第8話 積乱雲突破

 翌日。束の間の娑婆に別れを告げ、糖子たちは基地に戻って三○八号への搭乗準備をしていた。

 既に基地所属の整備員たちによって整備は終わっていたが、三○八号に慣れていない人間がやった整備はやはり恐いので改めて自分たちで点検を行う。

 燃料も満タンまで積み込み、また昨日のような事にはならないように飛ぶ前に念密に飛行航路の打ち合わせを行う。

 今回の任務は新任の分隊士を乗せて還る事であるが、しかし例の人物はいつまで経ってもやって来ない。待っていると自動車がやって来て指揮所の前に停まった。

 従兵と思しき兵隊がドアを開けると、ゾロゾロと士官が出てくる。いずれも胸に飾緒を着けた参謀様である。

 参謀たちは基地の飛行長に何かを話し、それを聞いた飛行長が少し迷った様子を見せた後に糖子を呼んだ。

「悪いが彼らをタレンザカンまで輸送してくれないか」

 聞けば参謀たちは船でタレンザカンまで行く予定だったらしいが、飛行機が飛ぶのであればそれに便乗させろと言っているらしい。

 飛行長が「悪いが」と言っているのに断わる事は出来ないし、そもそも機長とはいえ下士官である糖子に決定権などあってないようなものだ。仕方がなく了承をする。

 しかし参謀たちは糖子の階級章を見ると露骨に嫌な顔をした。

「下士官じゃないか。こんなんで大丈夫か」

 わざと糖子に聞こえるような大声である。

 帝國海軍の士官の中には「下士官兵は駒」という考えが根底にあるという話は糖子も重々に承知していたが、彼らはまさにそんな思想者の典型であるかのようだった。

 仔細は書かないが、参謀たちはそれ以後も糖子にわざと聞こえるように侮蔑の言葉を吐く。それは階級だけではなく、容姿や性別にまでおよび、遂には飛行長に文句まで言い始めた。

「すいません、遅れました」

 いい加減辟易してきた頃、指揮所前に自転車が止まったかと思うと一人の士官が駆けてきた。余程急いで来たのだろう。額から滝のように汗が流れている。

「あ」

 思わず糖子は変な声を出した。

 やってきた人物は昨晩食堂で出会った女性士官その人だったからである。

 彼女の名前は巖渓いわたに華香はなか。なんとハシヤマ分遣隊に異動して来るという新任分隊士は彼女であったらしい。

 時間が押しているので挨拶もそこそこに早速出発準備に移った。

 出発準備とはいえっても既に点検は終わっており、あとは分隊士を待つのみであったので乗り込めば直ぐに出発は出来る。

 その事を同乗者たちに伝えると華香は「解りました」と頷き、参謀たちは横柄に「さっさと出せ」と威張り散らした。

「これが焔雲ですか」

 横柄に喚き散らそうとする参謀たちを遮るように、華香が三○八号をなぞるように見る。

「焔雲を見るのは初めてですか?」

 琴音が訊ねると、華香は「近くで見るの」と微笑む。

「良い飛行機ですよ。ヤンチャ者ですけど」

「ヤンチャ者?」

「性能は良いんですが信頼性は前任の燈雲ていうんに比べると劣ります。操縦性も舵が利き過ぎる嫌いがありますし……まぁ、そのぶん性能は比べ物になりませんが」

「そうなんですか」

 言いながら華香が三○八号をなぞる様に見る。

「……綺麗な飛行機ですね」

「ええ、別嬪さんですよ」

 しみじみと琴音も頷く。

 人見知りする琴音にしては珍しく、華香とは気が合うらしい。乗り込むまでアレやコレやと何かを話している。

 それにしても随分と丁寧な喋り方をする人だ。基本的に士官という物は下士官兵に対して横柄であるが、彼女は兵にも謙虚でそういった様子を感じさせない。余程育ちが良いのか、あるいは莫迦なのだろう。

 そういえば、と思い出して糖子は飛文に耳打ちした。

「参謀たちの弁当って積んであるの?」

「あるよ」

「やっぱり参謀の弁当というのは私たちの物とは違うのかなぁ」

 ボンヤリと糖子が呟くと飛文が「莫迦」と苦笑した。

「糖子の頭は食い物の事しかないのか」

 そんな事はない、と抗議をしようとしたが、よくよく自分の行動を思い返せば言い返せるような生活態度ではない。むくれつつも糖子は黙って飛文の言葉を受け入れるしかなかった。

