第5話
忘年会シーズンと言っても月曜日はどうしたって他の曜日に比べると落ち着いている。
午前0時をまわり早々にお店の閉店作業を始めた。他のスタッフにも何人かあがってもらい早くから片付け始められたので閉店とほぼ同時に店を出ることが出来た。
年末のこの時期にこんなに早く上がれたのは久しぶりだな。
僕が引っ越した家は店から徒歩で15分くらい。
さほど近い訳ではないが終電を気にしなくてもいい。自転車で行ってもいいのだが健康のために歩いていくことも少なくない。むしろほとんど歩いているので自転車を手放そうかと悩んだくらいだ。
朝の澄んだ空気やお昼に吹くやさしい風、夜の星の瞬きや四季によって色を変える街路樹。歩きながらそれを感じるのが嫌いじゃない。
深夜2時を回っても人はまばらに動いているがこの時間にはほぼシャッターの降りているアーケード商店街を抜け住宅地に入ると急に静寂に包まれる。
イヤフォンをつけ、スマートフォンから音楽を流し始める。普段からシャッフルで聴いているので感情とマッチした曲が流れると気分は高まる。
仕事後に無理にテンション上げられても困るけど、バラードじゃない方がいいなぁ。
乾いたサウンドに乗って軽快なファンクが流れ始めた。
いいね!のボタンがあれば押したい気分だ。
気がつくとリズムに合わせて歩幅も変わる。
軽快な足取りを続けていたがちょうどホーンセクションがサビに向けけたたましく歌い始めたところで、妙な音が聞こえた。
このバンドにボーカルはいないのに女性のシャウトのような声が混じっている。
あれ?こんなアレンジだったかな?と思いながら少し曲を戻してみるが、先程のシャウトはない。
気のせいかな?と思いまた歩き始めると、また聞こえた。
これはイヤフォンからじゃない。
慌ててイヤフォンを外し辺りを見回す。
近くに人は居ないが、少しすると遠くで叫び声が聞こえる。
男性と女性がもめているようだった。もし、ハタ迷惑な痴話喧嘩ならそのまま通り過ぎるが、女性が酷い目にあってるのなら見過ごすことは出来ない。
この辺りも事件が起こらない訳ではない、何年か前に女性が殺害される悲惨な事件があった。
加害者は面白半分に女性を追いかけ、抵抗すると暴力を振るった。その女性は突き飛ばされた際に頭を強く打ちそのまま帰らぬ人となった。
防犯カメラの映像が決め手となり無職の20代の男が捕まった。
殺すつもりはなかった。とただ繰り返す犯人につもりが無ければいいと思っているのか?と問いたかった。
震える足を声の方に向けゆっくりと様子を伺いながら歩いて行った。
先に警察を呼んでもよかったが憶測では警察は動いてくれないだろう。話している内容がわかればもう少し判断出来そうだと思い更に距離を詰めていく。
人の影が2つ見え、また声が聞こえた。
ここからじゃ状況がよくわからないので少しずつ近づいてみる。
近づくにつれ心臓の音が少しずつ大きくなるのが自分でもよくわかった。出来るだけ不自然な態度は取らないつもりだったが、5メートル程まで近づいたとき運悪く男と目があった。
「取り込み中だ、向こうへ行け」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
フードを被っている男の顔は街灯の下で影になり見えにくいが、女性の方はよく見ると唇を切っているのか少し口の周りが赤く染まっている。
「うるせぇな。消えろ。」
「いや、あのでも血が出てますよ。」
女性がようやく口を開く。
「た、助けてください。」
「テメーふざけんなよ。おめぇもだちょっとこっち来い。」
消えろだの来いだの忙しいな。かなり気が立っているのか、出来るだけ刺激しないように話をしたつもりだったが、男は逆上し女性に怒号を向け髪を鷲掴みにし、引きずるようにこちらに向かってくる。
原因や、善悪はわからないが、このままだと、僕は殴られるかもしれないな。とぼんやり考える。
ケンカなんかしたことないし、こんな状況に遭遇したこともない僕はどこか現状を甘く見ていた。心臓は血管が破裂しそうなほどに血液を送り出しているにも関わらず頭の中で、悪い人や怖い人はいるだろうけど、何もないのに人を殴ったりはしないだろうとタカをくくっていた。もしかすると怖いという気持ちから逃げたくて、他人の事のように捉えていたのかもしれない。自分には何も起こらないだろうと。
しかし距離を詰められて男の顔が見えたところで、顔の左側に衝撃が走った。何が起きたか分からなかったが頬がジンジンし、目がチカチカする。
男がもう一度凄んできたところで理解した。
殴られたのだ。
女性の髪を掴んで引きずりながら目の前に来たこの男に。
毎日のビールケース運びのお陰で少し力はついてるんじゃないかなと思っていたのと、相手が僕より小さかった為その場に踏みとどまれたものの、問答無用で人を殴れるという狂気が怖かった。人は理解の及ばないものに恐怖する。話が通じないと言う点では、宇宙人も幽霊も熊もこの男と似たようなものかもしれない。
「何するんですか、警察呼びますよ!、、」
必死に絞り出した声も虚しく途中でまた頰が弾けた。
「ごちゃごちゃうるせーぞ、なんだお前は。」
世の中にはこれほどまでに理屈や話が通じないこともあるのかと思いながら、この現状をどうすればいいのか必死に考えた。
生半可な気持ちで首を突っ込むべきじゃなかったとも思ったが、口から血を流してる女性を見て素通り出来る人間ではなかったのは発見と言えば発見かもしれない。
「その女性を離してください。 僕はただの通りすがりですが、、警察を呼びます!」
殴られた場所を抑えたまま必死に話す。牽制のつもりだったがそれが良くなかったのかその言葉にかっとなった男が再び掴みかかってきた。
うまく説得の出来なかった僕も悪いとは思うが、これ以上殴られるのもごめんだなと思いその手を払い、男を突き飛ばしたところで少し距離を取った。
スマートフォンを手にし本当に警察に電話をかければ男が逃げてくれると思い生まれて初めて110に電話をかけた。
電話はすぐに繋がった。
「もしもしこちら、、」
「今暴行にあっています!助けてくださ、、」
途中まで話したところで目の前の男が突然走り始めた。
うわぁぁ!と叫びながら通りの方へ向かっている。始めは逃げてくれたのかと思った。警察が来るという事態に焦りが生まれたのかと。だが、それにしては様子がおかしい。
逃げるだけなら、叫ばなくてもいい、その上あの表情はなんなんだろう?
さっきまでの逆上した表情から一転して恐怖と焦燥を合わせたような表情をしていた、どう考えたって普通じゃない。
女性が叫んだ。
「大丈夫だから!落ち着いて!ねぇ!」
僕はスマートフォンを握りしめたまま男を追いかけ走り出した。
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