間違い探しゲーム-5

 葉月。今あんたは、どんな顔をしている?どうして震えている?震えるくらいならどうして、こんなことをしようとした?葉月、俺分かんねぇよ。

 好きなら手を伸ばせばいいだろ?手放したくないと、そう抗えばいいだろ?

「……意味、分かんねぇよ」

 分からない。こいつの考えることが、何も。

 俺が間違えてしまって、だけど葉月の答えも明らかに間違っていて。たぶん他に、もっと別のやり方があったはずで、だけどそれを選ばなかった葉月を責めることもできなくて。

 それで、分からない。なんで葉月がこんな方法しか選べなかったのか。葉月が今何を感じているのか。

「俺、分かんねぇ。もっと他に、あっただろ」

 心の声が漏れた、その一瞬。

 ガシャン。音がして、意識が戻る。

「葉月、何やって……っ!おい、何やってんだよ」

 足元に、ガラスが散らばっていた。葉月の手からコップが滑り落ちたのだろう。ガラスを拾おうとしゃがみ込んだ瞬間、胸ぐらを掴まれる。

「じゃあどうしたら良かったんだよっ」

 咆哮。

「葉月?」

「教えてくれよ、なぁっ」

「落ち着けよ、葉月!」

 思わず、頭突き。ゴ、という鈍い音に、すぐに力が緩み、ズルズルとしゃがみ込む。

 ズキズキと痛む額を摩りつつ、同じ目線に沈み込み、胸元の手を掴んで外す。力の入っていないそれはすぐに外れ、ガラスで切ったのか、血が流れていた。

 俯いた顔。

「悪りぃ、葉月。大丈夫か?」

 へーき。と短く言って、手から流れる血に視線を向ける。そのまま口を開く。

「僕、分かってた。笹本は真弥のこと好きだって。それでも平気だと思ってた」

 忘れてたんだ。

「僕は笹本に勝てない」

 弱々しいようで、でも諦め以外の感情を含まない声。

「覚えてるかな、笹本が昔僕に言ったこと。僕を形作るのは、脆い自尊心しかないって」

「言ったっけ」

「言った。その通りなんだよ。僕は真弥と付き合って、笹本に勝ったつもりでいた。ちーとのことを誤解された時だって、すぐに何とでもなると思った」

 だって、今までもそうだったから。

「だけど忘れてた。僕は笹本に勝てない。笹本と同じ位置に立てない」

 真弥の気持ちは、笹本に傾いた。

「だからもう、無理なんだよ。真弥は僕のところへは帰ってこない」

「だからって」

「笹本。僕さ、今までいろんな人のこと見下してきたけど、傷付けたいなんて思ったことは一度もないんだよ」

 はぁー、という深いため息。

「真弥を傷付けたくない。だけど取り戻すこともできない。だったらもう、こうするしかないだろ……」

 手を血が伝う。服について、じわりと広がった。

 何も言えなくて、だけど葉月が間違っていることだけは分かって、口を結ぶ。いろんなことが頭の中で渦巻いて、訳が分からなくなりそうだ。葉月の行動の、葉月なりの理由はなんとなく分かる気もする。だけどやっぱり、それは葉月なりの考え方で、俺は自分をそこに当てはめることはできない。つーか、それだと、葉月が真弥を諦める理由も俺ってことかよ。冗談じゃない。

 不意に、葉月の顔が上がり、不自然に笑顔を作った。

「だからさ、笹本。協力してくれないか?」

「は?」

 聞き返す。

「別に何をしろって言うんじゃないけど。今までと同じように真弥に会って、真弥と一緒に過ごしてほしい」

「あんたはどうすんの」

「千夏さんとは今まで通りいくよ」

「何のために?」

「真弥と別れるため」

「あんた、ほんとにそれでいいのかよ」

「何回も言わせるなよ。それに、もう戻れないって」

「それは」

「真弥は笹本が好きだ。だけど付き合っているのは僕。しかも僕は浮気している。……僕は、真弥にフッてほしいんだ」

 思い出す。俺に、真弥を好きだと認めさせた。真弥は俺を好きなのだと、そう言って。葉月は初めから、もう元には戻れないと知りながら正解を探していたんだ。

「ちょっと、待って。考える時間が欲しい」

 声を絞り出す。頭を冷やしたかった。冷静になって考えたかった。

「顔、洗ってきたら?」

「そーする。洗面所借りる」

 言われた通りに洗面所に行き、頭から水を浴びる。冷たい水に、熱の登った頭が確かに冷えていく。

 えっと、何を考えなくちゃいけないんだっけ。

 葉月のこと。真弥のこと。俺のこと。だけど、そうだ。葉月が覚悟を持ってしたように、今となっては起こったことは変えられない。考えるべきは、これからのことだ。俺が葉月に協力するか、しないか。

「……は」

 水も拭わずに、鏡を睨む。溢れた声とともに、嘲笑が浮かんだ。

 考える必要なんて、どこにもないじゃないか。

 落ちている長い髪。知紗の伸ばし始めた髪はまだ短い。これは確かに、あの女のものだ。葉月は、戻れない今までを作ると同時に、これからだって作ってしまっている。俺は従わざるを得ない。

「そうだろう?」

 鏡に映る自分が、ひどく歪んで見える。嘘つき。心の中の自分が言う。冷静になればなるほど自分勝手な考えが浮かんで、それをいい風に解釈しようとして、全部を葉月のせいにしようとしている。

 分かっている。葉月の言う通りにして二人が別れれば、俺は真弥を手に入れられるかもしれない。葉月はこのことを真弥に知られたくないから、俺のこんな下心も真弥には伝わらない。汚い、醜い、狡い考え方。

 それでもいいのか?自分に尋ねてみる。それは、葉月を利用して、真弥に嘘をつき続けることになる。

 それでも。

 葉月は真弥に手を伸ばすべきだった。俺に負けようと、真弥が自分を責めようと、真弥を失いたくないと足掻くべきだった。それをしないで、葉月、あんたは本当に……。

 小さく首を振って、髪についた水を払う。そこら辺に置いてあったタオルで顔を拭い、もう一度鏡と対峙する。鏡に映る、自分自身。手を伸ばさなかった葉月を責めるのなら、あんたはちゃんと手を伸ばせ。真弥が欲しいと、醜くても足掻くべきだろう?

 正当化するように理由をつけて、頷いてみせる。

「葉月」

 乗ってやるよ。あんたの茶番に。このせいでしばらくは、俺が葉月への負い目に囚われることになるとしても。

「ありがとう、笹本」

 葉月の声が返ってきた。





Third cut. 間違い探しゲーム




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