第4話 重大な情報

 それは水上警備隊からもたらされた、あまりにも重大過ぎる情報であった。

「……それは本当に?」

 糖子が確認をすると、馴染みの警備兵は頷く。

「嘘は吐かない」

 言いながら警備兵は糖子から貰った煙草に火を点ける。

「俺が嘘を吐いた事があったか?」

「何回か」

「……まぁ、それは別として、今回の情報は間違いじゃないぜ」

 ニヤリと警備兵は頬を歪めた。

「何しろ主計科の連中自身が言っていた事だ」

 警備兵の話しの内容はこうだ。

 三番島の補給物資は基本的に海上ルートで運ばれてくるのであるが、三番島には水上警備隊保有の機帆船しか船舶の類はなく、それ故に水上警備だけでなく輸送その他にもその機帆船を使用する事になっている。

 そのため水上警備隊の兵士は物資についての情報をいち早く掴む事が出来、噂好きの兵隊や糖子のような食糧に敏感な兵隊の貴重な情報源になっていた。

 無論、幾ら運ぶとはいえ物資の内容物まで逐一把握などはしていないが、それでも受け取る主計兵などの態度からそれが重要な物なのか否かは直ぐに解る。

「運ぶ時に〝大事な物だから慎重に扱え〟ってな。間違いないぜ」

 警備兵の言葉に小さく糖子は唸った。

 通常、三番島は曲がりなりにも軍事施設であるから「大事な物」と言ったら軍事関係であると連想させられる。だがここは場末の戦争とは無縁の孤島。とても重要な軍事物資が送られてくるとは考え難い。

 そうなると考えられるのは軍隊生活ではあまり関わりの薄い嗜好品の類である。特に酒や甘い物などは補給の潤沢な三番島でも貴重であった。

 しかしそれでも全くないわけではない。それにも関わらず主計科が重ねて「大事な物」と言ったという事は、それは余程貴重な軍事物資あるいは食糧品なのだろう。

 他にも想定される物は幾らでもあるが、少なくとも糖子はそのように考えた。

「ありがとう。これ、少ないけど」

 お礼を言い、糖子は持っていた煙草を全て警備兵に渡してから機帆船を降りた。

「大事な物、か」

 別段、甘い物に飢えているわけではないが、しかし主計科がそこまで慎重に取り扱う品であるから至極気になる。くわえてそういった「大事な物」は兵隊に回されず、士官にのみ支給されて結局なんだったのか解らず終いという事も少なくない。そうなると物が手に入るかはさておき、その「大事な物」が何であったのか否が応でも知りたくなるのが人情というものだ。

「とはいえ教えてはくれないだろうしなぁ」

 慎重に扱うような物だ。主計科もギンバイには十二分に警戒しているから「何が来たんですか」と聞いて素直に答えてくれるとは思えない。くわえて糖子は主計科にとって要注意人物であるのだから尚更だ。

 しかし考えたところで答えは浮かばない。こうなれば当たって砕けろと主計科の食糧庫に向かう事にした。

「誰か!」

 糖子の姿を見ると、食糧庫の前に立っていた番兵が木銃を構える。

「ご苦労様」

 至極のんびりとした様子で糖子は番兵に手を振った。

「なんだ、黄里兵曹か」

 安堵の声を出しつつも、しかし番兵は木銃を構えたままである。

「別に何かする気じゃないから降ろしてよ」

 怖いから、と糖子は付け足す。

「駄目です。主計科に死守せよと言われています」

 言いながら番兵はズイッと木銃を糖子に寄せる。

「って言う事はやっぱり〝大事な物〟が来たんだ?」

 少し引っ掛けようと糖子はわざとらしく言ったが、番兵は了解していないらしく「大事な物?」と首を傾げた。

「いや、自分は聞いていませんが」

「水警隊(水上警備隊)が主計科が貴重な物を持って来たって言っていたんだよ」

 興味ない? と糖子は番兵に詰め寄る。

「ありません」

 スパッと番兵は断言した。

「自分は任務を遂行するだけです」

「お堅いなぁ。見るだけだから」

 お願い、と糖子は掌を合わせた。

「駄目です。入れるなと言われています」

 番兵は脅しのつもりか木銃で糖子の首元を突くような真似をしてみせたが、糖子はそれをサッと掴むと兵士と一緒に投げ飛ばす。普段もったりしている糖子だが、足さばきはそれなりに軽い。番兵は至極あっさりと投げ飛ばされた。