 三○八号の前で一度整列。

 全員が居る事を確認してから糖子は「全員搭乗」と号令を掛けた。

「本日もよろしくお願いします」

 そう言っていつも通り頭を下げていると、不意に後ろから体当たりをされた。何かと思って振り返ると参謀が糖子に構わず機内へと入っていく。

「邪魔だ」

 それだけ言うとお供の中尉も機内へと入っていった。

「酷い態度ですね」

 琴音が眉間に皺を寄せながら言う。

「そんなに嫌なら船便で行けばいいのに」

 むくれながら糖子も乗り込む。不満であっても任務は遂行しなければならないのが軍隊のツラい所である。

 攻撃機の焔雲であるから当然ながら運用する人間以外を座らせる席があるわけではない。そのため参謀は機長席に座り、他の便乗者は輸送物資の箱を座席代わりにしていた。

 乗り込んで最終点検。離陸の手順を行い、指揮所から「発進よし」の合図が出たので三○八号は勢いよく滑走路を走ってから離陸する。あっという間にハエバル飛行場が小さくなっていき、数分後には名残惜しい南領諸島はすっかりと見えなくなってしまった。

 上昇してから最終点検を行い、念の為後部に異常がないかを確認しに行く。

 普段は前面全て空の偵察席にいるので機体後部はとても暗く感じる。

 後部では参謀のお供の中尉二人が興味深そうに周囲をジロジロと見ている。まるで飛行機に初めて乗ったオノボリさんのようであるが、航空隊を指揮する士官たちなのであるから飛行機に初めて乗ったなんて事はないだろう。

「飛行機は初めてですか」

 中尉二人とは対照的に落ち着いた様子で座っていた華香が訊ねると、中尉の一人が「いやぁ」と照れ臭そうに後頭部を掻いた。

「実は初めてで」

 それを聞いて、思わず糖子は「へ?」と素っ頓狂な声を出してしまった。

「なんだ」

 すぐさま中尉の鋭い声が飛んできたが、糖子は「なんでもないです」と適当に誤魔化す。

 まさか航空隊の指揮を執る人間が飛行機に乗った事がないなんて微塵も思わなかった。噂によると他国では「帝國海軍の士官は図面だけで指揮を執る」と揶揄されると聞いているが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。

 そうなると扱われる糖子たちのような下士官兵は堪ったものではないが、しかし中尉たちは気にした様子も見せずに華香と気楽に喋っている。彼らからすると自分たちの飛行機無体験は差して重大な問題ではないらしい。

 糖子は彼らに見えないようにアッカンベーをした。

 こんな連中と何時間も同じ飛行機で飛ばねばならないと思うと辟易したが、幸いにして糖子は自分の持ち場が爆撃席であるので逃げる事が出来る。

 機体前部に戻り、そのまま爆撃席に降りようとしていると琴音が「左前方に船影」と短く報告したので慌てて双眼鏡を手に取った。

「大艦隊だ」

 思わず糖子は絶句した。

 帝國領の近海だから敵でない事は解り切っていたが、それでも圧倒されてしまうような数の艦隊である。小さな駆逐艦から巨大な戦艦、はては給油艦や輸送船の類も列を組んで航行していた。

