか文句は言わなかった。
各員の文句を浴びつつ、しかし訓練は始められる。
午前は長距離飛行訓練であった。
新しい搭乗割りになったため、通常の飛行をする上でも感覚が異なる。そのため長距離を飛んで勘を慣らそうという事であるらしい。
長距離飛行と言っても、そんなに遠くにはいかず、ただ近隣の友軍基地上空まで行って帰ってくるだけである。機長が華香になったとはいえ、航法をするのは糖子である事に変わりはない。いつもどおり爆撃席で航法を行う。
行って帰るだけといっても長距離飛行なので片道一時間半、往復で三時間の飛行である。行って帰ってくるだけで午前中を命一杯使用した。一時間遅れで一機ずつ飛ばしたので、到着後は後続機が帰って来るまでノンビリ休憩……などはさせて貰えず、すぐさま飛べるようにと燃料と爆弾の搭載を整備員と一緒にやらされた。
今まで整備員に全て丸投げで、それで良しとされていたのだが緊急に燃料や爆弾を搭載しなければならない可能性も出て来るという理由らしいが、重い燃料や爆弾を運びながら滑走路を走り回るのは並大抵の事ではない。あっという間に全身雨でも浴びたかのような汗だくになり、咽喉を潤そうと食堂のヤカンに口を付けたが既に空になっていた。
全機帰還すると昼食である。
だが昼食もゆっくりと味わってなどではなく、座学をやりながらのものだった。
壁に艦影の描いた紙が貼られ、一つ一つ「これは何々級」「この大きさに見えたら戦艦」などとミッチリ叩きこまれる。とてもではないが昼食の味を楽しんでいるような余裕はない。
食べた気のしない昼食を終えれば午後の爆撃訓練である。
海に標的が浮かべられ、訓練機はその上空を通過、訓練用の爆弾を落としていくという訓練方法である。
午前に新規の搭乗割りが発表されたわけであるから、主操縦員となった華香と組んで爆撃を行うのは当然ながらこれが初めてだ。上手くいく筈がないのは解っているが、それでも少しでも命中弾を出してやろうと糖子は爆撃照準器を覗きこんだ。
風速、風向などを入力し、0・5秒間隔で四発が落ちるように設定をする。
「……ヨーソロー、ヨーソロー……ちょいミギー」
指示に従って三○八号は動くが、しかし糖子の感覚に慣れていないので機体の修正は思っていた通り大きく思い通りに動いてくれない。
「ちょいヒダーリ……ミギに戻せー」
ガクンガクンと揺さぶられているかのように小刻みに三○八号は進路を修正していく。
だがやはり思い通りに修正はされない。二度、三度と目標上空を通過し、ようやく「ヨーイ、テーッ!」の合図で爆弾は投下されたが至近弾が出たのみで命中弾は出なかった。
もっとも初めて組んで至近弾が出せれば上々である。
しかし華香は満足しなかったのか、基地に降りてから顔を見てみると不満気な表情であった。
こうして何度も爆撃訓練を行い、夕方になってようやく一息を吐けた。
「くっそー、あの美人さんには騙された」
誰ともなく呪詛が出る。
美人が来たと皆喜んでいたが、しかしその美人が鬼であったのだから詮無き事だ。疲れ切って出て来る愚痴も少ない。
「小休止終わり!」
華香がメガホンで叫ぶ。
気張っているようであるが、どう見ても学生が背伸びしているようにしか見えなくていじらしい。だがやっている事は鬼畜の所業である。
全員海岸に集まって整列をさせられた。
列の前に華香が立つ。
「これが終われば今日の課業は終わりなので頑張って下さい」
そういう華香の横には二種類の機銃が置いてある。
どちらも焔雲に装備されている機銃であり、人間が持ち運べるサイズの物が七粍の弾丸を発射する機銃で、もう一つは固定しないと使えないほどに巨大な二十粍の銃弾を使用する大口径機銃である。
七粍機銃は偵察席にも付いているので糖子も慣れ親しんだ機銃であるが、二十粍機銃は尾部銃座にしか付いておらず、専門の射手が扱うので糖子も触った事がなかった。
