第3話
12月に入り、忘年会シーズンに突入するとそれまでとは比べものにならないくらいの忙しさに追われる。
連日、予約の電話が入り、その度に仕込みや仕入れを考え、店にいる時間はどんどん増えていく。
クリスマス前の街は浮かれたように赤と緑と白があふれ、イルミネーションの光が心にそっと明かりを灯す。
クリスマスツリーに飾られるオーナメントには一つ一つ意味が込められている。
ツリーの頂点の星は希望。りんごはエデンの園にあるという命の木の実。キャンディケインや靴下にだってちゃんと意味がある。
日本人の宗教の概念はどうなってるんだと思わなくもないが、その場その場を楽しめる口実になるなら別にそれでもいいなと思う。
楽しみたい人は楽しんで、祈りたい人は祈ればいい。それぞれの明日を願いながら。
店内では何組かのお客さんがハメを外さない程度の忘年会を開いていた。
お酒のこんな飲み方が好きだ。
辛い事もお酒の席の楽しさで明日の糧に変えればいい。お客さんの笑顔を見ているとこっちまで嬉しくなる。
「クリスマスなんか無くなればいいのに。人の幸せなんか見たくもない。みんな死ねばいいのに。
「そんな事言ってるやつには幸せはこないんだろうな」
岡田の愚痴を、軽くあしらいながら、注文されたビールとレバニラ炒めを手渡す。
「古谷はいいよな。あれからずっと小林さんと幸せそうだし。」
「くだらないこと言ってないで早く持ってけ。3番テーブル上がり。」
追加の餃子も焼きあがった。
へいへい。つまらなさそうに料理とビールを手に持ちテーブルは向かう。
無駄口は多いが岡田ももう先輩と呼ばれる立場になっている。仕事もそつなくこなしていた。
岡田から小林さんが彼氏がいるか聞いてほしいと言われて、そのうちそのうちと延ばし延ばしにしていたところ岡田の我慢の限界が訪れ、小林さんと休憩が被ったときに聞いたようだった。
彼女ははじめ口ごもったが、彼氏は居ないが気になってる人はいる。と答えたらしい。
彼女の様子から岡田はもしかして相手は自分かも知れないと思っていたようだが。同じように僕も自分がその可能性があるんじゃないかと思っていた。
男はバカだなぁとも思うが、男だから仕方がない。
後日小林さんと閉店後の片付けをしていたとき、なんとなく聞いてみた。
「小林さん気になる人がいるんだって?」
「え?誰に聞いたんですか?え?岡田さん?もう。なんで古谷さんに言うかなぁ、、。」
「え?」
「え?あ。すみません!お先に失礼します!」
耳まで真っ赤になった小林さんが見たこともない速さでお店を後にした。
え?
今のはなんだろう。
まぁ、なんだ、深く考えないようにしよう。
とは思っても頭の中でさっきのシーンがプレイバックを繰り返している。
翌日から小林さんとシフトが被らず話をすることが出来なかった。たわいのない話もしたかったし、あの言葉の意味も知りたかった。額面通りにうけとって良いものか、言葉選びを間違えたのか。
真っ赤になって帰ったのならもうそれが答えなのだとも思うけれど、浮かれて傷つくのは誰だって怖い。
思い浮かんでは打ち消すを繰り返した数日間。電話をしてもよかったが何を話せばいいのかわからなくなってしまうのは目に見えていた。通話中の沈黙も誰だって怖い。
人は臆病な生き物だ。1人では何も出来ないし、反対に徒党を組めば赤信号だって渡れる。それが良くないことだとわかっていてもそこからまた仲間外れにされるのが怖いからだ。きっと弱いことが理解出来て、それが嫌になってようやく強さについて考えるようになるんだろうな。とまた言い訳じみた考えが頭をめぐる。
お互いの休みがうまい具合にずれて再びシフトが重なったのはちょうど1週間後のことだった。
あくびをしながら店の階段を降りていくと、ちょうど店の前に小林さんの姿が見えた。
「お疲れ様。」
「あ、お疲れ様です。」
少しだけ小林さんのバイト初日のことを思い出した。
初めてのバイトの日に頼んだ最初の仕事は店前の看板ライトの点灯だった。もう今では何も言わなくても頼みたいほぼ全てのことを先回りしてやってくれる。
気配り、目配り、心配り。を体現するとこうなるのかな?と思わないでもない彼女の働きにはずっと感謝している。
新人のバイトとして彼女に教えることは早々に無くなり、反対に姿勢や考えなどは僕の方が教わっている気持ちにもなっていた。
「今日バイトの後時間あるかな?」
「、、はい。大丈夫です。」
「じゃあ、閉店後に少しだけ。」
「わかりました。」
その日は団体の予約が数件入ってたこともあってか、とても忙しかった。注文をさばいてもさばいても追加が止まらない。
だけど、そのお陰で何も考えずに済んだし交わす言葉も業務内容だけで済んだ。
スタッフがみんな疲れ果て、ラストオーダーが終わったところでようやく休憩に入った。
賄いにチキン南蛮を頼み休憩室に向かうと小林さんが賄いを食べ終わったところだった。
「お疲れ様。」
「お疲れ様です。」
「今日は賄いは何にしたの?」
