エクセッシブガール-4

 玄関のチャイムが鳴って、彼の体温が頭から離れていく。代わりに掴んだ携帯を確認して、ちょっと待っててと言って玄関へ向かう。何となくそれに付いて行って、彼が開ける扉をぼんやりと眺めた。

「葉月。出んのおせーよ。連絡入れただろ?」

 聞き覚えのある声。見覚えのある姿。扉の向こうに立つ男性の視線がぐるりと動いて、私を捉える。瞬間、見開かれる瞳。

「……あんた、何でここに」

「あ」

「つーか、二人きり?」

 思わず声が漏れる。顰められた眉に、相手が良くない想像をしていることが分かる。

「何とか言えよ」

 彼の、キョトンとした顔。私を振り返って、どうしたのというように首を傾げる。

 あぁそうだ。彼には、ちゃんと連絡したことになってるんだ。ちょっとした横着。それから、ちょっとした反抗。それで連絡したと嘘をついた。

 私はどんなに頑張ったって、彼の特別にはなれない。それでもいいと、そう思ったけれど。だけど、少しくらいいいじゃないか。彼女とのデートの前に時間を割いてもらえるのは私だけだって。彼女以外で家に上げてもらえるのは私だけだって。その事実で、彼の中での私が、私の望まない位置に刻まれようと。その事実に浸ってみたっていいじゃないか。

「なぁ、どういうことだよ。何とか言えよ、おい」

 何も言わない私たちに、相手が焦れる。

「葉月に何か用があったんだろ?なぁ、そうだろ?言ってみろよ」

 縋るように、懇願するように。答えを求める相手に、困ったように彼が笑う。

「おい、答えろって。何か仕方がない理由があるんだろ?」

 まだ状況が読み取れないようで、そんな表情に更に相手がイラつく。

 あぁ、もしも。もしも私が今、自分の気持ちをぶちまけたら、どうなるのだろう。私は彼が好きで、彼のために変わりたいと思っていて。彼はそれを何も知らずに私に構ってくれて。私はその優しさに付け込んで今ここにいるのだと。

 そう言ったら、相手は私を責められるだろうか。彼らの関係が壊れてくれたりしないだろうか。

「……用事なんて、なかったよ」

 口が動く。驚いたように彼の笑顔が固まり、何かを察したように相手に向き直る。でも、もう、遅い。

「ざけんなよっ」

 荒い声。ドゴ、という鈍い音と共に、彼が玄関に倒れこむ。

「何のつもりだよ」

 低く這うような声。尻餅をついたままの彼と、彼が見上げる相手。殴られた頬に手を当て、彼が苦笑いを浮かべた。

「容赦ないなぁ、笹本」

「当たり前だろ」

 彼の瞳がゆらりと動いて、私を捉える。赤い頬。そこに浮かぶ笑顔。

 ……違う。私が見たかったのは、こんな彼じゃない。

 彼だってすでに、相手にどんな誤解をされているか分かっているはずだ。それなのに、どうしてそんな風に笑えるの。そんなに私は、誤解を解けると安心できるような存在ですか?

「ちー……」

「葉月、さん」

 相手が私を見る。そこに浮かぶ軽蔑。

 壊れたら、とは確かに思ったけれど。そんな彼の安心を見たかったわけじゃない。彼と相手の関係を悪化させたかったわけじゃない。

 もう、遅い。私のせいだ。私が変わってもいいかと、彼に頼ったから。

 私の、せいだ。ストンと、その意識だけが胸に落ちてきた。

「……ごめ、なさっ」

 彼から顔を逸らして後退った足元で、カシャンと音がする。見れば、殴られた時に飛んだのであろう彼のメガネが歪んでいる。

 パキン。もう一度音が鳴り、足の裏に小さな痛み。

 壊してしまった。私が、彼の大切なものを。壊してしまった。

 変わりたいなら、勝手に変わればよかった。変わる理由を彼に求めるんじゃなかった。それは、私が認められなかった、高校の人の思考と同じだ。

 居た堪れなくなり、鞄を引っ掛けるようにして出て行く。彼の、呆然とした視線。

「ちょ、おい、待てよ」

「え、笹本?」

 背後で扉の閉まる音。カンカン、と音を立てて廊下を走る。

 ごめんなさい。そう心で呟いたところで、後ろから腕を引かれた。振り返れば、彼を殴ったその人が私の腕を掴んでいる。

「待てよ」

「なんで、追いかけて」

「当たり前だろ。あんた、なんであんなとこにいたんだよ」

 顔を伏せ、手を振り払うように腕を揺らす。掴む力が強くなる。

「なんだっていいでしょ」

 私がどう動こうが、あなたには関係ない。そう声に滲ませれば、咎めるような視線。敢えて受け止めて睨み返す。

 関係ないでしょう?私がどうしようが、あなたは批判しようがないんだから。

 視線を受け取って、彼の表情が固まる。

「あんた、まさか」

「まさか、何?」

「そのために、あいつと同じ会社に?」

「そうだよ」

 そうだよ。彼のそばに居たくて近付きたくて、彼と同じ会社に入った。だけど、あなただって何も言えない。

「なんでだよ、あいつは」

 言いたいことが分かって、唇に笑みが浮かぶ。

「あいつには、大切な彼女がいるんだぜ?」

 そうだね。だけど。

「なぁ、知紗」

「あなただって同じでしょ?お兄ちゃん」

 今度こそ、目の前の顔から表情が消える。

 ねぇ、知らないはずないでしょ。ずっとあなたと一緒に、彼の側にいたんだから。彼に彼女が出来た時、あなたが誰を見ていたか。私と同じように報われない視線を、彼の視線の先に。だからあなただって、私のことを何も言えない。

「知紗……」

 信じられないと。そうため息を漏らし、腕の拘束が外れる。

 離れていく熱を追うように視線をあげれば、こちらに背を向けて去っていく兄の背中が見えた。






Zero cut. エクセッシブガール

( hint: 髪の長さ,メガネ,number )






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