間違い探しゲーム-4
***
「千夏さんは」
ポツリと漏れた葉月の声に、意識が戻る。
クズは、俺もだろ。心で嘲笑して、葉月の言葉を促す。また少し躊躇って、葉月が続けた。
「千夏さんは、人事異動でちーと入れ替わりに来た人だよ」
千夏?一瞬誰のことか分からなくて、すぐに思い当たる。さっきの女か。だけど葉月、それ、なんの答えにもなってないぜ?俺は、なんでこんなことを、そう訊いたんだ。
「それで?その千夏って奴と、なんでこんなことになってんだよ」
「萩原千夏」
「は?」
「彼女は頭がいいんだ。僕のこと知ってて、それで僕の茶番に付き合ってくれた」
「茶番って、なんだよ」
意味、分かんねぇ。低く言えば、諦めたようにため息をつく。
そのまま席を立とうとするから、慌てて引き留めた。
「水」
たった一言。仕方なく手を離す。キッチンに向かう葉月が、一度振り返り、俺を見て笑う。
「なぁ、笹本」
「んだよ」
「笹本はさ、好き?」
真弥のこと。
「……は?」
なんだよ、それ。あんた今、なんの話をしているんだ。
「そんなの」
「僕は、笹本が真弥を好きだったらいいって思ってる」
「何言って」
背を向ける。コポコポと、水を注ぐ音。姿が見えないまま、言葉だけが届く。
「なぁ、好き?」
意味わかんねぇよ。なんでそんなこと聞くんだよ。俺が答えて何になるんだよ。
「じゃあ、好きってことで」
そう答えないと話さなそうだから仕方なく、という風に装って、頷いた。裏腹に、心臓はバクバクと脈打っている。葉月のため息が耳に届く。
「よかった」
未だに姿は見えなくて、それと同じに感情も読み取れなくて。
「あのな、笹本。誤解なんだよ」
「誤解?」
「ちーとは、何もない」
何もないって、何。問えば、気の抜けたような口調で返ってくる。
「言葉の通りだよ。ちーがどう思ってたかは正直知らなかったけど、笹本が思っているようなことは何もない」
「あの日二人でいただろ」
「相談に乗ってただけだよ。そもそも僕は、おまえに連絡するようにちーに言ってたし、おまえに連絡してると思ってた」
「その前だって、知紗と会ってたことあるんじゃねーの」
「仕事終わりに相談に乗ることはあったけど」
頭の中に疑問が溢れて止まらない。どういうこと。あんたは、何を言っている。
「匂いは?」
「匂い?」
「香水。あんたから知らない匂いがするって、真……橘さんが」
あぁ、と小さく笑われる。
「それ、千夏さんのだ。笹本、ちーの異動知ったの遅かったよね」
「オススメの店は?」
「ちーが、ちーの高校の友達から教わったんだって。一緒に行ったわけじゃないよ」
「眼鏡は?」
「おまえが殴ったときに吹っ飛んで壊れたんだろ」
なんだよ、それ。それじゃあ俺は、何のために。もう、取り返しなんて付かないのに。
でも真弥が傷ついていたことは確かで。だから俺がしたことだって間違ってなくて。だけど真弥は葉月が好きで。そして葉月は他の女を抱く。他の女を。
そうだ。
「さっきの女は?あれも誤解だって言うのかよ」
知紗とのことが誤解だとしても、葉月が今現在さっきの女と浮気している可能性だってあるんだ。
縋るように放った質問に返ってきたのは、小さな笑い。焦るように波打った心の上に、苛立ちが生まれる。
「言ったよね。千夏さんは、茶番に付き合ってくれただけ」
「だから、茶番ってな……」
「笹本」
遮られた。いい加減、顔の見えないやり取りに飽きて、キッチンへ向かう。
「おい、葉月」
「真弥はね、笹本が好きだよ」
キッチンに立つ葉月は俯いていて、顔が見えない。
「真、弥が?」
声が掠れる。
そんなこと、真弥が葉月に言うはずないのに。真弥の心にはまだ、葉月が大きく居座っているというのに。
「真弥、かぁ。……笹本、真弥と寝た?」
「は?な、んで」
「だよな。真弥見てればさすがに気付くよ。何かあったなって。何か、気持ちの変化があったなって」
ちょっと、待て。つまり、それって、葉月は全部気付いてた?事の原因は、俺だと?
固まって、動けない。あーぁ、と葉月がため息をつく。
「じゃあそこで、浮気なんて何もないってそう判明したら?」
真弥は自分を責めるよね。
「だったら、何も知らないまま被害者にしてしまえばいい。誤解を本当にしてしまえばいい」
「それで、あんたは」
「うん。千夏さんだよ」
淡々と続く言葉。だけど、ふと気付く。葉月の手が震えている。コップの中の水が、揺れてチャプリと音を立てる。
「彼女、周りに良い噂なくて、それでも屈しなくて、すごくかっこいい人なんだ。だから選んだ」
「葉、づき」
「少しでも僕が彼女の息のつける場所になれたらと思った」
「それは、対価か?」
「そうだね。僕は彼女を浮気の相手として利用する。その代わりに僕は、彼女の居場所になる。欲しい言葉をあげる」
「そういうこと」
「だけど彼女、思ったよりずっと頭良くて。僕の目的、分かったみたいだね」
帰り際の彼女の唇の動きを思い出す。あれは、何を言っていたんだろうか。
「情けないなぁ、僕」
チャプリ。もう一度、コップの水が小さく跳ねる。心なしか、声も震えている。
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