エクセッシブガール-3

 会いたい。彼に。会いたい。どうしても今。会って、頑張ったねって。そう言って頭を撫でて欲しい。

 音楽を流そうと画面を滑っていた指が、別の目的を持って動き始める。

 会いたい。

 今まで一度も自分からかけたことのない名前を、親指でタップする。ゆっくりと耳に当て、呼び出し音を聞く。きっかり七回で途切れたあと、留守番サービスに繋がる。そこに声を吹き込もうとして、電話が切り替わった。

『あ、もしもし?どうしたの、珍しいね』

 聞けると思っていなかった声に、思わず言葉を失う。何も言わない私を不審に思ったのか、彼が声を連ねる。

『あれ?もしもし?聞こえてる?』

「……きこえて、ます」

『なんだ、良かった。反応ないから心配したよ。ごめんね、出るの遅くなっちゃって』

 今会社出たとこなんだ、と言う彼の後ろから、ガヤガヤという雑音が聞こえる。

「いえ、急に電話しちゃってすみません」

『大丈夫だよ。けど、本当にどうしたの?』

 不思議そうな声に、また言葉が詰まる。

 どうしよう。会いたい。でも彼は仕事終わりだし、疲れているだろうし。だけど、会いたい。会いたい。会いたい。

『もしもし?大丈夫?具合でも悪いの?』

「葉、月さ……」

『うん。何?』

 優しい声。大丈夫。ちゃんと聞いてる。辛かったらいつでも頼っていいよ。そう言ってくれた、あの優しい声。

 やっぱり、会いたい。会いたい。会いたい。

「これから、会えませんか?」

『え?これから?』

 ちょっと驚いたような声。それすらも、会いたい、に繋がる。

「はい。葉月さんの家行ってもいいですか?」

『あー、どこかの店じゃダメかな。それか、兄貴も一緒に来るか』

「兄には言えないことなんです」

 彼の友人でもある私の兄の同伴を拒否すれば、ようやく困ったように息を吐いた。

『なんか、深刻なのかな。外でも話したくないことなんだな』

「はい」

『いいよ。おいで』

 嬉しくて、思わず吐息が震える。ただし兄貴にはちゃんと連絡を入れること、という言葉に素直に頷き、通話を切る。足取りが軽くなった。

 何度も行ったことのある彼の家までは、あっという間に着いてしまった。一呼吸おいて呼び鈴を押す。連絡を入れていたからかすぐに開いた扉の先で、彼が優しく笑っている。

「いらっしゃい」

「お邪魔、します」

「なんでそんな硬くなってるの。何回も来たことあるし今更緊張なんてしないだろ?」

 誤魔化すように笑って、いつものリビングへ向かう。ソファに腰掛け、彼が用意してくれた紅茶をゆっくりと口に運んだ。

「それで、どうしたの?」

 メガネの奥の瞳が、優しく細められる。

 恋愛や就職、家族喧嘩など。相談してきた今までと同じように、ん?と首を傾げられ、心の中で懺悔する。ごめんなさい、葉月さん。私、連絡してないです。葉月さんの家に来たこと、誰にも言ってないです。

「今日、高校の頃の友達に会ったんです」

「へぇ」

「オススメのお店とか近況とか聞きました」

「良かったな」

「……良くないです」

「なんで?なんか変なこと言われた?」

「変なことじゃないですけど」

 一度、言葉を切る。

 今ここで、私の気持ちを全てぶちまけたらどうなるのだろう。彼は、どんな反応をするのだろう。なんて、そんなことは言わないけれど。だけど。

「じゃあ、なんて言われたの?」

「変わったけど、変わんないねって」

 変わったのは、当たり前だ。変わろうとしたんだから。変わりたいって努力したんだから。彼のために。

 派手な服装は会社で浮いてしまう。それでも少しでも綺麗なところを見せたくて、ネイルだけはする。小さなヒールを履く。今までいつも短かった髪の毛だって、ようやくミディアムくらいまで伸ばした。だけど昔から変わりたいと必死に足掻くところは、いつまで経っても変わらなくて、高校時代は周りの人に、今だって会社の人たちに。いつだって私は、必死だと笑われる。

 高校時代は確かに、今にまで続いている。

「ねぇ、葉月さん。私、変わった方がいいんですか?」

 変わらなくても平気だと、自分に自信を持っていられるように。矛盾するような私の言葉に、彼が眉を寄せる。

 生きている以上、より高い自分になろうとするのは当たり前のこと。その努力を無様だと言う人だって当たり前に存在して、その人たちからの嫌味なんて飽きるほど浴びてきた。それは仕方ないことだし、避けられないこと。分かってはいるけれど、でもだからってなんで、仕事を努力しても認めてくれないんだって。

 いつもそう足掻いて、叫んで、だけどその努力を認めるという行為を誰かの励ましに使って欲しいわけでもなくて。私を認めようとした高校のあの人の言葉を肯定することも、否定する勇気を持つことも、できなかった。

 彼の腕が伸びてきて、髪をゆっくりとかき混ぜる。

「僕もね、似たような言葉を投げたことがあるよ」

 それで?と先を促せば、誤魔化すように笑って、答えはくれなかった。ただ、メガネの奥の瞳が優しく揺れる。

「ちーは、頑張ってるよ」

 目を閉じる。

 あぁ。この人が、好きだ。どんなに無様だって笑われたって、必死だって思われたって、構わない。私は、この人が好きだ。

 知的にも、優しげにも見えるメガネ。いつだって私の欲しい言葉をくれる。私が相談したいといえば彼女とのデート前でも来てくれる。

 それが私のただの我儘だとしても。私が教えたオススメのお店が、彼女とのデートに使われたとしても。

 それでも、私は彼が好きだ。

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