「射撃訓練を行います」
簡単に作られた木枠の中に入り、華香が機銃を構えてみせる。どうやら銃座の枠を想定した物であるようだ。
「目標は五百メートル先にある的です」
そんな事言われても五百メートル先の物なんて見える筈がない、などと思って見てみると、なるほど、遥か彼方に船が浮かんでいる。古の物語でもあるまいに、まさか扇でも撃てと思っていたら、どうやらあの船その物が的であるらしい。
「成績優秀者には景品として果物の缶詰を数個ずつ贈呈します」
さてこれは大事になった。
なんとしても成績優秀を出さねばならない。
幸いにして糖子はいちおう機銃の扱いには慣れているし、それなりに腕もあると自負している。他は駄目で射撃の腕はいいのを陸軍では射撃モッサリなどと言うらしいが、そんな事は今はどうでもいい。
いつも通り、七粍機銃の上部に丸い円盤型の
いざ構えてみると問題だったのが木枠である。この木枠はスポンソン銃座の形を想定しているらしく、普段使っている偵察席の銃座とは大きく異なっていて構え難い事この上ない。
それでも文句は言えないとしっかり照準をして引金を引いた。
タタタタッという小気味良い音。久しぶりに聞いた銃声である。
銃弾は思い描いた所に飛んでいって……くれているような気がした。何しろ的は五百メートル先であるから当たっているのか、いないのかさっぱりである。とりあえず周囲に水柱が何本か立っているので近くに飛んでいっている事は間違いないだろう。
そんな感じの訓練を順番に変わって行っている間に日はもうすっかり暮れてきて、全員が終わる頃には四周真っ暗闇と化していた。
「はい、じゃあ成績発表は夕食の後で。ご苦労様でした」
ようやく終わった訓練に、みんなクタクタになって食堂に行く。
疲れ切っているせいで何を食べているのかも解らない。ただご飯を口に運び、噛んで飲み、また口に運ぶという繰り返しをしているだけで夕食は終わった。
こうなるとギンバイしに行く気も起きない。
宿舎に戻って明日の課業内容を聞き、ぼんやりした頭のまま寝台に倒れ込む。
明日も今日と似たような日程だと聞いて絶望感しか湧いてこない。このままでは噂の「南進作戦」とやらの前に死ぬのではないだろうか。
そんな事が脳裏を行ったり来たりしている時、先任搭乗員から「巖渓少尉が呼んでいる」という予想もしていなかった言葉が投げかけられた。
こちとらもうヘトヘトで何もやる気がないというのに一体何の用なのであろうか。嫌で仕方がなかったが断わる事など出来る筈もなく、呼び出された士官用食堂に行く。
普段は賑わいを見せている士官用食堂であるが、今日は熾烈な訓練に当人たちも堪えたのかシンッと静まり返っていた。
その静かな食堂の机の一つに華香はいた。机に何やら大きいな紙を拡げ、それを紙筒で覗くという珍妙な事をやっている。
「巖渓少尉」
真剣にやっているので遠慮がちに糖子が声を掛けると華香は顔を上げた。
「お休みでした?」
「いえ、大丈夫です」
実際のところ全然大丈夫ではないのだが、士官相手なので本音は隠して言わねばならない。
そうですか、と華香は微笑むと持っていた紙筒を糖子に手渡した。
「これはなんですか?」
言いながら先ほどの華香と同じように覗き込んでみると稚拙な目盛が付いている。どうやら爆撃照準器を模した物であるらしい。
机に拡げてある紙を見てみれば、どうやら海図か何からしく小さな船のような物が幾つか描かれていた。
「それを照準器だと思って、指示を出してみてください」
「はい?」
「爆撃訓練だと思って」
言われるままに糖子は紙筒を覗き込む。すると紙筒の中に見える海図がスルスルと動き始めた。どうやら華香が移動させているらしい。
「……ヨーソロー、ヨーソロー……ちょいミギ」