「作戦参加の連中か」

 ボソリと参謀が呟く。

「作戦?」

 耳聡く琴音が訊ねたが、参謀は「うるさい!」の一言で会話を終わらせた。

「何さ偉そうに」

 聞こえないように文句を言いながら糖子は爆撃席に降りる。

 それにしても「作戦」の一言が気にかかる。まさか琴音が前に言っていた「南進作戦」の事だろうか。

 もしそうだとしたら、これから戦火は拡大してしまうのだろうか。そうなれば糖子たちハシヤマ分遣隊も投入される事になるだろう。

「いやだなぁ」

 小さく糖子は呟いた。

 そんな事になれば、満足にご飯を食べる事も出来なくなってしまうではないか。

 ブチブチ文句を言いながらいつも通り航法を行う。

 昨日と同じで風も強くなく、よく晴れている全く問題のない飛行だ。この調子であれば予定通り今日中には三番島に帰る事が出来るだろう。

 無意識に「帰る」という単語が浮かんだ事に糖子は思わず苦笑した。まるで自分の故郷は半分三番島になりつつあるかのような考えだ。

 冗談でもあんな島が故郷などとは思いたくない。

 そんな事を考えていると、ふと遥か前方に巨大な雲が立ち上っているのが見えた。

 昨日と同じ南方特有の突発的な積乱雲である。

「前方、積乱雲です」

 このまま進めば積乱雲とぶつかる。当然ながら糖子は針路を変更して積乱雲を避けようとしたが、まるで巨大な壁のように積乱雲は立ちはだかって行く手を阻む。雲下まで高度を落としてみたが雨が酷くて視界が悪く、とても飛び続けられるような状態ではなかった。

 糖子は機体前部に上がって、便座上副機長のような存在になっている琴音と相談をする事にした。

「これ以上の迂回は危険です。迷う可能性があります」

「そうだね。高度を取ってみようにもお客さん方の分まで電熱服はない」

 高度三千程度であれば現在のように軍服一枚でも大丈夫だが、何しろ高度六千メートルを超えると地上との温度差は三十度もある。とても軍服一枚で耐えられる寒さではない。

 くわえて酸素吸入器の問題もある。高高度になると酸素が薄くなるので酸素吸入器が必要になるが、三○八号に積んでいる酸素ボンベは五つで吸入器は搭乗員分しかない。

 高度を取るのが不可能となると、やはり迂回しかないが積乱雲が何処まで続いているのか解らない以上、飛び続けるのは危険である。

 話しをしていると機体後部から華香がやって来た。

「どうしました」

「積乱雲が立ちはだかっていて……迂回も出来るか怪しい状態です」

 そこまで言ってから糖子は航路図から目を離して琴音の顔を見た。

「引き返した方が良さそうだね」

「私もそう思います」

 琴音も首肯、華香の顔を見ると「二人に任せます」と頷いた。

 無理に積乱雲を突破しようとして失敗した例は幾つか聞いている。そんな危険を冒すよりは一度引き換えしてから飛び直した方が良い。

 だが参謀はそうは思わなかったようである。

 ガンッと軍刀の石突で床を叩くと、糖子に「このまま進め」と命令した。

「積乱雲に突入すると危険です。出直した方が無難ですよ」

 糖子の正論に、しかし参謀は「莫迦者!」と罵声を浴びせる。

「貴様らそれでも帝國海軍の軍人か。雲ごときで狼狽えるな!」

 この参謀は自分がどれだけ莫迦な事を言っているのか解っているのだろうか? と首を傾げたくなる。積乱雲への突入は搭乗員にとって御法度だ。余程の緊急事態でない限り絶対に避けるべき事である。

 しかし参謀はこのまま進めと言う。

 早く目的地に着きたいのか……否、先ほどから華香の事をチラチラ見ている事から察するに、彼女に「良い所」を見せたいのだろう。こんな空威張りを「良い所」と思っているのなら余程小さい男だ。むしろ呆れられてしまうのではないかと思っていると、やはり華香は呆れたように溜息を吐いていた。