「……番兵なのに弱いね」

 流石に弱過ぎたので糖子が呆れて言うと、番兵は「くっそぉ!」と言いながら起き上がり、そのまま木銃を前に出して突っ込んできた。

「おっと」

 軽い動きで糖子が避けると、番兵は木銃を構えたまま何もない空間に突っ込んで行き、勢いで足をつっかえたのか転倒してそのまま転がっていく。

 それでも懲りないのか、番兵は起き上がると今度は木銃を放り出して糖子に掴みかかってきた。

「おっ、相撲か。よし来た!」

 糖子も思い切り番兵を掴み返す。

 番兵にとって不幸だったのは、糖子が訓練生時代に別課で相撲をやっていた事である。教班長が別課に熱心な人だったのでミッチリ鍛えられ、そのおかげか糖子も同期生の中では群を抜いて相撲が強かった。体型から力士だの河童だの散々言われたが、それはまた別の話しである。

 練習生時代に自分よりも一回りデカい教班長を相手にしていた身からすれば、へなちょこの番兵を投げる事など屁でもない。軽々と放ると番兵は「わぁあ」と悲鳴を上げながら転がっていった。

「よぉし、もう一本!」

 突っ込んでくる番兵を掴み、再び放り投げる。

 それを数回繰り返し、糖子の中でようやく火が入って来たと思った頃には番兵はもうヘトヘトになって地面に転がっていた。

「も……もう堪忍して下さい」

「番兵なのに情けないなぁ」

 呆れたように言いながら糖子は食糧庫を見上げる。

「……何しに来たんだっけ?」

 首を傾げ、少し考えてからようやく「大事な物」がないかを見に来たのだと思い出し、糖子は食糧庫の中を覗いてみる。もはや止める力もないのか、番兵は抗議の声すら出さなかった。

「特にそれっぽい物はない、と」

 あるのはいつも通りの缶詰の箱と米の袋ばかりである。缶詰を持てるだけギンバイして行っても良かったが、しかし今回の目的はギンバイではなかったので持って行くのは二、三個だけにする事にして、一個を転がっている番兵の上に置いてから糖子は食糧庫を立ち去った。

 食糧庫にないとなると、やはり「大事な物」という物は軍事物資の類であって、食料品や嗜好品の類ではないのだろうか。

 黙々と考えていると足は無意識に烹炊所に向かって行き、気付けば食事準備中で殺気立っている烹炊所の前に立っていた。

 烹炊所を覗き込むと、みんな忙しくて糖子の姿には気付いていない。

 この状態で主計兵に訊ねてみたところで「うるさい!」と怒鳴られる事は目に見えていたので、糖子は特に彼らに声を掛ける事はせずに烹炊所内と周囲を見渡した。

 しかし「大事な物」と思しき物は見当たらない。

 やはり食糧関係ではないのかな、などと考えていると、ふと洗浄前の調理器具が目に入った。

「よし来た」

 糖子は笑みを浮かべる。

 意地の悪い、悪戯を思い付いた悪童の笑みであった。


   ※


 夕食後の烹炊所。

 忙しい夕食の後片付けが終わり、ホッと一休憩の時間――である筈なのだが、本来休んでいる筈の主計兵達は集められて古参兵に怒鳴られていた。

「シャモジを無くすとは何事だ! あれは主計兵にとっては大切な武器だぞ!」

 怒鳴りながら古参兵は並んでいる主計兵達の顔をなぞる様に見た。

 軍隊では何があっても「員数」つまり定数を重視する。それは銃などの兵器だけではなく、シャモジのような戦闘に関係のない道具であっても変わりはない。絶対に既定の数は揃っていなければならないのだ。

 そして夕食の片付けの後、古参兵がシャモジの数が足りない事に気が付いた。こうなると大事である。無くなった物は見付かるまで探す事になり、見つけた後は連帯責任で全員罰直だ。どうしたって無事では過ぎない。

