第7話 海軍にいる理由

 ハエバル飛行場での一泊は基地内の宿舎ではなくて外泊する事になった。

 元より一泊しかしない身なので就寝場所が用意されていなかったというのもあるが、そもそも上陸および外泊許可が出ているのにわざわざ狭くて自由の利かない基地内で寝る事はない。

 食後に合流した飛文が下宿を決めてきたというので同じ所にする事に決めて、少し街をブラブラしてから下宿に向かった。

 下宿といっても専用の施設があるわけではなく、単に民間人の家の一室を借用しただけである。要するに民家を間借りするわけであり、帝國軍と民間が密接に関係している事の表れでもあった。

 もっとも当人である糖子たちにはそんな小難しい事はどうでも良く、それよりも久しぶりに畳の上で胡坐を掻ける事の方が重要である。

 下宿先は砂糖工場を経営している一家で小さな男の子が一人おり、糖子たちが飛行兵だと知ると話しをねだってきた。

「お姉ちゃんたちはなんで飛行機乗りになったの?」

 率直な質問であった。

 糖子たちは顔を見合わせる。

 おそらく男児は勇ましい答えを期待しているのだろう事は容易に想像が付いたが、しかし三人とも愛国心とは程遠い理由で入団した身なのだ。

 さりとて戸惑って答えに窮していても仕方がないので、まずは糖子からとポツポツと話しを始めた。

 糖子の生まれは帝國の田舎と言われる東北地帯の中の、さらにド田舎と評されるほどに山奥の寒村である。

 生家は代々貧乏な農家であり、ようやく自分の食い扶持を賄える程度の田んぼしか所持しておらず、そのため毎日三食食べられるのが珍しいくらいであった。

 そんな貧乏農家の末子に生まれた糖子は、労働力にもならない女子なので当然というべきかあまり良い扱いは受けず、飢饉の時などは危うく売られそうになったほどである。

 そんな酷い扱いであるから生家に住んでいたとしても将来は他家に嫁ぐ事だと決まっているようなものであり、糖子としてもその事に疑問は抱いていなかった。それが当たり前の事だと思っていたのである。

 しかしある時、村の学校で軍人を招いて行われた講演を聞いてから糖子の人生観は大きく変わった。

 軍人は海軍の士官であり、軍に入れば優遇されるという旨の事を次々と述べていく。若い人材を軍に勧誘する為の講演会なのであるから良い事しか言わないのは当然なのであるが、村の片隅で貧しい生活を送っていた糖子はこの勧誘にまんまと載ってしまった。

 特に軍隊では毎食分ご飯を支給、海軍では夜食があるという事を聞き、その日のうちに海軍志願を決めたのである。

 その事を海軍士官にしてみると、どうせなら飛行機乗りになってみると良いというアドバイスと何なら紹介状を書いてあげようという反応を頂けた。彼自身も飛行科だったというのもあるだろうが、それ以上に海軍が女性飛行兵の採用枠を広げる傾向にあったからだろう。事実、彼は糖子に期待をしていたというよりは「自分の講演で飛行科に興味を持った人間を出した」という実績を作りたかったようである。

 痩せて小柄かつあんまり成績の良くなかった糖子であるから、飛行機乗りになるのは相当に厳しいとは言われたものの、食事に関して貪欲な糖子に厳しいだの困難だのという単語を並べたところで馬の耳に念仏も同然である。

 糖子を厄介払いしたい両親は糖子が軍に出て行く事に大賛成し、村役場の手伝いもあって糖子は首尾よく海軍の飛行兵養成所である予科練に志願をした。

 予科練への道は確かに苦行であったが、目の前に「三食食べられる道」があるのである。食に関して妥協をしない糖子は怯む事もなく運動、勉強に励み、時に村役場の力を借りて予科練を受験、見事合格して海軍に入団したのだった。

 入団した海軍は糖子の思い描いた「理想の組織」ではなく、訓練や罰直はとにかく厳しく、古兵や教班長による「教育」は実に陰湿で同期に自殺者が出る程であったが、しかし糖子はそれに耐え抜いた。