 もっとも華香にとって参謀は上官であるし、飛行機の運用に関しては機長に一任している。何も口に出す事は出来ないと機体後部へと戻っていった。

「ではこのまま進みます。よろしいですね?」

「構わん」

 鼻を鳴らしながら参謀が言い、糖子は「針路直進、ヨーソロー」と指示を出す。

 指示通り真っ直ぐ進んで行く三○八号の前に積乱雲は立ちはだかり、近付く毎にその大きさが実感できてくる。

 思わず糖子は唾を飲んだ。

 まるで山だ。そしてこの中には暴風雨や龍のような雷が待ち受けている。

 高度を下げつつ、しかしあまり下げ過ぎると海面に激突しかねないので、ある程度の高度を保って三○八号は積乱雲に進んで行く。

 こんなに恐ろしいものだと思っていなかったのか、参謀の顔は早くも真っ青になっていたが面子なのか引き返そうとは言わない。改めて莫迦さ加減に呆れてしまう。

 そして三○八号は強風に煽られながら積乱雲の中に突入した。

 途端に機外全てが真っ黒な世界へと変わり、恐ろしいほどの雨粒が銃弾のような勢いで三○八号のあらゆる所を叩き始める。

 気流が凄まじく悪いが、もはや風速や風向を計る方法などは全くなく、流されるなら流されるままに積乱雲から出られる事を祈るしかない。

 外は真っ暗で見えるのは灯りのある機内だけ。あまりにも叩きつける雨の勢いが凄く、雨音のせいでプロペラの音すら全く聞こえない。

 流石に格好つけている暇などないのか、参謀は顔面蒼白でガチガチと震えている。今さら自分の命令に後悔をしているだろうが、後悔とは常に先には立たないものなのだ。

 時おりエアポケットに突入し、機内が大きく揺れ動く。糖子などは掴む場所があるので何とか無事であるが、何も掴まる所もなく、そもそも全く予期していなかった参謀は天井や窓に頭や身体を強かに打ちつけて悲鳴を上げていた。

「琴音、ちょっと後ろ見て来る」

 参謀がこの調子であるのだから後ろはもっと酷い事になっているだろう。自分も大変だが一応は確認しないといけないので後部に行くと案の定大参事になっていた。

 物資の入った箱が其処彼処に転がり、同様に転がった中尉達がウンウンと呻き声を上げている。地上ではあんなに威張っていたのにみっともない事この上ない。

 だがそんな事よりも糖子は華香の姿に目を奪われた。

 飛行機乗りの糖子ですら怖いのに、華香は全く動揺せずに軍刀を支えにして静かに座っている。目を瞑り、まるで眠っているかのような平静さだ。こんな細い身体の何処にそんな肝っ玉があるのかと知りたくなる。

