第2話 ハシヤマ分遣隊

 世界の中央に鎮座している「世界中央大陸」の東方――「大東邦」と呼ばれる地域で大きな戦争があった。

 一発の銃弾から始まったその戦火は今や大東邦全土を包み込み、大陸東部は日夜血で血を洗う激戦を繰り広げ続けている。

 戦争は大東邦でもさらに東に位置する極東の島国「大天照だいてんしょう帝國」を主軸とした枢軸国と、大陸東部の覇権を握る中支なかし諸侯国聯合北部同盟、通称を「北中支きたなかし」という二つの陣営に分かれており、一見すると島国である帝國の方が不利であるように思える。

 だが現在、戦争は枢軸側に有利に動いており、現に北中支陸軍の主力は大陸奥深くまで追いやられ、海峡を守っていた精強な艦隊は今では海の底だ。戦いは枢軸――否、帝國の常勝で続いていた。

 今大戦で帝國軍が勝ち続けているのは偏に航空兵力の精強さにある。

 如何に精兵が地上を埋めようとも、如何に大艦隊が海を塞ごうとも、大空からの攻撃には成す術もない。

 陸の強者も、海の王者も、空の覇者に勝つ事は出来ないのだ。

 それをいち早く理解したからこそ、帝國軍はその全精力を航空兵力の増強に注ぎ、陸では戦車を、海では軍艦の数を減らしてまで飛行機を増産、全国から有能な人材を集めて多数の飛行兵を生み出していた。

 新鋭機と精兵で作られた航空隊はまさに無敵の一言で、常に帝國に勝利を齎し続けており、そしてこれからも常勝を続けるだろうと軍官民問わず信じられている。

 国民は手放しで帝國軍航空隊を褒め称え、そして航空隊もまたその期待に応え続けていた。

 だが――無論、華やかさとは無縁な地味な航空隊もあった。

 南海にポッカリと浮かぶ名前も持たない孤島――軍での通称「三番島」に一ヶ月前に異動してきた「ハシヤマ分遣隊」など最たるものである。

 搭乗員は全部で十五名。士官は搭乗員の一人を含む他、飛行要務士、飛行長、司令の四名だけであり、整備員も単位にすれば一個小隊程度、その他支援スタッフという超小所帯だ。

 配備されている機体も大型の爆撃機――否、陸上攻撃機『焔雲』が三機と補機が一機だけで、航空隊と名乗っているのが恥ずかしくなってしまうような規模である。

 任務も爆撃や雷撃のような戦闘関係とはほぼ無縁であり、指定された小さな海域をグルグル飛んで敵が来ないかを警戒するだけという退屈極まりないものだ。当然ながら戦果などという華やかなものとは無縁である。

 糖子もそんな小さく地味なハシヤマ分遣隊十五名の搭乗員の一人であり、機長とはいうものの階級自体は下っ端下士官という地味の極みのような存在だ。

 しかし糖子は下っ端だろうが、地味な航空隊だろうが気にはしなかった。

 殊勝な事を言えば地味だろうが必要な任務を果たしている立派な航空隊であるし、本音の方を言ってしまえば美味しいご飯が食べられればそれで良かったからだ。

 糖子にとって幸いな事に飛行機の機材は貧弱なハシヤマ分遣隊も、食糧事情その他に関しては非常に恵まれていた。

 内地からも、戦地からも遠いので軍からの補給は贅沢とはいえなかったが、三番島の近くの大島には民間の街があったので嗜好品の類は簡単に手に入ったし、飛行場警備の陸戦隊が暇に飽かして自活作業を行っていたので食料品に困るような事もない。くわえて料理を作る主計科の腕も良かったので食事は常に良質な物である。補給物資は週に一度、大島からの船便で送られてくるし、困るような要素は何処にもない。

 だから糖子は自分が地味な航空隊の一員である事に不服はなかったし、そもそも戦争行為をあまりよろしく思っていなかったので平穏無事なのを喜んですらいた。

 戦争なんてくだらない。そんな事をしても腹が鳴るだけなのである。


   ※


「黄里! 黄里の奴は何処だ!」

 ある日の夜。

 日課が終わり、夕食も終わってダラダラしている搭乗員たちの宿舎に熊のような熊にしか見えない熊男が怒鳴り込んできた。

 上腕には主計科の階級章。彼は烹炊所の主計兵たちを統率する烹炊長である。

「どうかしました」

 ヘボ将棋をやっていた搭乗員の一人が訊ねる。もっとも聞かなくても烹炊長が怒鳴っている理由は理解できていた。

 そもそも飯関係の話しという時点で概ね何が原因かは察する事が出来る。

「黄里の奴が吾野あがの中尉のコンビーフをギンバイしやがった」

 やはりか、と搭乗員たちは苦笑を溢す。

 ギンバイとは海軍における「糧食を盗むこと」の隠語である。

 わざわざ造語が出来てしまう程度に海軍ではギンバイ行為が横行していたが、その中でも糖子のソレは横行どころか平常運行というレベルであり、そのため糖子は「ギンバイの糖子」という綽名を頂戴していた。