 確かにツラく、理想とは程遠かったが食を三度食べられる事は嘘ではなかったし、成績が良ければおやつを出してもらえる事もある。訓練は厳しかったが野良仕事に比べれば楽であり、陰湿な「教育」も両親から受けてきた仕打ちに比べれば可愛いものであった。

 そうして半年も経過した頃には教育機関である海兵団を卒業しており、飛行機に関する勉強や訓練を始める事になったのである。

 帝國において航空機はまだまだ実験的な意味合いが強く、事故も多いので教育は常に厳しかったが、そういった面において糖子は実に真面目であった。恩賜の銀時計こそ貰えなかったものの、予科練を好成績で卒業、その後はハシヤマ分遣隊の本隊である鹿目かなめ航空隊に配属され、現在に至るわけである。

 ちなみに海兵団卒業後すぐに軍艦に勤務する実習があるのだが、糖子のギンバイ癖はその時に実習先の兵曹に教わったものだ。航空隊本隊に着任した時には既に悪い手癖は付いていたのである。

「面白くなーい」

 男児はそう言って糖子の話しを遮った。

「ですよねー」

 正直、自分でもそう思う。

「じゃあ次は琴音な」

「……面白い話はないですが」

 そう前置きをしてから琴音が話しを始めたが、まぁ、その、なんというか、本当に面白い話ではなかった。

 糖子がそう思ったのであるから男児にはもっと面白くなかっただろう。というよりも解らなかったらしく首を傾げている。

「以上です」

「うん、つまらなかった」

 飛文が言うと琴音は「だから言ったでしょう」と眉間に皺を寄せる。滅茶苦茶恐ろしい顔付きになったので、怖かったのか男児は糖子の陰に隠れた。

「大丈夫、あのお姉ちゃんは顔は恐いけど優しいから」

「いいですよ、いいですよ。どうせ私は面白くないし顔も恐いですよ」

 よっぽど不貞腐れたのか琴音はブツブツと文句を言っている。

 雰囲気を悪くしては行けないと思ったのか、飛文が「じゃあ次は僕で!」とわざとらしい元気さで手を上げた。

 さっそく飛文が話し始めると、今までつまらなさそうにしていた男児の目がキラキラと輝き始めた。

 軍に入った理由は勇ましく味付けされ、ハシヤマ分遣隊に異動してからの日々は勇ましい武勇伝に塗り替えられている。

 糖子、琴音、飛文は同じ三○八号に乗っている身なのであるから、飛文の話しの内容も当然ながら了解している。しかし至極ちっぽけな戦闘でも話し方次第でこれほど面白くなるのかと感心してしまう程に誇張されまくった武勇伝が出来上がっていた。

 実際は武装のない飛行艇をオマケみたいな機銃で追い回していただけなのであるが。

 しかし真実を知らない男児は「凄いね!」などと目を輝かせながら「憧れ」である糖子たちを見上げている。

 とりあえず糖子は笑って誤魔化し、琴音は「さて、厠に」などと言って逃げていってしまった。

「あー……そうだ、明日も早いわけだし、今日はこれで」

 やはり逃げるように飛文が言い、糖子もそれに便乗して「おやすみなさいませ」などとわざとらしく挨拶をしてから借りている二階に逃げ込んだ。

 直ぐに琴音も逃げ込んできたので、もう寝ようという事になって布団を出す。

 三番島の堅い板切れの上に毛布を敷いただけの猿の巣ではなく、畳の上に柔らかい布団を敷くという贅沢極まりない寝床である。

 各々布団を敷いて、ゴロリと横になった。

 飛文を端っこに追いやろうとしたが「両手に花が良い」などと訳の解らない駄々の捏ね方をしたので、仕方がなく飛文を真ん中にして左右に糖子と琴音の布団という川の字である。

「おやすみなさい」と言ってから電気を消して就寝。束の間の娑婆の休みで明日からまた軍隊に戻ると考えると憂鬱極まりなかったが、それもほんの数分だけで気付けば夢の世界へと落ちていた。

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