 だがあんまり感心もしていられない。何しろお客さんの中尉達が呻っているのだ。彼らに何かあったら叱責を受けるのは糖子たちである。

 とにかく大丈夫かと声を掛けると、ウーンと返答になっていない返答が戻ってきた。

 どうやら駄目らしい。

 揺すっていると不意に外がピカッと眩しく光る。途端に「ぎゃあっ!」と中尉は飛び上がって糖子に抱きついた。ガクガク震えて情けない事この上ない。

 だが怖いのは糖子も同じだ。

 再びピカッと雷が鳴ると、糖子も思わず「ヒッ」と悲鳴を上げて抱きついている中尉を抱き返した。

 もうこうなると傍から見ると莫迦みたいに二人揃って抱き合ってガクガクブルブルと震えるしかない。恐怖というものは伝染するのである。

 まるで食ってやると吼える龍のように何度も雷は鳴り響く。何度目かの雷鳴の時、飛文が悲鳴を上げたかと思うとレシーバーを投げ出した。どうやら感電したらしい。

 スポンソンの銃座から翼を見ると今にも崩れそうに不気味に鼓動していた。機体上部では空中線が切れたのか何やら空を切っている音が聞こえてきている。

 何処からか水が浸入しているらしく、ジュラルミン製の床を川のように雨水が流れていた。

 抱き合っている中尉はひたすら念仏を唱えて、糖子も釣られて念仏を唱えようとしたがブツブツと妙な音が出るだけで言葉にならない。

 何度目か解らない雷鳴。釣られて窓の外を見ると、プロペラの回転に力がなくなってきている。このままでは止まってしまう、と思う間もなくプロペラは静かに回転を止めた。

「エンジントラブルです!」

 搭整が悲鳴のような声で報告する。

 慌てて縋りつく中尉を振り解いて機関席まで行くと、搭整は顔を真っ青にしてエンジンに関する調査を行っていた。

 万事休す。そんな言葉が頭を過ぎった時、後部の華香が冷静そのものの声で「燃料タンクを!」と助言をする。それで思い出したのか搭整は慌てて燃料タンクを切り替えた。

 ようやくプロペラは力を取り戻した。あまりの状況の酷さに燃料タンクが空になっているのに切り替えるのを忘れていたらしい。

 しかし状況は一向に良くならない。

 今にも壊れそうな翼の状態と一時的とはいえプロペラが止まり掛けていたせいで機体は急降下を初めてしまった。

 凄まじい揺れでとても立ってなどいられない。というよりも何処が上で、どこが下なのか全く解らない。とにかく放り出されないように何とか掴まっているような状態だ。

「ヒイィッ」と中尉たちが情けない声を出し、糖子も泣き出しそうになってしまったが、何しろ今の指揮官は糖子である。自身が一番冷静を保っていなければならない。

「糖子! 手伝って!」

 いつもは余裕の表情の琴音が悲鳴のような声を上げる。

 あまりにも操縦桿が重くて一人で動かす事が不可能らしい。一つの操縦桿を琴音と糖子の二人掛かりで引っ張る。

 二人の必死の作業の甲斐もあって、ようやく機首は上に向きつつあった。

 しかしホッとするのも束の間、今度は翼が凍結を初める。当然ながら機内は恐ろしく寒いがしかしどうする事も出来ない。防寒装備を着ける余裕すらないのだ。

 このままでは空中分解するのは時間の問題であったが、さりとて機外の事なので祈る以外に出来る事はない。

 涙目になりながら祈っていると、不意にパッと世界が明るくなった。

 今までの漆黒の世界が嘘であるかのように青々とした世界が機外に広がっている。奇跡的に積乱雲を抜ける事が出来たのだ。

「やったー!」

 思わず抱き合って琴音と喜ぶ。まさか生きて出られるとは思わなかった。

 さりとてあまり喜んでもいられない。何しろ積乱雲で機位を見失った可能性があるので割り出さねばならないのだ。

 直ぐに六分儀で天測を行って現在位置を割り出す。幸いな事に思っていたよりは航路から逸れてはいなかった。ふと参謀の方に視線を向けると機長席の参謀は魂が抜けたかのように放心しており、口を開けてただ窓の外を呆然と眺めている。

 さて、時計を見ると飛行から三時間以上経過している。

 昼食は未だだったので安心したら腹の虫も主張をし始めた。

 琴音に「昼食にしようか」と言うと、琴音は困惑したような呆れたような、それでいて感心したような妙な表情を浮かべる。

「たまに糖子って大物なんじゃないかと思いますよ」

 結局、食欲がないという事で他の搭乗員たちは食事を摂らなかったので糖子だけ弁当箱を開ける。

 今日の弁当はおはぎ、魔法瓶の中には紅茶という中々ハイカラな組み合わせであった。

 久方ぶりのおはぎと喜んで食べる。使用してある小豆が悪いのか、何処となくボソボソとしていたが流石は砂糖の産地のハエバル飛行場で作られただけあり、贅沢に砂糖が使われていてとても甘い。三番島では食べられないような贅沢品である。

 ふと参謀を見ると、彼は食欲など全くなくなってしまったのか弁当に手を付けていない。

 思わず「食べないのですか」と訊ねると、参謀は怒ったように「要らん!」と断言した。

「しかし残すのは主計科に申し訳ないです。私たちの方で処理してもよろしいでしょうか」

 ブフッと琴音が噴き出す音が聞こえる。電信席の飛文も思わず苦笑。参謀は「処理」の意味に気付かなかったのか「勝手にしろ」と言い放った。

 やった! と心の中でガッツポーズをとって参謀の弁当箱を開ける。

 そして思わず「おぉ」という感嘆の声が出た。

 無粋な軍用の弁当箱に詰めるには惜しいご馳走の山である。巻寿司にきんぴらごぼう、豚肉の角煮に牛肉の炒め物に鯛の塩焼き。赤飯も缶詰の物ではなく手製の代物である。

 まるで祝い事でもあったかのようなご馳走に大喜びで糖子は弁当を「処理」した。後ろの中尉二人にも確認を取るとやはり要らないというので、これも「処理」をする。参謀の物ほどではないが、こちらもご馳走の山であった。

 流石に自前の弁当と三人分のご馳走を食べたので久方ぶりの大満足である。

「たまには酷い目に遭うものですね!」

 ブフーッと満足の溜息を吐きながら糖子が言うと、琴音は口をへの字に曲げて「糖子には負けましたよ」と肩を竦めてみせた。

 もっとも、当然ながらもう一度遭うのは真っ平御免であったが。

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