間違い探しゲーム-3

 それからしばらくは、葉月とも知紗とも、顔を合わせることはなかった。葉月からの連絡も、妹からの連絡も、すべて無視をした。

 心地の良い関係を壊そうとした知紗もそうだけど、それに応じた葉月が信じられなかったから。葉月はその関係を心地よいと。壊したくないと。そう感じていなかった。それが、堪らなかった。

 その一方で、葉月は橘さんとの関係も続けていて。

 そんな中、一度デート前の彼女に会った。思えば、それが分かれ道だった。


***


 何か真弥に落ち込んでいる様子がないかと気になり、偶然を装っては彼女の部署近くまで足を運んでいた。

 その日も、会社から出る彼女の姿をたまたま見つけて、その表情がどこか寂しげに見えたから。だから、彼女を追いかけてカフェに入り、声をかけた。

「あれ、橘さん?」

 偶然を装って、何気なく。声に反応してこちらを向いた橘さんの目元は、心なしか潤んでいて、彼女が慌てて目を拭う。

「笹本さん」

「お久しぶり。何してるの?」

「あ、ちょっと人を待ってて」

 視線で向かいに座っていいか、尋ねる。肯定を待って席に着き、コーヒーを注文。

「そうなんだ。……仕事の調子はどう?あんまり見かけないけど」

 なんて、嘘だけど。言葉は胸の奥に隠し、問いかける。本当に聞きたいのは仕事の話なんかじゃない。

「最近仕事が立て込んでて。笹本さんは?」

「俺はわりと暇だったから、たまに橘さんの担当の近くまで行くこともあったよ」

「え、全然知らなかった」

 少しの嘘と、それに紛れ込ませた本当。誤魔化すように笑う。それに笑顔が返ってきて、胸の奥がドクリと音を立てた。

「よかった、橘さん、笑った」

「え?」

「橘さん、元気ないみたいだったから。ちょっと心配になって」

「ありがとう」

「いーえ。どういたしまして」

 眩しいものを見るかのような笑顔を向けられ、口角が上がる。

 俺、やっぱり橘さんが好きだ。そんな暖かい感情が、携帯のバイブで萎んで行く。ディスプレイを見た彼女の顔が、パッと綻ぶ。俺には向けられない、一人のための表情。あぁ、このメールは。

「葉月?」

「そうみたい」

「デート、なんだ」

 もう一度、今度は違う意味で、胸の奥がドクリと脈打った。

 橘さん。なんでさっき、あんな辛そうな顔してたの。葉月のせいじゃねぇの。なのになんで、今そんな顔をすんの。葉月は、あんたに言えないことがあるのに。

 汚い感情。隠すように、笑顔を貼り付ける。

「ごめんなさい、もう行かなくちゃ」

「楽しんで」

 伝票を掴んで歩き出した彼女を見送りつつ、なんとなく、思う。俺ならきっと、彼女を葉月より笑顔にできる。その笑顔の意味が、葉月に向かうものだとしても。

「橘さん」

 呼び止める。振り返った彼女に、俺の愛用する香水を一吹き。

 俺は、妹とは違う。葉月とも違う。関係を壊したいなんて思わない。ただ、橘さんが幸せならば。

「元気が出る魔法」

「ありがとう」

 返ってきた笑顔に、自分に言い聞かせた。

 一人、席に残ってコーヒーを飲みつつ、携帯を弄る。

 前髪、切ってたな。爪も綺麗な色してた。思い出しながらメッセージを送る。俺だって、気付いてる。だからきっと葉月だって気付く。元気を出して。ね、俺の魔法は効いた?そのあと、さらにいくつかのメッセージを送って、目を閉じた。

 分かっている。あの前髪も、あの爪も、笑顔だって。全部全部葉月のため。だけど葉月は妹とも連絡を取っていて。

 違う。

 俺は、そんなこと望まない。妹みたいに、この関係を壊そうなんて。思ってない。思ってない。

 ただ、なんとなく嫌な予感がしただけ。彼女が泣いているような気がしただけ。ただ、声が聞きたくなっただけ。

 衝動的にかけた電話の向こうで、橘さんは泣いていて。これまた衝動的に呼び捨てた俺に、疲れちゃった、と零した。

 葉月が真弥を連れて行く、会社の子オススメの店。デート前に時間を割ける女。全てが知紗に結びついてしまう。

 幸せならそれでいい。それが俺に向かなくたって。だけど彼女が、俺に助けてと、限界なのだと、そう縋りつくなら。真弥の元に駆けつけて、そのまま抱きしめて慰めて、励ますためだと正当化して、その夜俺は、真弥を抱いた。

 そのあとは、坂道を転がるように。どんどん落ちていった。俺は真弥と連絡を取り、たまに会い、真弥はそれに応じつつも葉月を想う。

 溜息。結局俺は、知紗の兄なんだ。


***


 それからしばらくして、非通知設定で掛けてきた知紗の電話で、彼女の二ヶ月前の異動を知った。

 俺が葉月を殴った跡は、同期や上司の関心を買い、その現場を見た知紗は過剰に反応してしまったそうだ。その反応から変に勘ぐった奴らが好き勝手な噂を流したのだという。その噂はすぐに消えたし、知紗の異動とは関係がなかったものの、噂好きな女たちはここぞとばかりに結び付けて井戸端会議を開いたらしい。

 それを機に、あれから初めて葉月と連絡を取った。

 知紗の異動のことを聞くと、そうだね、とだけ答える。なんの感情も篭っていないその返しに、少しだけ、安心した。葉月は知紗に気があるわけじゃない。あの関係を壊したかったわけじゃない。それなら、別にいいか。

 葉月が真弥に言えないことがあろうと、真弥が葉月に隠し事をしようと、俺が葉月の大切なものを奪おうと。形だけでもあの関係が保たれるのならば。

 それ以降、葉月とあの時の話をしたことはない。

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