第4話1-1 出会い編その1

<出会い編>


女の子の名前は、吉井 今(よしい いま)。愛称「イマ」。

何でも、立会出産で生まれた瞬間に父が「いまぁ~!」と叫んだのが基で名付けられたそうである。

来春からは小学校4年生。

活発で、擦り傷だらけで遊びながら、それでも学校の成績は皆「大変良い」という評価。周りの友達は、来春から塾に通うらしいが、本人にはそのつもりは無い。「だって学校の授業をちゃんとやってれば大丈夫だし、予習復習はやってるから」・・・周囲は予習復習をしているイマの姿が全然想像出来ないが、親だけは「あまりTVを見ない子」として薄々察知している。父親はごく普通の事務系公務員、母親は昼間近所のスーパーにパートに出ている。もしかしたら、塾に行かないというのも、それほど裕福ではない家計を案じての事なのかもしれない。


男の名前は、金沢 高文(かなざわ たかふみ)。普段「タカ」と呼ばれている。間もなく三十路に突入するはずなのだが、それがいつなのか自分でも忘れている。

某化学系会社の研究室勤務。予算が削られる中、彼の研究はたいしたお金もかからず、それでいて密かにお偉いさん方の注目を浴びているため、中止にはならないでいた。でも一緒に研究するものは居ない。一人だけのプロジェクトである。

中止にはならないものの、研究室で見られる彼の姿は「ぼーっとしてると思ったら急に手元を動かす」といったもので、その手元には常人では何の数式だか判らないメモと何に使うのか判らない一見ガラクタのようなものが乱雑に置いてある。貼り紙には「触るな危険」とある。

意外なことに、彼は子ども好きであった。別にペドとかではなく、単純に子どもが好きだった。主に、その純粋な発想を。


普通なら何の接点も持ちようのないこの女の子と男が、ある日、出会ってしまった。男の勤める会社が協賛しているとある小学生向けのイベント会場であった。普段出不精な男は、「子供こそ新しい考え方が出来る」と思い、珍しく初日の午後から会場入りした。


・・・・・イマは、色んなブースの面倒をみているというか、あちこちのブースに首を突っ込んでいた。

タカは、ヨットの原理を見せている小型プールの処で少女と初めて出会った。

それまで色んな子に声をかけてきたが、無視されるか、気味悪がられた。

目がきらきらしている。この子は違う。妙な確信を持った。

さて、どう声をかけようか。考える事暫し。

「ヨットはどうして進むの?」

自分宛に問われたと思ったのだろう、少女はすぐに応えた。

「後ろからの風を帆に受けて、その力で進むんだよ」

うん、まぁ順当。タカは更に続けた。。

「じゃ、横からの風だったら?」

少女も更に応える。

「帆の向きを変えて、斜めにしたら、風の力は船が前に進む力になるんだと」

タカは思った。・・・ほほぉ。賢いなぁ。じゃちょっと意地悪。

「それじゃ、前から風がふいてても前に進める?」

少女は4~5秒黙り込んだ。

「まっすぐ、じゃなくても前に進めばいいんだよね?それだったら、斜めに向かって横風と同じ方法で進んで、途中で船の向きを逆にして斜めに進めて、それを繰り返せば前に進めるよね?今やってみるから」

と小型扇風機とヨットの模型をセッティングし始めた。タカは内心舌を巻いた。

「それ、学校で習ったの?」

「うーんと、今考えた」

をい、応用力は凄いじゃないかとタカは思った。

「それで正解みたいだね。じゃ、3つの違うしるし、例えばじゃんけんのぐーとちょきとパーで考えてくれていいんだけど、その3つが色んな順番で仲良く並ぶにはどうしたらいいと思う?」

タカは敢えてDNAのたとえ話をした。 実際には塩基は4つだが。

少女はちょっと考えてから、隣のブースで使っている棒磁石を数本借りてきた。

「あのね、磁石だと2つの種類しかないけど、隣どおしでくっつくときと離れるときがあるの。でも、ちょっと見てて。この棒磁石をちょっとずらすと、離れないでくっつくようになるの。だから少しだけ、ずらしたら仲良く並ぶんじゃないかなぁ?それから、もしかしたらちょっと離れたところに仲がいいのがあったら、そっちとも仲良くしたがるような気がする」

タカは完全に目が覚めた。この子は、塩基配列とDNAの二重螺旋を感覚で理解している。それからタカは、夢中になって少女に質問した。途中で、少女は「他見てきたいから」といって離れようとするが、タカは追いかけた。