 結果として主計科も糖子のギンバイに困りつつ、しかしもはや何を言っても無駄である事は解っていたので「まぁ、あいつだし」程度で見逃すのが日常である。むしろギンバイされるのを見越して多めに料理を作ったり、缶詰などの貯蓄を増やしている節さえあった。その事を糖子も理解しているのであまり無茶な量を持って行ったりはしないのであるが、今回ばかりは事情が違っていた。

「よりにもよって士官の物をギンバイしやがって……他にも盗む物はあるだろうが」

 烹炊長は額を抑える。

 何しろ今回糖子が持って行ったのは士官の私物だ。主計科管理の缶詰か何かならば笑って誤魔化せるが、私物を持って行ったのでは主計科も気が気でない。

「で、黄里の奴は何処だ」

 ドスの利いた事で烹炊長は訊ねたが、しかし搭乗員たちは顔を見合わせて「さぁ」と首を傾げた。

「さっき出て行ったきり、戻って来ていませんが」

「本当か」

「嘘を言っても仕方がないでしょう」

 それを聞いた烹炊長は一度宿舎内を見渡す。

 トタン板を並べた床の上に敷かれた茣蓙。部屋の左右に公園のベンチのような粗末な寝台が並べられており、部屋の真ん中は通路になっていて二つの木箱が置かれている。その木箱には好きなだけ食べていいと許可されているバナナが山と盛られ、天井には裸電球がぶら下がっていた。

 女性兵の宿舎なので男の姿はなく、室内は酷暑による汗と軍服の黴の臭い、それに女性独特の体臭が混ざった臭気で濁っている。もっとも臭いのは男性兵も同じなのであるが。

「見付けたら教えろ」

 烹炊長はそれだけ言い残すと、ドカドカと大きな足音を立てながら出て行った。

 数分後。

 ガタガタ、と宿舎の床板が揺れ動いたかと思うと僅かに持ちあがる。

「……行った?」

 床板の隙間から僅かに顔を覗かせるのは糖子である。

「行ったよ」

 搭乗員の一人が呆れながら言うと、床板が退かされて床下から糖子が這い出してきた。

「吾野中尉の物をギンバイしたんだって?」

「失礼な。まだ中尉の所には届いていないんだから誰の物でもないよ」

 言いながら糖子は床板を元に戻す。彼女がここに木の葉隠れをするのは搭乗員たちの間ではもはや日常であった。

「中尉にコンビーフが届いたって連絡もまだ行っていないから、中尉もコンビーフが来た事にすら気付いていない筈。だから私は中尉の物は盗んでませーん」

 烹炊長は吾野中尉の物と言っていたが、正確に言うと「吾野中尉に頼まれていた物」である。今朝の補給で届いた物なので吾野中尉はコンビーフが来た事は未だ知らず、渡されてもいないので「誰の物でもない」というのが糖子の理屈であった。

 無論、本来は人に渡る筈の物な上に、そもそも軍管理のだから「誰の物でもない」というのは完全な屁理屈なのであるが、自分が納得してしまえば理屈などどうでも良いのである。

「ところでそのコンビーフはもう食べたの?」

「食べたよ」

 美味しかった、と糖子は悪びれた様子もなく付け加える。

「なぁんだ。分けてもらえるかと思って庇ったのに。損しちゃった」

「今度なんかで返すから許して」

 言いながら糖子は宿舎の窓から顔を出して周囲を確認する。

「じゃあちょっと行って来ようかな」

「ちょっと行くって……どこに?」

 怪訝な顔で同僚の搭乗員が訊ねると糖子はシレッとした顔で「ギンバイ」と答えた。

「……たまに黄里って大物じゃないかって思う時ある」

 誰ともなく言うと、糖子は「照れちゃうぜ」とはにかんだ笑顔を溢す。

「莫迦にしてんだよ」

 完全に呆れたというような声。

 実際、言った当人だけではなく、宿舎にいる全員が呆れ返っていた。

「じゃあ、ちょっと食後のご飯をとって来るね」

 ウインクをして宿舎を出ようとする糖子に「よく食べるな」という呆れた声が投げ掛けられると、糖子はキョトンとした顔をして振り返った。

「ん? まだ腹八分目にも達してないよ?」

 ちなみに帝國軍における兵隊への給与は一食につき米二合とおかず、汁物であり、当然ながら糖子も夕食時にそれを平らげているだけでなく、先ほどバナナとコンビーフの缶詰を食べている。

「……やっぱりお前は大物だよ」

 全員が呆れ返りながら言うと、糖子ははにかんだ笑顔を溢した。

「照れちゃうぜ」

「呆れてるんだよ」

 その言葉を背に、糖子は宿舎から出て行く。

 糖子のハシヤマ分遣隊での日々は毎日こうして過ぎていくのであり、三流な航空隊だろうと地味であろうと食いしん坊の糖子にはどうでも良い事なのであった。


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