「チキン南蛮です。今日はなんかそんな気分で。」
そういえば、小林さんが最初に食べた賄いもチキン南蛮だったな。おススメを聞かれてチキン南蛮と答えたんだったな。
「そっか。今日さ、バイト初日より固くない?ごめんね。話はまた今度にしようか、そのせいだよねきっと。」
「あ、いえ。私も話したかったので!もう後はお客さん帰ったら片付けするだけですし大丈夫です。じゃあ先に戻りますね。」
小林さんはさっき休憩に入ったばかりなのにパタパタと休憩室を後にした。
話したかったってなんなんだ。と考えるがモヤモヤが増すばかりだ。考えても仕方ないな。
さて、もうひと頑張りだ。ラストスパートに向けてチキン南蛮をかきこんだ。
タルタルソースでも、甘酢ソースでもないうちのチキン南蛮はいつ食べてもやはりうまい。お昼にお弁当にして販売する案が出たくらいだが、なかなかそこまで人手が回せないと言う事で随分と長い間保留になっている。
ホールに戻ると最後のお客さんが会計を済ませたところだった。
キッチンに入り、食器を整理しながら明日の仕込みの段取りを進めて行く。
今日の感じだと明日も同じくらいかな。明日は団体は少ないが、忘年会の予約件数が今日よりも多い。若手が主力のベンチャー企業からの予約もあるので中々の戦いになるだろうなと考えながら、仕込み表にチェックを入れていく。
ホールの清掃が終わったようでバイトのスタッフがお疲れ様でしたと声をかけながら休憩室へ向かう。
休憩室には2人で1つのロッカーがありみんなそこで着替えをするようになっている。タイムカードの打刻もそこで行うので出、退社時にはそこを一度通るようになる。更衣室も兼ねているため、男性は気にせずに着替えるが、女性スタッフはトイレを利用して着替えている。
キッチンで発注表に記入していると後ろから声をかけられた。
「古谷さんお疲れ様です。えと、どうしましょう?」
「お疲れ様。あーっと、じゃあ休憩室で少し待っててもらうか、それか少し飲みにでもいく?」
さっきよりもいくぶん柔らかい表情になっていた彼女を軽い気持ちで飲みに誘ってみた。もちろんこれは勇気を振り絞ったダメモトというやつだ。
「いいですね。行きましょう。じゃあ角の串焼き屋さんに先に入ってますね。すぐきてくださいよ」
意外にも彼女はすんなりOKし、そそくさとその場を去った。
発注の整理を終え早く行かないとと急いで着替えていると店長から事務所に来てくれと電話があり渋々向かう。
小林さんが退社してからもう40分は経っている。
事務所に入ると満面の笑みの店長が居た。
「ど、どうしたんですか?ちょっと気持ち悪いです。」
「古谷!表彰されたぞ!」
どうやら、ここ最近の売り上げが右肩上がりなのを社長から表彰されたようだ。
そういう仕組みがあるのは知っていた。
年間とか半期とか、期間はよくわからないが、店長やスタッフの士気を上げる為の制度で、初めて表彰を受けることになったがなるほど。これは悪い気はしない。
「おれが店長になってからは初めてだけど、これはあれだな。悪くないな。」
店長も同じことを思ったのか。
「それと、もう一点。今おれに異動の話が来てる。それでな古谷、お前ここの店長やってみないか?すぐの話じゃないが、考えといてくれ。」
「はい、、え?店長異動になるんですか?いつですか?」
「その辺りもまだ予定だから決まってないよ。まぁそんな話が出てるってレベルの話だ。」
「え、でもその上僕が店長って、、」
「まぁさっきも言ったけど、本当にまだ未定の話だからまだなんとも言えない所ではあるんだが、おれは古谷が店長になってもいいと思ってる。仕事歴も長くなってきたし、他のスタッフからの信頼もある、店は今のところほとんどお前任せだからな。はっはっは」
「いや、ちょっと、はっはっはじゃなくて、、」
「まぁそうゆうことだからなんとなく頭に入れといてくれ。それだけだ。お疲れさん。」
「あ、はい、お疲れ様です。」
事務所を後にしてもまだ頭の中で考えていた。店長異動になるのか、この店で色々と教わってきたなぁ。色々と感慨深いものがある。仕事がバリバリ出来る完璧上司という印象ではないが店長の思うところの筋があり、そのルールにのっとったこの店はとても居心地が良かった。個人チェーンだからこそ許される気配りとでもいうのか。
例えばお水は、店長がこだわりをもって仕入れたものを提供している。
そういえばうちのお水の銘柄が量販店に並んでいるのを見たことがない。
「日本人はそもそも軟水がいいんだ、慣れ親しんだ水だし、和食ならダシが染み込みやすい。そもそも水道水だって軟水なんだぞ。」
そういってわざわざ鹿児島産の水を買い付けている。
各テーブルの醤油の銘柄にしたって、案内を待っているお客さんへおしぼりを渡すサービスにしたって、店長が作ったルールでお店はここまで来ている。
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