しまいに少女は呆れるように言った。

「あのね、おじちゃんは悪い人じゃないと思うけど、知らない人とずっと一緒に居るとお母さんが心配するから」

「じゃ、明日は?明日も来るんだよね?おじさんも明日また来るよ」

・・・・タカは自分で言っておいてから(おじさんか・・・)と苦笑した。

もしかして一目惚れか?この私が小学生に?まさか。

そう思ったが、心は揺れていた。




翌日本当に来たタカに、少女は初めて名前を聞く。

「金澤 高文だよ」

とタカが字も書きながら伝える。

「じゃ、カナブンね。決定!」

少女は一方的に決めつける。以降、イマは男の事を「カナブン」と呼び、男はイマ以外の人間に「カナブン」と言われることを極端に嫌った。

「それじゃ、君の名前は?」

タカが今更のように聞いた。

「吉井 今だよ。イマって呼んでね」

少女、イマが名乗った。これ以降、少女は(後日別のエピソードにより違う愛称が生まれるまで)ほぼ全ての人から「イマ」と呼ばれるようになった。

イベント最終日にあたるこの日、イマとタカ、いやカナブンは日が暮れるまで一緒に過ごした。カナブンはそれほど多くはない小遣いから、昼食やおやつや飲み物代を捻出してイマと離れようとしなかった。イマは、「昨日お母さんにカナブンの事話したよ。あなたの直感を信じなさいって」といい、一緒に居ることを嫌がらなかった。

彼らは、年の差を感じさせない会話と雰囲気で、廻りからの「親子?ちょっと違う?」という視線を弾き返しながら思いっきり話した。いつの間にか、会話ではイマが同い年に向かうように喋り、カナブンが敬語になっていた。

これは、主にイマの何でも割りきる性格と、カナブンの慎重な性格によるところが大きいのだろう。

イマは自分の今までのこと、将来の夢、それにカナブンからのなぞなぞのようなものへの答えをしゃべっていった。

カナブンは、今まで何してきたかは簡単に、今何をやっているか、この先何をやりたいかを話した。

夢のような時間だった。カナブンことタカにとっても、イマにとっても。そんな時間はあっという間に過ぎ去った。


イベント終了間際、イマは親から持たされている携帯を使って、カナブンとアドレス交換をした。カナブン、いやそろそろ魔法がとけたタカは、(これで親に何処の誰だか判ってしまいますね)と内心苦笑しながら、快く応じた。

そして別れ際、タカは逡巡の上、自分でもなんでそんな台詞を口にしたのか信じられないような事を言ってしまった。


「イマ、さん。私はあなたに一目惚れしました。20歳になるまで待ちます。それまで、月1回だけでいいですから逢って下さい。あなたが他に好きな人が出来ても、20歳まで待ちます。20歳になって、私の事が嫌いじゃなかったら、結婚して下さい。」

イマは、その言葉を理解するまで何秒かかかった。ひとまず絞り出した言葉は、

「わたし、小学生だよ。冗談だったらやめて。」

「真面目です。真剣です。何だったらご両親にもご説明します。」

タカは真剣なまなざしでイマを見つめた。

イマは、どう返答したらいいか珍しく迷った。

「今無理に返事しなくていいです。とにかくまた逢ってくれることだけ、約束して下さい。」

タカが躊躇いがちに言った。

「はい。」

イマはそう言って、ペコリと頭を下げてから、小走りに去っていった。

タカは、あの子の将来が楽しみだ。もしかしたら一緒に研究出来るかもしれない。だけど、魂がこんなに揺さぶられたのは初めてだ。そう思いながら、帰途についた。


翌朝、タカは普段より早く目覚めた。

昨日の事は夢だったのか?イマは、自分が妄想した天使か?

ふと枕元の携帯を見ると、早く起きた原因が判った。メール着信。

イマからだった。

「カナブンですか?おはよう。今日も元気でね。」

ちょっと探るような、短いメールだった。

「おはよう。イマも元気でね。」

タカは短く返した。これで、連絡先が確定する。タカは小躍りするような気持ちと、それについていけないかったるい身体を引きずって、出勤の準備をした。メール、きっと親も見るんだよな。余計な事は書けないな。そう思っていたとき、またメール着信。

「やっぱりカナブンだ。行ってきまぁす!」

イマも連絡先が正しいか確認したかったようだ。

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