訓練の時と同じように指示を出すと、その指示通りに紙筒内の海図は動いていく。そこに至って、ようやく自分が図上演習をしているのだという事に気が付いた。
「ちょいヒダーリ……ヨーソロー」
徐々に紙の揺れ幅は小さくなっていき、やがて糖子の思っている通りに海図が動くようになってきた。
「ヨーイ……テーッ!」
ピタッと海図は止まる。どうやら爆撃終了という事らしい。紙筒から目を離すと華香が難しい顔で海図を見下ろしていた。
「あのー……」
「もう一度やりましょう」
言われて再び紙筒を覗き込む。
けっきょくこの「図上演習」は夜通し行われ、結果として糖子が寝たのはもう空が白んできた頃であった。
幸いにして翌日の午前中は座学であったので体力的には問題なかったのであるが、何しろ眠くて眠くて仕方がない。頭をガクンガクンさせている間に午前中は終わり、昨日と同じようにして食べながら座学、昼から再び猛訓練という有様であった。
そして夜になり、機銃訓練成績優秀者として貰えた缶詰を食べていると再び呼び出し。例によって図上練習にミッチリ付き合わされる。
そんな日が三日、四日と続いていた。
「……大丈夫ですか」
琴音に言われ、糖子は「はい?」と聞き返した。
「クマが酷いですよ」
言われて鏡を見てみれば、なるほど、目の下が真っ黒である。
「眠い……」
ここのところ疲れてギンバイをしているどころではない。他の兵隊も同じらしく、みんな一様に疲れ果てた様子である。
「今週は忙しかったですが、来週から通常通りに戻します。今日で終わりですので頑張ってください」
そう言う華香は何故か元気いっぱいである。教鞭を振るっている彼女が一番疲れている筈なのに、その元気は一体どこから湧いてくるのだろうか。
「本音を言うともっと続けたかったのですが、司令から注意が出ましたので」
誰ともなく司令に感謝をする。
司令が何も言ってくれなければ、下手すれば誰か死ぬまで続けていたかもしれない。冗談でもなんでもなく心の底からそう思えた。
だが華香が何故こんなに苛烈に訓練を行うのか、理由が解らない糖子でもなかった。
彼女はおそらく何らかの作戦が近い事を知っているのだ。そしてそのために部隊の練度を急速に上げなければならない事も熟知しているのだろう。そういった事情を知らない者たちは「若さ故の先走り」などと言っていたが、華香には次の作戦を知る者として「流刑人」を素早く戦えるようにする必要があったのだ。
さりとてこんなに訓練を続けていたら死んでしまう。だから司令の注意は極めて有難かった。
だが猛訓練は続いている。
最後の通達が成された日の午前は爆撃訓練であった。
いつも通り糖子が爆撃照準器を覗き、針路の指示を出す。
「ヨーソロー、ヨーソロー」
今日はほとんど修正を出さない。出したとしても思った通りに動いてくれるので全くストレスがなかった。
たったあれだけの、簡単な「図上演習」だけで糖子の癖を掴んだらしい。華香の飛行センスに舌を巻くばかりである。
「ヨーイ、テーッ!」
爆弾が落ちて行き、若干ではあるが機体が軽くなったかのような錯覚を受ける。
「命中弾三、至近弾一!」
歓声のような報告。高度三千メートルでこれだけの命中率を出せれば十分だろう。滑走路に着陸すると華香が歩み寄ってきた。そして何やら腕をジロジロと見て、不思議だというような顔をして去っていってしまった。
「……なんだったんだろう」
「何か付いていたんじゃないですか」
「何かって何?」
「食べカスとか」
飛文が茶化し、糖子は「失礼な」と憤慨する。
ここの所、ギンバイなどしていないのだから食べカスなど付く筈ないではないか。付けたくても付けられないような状態なのである。
もっとも、それも今日で終わると思うと気持ちも少しばかり明るかった。
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