 主計兵達はみんな顔を青くして棒のように立っていた。

 しばらく古参兵は怒り心頭で怒鳴っていたが、ふと背後に気配を感じて振り返る。

「こんばんは~」

 見つかった、とばかりに糖子が笑顔で誤魔化す。

「……何の用か知らないですが、いま忙しいので後にしてください」

「シャモジがどうとか言っていたけど、どうしたの?」

 無視するように糖子が訊ねると、古参兵は忌々しげに「うちの莫迦が一本無くしました」と吐き捨てるように言った。

「何本あったのよ」

「七本です」

 それを聞いた糖子が空鍋に入っているシャモジの数を「一、二……」と指差しをしながら確認をした後に顔を上げた。

「あるじゃない」

「は?」

 そんなわけはない、と古参兵はもう一度数えてみたが、なるほど、確かに糖子が言ったようにキチンと七本が空鍋の中に入っている。

「おかしいな」

 古参兵は首を傾げる。彼が先ほど確認した時は確かに足りなかったのだ。

 しかし足りているのであれば怒る事は出来ない。ただ「気を付けるように」とバツが悪そうに主計兵達に言い渡し、居づらくなったのか烹炊所から出て行った。

 残された主計兵たちは狐につままれたように顔を見合わせた後、助けてくれた糖子の元に駆け寄ってきた。いつもはギンバイする悪魔だが、今日に限っては救いの女神である。

「ありがとうございました。おかげで助かりました」

「いえいえ」

 笑顔で言った後、糖子は「頼みごとして良い?」と遠慮がちに主計兵たちの顔を見る。

「なんでしょうか?」

「警備兵から〝大事な物〟が主計科にあるって聞いたんだけど、何か知ってる?」

 糖子の言葉に主計兵たちは困惑した様子であったが、しかし助けてくれた恩人に隠し事は出来ないと思ったのか「知っています」と肯定した。

「食べ物?」

「はい」

「分けて貰えない?」

 主計兵たちは顔を見合わせる。何しろ「大事な物」である。おいそれと人に分けて良いような物ではない。

 しかし今の糖子は救いの女神である。彼女が現れなければ全員の尻が海軍精神注入棒で殴られ、夜も眠れない程に腫れ上がっていた筈なのだ。それを考えると無下にする事は出来なかった。

「……黙っていて下さいよ」

 言いながら主計兵は台の下から新聞紙に包まれた何かを取り出した。

「バレると不味いので、開けるのは宿舎に戻ってからにしてください」

「解った。ありがとう!」

 三つの新聞紙の包みを抱え、再度お礼を言ってから糖子は笑顔で烹炊所を出る。

「おい、悪党」

 その時、背後から野太い声を掛けて糖子は凍りついた。

 だが振り返って相手の顔を見て、ホッと安堵の溜息を吐いた。

 顔見知りの主計兵曹だ。たまに糖子のギンバイを手伝い、自分もお零れに預かるという共犯者である。

「上手くやったな」

「なんの事ですか?」

 糖子は首を傾げる。

「誤魔化すな。シャモジを隠していたのはお前だろう」

 事実を言われ、糖子はウッと気まずそうに眼を逸らした。

 実をいうと彼の言う通り、今回のシャモジ行方不明事件の下手人は糖子だ。

 忙しい夕食の準備時間中にシャモジをちょろまかし、古参兵が怒鳴っている隙にコッソリと誰にも気付かれずに戻したのである。

 その後、何食わぬ顔で主計兵達を助けたように装って「大事な物」をせしめたのであるが、十年近く主計兵をやっている彼には万事筒抜けであったようだ。

「まぁ、うちの連中の間が抜けていたのも悪いしな」

 主計兵曹は溜息を吐く。

「だが三つは多い。二つ返せ」

 むむむ、と糖子は唸ったが、しかし騙して盗ったという負い目がある。下手に藪蛇を突くのも莫迦らしいので、残念であるが二つの包むを主計兵曹に手渡した。

「あんまりアコギな真似はするなよ」

「はーい」

 糖子の事を知っている者からすると白々しいほどの素直さで返事をすると、主計兵曹は呆れたような、困ったような表情を浮かべて溜息を吐いた。

「もういい。消えろ」

 手で追い払う仕草をしたので、糖子は新聞紙を抱えたまま宿舎に戻った。

 さて戦利品はなんだろうと興奮したまま糖子は新聞紙の包みを開ける。糖子の様子がおかしいので、何かギンバイして来たのだろうと察した搭乗員も何人か集まって来た。

「あ……スルメかぁ」

 新聞紙の包みから出てきたのは大きなスルメである。

 確かに三番島では貴重な品であり、糖子も嫌いなわけではないが、しかし甘い物ではないかと期待をしていた糖子は少なからず落胆した。

 確かに珍しいが「大事な物」と隠すような物でないのも確かである。もしかしたら騙したつもりで騙されたのかもしれない。

「おい、なんだ。スルメじゃないか!」

 匂いで気付いたのか、今まで寝台に寝転がっていた古参搭乗員たちも集まって来た。

「よし来た。今日はコイツで一杯やろう!」

 糖子の所有物であるという事など知らぬとばかりに古参搭乗員たちは勝手に決め、各々酒瓶を持ち出してくる。

 食べ物は無限に飲み込める糖子だが、生憎と酒の方は全くだ。

 結果としてスルメは古参搭乗員たちの酒の肴になり、糖子の口にはほぼ入らずに消費されてしまった。

 上手く手に入ったから美味く食べられるわけではない。

 必ずしもギンバイが上手くいくわけではないという良い例である。

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